〔西義輝の自殺が裁判に与えた影響〕
平成22年2月9日頃、西義輝が妻の故郷に建てた別邸で自殺した。多くの関係者には相当な衝撃だったことは明らかだったが、原因の大部分を占める鈴木義彦に対して「絶対に許さない」という感情を共有したのも事実だったに違いない。西義輝がA氏を始め鈴木ほか実父徳太郎、青田光市、茂庭進、さらに10人以上の友人知人に送った書面(遺書)を基に特集記事を組んだのだが、「鈴木は人の死を何とも思わないのか」という印象を強く持ったという読者投稿も多く寄せられている。鈴木の周辺では自殺や不審死、行方不明者が相当数いるという話も出ているだけに、つくづく鈴木が恐ろしい男に見えたに違いない。
平成7年から同9年当時、西と会わなければ鈴木の人生がとっくに終わっていたことくらい鈴木や実父(徳太郎)には分からないはずはなく、鈴木の実父は息子や青田が悪の限りを尽くしていたことは十分に承知していたはずだ。事情を知る多くの関係者は、実父の徳太郎が「息子と青田は悪だが、天野は常識人だ」という話をA氏の代理人にもしていたという。そうであれば、何故父親として息子の悪事を諌めなかったのか、不可解でならない。
そしてそれ以上に、西義輝の子息(内河陽一郎 内河は前妻の姓)が鈴木の報復を恐れて何もできない、と言ったことには呆れてものも言えないと多くの関係者が言う。それは、西の自殺を避けて無視しようとするただの言い訳ではないか? 子息は父親に同行して香港にも行ったというから、父親が殺されかけた現場を目の当たりにしたはずで、少なくとも自分から鈴木に“報復”するような気持になるのが当たり前ではないかとも思われる。鈴木に立ち向かうことに多くの関係者がみな協力している中で、勤務先の保険会社にさまざまなことがバレるとまずいとか、鈴木と青田の報復を恐れているからといって、年上の関係者に食ってかかるような態度さえ見せたというが、そうであれば、あまりに身勝手な対応と言わざるを得ない。
西が自殺したのではないかという騒ぎになったのは、鯉渕という西の友人に書面が郵送され「これは遺書ではないか」と鯉渕が西の子息に架電してからだった。陽一郎が慌ててA氏に電話した時、陽一郎はしどろもどろになって話ができないような状態だったためにA氏の会社に来たが、A氏も陽一郎の話を聞いて驚き、社員に指示して郵便物を確認させると、西からの手紙が届いていた。すかさず陽一郎が先に見せてほしいと言ったが、A氏に制せられると「コピーを取ってください」と言うので、それにはA氏も同意した。A氏は「奥さんや君にも来ていたら見せてほしい」と言い、陽一郎も同意したが、しかしその後に陽一郎が西の遺書をA氏に見せることは一度もなく、何事においても自分本位で本当に身勝手だと、関係者が口を揃える。
鈴木のウソには底知れなさがあって、西義輝がまさに裏の裏を一部明らかにしたところもあった。親和銀行事件で「青田光市を使い、さも副島グループがやったようにして、親和銀行会長に女性を近づけ、長崎市大村のラブホテルでの女性との秘事をビデオに撮らせたりして、いかに副島が危険な人物であるかのように会長に説明をし、会長に取り入り、もみ消しを貴殿に依頼させ恩義を売った」というのは正に犯罪だ。(注:この話は平成11年頃、鈴木が西に直接していたと西が語り記録に残していた)
このように西義輝は真の鈴木義彦を数多くの場面で見てきたはずだから、その後の裁判で審理や判決にも大きく影響するほど鈴木の実体を事実に基づいて明らかにできたに違いない。最低でも鈴木が言いたい放題に虚偽の主張を繰り返すことはできなかった。同じく裁判官もまた、実態を無視して「合意書」と「和解書」を無効にするような判決を下すことはできなかった。
関係者によれば、「西は鈴木を絶対に許せないと言い続け、鈴木と青田を成敗してから自殺すると口走ったことが何回もあった」と言う。そして「A氏に止められなければ本当に実行していたように思う」とさえ言う。
本誌では「読者投稿」の欄を設けているが、読者より戴いているご質問の中で特に多いものを選んで次号で掲載することにした。(以下次号)