ここに挙げる債務者たちは、債権者から金を騙し取ることを目的に借り入れをして、いざとなれば逃げ隠れするのが常套手段だった。所在を突き止められて債権者の関係者が自宅を訪ねるようになると、決まって自己破産手続きをしたり、家族が相続放棄をする。しかし、それはおかしくはないか? 法的にも手続き上にも問題あるだけでなく、余りにも悪質な人間たちの手口を検証しつつ刑事と民事双方の責任を追及する。
掲載人物 小野敏雄」 「石川美智代」 「原田裕功(早苗・光恵)」 「淀屋民則(美津子)」 「松本信幸」 「山本丈夫」 「森重毅(みちる・毅)」 「岡田瑞穂(優子)」 「松尾憲之・早川充美」

『小野敏雄』

(写真:小野敏雄 記事を掲載以降、小野の悪事を告発する情報が数多く寄せられている)

30年前後も債務の返済を滞らせておいて、これ以上先延ばしはできないとなると、債務不存在の訴訟を起こすという常軌を逸した態度を取っているのが小野敏雄である。訴状で示すべき債務不存在の根拠も、まして物的証拠など何一つないのは当然だったが、そこに書き記されていたのは債権者が「無免許の高利金融業者」であるとか、多くの債務者たちを「強要と強制でマインドコントロールして縛り付けている」として「公証役場での公正証書の作成は100件以上に及ぶ」などというありもしない嘘を並べ立てた誹謗中傷に溢れ、あろうことか代理人の清瀬雄平弁護士は、小野の言われるままに確証も取らずに訴状を作成したとしか言えない内容だっただけでなく、その後の審理の度にそれを繰り返してきた。

(写真:小野が作成した借用書。平成30年12月末時点で債務は9億円以上になった)

債権者は止むを得ず小野と清瀬を名誉棄損で訴え、さらに清瀬に対しては所属する東京弁護士会に懲戒請求を申立てたが、債権者の関係者の間では「小野と清瀬のやっていることは明らかに民事では手ぬるい。刑事事件で告訴するべきだ」という声が当初からあったが、審理が進むに連れて一層高まっている。小野は複数の結婚詐欺まで働く詐欺の常習者だが、この裁判での言動が債権者の名誉を著しく毀損している事実は、民事だけでなく刑事でも手続きする意味は大きく、また法廷偽証罪にも問われるべき虚偽主張の連続だ。小野のやっていることは債権者に対する騙し裏切りであるから、それこそ刑事事件にする材料はいくらでもあると思われる。

債務不存在の主張を裏付ける根拠も証拠も示さず、ただ債権者を誹謗中傷する行為は、裁判に名を借りた犯罪に等しいとさえ思われる。小野にとって裁判は債務逃れを謀るための時間稼ぎに過ぎない。まさに30年も前に債権者から4000万円を2回、合計8000万円を借りても、債権者が返済の督促をしないことをいいことに知らぬ振りを続け、約7年後の平成9年に改めて借用書を作成した際には債務額が1億5000万円になっていたことから、新たに公正証書を作成することになったが、小野は妻の真理に連帯保証をさせると言い、さらに担保がないので加入していた生命保険に質権を設定すると申し出たのだが、その後も一向に返済をしないまま、小野は債権者から新たな借り入れをしていった。
そうした経緯を小野は審理では悉く否定して、借用書は全て債権者から強要されて作成したもので、借金は返済したうえ過払い金が発生しているとまで主張したのである。さらに妻の連帯保証についても、小野が妻の実印を無断で持ち出したもので、妻は知らないし関係ない、借用書の署名は自分か第三者に書いてもらったと、とんでもないことを言い出した。真理の署名は平成9年に作成した借用書と公正証書のほか債務承認書等にあるが、それが事実ならば小野は過去20年以上にわたって債権者を騙し続けて来たことを、自ら白状したのである。小野と清瀬は裁判所に筆跡鑑定を要請しているようだが、時間稼ぎもいい加減にするべきだ。それに、小野の主張が本当であれば、これも大きな騙しであり、それは債権の回収に多大な損害を与えるもので、決して許されるものではない犯罪である。
そして、清瀬もまた同様に、小野との共犯関係を自認するような弁護士にあるまじき対応を繰り返していることが、引いては所属している弁護士事務所の社会的信用さえも大きく損なっていることを何も分かっていないようである。
本誌ではこれまでにも清瀬に対して、何一つ正当性のない小野の主張を続けるのを止めるよう注意喚起してきたが、弁護士事務所のNo.2である清瀬もやっていることを承知しているはずだ。当然、清瀬が小野と共に名誉棄損に問われ、弁護士会から懲戒処分を受ける事態が明確になれば、それこそ事務所の存立にも関わる深刻な問題に発展することは分かっているはずだ。いつまでも小野の悪あがきに付き合っていれば、清瀬自身も弁護士事務所全体を巻き込んでしまうことに早く気付くべきである。

『石川美智代』

(写真:石川美智代)

石川美智代は、どこまでも自身の責任を逃れようとしているようだが、さまざまな言い訳をしたり他人のせいにしたりするが、どうしても逃れられないのが、自分で犯した犯罪行為だ。長い間経理を担当してきた中で帳簿を誤魔化し、あるいは改ざんして使途不明金、というより使い込みを繰り返し、自分の給与もお手盛りで水増し計算し、100万円を超える金額を横領していた行為、さらには会社の資産に手を付けて、ダイヤや顧客への贈答品等を紛失させたことは、今は民事的な石川の管理責任に留められているが、いつでも窃盗や横領等の犯罪として刑事告訴の対象になる。それを石川自身はよく分かっていないようだ。

すでに社長と周辺関係者の間では、夫で会社の上司に当たる小川部長が多額の使い込みをしたのは、そもそも石川美智代が唆したからだという意見が定着している。
本社が新宿センタービルにあり、何人もの事務員がいた当時には考えられなかった使途不明金の発生や使い込みが、その後、2人で事務をやり出した、転居先で頻発した経緯を考えると、石川が営業職から経理事務に変わった時期に重なっているから、なおさら石川の教唆の重大な根拠になっている訳だが、少なくとも小川部長が単独で使途不明金を発生させたり、使い込みをして、それが長期間バレずに済むことなど決して有り得ないのは事実だ。小川部長の使いこみが発覚したのも、会社の決算を見て来た会計事務所からの問い合わせにあった。

そして、小川部長が令和元年6月に退職する約1年前に書いたとみられる社長宛の書面が令和3年10月の事務所移転後に見つかり、それには使い込みが「15年以上前から」始まっていた事実を明らかにしている。15年以上も前と言えば、新宿センタービルに本社があった時から、すでに2人で使い込みが始まっていた事実に社長自身も驚いたようだった、と関係者は言うが、その後に会計事務所から指摘を受けるまで10年近くも使い込みが発覚しなかったことからみても、石川が経理帳簿を誤魔化し続けたからこその話だったに違いない。関係者によると、「石川は帳簿や口座のコピーを会計事務所にFAXで送信していたが、金銭の出入りで報告していないものがいくつもあって、会計事務所が不審に感じた時には報告していない金額が8000万円以上にもなっていた」という。8000万円もの金が帳簿上で使途不明になったのは突然ではなく一定の期間で積み上がったものだから、経理を担当していた石川が全く知らなかったことは有り得ないことである。
会計事務所の指摘を受けた社長が小川部長に尋ねると、小川部長は石川に確認すると言い、その数日後に辞表を持ってきたという。社長が、辞表を求めたのではなく、使途不明金の事情説明が必要だと小川部長に言うと、それから間もなくして石川が現れ、「使途不明金については私は分かりません。小川部長にはこれまでに不明なところを聞きましたが、自分の方で処理して社長に報告するからと言われました」と説明したが、改めて社長が会計事務所の意見を石川に伝えると、石川は「ああ、そうですか…」と言って、俯いてしまったという。使途不明金は小川部長の使い込みで発生し、しかもそれに石川が協力して帳簿を操作していたから発覚が遅れた、という会計事務所の指摘を、石川は無責任にも「そうですか」の一言で済まそうとしたのだ。どこまでも責任を転嫁しようとするのが、石川の本性だった。ちなみに別の関係者によれば、「小川部長が書面を書いたのは死亡する直前のことだから、よくよくのことだったと思う。社長への謝罪はもちろんあったろうが、『15年以上前』ということを明らかにしたのは、石川も共犯だったことを明らかにしたかったからではないか。小川部長は1か月に1度しか休みを取らず、平日も毎日夜の10時まで会社にいた。石川が寝込んだ後に自宅に着く時間でそうなったと本人が語っていたが、石川から毎日のように責められ続けて我慢の限界を超え、石川に対する恨みが募った結果、石川の共犯を示唆する書き方になったのではないかと思う。15年以上前ということは、小川部長の強い推薦で石川が営業から内勤に変わった後に、事業の圧縮もあって事務や業務の担当社員を辞めさせた時期にも重なっており、残ったのが石川一人だったが、石川が故意に仕向けた可能性が高い」という。これが当たらずとも遠からずであることは、その後の小川部長による使い込みが10年前後も続きながら、その発覚を遅れさせた石川の共謀をみれば十分に頷けることだ。

小川部長が何故使い込みをするようになったのか、それを教唆したのは石川であるに違いないとする意見の根拠になっているのが、営業職時代には月に300万円以上あった収入が内勤に変わった後にガタ減りしたことに石川が癇癪を起し、何事につけても小川部長を責め立てるような状態が会社でも自宅でも起きていたからだった。石川が小川部長に食ってかかる様子を何度も目撃した社長の知人が、それまでは石川に対して好感を持っていた印象をがらりと変え、来訪を社長に告げてもらうために受付で石川と顔を合わせるのが嫌になったと言って、それ以来、会社の近くから社長に直接電話をかけ、外で会いたいと言うようになったという。他の社員や来客の中にも、自分の気に入らないことを言われたりすると、石川が場所もその時の状況も弁えず、相手に強い口調で詰め寄るような場面を見たと証言する者が何人もいた。
これでは小川部長もたまったものではない。会社の内外で示しがつかないばかりか、仕事を終えて自宅に帰っても気を休める場所が無かったはずだ。そうしたことから、目減りした収入を補填する目的で使い込みを常態化させていったのではないか。その点を会計事務所でも「これは小川部長だけでなく、奥さん(石川)も共犯です」と明言していたほどで、日常の小口現金の入出金や経理帳簿への記帳をしていた石川が関与しなければ、使い込みをしてもすぐに発覚していたはずという指摘は当たっていた。ちなみに、石川の退職後に、社長からの預かり金30万円を口座に入金したという記録があるのに、実際には入金の記録がなく、帳簿にも記載がないという事実が判明したが、これも石川による横領の重要な証になる。

石川は自分の関与や責任を決して認めようとはしなかった。小川部長の使い込みについては「知らなかった」で押し通そうとした。石川は何事でも自分に責任が及びそうになると、自分は関係ないという態度を取り、知らぬ振りを決め込もうとする。社長が接待で利用する飲食店にキープしていたボトルについても、毎月郵送されてくる月刊誌に、ボトルを無期限で預かっていた制度を有期限に変更する告知があったが、石川は機関誌を捨ててしまっていたために、キープしていたボトル100本以上(100種類という意味ではなく、同じ種類のボトルを10本以上取ることがしばしばあったようだ。時価で300万円相当)が全て無効になってしまう事件があった。この時も石川は自分から事情を説明することも無く、また機関誌を捨ててしまったことへの謝罪の言葉もなかった。
石川が会社を辞めるきっかけになったのは、小金庫に保管していたダイヤが紛失するという事件が起きた時にも、石川は業務を担当していた社員がやったに違いないと言って憚らず、その男性社員の名を呼び捨ててまで自分の責任回避を続けたのである。しかし、小金庫の鍵を管理していたのは石川であったことに加えて、不定期にしろ毎月1回は必ず2人で保管状況を確認する作業を長い間怠っていた管理責任を石川が問われるのは当然だったが、それでも石川は態度を曖昧にして、ダイヤと同様に保管していた贈答品の在庫確認をしていた前述の社員のせいにしようと躍起になる始末だった。しかし社長から紛失分の弁済を求められると、「実家で電気工事会社を営む兄に相談するので、一度帰郷する」と言い、帰る前には「自分の入っている保険が900万円あるので、それで払います」と言ったが、社長は断った。それに前後して会社を辞めると言い出したのである。
そもそも、ダイヤが紛失しているのが分かったのは、石川が必ず2人で行うことになっていたチェックを単独で小金庫を開け、ダイヤの在庫をチェックした時だったが、それまで1年前後もチェックを怠って放置していた石川が、何故そのタイミングで小金庫を開けたのか、しかもそれを単独で行ったのかについて、石川からは納得のいく明確な説明が無かった。
会社を辞めた数日後、石川が兄と相談した結果を社長に伝えるために会社に来たが、「兄はそんな大金支払えない、と言っています」と言っただけで、それ以上詳しい話をしなかった。無責任極まりない態度に社長も呆れ、怒りさえ感じたようだが、石川がどのような形で責任を取るかについて明確な意思表示をしなかった事から、社長は話を打ち切ることにした。石川はダイヤの紛失後から何度か行われた協議の場でも「私は逃げませんから」という言葉を発していたが、その後、石川とは一切連絡が取れなくなった。実家の兄に問い合わせても、兄は自身も連絡が取れないので、どこにいるのか分からないと言い、妹の問題には関与したくないというそぶりを見せた。
石川からの連絡もないままで、社長は事態を放置することなく訴訟に踏み切ることにしたが、改めて調べてみると、石川がお手盛りで計算していた自身への給与計算や交通費等に水増しが見つかったり、社長の仕事を手伝わせて下さいと言って週に1、2回は出社していた松本という男が銀行のATMから数回にわたって総額約80万円を盗み、さらに約167万円の使途不明金があることについても、発覚当初は松本が横領したことになっていたが、実際には小川部長と石川の管理責任が問われ、さらに使途不明金については松本に被せたのだという疑いが強くなり、この分も合わせて石川の管理責任を問うことにするなど、石川には責任を厳しく求めることになった。しかし、いつまでも他人に責任転嫁したり、言い訳で済まそうとしている場合には、石川が退職後、事務所の移転に伴う書類整理をしていたところで見つかった、小川部長が書面に残していた15年以上前からの使い込みやダイヤの紛失ほかさまざまな窃盗と横領で刑事告訴に踏み切るという。小川部長の書面ではセイザンの清算金1200万円のほか2200万円から2300万円の使い込みや使途不明金があることを書面で認めていたが、この金は小川の死亡直前のことでもあり、石川以外に渡す人間はいなかったはずだ。小川部長は前妻と離婚する際の慰謝料3000万円は何年も前に2回に分けて支払い済みだった。こうしたさまざまの使い込みの共犯関係が明確になるに従い、石川への責任追及がより厳しくなる、という事態を石川自身はこれから嫌というほど自覚することになるだろう。

『原田裕功(早苗・光恵)』
原田の娘たち2人は、父親が無責任にも債務の返済を放置したまま死亡したことで、今、その責任を果たさなければならない状況にあるが、娘たちも父親同様にただ責任逃れをするために依頼した弁護士を盾にして、具体的な協議をしようとしないという姑息な対応をしている。しかし、いつまでも罷り通ることは有り得ない。

詐欺師グループのリーダー格だった原田裕功が病死してから7年が過ぎた。原田には早苗と光恵という娘が2人いるが、父親が債権者から金を騙し取って長い間逃げ隠れしていた経緯を知っていた。恐らく債権者の関係者たちが自宅にきた場面を何度か見てきたに違いないが、債権者の関係者が原田の自宅を訪れた時、入退院を繰り返していた原田は自宅にいても寝たきりの状態だったので、妻と関係者との話を少しは傍で聞いていたこともあったようだ。
妻が「容体が良くなるまで時間を戴けませんか」と関係者に頼み、関係者が債権者に状況を説明し、債権者は妻からの連絡を待つことにしたが、結局は一度も連絡が無いまま原田は死亡した。

原田が死亡した後、早苗も光恵も、父親の借金は自分たちには関係ないという対応をしてきたようだが、返済義務は消えない。それは、父親の借金を子供たちが負うという道義的な責任だけでなく、法的にも逃れられないのだ。
それを十分に承知してのことか、早苗と光恵は関係者が自宅を訪ねても、居留守を装ったり、インターフォン越しに応じても、「私には分かりません」と言ってインターフォンを切ってしまい、それきり応対しない態度を取っても、それから間もなくして早苗と光恵から依頼されたという弁護士が債権者の顧問弁護士に連絡をして、自宅への訪問を控えて欲しいと言ってきたが、債権者側の顧問弁護士とはいつまで待っても話し合おうとしない早苗も光恵も一向に具体的な意思表示もせず、債権者に会おうとすらしない。
弁護士もまた時間稼ぎをするような対応を続け、早苗と光恵の意志さえ伝えず、協議の場を作ろうとする気配すら見せなかった。

しかし、このような、時間が経過するばかりで、埒が明かない状況を繰り返していても意味はない。というより、早苗と光恵にとっては立場が悪くなるだけで、 債権者が原田に対する債権を第三者に譲渡してしまう決断をしてしまえば、早苗と光恵だけではない、それぞれの家族全員がプロの厳しい取り立てに追われ、それこそ家庭崩壊にもつながってしまう危険が高まっていくだけなのだ。弁護士同士での話し合いという穏健な状態が何時でも変わってしまうことを早苗も光恵も自覚するべきで、早苗と光恵に最低限の注意喚起をすることも弁護士の役割のはずだ。20年ほど前には、原田の依頼を受けた塩谷安男弁護士が、約束も無く債権者の会社を訪ねて来て、「元金の4億円(の支払)だけで何とかお願いします」と言って来たことがあったが、事前の調整も無くやってきた非礼を詫びもしない塩屋弁護士の態度に債権者は怒り、早々に面談を打ち切ると言ことがあったが、今、委任を受けている弁護士の対応を見ても、6カ月以上経過して債権者の弁護士と会おうともしないでは話がつくはずがない。今までに関係者が常識の範囲での簡単な書面を置いてきたことについて、「謝罪しろ」とは、何を言っているのか、この弁護士も本当に弁護士なのか、と言いたい。

『淀屋民則(美津子)』
淀屋民則の妻美津子は、淀屋が死亡した後、債権者の関係者が自宅を訪ねるようになると、子供たちと謀って相続放棄や自己破産の手続きを取ったが、それで、これまでと同様の日常が保たれると考えているなら大間違いだ。第一に、子供たちが相続放棄の手続きをしたのは、関係者が美津子を説得して子供たち全員に淀屋の債務について事実を話し、協議をすること促したことから起きたことで、子供たちが実際に手続きをしたのは法に定める3か月はとっくに過ぎて、1年以上経過している令和3年1月頃のことである。つまり、事実上無効なのだ。また、美津子の破産手続きにしても、それが計画的な破産であることは容易に認められるほどのもので、債権者が無効を申し立てれば、一旦は免責が認められたとしても、それも無効になる。
美津子は、淀屋がどれだけ債権者に迷惑をかけたかをすべて承知していた。淀屋が債権者に贋作の鎧兜と油絵を斡旋して1億8000万円で売り、3000万円を超える手数料を懐に入れた詐欺を働いたり、債権者の会社の優秀な営業マンたちを20人ほど引き抜いて債権者の会社に莫大な損害を与えた事実も承知していて、淀屋が謝罪で債権者の会社を訪ねた際には淀屋に同行してきて、連帯保証をした。鎧兜の販売手数料を額面とする借用書を作成した際には、提供するべき担保がないと言って、美津子は自身が勤務する生命保険会社の保険に入り、保険証券を債権者に渡していたのだから、責任の重さを十分に承知していたに違いない。

ところが、淀屋の悪質さには際限がなく、借用書を債権者に差し入れたのがその場凌ぎに過ぎず、その後間もなくして夜逃げ同然で姿をくらませ、美津子は担保に提供した保険を数か月ほどで失効させてしまった。美津子がそうした経緯を隠して、ただ債務を逃れようとして虚偽の内容で破産申請をしたところで、精査すればすぐにバレてしまうことである。

淀屋と美津子は所在を不明にしてから何年もの間、逃げ隠れしたが、消息が判明して、債権者の関係者が淀屋の自宅を訪ねると、淀屋は債権者に会い、非礼を詫びたうえで改めて債務を承認する書面を作成したが、しかし、それも反故にしてしまった。美津子はそうした経緯も全て承知しているのだ。その後、何の動きもない淀屋に対し、改めて関係者が自宅を訪ねると、美津子が一人応対に出て来て淀屋が死亡したことを告げて来た。
関係者は美津子が債権者に直接会って謝罪したうえで返済についての具体的な協議の場を作ることを第一にしつつ、美津子と子供たち全員が集まって方針を決めることも勧めたが、美津子はなかなか動こうとしなかったばかりか、美津子自身は生活保護を受け、また、それまでに子供たちがそれぞれに父親である淀屋から迷惑を被って、これ以上迷惑をかけることは出来ない、などと愚痴をこぼす有り様だった。子供たちにそれだけの迷惑をかけたのは淀屋だけでなく美津子にも重大な責任があるはずだ。それを美津子は自覚せず、全てを淀屋に転嫁しているのだから呆れるほかなかった。しかし、美津子は関係者の説得を受けて子供たちに真実を話し、前述の通り、子供たち全員が相続放棄という無為な手続きを取ったのである。三男の嫁の父親にも「美津子さんがだらしないことをしているので、こんな結果を生んでいる。債務を全員で分割して返済するしかない」ときつく注意をしたようだ。
どこまでも責任逃ればかりしか考えない美津子の考え方は決して許されるものではない。まして、自己破産により債務が免責になったとしても、債権者の美津子に対する請求権が消える訳ではない。自己破産したから全てがご破算になると思ったら、それは大間違いだ。それ故に債権者や関係者が今後も美津子や子供たちに対する責任追及を軽減することはなく、もちろん止めることは有り得ない。美津子はいい加減に自身の責任を認識して、債権者に直接会って謝罪して、今後どうするかの話し合いをしなければ、事が収まる話ではない。多くの詐欺等で刑事事件になることだけに、このままでは永久にサイトやYouTubeの動画で報じられ続け、子供や孫に影響することになる。

『松本信幸』

(写真:松本信幸)

松本信幸は債権者から逃れるために行方をくらませてきたが、それも終わりにすべき時が訪れた。
平成29年にオーナーの会社の金80万円を横領したのがバレそうになり、それ以降所在を不明にしてしまった松本は、全く自宅にも帰らず住所不定の暮らしをしていたようである。すでに松本の家族はマツモトを排除しているかのように見えるが、松本が無責任な対応を繰り返したために、債権者が訴訟を提起したことで子供たち2人にも責任が及ぶ事態を招いている。それだけでは済まされず、松本の対応次第では、いくつもの刑事事件に発展する。

(写真:松本が書いた謝罪文 松本は同趣旨の書面を9枚も作成していた)

松本が所在を不明にして以降、現在に至る約5年の間に、松本を知る人間から松本が東京駅の八重洲方面の家電量販店内にある喫茶店に出入りしているようだ、という情報を得た関係者が行ってみると、松本が現れたので声をかけ、いつまでも逃げ隠れしても解決しないと諭したという。「これ以上逃げ隠れしていれば、社長もアンタを告訴するか、債権譲渡するかのどちらかになってしまう。そうなったら本当に取り返しがつかなくなるぞ」とまで言うと、松本は逃げもせず関係者の話を聞きながら「社長に会ってお詫びする」と言ったので、関係者は「約束だぞ」と念を押し、松本と別れることにしたが、松本が本当にオーナーの会社に顔を出すかどうかの確信は無かったようだ。それから数日して松本はオーナーの会社の近くまで来たようだが、結局はオーナーとは会わずににげてしまったが、平成29年に妻の寿子が病死し、長男の塁は令和元年に結婚して東京の西部地区に移り住んだ。

こうした状態に業を煮やしたオーナーは令和3年4月松本信幸と妻の寿子に対して訴訟を提起したが、松本の所在が不明であったり、寿子が死亡していたことが判明したことで、手続きが大幅に遅れ、寿子が連帯保証をした部分については、相続人である娘のめぐみと息子の塁を被告とする手続きが取られることになった。しかし、訴訟が提起されるやめぐみと塁が揃って相続放棄をしたという通知が裁判所に届き、実際の審理がいつまでも開かれず、また、松本についても裁判を分離して早期に判決が出るものと思われたが、めぐみと塁が依頼した弁護士から、松本の委任を受けたとして審理を再開する要請があり、これもまた審理が大幅に遅れる事態が続いた。
いつまでも審理を引き延ばすようなやり方は決して順当ではない。オーナーは顧問弁護士を通じて、松本が出廷しなければ刑事告訴の手続きに踏み切るという意思を松本の代理人に伝えた。代理人は顧問弁護士には「依頼人に伝える」と言っているが、不透明な対応が見え隠れしているだけに松本の意思がオーナーには明確に伝わっていないようである。しかし、仮にそうであれば、オーナーは容赦なく刑事告訴する構えを見せている。そうなったとき、類も恵も父親が犯罪者となり、2人も犯罪者の子供たちになってしまうはずだ。

本来ならば、松本はオーナーの殺害計画まで立てて、嘘八百の投資案件で得られるとした報酬を返済に回すという約束を反故にしようとした人間である。特に平成19年以降に松本が持ちかけた投資案件は、架空の起業家まででっち上げて、とてつもない報酬が約束されているとオーナーに嘯き、その嘘が限界になりかけた時に、松本はオーナーの殺害を実行しようとした。しかし、オーナーの機転で計画が未遂に終わったことで、松本は真実を白状せざるを得なくなり、それを何通もの「謝罪文」にまとめた。
オーナーの会社に出入りするようになって30年以上もオーナーに金銭面で世話になり、刑事事件で逮捕された時にはオーナーに助けてもらったという恩も忘れて、松本はオーナーへの返済の原資を作ると称して、さまざまの投資話を持ち込んだが、その全てが嘘であり、松本が知り合いの詐欺師たちから仕込んだ実体のないものばかりだった。
松本がこの期に及んでも逃げ隠れし続ければ、そして、裁判に出廷して、所在を明確にしなければ、オーナーは本気で刑事告訴に踏み切るに違いないし、さらに債権譲渡をすることになる。そうなれば、娘のめぐみや息子の類が母親の死亡後に相続放棄をしたと言ったところで、以前より借金があったことは知っているので、その言い分は特にプロの取り立てには通用しない。そうした事態を、松本はどこまで真剣に考えているのだろうか。生半可な予断や期待をもっても、何の意味もないことを松本は本当に自覚しているのか。この訴訟への対応で、松本自身の命運が定まると言っても過言ではないと思われる。

『山本丈夫』

(写真:山本丈夫)

債権者が山本丈夫に対して、これまで訴訟を2回提起して、そのいずれも勝訴していることがどれほど重要な意味を持っているか、山本は一向に分かっていないようである。山本は1度目の訴訟で考えられないような嘘をついて債権者を罵倒する主張を繰り返した揚げ句、それが認められずに裁判長から支払い命令の判決が出ても、一切無視して逃げ隠れを続けてきた。そして、2度目の訴訟の際には裁判所に「弁護士を選任する」と通知しながら、実際には出廷さえせずに知らぬ振りを決め込んだことから、これも敗訴した。一度目の判決を無視して逃げ隠れしていれば、債権者は何もできないと錯覚したのかも知れないが、債権者が債権をプロの業者に譲渡したら、どのような事態を招くか、十分に分かっているはずだ。山本の隠れ潜んでいる場所など、すぐに突き止められ、深刻な追及を受けるに違いないし、親族も多大な迷惑を被るのは必至なのだ。
それが分かっていても、債権者はそこまではしないだろうと高を括っているとしたら、取り返しのつかないところまで追い込まれる。

本来ならば、債権者は一度目の判決が出た後、山本が債権者に謝罪もせずに所在を不明にしたままでいたところで、早々に債権を譲渡してしまえば良かったのかもしれない。しかし、債権者は山本が何らかの対応をするものと思い待つことにした。しかし、それで山本が増長し、逃げ隠れすることに味を占めたのだとしたら、債権者がもはや躊躇する理由はない。それだけのことを山本は平然と行い、債権者を騙し続けてきたのだ。嘘の案件を持ちかけては借り入れを繰り返し、大量の株を購入させておきながら売り時を失しさせて、買い戻しの約束をしながら反故にして多額の損失を償うことなく姿をくらませてしまった。揚げ句には、債権者が山本の所在を突き止めようとすると、反社の勢力を使って債権者を殺害しようとまで企んだのである。山本が受けるべき報いは当然にあって、それで親族が多大な迷惑を被ったとしても自業自得ではないか。債権者をそこまで苦しめ追い込んだのは山本自身なのである。

思い出すがいい。頻繁に債権者の会社に顔を見せる中で、いったいどれだけの嘘をついたか、銀座や六本木、赤阪等でさんざんに飲食を振る舞ってもらい、しかも山本は一度も支払ったことは無かった。
それだけ債権者に世話になりながら、債権者が止むを得ず訴訟を提起すると、山本は「そのような金は一切借りたことはない」などととんでもない否認を繰り返し、株の損失についても「自分は株の購入に関与していない」と言い募った揚げ句、「(株式を)売るタイミングを教えろと繰り返し言われたが、その度に『私は分からない』と答えたにもかかわらず、株価が急落すると、『損した分をお前(山本)が補填しろ』と強迫され、結果、債務承認書に署名押印させられた」という陳述書を法廷に提出して、債権者を誹謗中傷する陳述を並べ立てたのだ。それが非常識極まりない行為であり、債権者の心情を逆なでしているか、山本は心底から実感するべきなのだ。

山本の言っていることに真実があれば、10年近くも逃げ回る必要はないはずだ。山本が債権者の会社の代理店の社長の紹介で債権者の会社に来た際に、山本は「中山城カントリークラブ(群馬)の工事代金3億円を明日までに用意しないと、権利が亡くなるので助けてください」と懇願し、債権者は翌日に3億円を作ってあげた。この時、山本は期日通りに返済したが、その後に持ち込んできた話は全て嘘だった。ロシア宇宙博を開催して、関連グッズを販売する話、デマントイドという石をレアメタルと装い、この石を扱う会社の株券を担保にして借入を起こした話、インドの数百点に及ぶ美術・工芸品を担保にすると言って借入をしながら、評価額を大幅に偽っていたばかりか、預けていた倉庫会社に賃料の未払を理由に取り上げられた等の嘘をついて担保にさえ供しなかった話、また、ソチオリンピックに関連して、ソチの人工島建設を請け負った東邦グローバル株の大量購入を勧めながら、売り時を失しさせて10應円近い損失を出したことで、1株300円での買い戻しを約束する書面まで作成したにも拘らず薬草を不履行にしたまま行方をくらませたことなど、挙げればキリがなかった。山本のこうした話が全て嘘である証拠が揃っているというのに、山本は「借り入れはない」等と否認したが、よくそこまでのことが言えるものだ。
債権者はこれまでに20件以上の訴訟を起こしたが、ほぼ全てに勝訴している中で、山本丈夫は金額の問題ではなく、対応が余りに悪質で許せるものではなかった。山本と同様の人間が小野敏雄だが、この2人は最もあくどく、ここまでの人間は他にはいないと思われるという。山本も小野も右翼を標榜していたが、それは債権者を騙すための材料に使っていたに過ぎなかった。

『森重毅(みちる・毅)』
森みちるは、父親の森重毅が債権者に多大な迷惑を被らせたにもかかわらず、「責任を取る」という約束をいつまでも果たさず、あいまいな態度を取り続けたまま死亡したことを十分に分かっているはずだ。
森重毅のあくどさは尋常ではなく、月に25%という暴利の金融で荒稼ぎをする中で貸金の回収が困難になった債務者を債権者に言葉巧みに押し付け、投資や貸付け名目で債権者が債務者に出した資金を自分の回収に充てた。その最たる債務者が鶴巻智徳で、債権者は鶴巻に1億5000万円を貸し付け、その後、森の誘いを信じて3億円の投資に応じたが、森が突然、「No.2の岡田が詐欺師だと分かったので、投資を止める」と言い出し、債権者が出した3億円をそっくり自身の貸付の回収に充てていたのだ。債権者が森から蒙った被害は他に何件もあるが、森は常に「責任を持つ(取る)」と言いながら、一度だって責任を取ったことは無かった。
森がシイタケ菌の販売を表向きの商売にしながら、実際にはあらゆる賭博の胴元としてノミ行為を本業にしていたことをみちるは知っていたはずだ。森が暴力団員や関係者と付き合いが深く、彼らが開帳する賭場(麻雀、裏カジノ、スロット等)にも客を連れて出向き、賭場から相当の紹介料(手数料)をせしめていた。連れて行った客が損をすれば、それだけ森が受け取る手数料もハネ上がった。また森は東南アジアを中心にカジノ旅行も客に持ちかけ、カジノから同様の紹介料(手数料)をせしめていた。海外のカジノにはみちるも何度も同行していたから、父親がどれだけあくどい荒稼ぎを続けていたか、身をもって実感していたはずだ。
時には父親が余りにアコギなノミ行為を仕掛けたり、闇金融で法外な利息を取っていることに怒った暴力団が森を監禁して、10億円を取った事例が2件ほど判明しているが、みちるは父親が監禁されたのを身近で見て、恐怖を感じたのではないか。
そうした荒稼ぎで森が脱税をして溜め込んだ100億円以上の金を、みちるは密かに相続している。
森重毅は令和2年2月14日に死亡した時、森があらゆる賭博の胴元として荒稼ぎをし、100億円以上の現金を隠匿していたことは森本人が周囲に自慢気に吹聴していただけでなく、実際にも金蔵のように使っていた自宅の一室を森が関係者に見せていたから、関係者の少なからずが知っていることだ。この金は、もちろん脱税で溜め込んだものであり、違法な賭博のノミ行為や月に25%もの暴利を貪る金融で荒稼ぎをした犯罪収益だから、発覚すれば国税や司法当局により全額没収の対象になる。
その悪銭を、事もあろうに本妻の娘であるみちると愛人の息子の毅だということも分かっている。しかも、みちるも毅も素知らぬ顔をして、隠匿資金を密かに相続した事実を隠し続けているではないか。いずれは発覚してしまうのではないかという不安にさいなまれながら、それでもみちるは小細工をして、死亡した母親の親族と見られる熊倉君子と父親の婚姻届けを出させた。それも父親が死亡する2日前のことだ。そして、半年後には君子とみちるが養子縁組をするような不可解なことまで実行した。それもこれも、全て隠匿資金の存在を隠し続け、発覚させまいとするための工作に違いない。しかし、そんな小細工を弄したところで、森が荒稼ぎをすることで多くの被害者は騙されない。中でも債権者と関係者は、森が果たすと約束した責任をみちると毅に取ってもらうのが最善と考えている。親子で財産を引き継いでいるのだから当然のことだ。
森は死亡する5年ほど前に債権者の会社を訪ね、「本当に申し訳ない。損をさせた金は必ず払います。少し時間を欲しい」と言って土下座して帰ったが、その後は逃げ回っていた。娘のみちるは、何人もの人間が訪ねて行ったので、その辺りのことはよく知っているはずだ。

『岡田瑞穂(優子)』

(写真:岡田瑞穂)

岡田瑞穂が亡くなった時、妻の優子は債権者との約束を破った。岡田が鶴巻智徳の側近として債権者に関わる中でどれほど深刻重大な嘘をついて債権者に甚大な被害を与えたか、その、ほんの一部を債権者から知らされた時に倒れそうになったほどの驚きに襲われたが、岡田と共に責任を持って対応すると言い、さらに岡田が子供たちを連帯保証人にすると言った際にも、「子供たちは親を見捨てるような事はありません」と断言したのだ。ところが、岡田が死亡してもその事実を債権者には知らせなかったばかりか、親子そろって相続放棄の手続きを取り、さらに優子は自己破産をしてしまったのである。債権者にとってこれほどの騙し討ちはない。
しかし、優子も子供たちも、いくら相続放棄や自己破産をしたからと言って、岡田の債務に対する責任が消える訳ではないことを知らないのだろうか。確かに法的には免責認められて債務を返済する義務からは逃れられるかもしれないが、債権者の求償権(請求権)が消えるものではないのだ。

 

(写真:岡田優子 岡田瑞穂の妻)

岡田が鶴巻の代理で債権者に債務の返済計画を説明した内容が悉く嘘であったり、説明の過程で鶴巻の妻道子が署名した確認書を偽造したことにより、それを知らずに債権者が訴訟を提起したことで無駄な労力と費用をかけてしまったこと、さらには岡田が債権者の所有するビルのテナント募集を手伝う中で、実在する遊技業者の名義を使ってテナント契約書を偽造したことから、債権者が既存のテナントの立ち退きを巡る無用な出費を迫られ、入るべき賃料さえ失ったことなど、岡田がどれほど債権権者に迷惑をかけ続けて来たかを、岡田の傍らで聞いていた優子は十分に分かっていたはずだ。8500万円で売却した熊本の土地の売却の代金を懐に入れて全額債権者に支払わなければいけなかったにもかかわらず、岡田は4500万円を懐に入れてしまっておいて、岡田は「天地神明に誓って間違いない」とシラを切り通したことで、鶴巻の顧問の松本憲男弁護士もこれには呆れ返ったくらいだったが、そうした岡田の悪事を承知した上で責任を取るとか、子供たちを連帯保証人にすることにも積極的に「親を見捨てるような子供たちではない」と言ったのではなかったのか。岡田は連帯保証をしている分を含めたら、100億円前後の借金があるのだ。

(写真:債務承認書 岡田と妻が債務承認書に署名)

鶴巻の債務は、鶴巻が死亡したことで連帯保証をした岡田が全責任を負い、また岡田が個人的に追っている債務も、長い間返済を怠ってきたために金利を含めれば莫大な金額になっているが、優子はそれを全て承知のうえで債務承認してきた。そうであれば、岡田が死亡した時に債権者に連絡を入れるのが当たり前であって、仮に相続放棄や自己破産という選択肢があるとしても、債権者と協議を重ねた上での対応になるはずではないか。また、岡田が負っている債務について、優子が子供たちにどのような話をしたのかは不明だが、少なくとも子供たちを同席させて債権者に謝罪することを優子は率先して促すべきだった。そうしたことを一切無視して、優子が相続放棄や自己破産の手続きを進めた責任は重い。
今後、債権者と関係者は優子と子供たちに連絡を取り続け、あるいは自宅を訪ねて債権の請求権を行使することになるに違いない。

『松尾憲之・早川充美

(写真:松尾憲之。巨額資金ブローカー)

これまでに松尾憲之と早川充美については特集記事を掲載し、またYouTube動画も公開したが、周知の通り、動画チャンネルには何も告知がないままYouTube側で非公開扱いにするという暴挙が2度にわたって起きた。本誌に対しても、また動画チャンネルに対しても抗議も反論もしなかった(事実だからできなかった)にもかかわらず、動画で松尾と早川の写真が日本のみならず世界中に拡散しているのを恐れてのことか、YouTubeに名誉毀損を申立てたに違いない。しかし、そのやり方はあまりに卑劣で、特に早川は虚言癖で周囲の関係者に散々迷惑をかけながら、悪びれもせず好き勝手放題をやっている。YouTubeへの申立をするなら、その前に債権者に謝罪するのが先ではないのか。以前に本誌も似たような経験をしており、それは別稿で取り挙げている鈴木義彦がサイトの取次会社に記事の削除を申立て、それが認められたことで、一時的に混乱を招いたが、それも収束して後は、逆に掲載記事や読者投稿がそれ以前よりも圧倒的に増えたにもかかわらず、鈴木は訴訟を繰り返すことを断念した模様だ。この時も本誌は訴訟ではカヤの外に置かれた状態にあったが、動画の非公開扱いもYouTubeの一方的な判断で行われたことで、これほど卑怯なやり方はない。

松尾が所在を不明にしてから3年以上が経つ中で、早川は都内の自宅マンションに籠りながら、早川にとっては都合の悪い人間が訪ねても一切対応せず、居留守を決め込んでいるようだ。しかし、早川に対しては債権者だけでなく、早川が仲間の会社から騙し取った約6000万円について、横領や窃盗で刑事事件化する状況にあり、同時に民事事件としても損害賠償請求を受けることが目に見えているだけに、安穏とした日常を送れるような状態にはないはずだ。

(写真:早川充美 早川の大言壮語は虚言癖を越して犯罪同然である)

松尾は40年以上も世話になり、自分のしでかした不始末で命に係わる危険から救ってもらった恩人を裏切って逃げ隠れしているが、それも早川が裏で何らかの手引きをしているに違いない。早川が際限のない虚言癖で自らに招いたことだったが、松尾が債権者に負っている巨額の債務について、早川は債権者に責任を持って支払うと約束したのである。しかし、支払の期日まで明言して胸を張った早川は、その舌の根も乾かないうちに約束を反故にして、債権者との連絡を一切絶ち、自宅に引き籠ってしまった。
恐らく、早川には債権者に約束した期日に松尾の巨額債務を支払う気などさらさらなかったに違いない。しかし、一切の連絡を絶ってしまい、債権者謝罪もしないで知らぬ振りを決め込むなど決して許されるものではなく、一旦口にした約束をどのような形で実行するのか、その説明をしなければ、早川に対する追及は一層激しいものとなるに違いない。こうした状態が続くのであれば、債権者が松尾に対する債権を譲渡してしまうのは必至で、そうなれば、取り返しがつかないことになるのは松尾も早川も承知しているはずだ。松尾の長男慎介、亡妻の先夫との間に生まれた弘美と由佳の2人の娘、また早川の真理奈と亜理紗という2人の娘にも容赦のない取り立ての影響が必ず及んでしまう。
以前に債権者の関係者が早川の娘(真理奈)の自宅を訪ね、早川に連絡を取って欲しいと伝えた際に、早川は書面を作成していない口約束程度のものだから、関係ないという話を真理奈にしたようで、それを真理奈はメールで関係者に伝えてきたようだが、債権譲渡されたとなれば、そんな言い訳は一切通じないだろう。前にも触れたとおり、早川は松尾の債務を重畳的に引き受けている事実を、直接債権者に何度も伝えただけでなく、松尾が失踪する原因を2度、3度と作った張本人だ。早川は自身が深刻に関与してしまっていることをあまりにも軽く考え過ぎているのか、悪事をやり過ぎて怯えているのか、いずれにしても男として最低最悪の人間だ。

これまで、早川は自分の虚言癖で周囲の関係者たちに多大な迷惑をかけつつ、寸借詐欺や横領等で実害を与えてきた。債権者にとっても松尾の失踪の理由と松尾が今どこにいるかを、早川自身が直接債権者に明確に説明しなければ、到底許されるものではない。動画チャンネルにしても、早川が動画の公開を2度までも虚偽の申立をして非公開にさせるような卑劣なことをやる人間であることが判明している以上、今後は今まで以上に責任追及を徹底するとしている。自身の虚言癖が招いた自業自得であり、もはや、早川には逃げ場はない。