債権者を苦しめた「岡田瑞穂」の虚言癖

債権者を苦しめた「岡田瑞穂」の虚言癖

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岡田瑞穂の虚言癖は犯罪そのものと言っても言い過ぎではない。鶴巻の債務(元本5億5000万円)が返済されないまま時間が経過する中で、その処理で債権者に全面的に対応していた岡田は、鶴巻が保有していた競走馬や不

(写真:念書 日本トライトラスト、デルマークラブの債務返済計画を書面にしたが、岡田の話はでたらめだった)

動産、絵画等を売却すれば債務の返済は十分にできると債権者を騙し、債権者の保有ビルに新しいテナントを誘致したと架空の話を持ち込み、既存のテナントを追い出した上に賃貸契約書を偽造して債権者に多額の被害を与え、さらには債権者の仕事を手伝うと称して、債権者の会社で日常の業務を行いながら、鶴巻の妻・道子や子供たちとの折衝を重ねてきた内容のほとんどが偽りであったなど、債権者が岡田の虚言壁のために被った被害は甚大だった。

これまでに故鶴巻智徳をめぐる特集で触れてきたように、岡田が鶴巻の債務処理で債権者に対応するようになったのは平成14年ころ以降のことだが、鶴巻が平成9年から同10年にかけて自己破産した事実を債権者には隠し続けて、主に絵画や競走馬などの保有資産の売却リストや売却による債務返済計画などを債権者に提示していたが、これが実態のないものであった。
一部には鶴巻の顧問を務めた松本憲男弁護士も、鶴巻が債権者に振り出した手形の処理で「全責任を持つ」と言って債権者に期日を繰り延べさせるなど、鶴巻の周辺関係者が総ぐるみで債権者を騙し続けたとも言えるが、日常的に債権者と向き合って鶴巻の連絡役を果たしてきた岡田による債権者への虚偽の言動は圧倒していた。

(写真:確約書 岡田の個人債務は23年以上引き延ばしたために令和元年現在で約40億円に膨らんだ)

鶴巻が病死したのは平成19年8月5日のことだったが、債権者がその事実を知ったのは、それから2年後のことであり、岡田はこの間に債権者から何度も鶴巻との面談を要請されながら、そのたびに「医者が面会を許してくれない」とか「本人の体調がすぐれないため、日を改めたいと言っている」などというウソを債権者に伝えていたのである。債権者にとっては、岡田が多少でも債務処理にまともに向き合っていれば、鶴巻に対する債権回収が的確に実行できたはずであったことを考えると、10年は間違いなく無駄にしてしまったことになる。

(写真:債務承認書 岡田と妻が債務承認書に署名)

しかし、その無駄な時間は鶴巻が死亡した後もさらに続いた。債権者が岡田を介して鶴巻の妻・道子との交渉を本格化させる中で、岡田は鶴巻との面談設定を引き延ばしたときと同様、道子との面談もずるずると引き延ばし、ようやく道子と子供たちと正式に会うまでに3年以上が浪費された。
岡田は、鶴巻の死後の平成21年から同22年にかけて、道子と債権者への返済計画を協議してまとめたとする「確約書」を債権者に渡していた。それ故に債権者も道子には債務を返済する意思があると信じ込まされてしまい、道子との面談が実行されれば、その時からでも債権の回収が進み始めると考えていたようである。

(写真:岡田優子 岡田瑞穂の妻)

ところが、その後、業を煮やした債権者が鶴巻が残した日本トライトラストとデルマークラブの2社と道子に対して訴訟を起こした際、岡田が債権者に提示した「確約書」にある道子の署名が本物であるか偽造であるかを巡って大きな争いが起きた。そして岡田はこの審理の場で債権者からも道子からも袋叩きにあったのだ。岡田が債権者には道子の署名が本物だと強調する一方で、道子に対しては「自分が代筆をした」ということを言っていた事実が問題になり、裁判官は道子の同意がなかったものとしてしまった。全ては岡田の虚言癖がもたらした結果だった。

(写真:確約書 岡田が鶴巻道子の署名を偽造したとして、書面の有効性が問われた)

岡田の債権者に対する責任は未だに何も果たされていない。岡田は鶴巻の債務返済処理で、債務の連帯保証をした当初から妻の優子や子供たちを巻き込んでしまうような状況を作り出していた。岡田が債権者から個人的に借り受けた金銭や、先に挙げたテナントの架空の誘致話で債権者に与えた損害も返済義務に加わり、それらの債務に対して優子が連帯保証をし、さらにその返済がいつまでも実行されないために岡田と優子の負荷がどんどん大きくなっていく。鶴巻の債務の連帯保証に対する責任だけでは済まなくなっていたのだ。おそらく、岡田は死ぬまで債務を引き延ばすくらいの思惑で債権者に向かい合ってきたかもしれないが、現実にはそんな思惑は通用せず、当然、岡田と優子の3人の子供たちにも責任が及ぶことになる。岡田がそれだけのことを債権者にしてしまい、虚言を弄していたずらに時間だけを引き延ばしてきた責任は極めて大きいと言わざるを得ない。岡田夫人は多くの虚偽の案件の内2~3件の内容を聞いただけでもその場であまりに岡田の酷い嘘に立っていられない程驚いていた。岡田本人は子供を保証人にする、奥さんも、子供達は親を見捨てる様な薄情な子供達ではありませんと言いながら、岡田自身の約30年前に336万円を月3歩で貸して欲しいと言って1年ほど前に40万円返金したのみ。奥さんは最初から借りた物は返さなければいけませんと言っていたが、今や岡田同様に数えきれない程の岡田の嘘を知りながら、保証人になっているのに300万円くらいの金を返そうとしない。子供3人いて返せない事はない筈だが30年前の元金すら返す気がない様だ。今後も岡田の犯した不祥事の一つ一つを具体的に取り上げる。今後は家族身内の未成年以外は名前は当然写真も掲載される事になると思う。(以下次号)

債権者を苦しめた「岡田瑞穂」の虚言癖(2)

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(写真:岡田瑞穂)

岡田瑞穂が債権者に負っている債務は、岡田自身が虚言を弄して債務の返済を逃れ続けた結果、今や巨額に上っている。鶴巻智徳(故人)の債務を連帯保証した分、債権者の保有ビルに新しいテナントを誘致したと架空の話を持ち込み、既存のテナントを追い出した上に賃貸契約書を偽造して債権者に多額の被害を与えた分、そして岡田が個人的に債権者から借用して返済を怠り続けた分という3件の債務を合計すると200億円にものぼっているのだ。
債務が巨額に膨らみ続けるのは、もちろん岡田が責任をまともに果たそうとせず、数多くの嘘で債権者を騙し続けて来たからである。それ故、岡田の虚言癖は犯罪そのものと言っても言い過ぎではない。
先ずは鶴巻の債務(元本5億5000万円)が返済されないまま時間が経過する中で、その処理で債権者に全面的に対応していた件について触れると、岡田が鶴巻の債務処理で債権者に対応するようになったのは平成14年ころ以降のことだが、鶴巻が平成9年から同10年にかけて自己破産した事実を債権者には隠し続けて、主に絵画や競走馬などの保有資産の売却リストや売却による債務返済計画などを債権者に提示していたが、それらのいずれもがすでに売却済みであったり交渉すらなかったことが後に判明するのだが、岡田は返済計画が現に進行していることを裏付けるかのように書類、伝票類を偽造することも平然とやってのけていたのである。その金額はトータルすると100億円にも達する。これらは、岡田と鶴巻の家族、松本弁護士による責任分担に関わるが、岡田は個人で借り入れた分も含め25年以上も嘘をつき続け返済を先送りにしてきたのである。

鶴巻の債務処理に関しては、鶴巻の顧問を務めた松本憲男弁護士も鶴巻が債権者に振り出した手形の処理で「全責任を持つ」と言って債権者に期日を繰り延べさせるなどしたが、一切責任を果たしていない。さらに鶴巻が自己破産を申し立てた際には、債権者に通知すらしなかっただけでなく、債権者の鶴巻に対する貸付金5億5000万円を「鶴巻からは1億5000万円と聞いていた」と偽るなど、こうした行為は弁護士としての資格を剥奪されるほど重大な過失であり、懲戒の対象となる。その点では鶴巻の周辺関係者が総ぐるみで債権者を騙し続けたとも言えるが、日常的に債権者と向き合って鶴巻の連絡役を果たしてきた岡田による債権者への虚偽の言動は他を圧倒していた。

鶴巻が病死したのは平成19年8月5日のことだったが、債権者がその事実を知ったのは、それから2年後のことであり、岡田はこの間に債権者から何度も鶴巻との面談を要請されながら、そのたびに「医者が面会を許してくれない」とか「本人の体調がすぐれないため、日を改めたいと言っている」などというウソを債権者に伝えていたのである。債権者にとっては、岡田が多少でも債務処理にまともに向き合っていれば、鶴巻に対する債権回収が的確に実行できたはずであったことを考えると、10年は間違いなく無駄にしてしまったことになる。
しかし、その無駄な時間は鶴巻が死亡した後もさらに続いた。債権者が岡田を介して鶴巻の妻・道子との交渉を本格化させる中で、岡田は鶴巻との面談設定を引き延ばしたときと同様、道子との面談もずるずると引き延ばし、当日になって約束をキャンセルすることが30回以上もあって、ようやく道子と子供たちと正式に会うまでに3年以上が浪費された。
岡田は、鶴巻の死後の平成21年から同22年にかけて、道子と債権者への返済計画を協議してまとめたとする「確約書」を債権者に渡していた。それ故に債権者も道子には債務を返済する意思があると信じ込まされてしまい、道子との面談が実行されれば、その時からでも債権の回収が進み始めると考えていたようである。
ところが、その後、業を煮やした債権者が鶴巻が残した日本トライトラストとデルマークラブの2社と道子に対して訴訟を起こした際、岡田が債権者に提示した「確約書」にある道子の署名が本物であるか偽造であるかを巡って大きな争いが起きた。そして岡田はこの審理の場で債権者からも道子からも袋叩きにあったのだ。岡田が債権者には道子の署名が本物だと強調する一方で、道子に対しては「自分が代筆をした」ということを言っていた事実が問題になり、裁判官は道子の同意がなかったものとしてしまった。全ては岡田の虚言癖がもたらした結果だった。

岡田瑞穂は鶴巻が死亡した後も債務処理を主とした残務整理を続けていたが、債務の連帯保証をしていたこともあって、債権者自身の仕事に協力をすることで少しでも役に立てれば、ということであったが、そこでも岡田特有の嘘が頻繁に起きた。その最大のものが、債権者の保有ビルに新しいテナントを誘致したという架空の話を持ち込み、既存のテナントを追い出した上に賃貸契約書を偽造して債権者に多額の被害を与えた件であった。
岡田は平成19年から同22年頃にかけて娯楽施設、医療施設、専門学校等のテナントとの交渉が進み契約締結まで至ったと言って書類を用意したが、これらの施設との交渉は早い段階で終了していたから契約に至ることはないということが分かっていたにもかかわらず、岡田はその事実を隠して嘘を言い続けたために、他に貸すこともできず賃料収入等でさらに大きな損失を被った。
特に娯楽施設がビルの1階から3階(1、2階の一部と3階の全部)を借り受ける契約については、既存のテナントに退去して貰うための交渉から違約金の発生など多くの手続を伴うことになったが、岡田が「実際は最初からの作り話で、条件をどんどん煮詰めていると嘘の報告を繰り返していた」(本人の証言)ために、遂には既存テナントが退去する合意を結ぶところまで行き着いてしまった。しかし、その時点でも岡田は知らぬ振りを決め込み、出店する会社と正式に契約を締結するに際して、弁護士が作成した「契約書」に岡田は出店会社の社印と代表社印を偽造して押捺してやり過ごしてしまった。そして、既存テナントから出店会社への引渡しの段になって、岡田は出店が嘘であることをようやく認めたのだった。当然、債権者は既存テナントから入るはずだった家賃収入や将来的な賃料も見込めなくなる損害を被り、さらに日常の資金調達予定にも大きな狂いが生じたという。
岡田は新たなテナントを確保するまでの賃料に相当する金額(月額約150万円)と既存テナントの立ち退きにかかる費用(182万円)を補償する責任を負った。不可解なのは、娯楽施設との架空契約で岡田にはデメリットしかないのに、何故、相手会社の社印と代表社印を偽造して契約書に押捺するまで嘘を突き通したのか、ということだった。少なくとも、既存テナントとの退去交渉の時点で真っ当に話をしていれば、リスクは最小限で食い止められていた。そして、その後の医療施設、専門学校等とのテナント交渉でも岡田は同様のことを繰り返して多くの書類を偽造した。

(写真:岡田瑞穂の長男寿彦の自宅)

岡田の債権者に対する責任は未だに何も果たされていない。岡田は鶴巻の債務返済処理で、債務の連帯保証をした当初から妻の優子や子供たちを巻き込んでしまうような状況を作り出していた。冒頭にも挙げたように、岡田が債権者から個人的に借り受けた金銭、テナントの架空の誘致話で債権者に与えた損害も返済義務に加わり、それらの債務に対して優子が連帯保証をし、さらにその返済がいつまでも実行されないために岡田と優子の負荷がどんどん大きくなっていて、鶴巻の債務の連帯保証に対する責任だけでは済まなくなっていたのだ。おそらく、岡田は死ぬまで債務を引き延ばすくらいの思惑で債権者に向かい合ってきたかもしれないが、現実にはそんな思惑は通用せず、当然、岡田と優子、そして3人の子供たちにも責任が及ぶことになる。岡田がそれだけのことを債権者にしてしまい、虚言を弄していたずらに時間だけを引き延ばしてきた責任は極めて大きいと言わざるを得ない。岡田の妻優子は多くの虚偽の案件の内2~3件の内容を具体的に聞いただけでも、あまりに岡田の酷い嘘にその場で立っていられない程驚いていた。岡田本人は子供を保証人にすると明言し、妻優子もまた「子供達は親を見捨てるような薄情ではありません」と言っていたが、実際に返済されたのは岡田自身が約30年前に月3%の金利で貸して欲しいと言って債権者から借り入れた336万円に対する40万円の返金だけだった。妻優子は「借りた物は返さなければいけません」と言っていたが、今や岡田同様に数えきれない程の岡田の嘘を知りながら、保証人になっている責任を果たさないままでいる。子供たち(由紀子(孫の侑大)、寿彦(孫の恵輔、智晴)、由美子(孫の賢生))が3人いて、返せない事はない筈だが、岡田自身には個人的に借りた借金すら返す気がない様で、未だに子供たちに真剣に相談をしていないようだ。しかし、ここまで来てしまえば、本当に子供たち3人が何らかの責任を負って、両親の債務処理を進めなければ、今後は家族全員に大きな影響が出ることは間違いないと思われる。何よりも岡田自身がしでかした深刻な失態(全て嘘から始まっている)を全く自覚していないことに尽きるが、債権者の関係者によると、「岡田は返済の日時を切って『ちゃんとします』とか『絶対に大丈夫です』と言うが、その通りの結果になったことが一度もない。先ずはその口先だけの言動を直さなければ、信用などできる訳がない」という。3人の子供たちと相談しなければ解決しないことを認識して早急に対応することだ。

(写真:岡田瑞穂の次女由美子の自宅)

妻の優子も債務内容は1割くらいは分かっているので(それでも、岡田の嘘には本当に驚いているが)、「借りたものは返すのが当然で、子供たちが親を見捨てるはずがない」と言っていたが、実際には子供たちは岡田を嫌っているようで、聞く耳を持ちたくないという対応をしているといい、優子も困り、こんなに何もしない子供たちは他にはいないほどだということが分かると、「子供たちに迷惑をかけたくない」と言い変えているというが、今さらそれが通るはずがないことは岡田も優子も十分に承知しなければいけない。岡田の3人の子供たちの全く非常識な対応も、本来なら許されるはずはなく、岡田が騙した金で育ってきたことを深刻に受け止めるべきだ。(つづく)

債権者を苦しめた「岡田瑞穂」の虚言癖(3)

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岡田の死亡で相続放棄と破産手付きを取った妻優子と子供たち3人の背信

(写真:岡田瑞穂)

岡田瑞穂の妻優子が、夫に同行して債権者の会社に来るようになってからすでに10年近くが経っていた。債権者の会社に来たのは、夫の債務を連帯保証することであり、同時に由紀子と寿彦、そして由美子の子供たち3人にも連帯保証をしてもらうために岡田の債務の詳細を確認することにあった。

鶴巻智徳が債権者から5億円の融資を受けた直後から岡田は鶴巻に同行して来ていたが、鶴巻が返済を滞らせ続ける中で体調を崩して入退院を繰り返したことから、鶴巻の側近だった岡田が単独で日常的に債権者の会社に顔を出すようになった。岡田について、債権者は当初から不審感を持つような話が聞こえていた。それは、鶴巻を債権者に紹介した森重毅が、鶴巻にそれぞれ3億円を投資しようという嘘の投資を持ちかけたことがあり、実際には森自身の債権を回収するために債権者を騙したのだったが、債権者が3億円を出した後で森に確認すると、森が「あれは、岡田が詐欺師だと分かったので投資は止めた」と言ったことで、債権者も森に騙されたと分かったのだが、ただ、その時はまだ岡田が本当にサギ師同然に嘘をつく人間だとは債権者も気づかなかった。また、これも後になって明らかになったことだったが、鶴巻に融資をした直後の平成6年8月、債権者が鶴巻に初めて融資を実行してしばらく後のことだったが、鶴巻が債務の一部の返済に充てるとして、熊本県内に所有していた土地(債権者に一旦は名義変更していた)を自治体に売却し、その売却金を債権者に支払うという約束であったが、岡田は売却代金約8500万円を債権者には「4000万円で売れた」と偽って残る4500万円を着服したのである。岡田の横領が発覚したとき、岡田は「天地神明に誓って着服などしていません」とシラを切り通した。債権者が鶴巻の顧問である松本憲男弁護士に確認すると、松本弁護士も売却代金が8500万円であった事実を認め、岡田の横領は確定的になった。債権者が松本弁護士に岡田が「天地神明に誓って…と言っている」と言うと、松本弁護士は「そんなことを言っているんですか?!」と呆れていたというが、岡田の横領は明らかに犯罪だった。

(写真:岡田優子 岡田瑞穂の妻)

人格が欠落した岡田が鶴巻の債務の連帯保証をしても、当然、債権者が債権を確実に回収できる保証はどこにもなく、岡田は返済計画を具体的に説明していたが、それらの説明のほぼ全てが嘘で、時間を無駄にするばかりだった。
岡田が鶴巻の債務処理で債権者に日常的に対応するようになったのは平成14年ころからだったが、鶴巻が平成9年から同10年にかけて自己破産した事実を債権者には隠し続けながら、主に絵画や競走馬などの保有資産の売却リストや売却による債務返済計画などを債権者に提示していたのだ。しかも、これらは全て実態のないものだった。
一部には鶴巻の顧問を務めた松本憲男弁護士も、鶴巻が債権者に振り出した手形の処理で「全責任を持つ」と言って債権者に期日を繰り延べさせたにもかかわらず、松本弁護士は責任も取らず知らぬ振りをした。さらに鶴巻が自己破産を申し立てた際には、債権者に通知すらしなかっただけでなく、債権者の鶴巻に対する貸付金5億5000万円を「鶴巻からは1億5000万円と聞いていた」と偽るなど、こうした行為は弁護士としての資格を剥奪されるほど重大な過失であり、懲戒の対象となる。鶴巻の周辺関係者が総ぐるみで債権者を騙し続けたとも言えるが、日常的に債権者と向き合って鶴巻の連絡役を果たしてきた岡田による債権者への虚偽の言動は圧倒していた。

(写真:鶴巻と岡田が債務返済を約束した念書)

鶴巻が病死したのは平成19年8月5日だったが、債権者がその事実を知ったのは、それから2年後のことであり、岡田はこの間に債権者から何度も鶴巻との面談を要請されながら、そのたびに「医者が面会を許してくれない」とか「本人の体調がすぐれないため、日を改めたいと言っている」などという嘘を言い続けていたのである。
また、岡田を介して鶴巻の妻道子との交渉を本格化させようとした中で、岡田は平成21年から同22年にかけて、債権者への返済計画を道子と協議してまとめたとする「確約書」を債権者に渡していた。それで、債権者も道子には債務を返済する意思があると信じ込まされてしまい、道子との面談が実行されれば、その時からでも債権の回収が進み始めると考えていたが、道子との協議も確約書に道子が署名した事実も全く裏付けがなかったのだ。債権者が道子に会うために岡田に面談の日程調整を指示したが、道子との面談もずるずると引き延ばし、会うまでに3年以上が浪費された。
そして、その後、業を煮やした債権者が、鶴巻が残した日本トライトラストとデルマークラブの2社と道子に対して訴訟を起こした際、岡田が債権者に提示した「確約書」にある道子の署名が本物であるか偽造であるかを巡って大きな争いが起きた。そして岡田はこの審理の場で債権者からも道子からも袋叩きにあったのだ。岡田が債権者には道子の署名が本物だと強調する一方で、道子に対しては「自分が代筆をした」ということを言っていた事実が問題になり、裁判官は道子の同意がなかったものとしてしまった。全ては岡田の虚言癖がもたらした結果だった。
債権者にとっては、岡田が多少でも債務処理にまともに向き合っていれば、鶴巻に対する債権回収が的確に実行できたはずであったことを考えると、10年以上も無駄にしてしまったことになる。それだけに岡田の責任は非常に重い。

また、債務の連帯保証をしていたこともあって、債権者自身の仕事に協力をすることで少しでも役に立てれば、と岡田は殊勝に言っていたが、そこでも岡田特有の嘘が頻繁に起きた。その最大のものが、債権者の保有ビルに新しいテナントを誘致したという架空の話を持ち込み、既存のテナントを追い出した上に賃貸契約書を偽造して債権者に多額の被害を与えた件であった。

(写真:岡田が偽造した賃貸借契約書社印、代表者印まで偽造していた)

岡田は平成19年から同22年頃にかけて娯楽施設、医療施設、専門学校等のテナントとの交渉が進み契約締結まで至ったと言って書類を用意したが、これらの施設との交渉は早い段階で終了していたにもかかわらず、岡田はその事実を隠して嘘を言い続けたために、他に貸すこともできず賃料収入等でさらに大きな損失を被った。
特に娯楽施設がビルの1階から3階(1、2階の一部と3階の全部)を借り受ける契約については、既存のテナントに退去して貰うための交渉から違約金の発生など多くの手続を伴うことになったが、岡田が「実際は最初からの作り話で、条件をどんどん煮詰めていると嘘の報告を繰り返していた」(本人の証言)ために、遂には既存テナントが退去する合意を結ぶところまで行き着いてしまった。しかし、その時点でも岡田は知らぬ振りを決め込み、出店する会社と正式に契約を締結するに際して、弁護士が作成した「契約書」に岡田は出店会社の社印と代表社印を偽造して押捺してやり過ごしてしまった。そして、既存テナントから出店会社への引渡しの段になって、岡田は出店が嘘であることをようやく認めたのだった。当然、債権者は既存テナントから入るはずだった家賃収入や将来的な賃料も見込めなくなる損害を被り、さらに日常の資金調達予定にも大きな狂いが生じてしまったのである。
岡田は新たなテナントを確保するまでの賃料に相当する金額(月額約150万円)と既存テナントの立ち退きにかかる費用(182万円)を補償する責任を負った。不可解なのは、娯楽施設との架空契約で岡田にはデメリットしかないのに、何故、相手会社の社印と代表社印を偽造して契約書に押捺するまで嘘を突き通したのか、ということだった。そして、その後も医療施設、専門学校等とのテナント交渉でも岡田は同様のことを繰り返して多くの書類を偽造した。

(写真:岡田と妻優子が署名した約定書。虚偽のテナント誘致で与えた損害を認め返済の約束をした)

冒頭にも挙げたように、岡田が債権者から個人的に借り受けた金銭、テナントの架空の誘致話で債権者に与えた損害も返済義務に加わり、それらの債務に対して優子が連帯保証をし、さらにその返済がいつまでも実行されないために岡田と優子の負荷がどんどん大きくなってしまい、鶴巻の債務の連帯保証に対する責任だけでは済まなくなっていたのだ。岡田は死ぬまで債務を引き延ばすくらいの思惑で債権者に向かい合ってきたのかもしれないが、岡田がそれだけのことを債権者にしてしまい、虚言を弄していたずらに時間だけを引き延ばしてきた責任は極めて大きいと言わざるを得ない。

(写真:岡田と妻優子が署名した確約書。個人債務については25年以上も滞らせた)

岡田の妻優子は多くの虚偽の案件の内2~3件の内容を具体的に聞いただけでも、あまりに岡田の酷い嘘にその場で立っていられない程驚いていた。岡田本人は子供を保証人にすると明言し、妻優子もまた「子供達は親を見捨てるような薄情ではありません」と言っていたが、実際に返済されたのは岡田自身が25年以上も前に月3%の金利で貸して欲しいと言って債権者から借り入れた336万円に対する40万円の返金だけだった。妻優子は「借りた物は返さなければいけません」と言っていたが、数えきれない程の岡田の嘘を知りながら、保証人になっている責任を果たさないままでいた。子供たち(由紀子(孫の侑大)、寿彦(孫の恵輔、智晴)、由美子(孫の賢生))が3人いるが、夫婦して連帯保証をさせると言っていながら、それも曖昧な態度を取り続けて時間を引き延ばし続けたのである。
岡田は自分の虚言癖がもとで母親からも勘当され、母親は100歳を超えても岡田を許さず、勘当を解かなかったというし、また親族の慶弔事でも岡田は一切声をかけてもらえないために、墓参りなどは集まりの日を避けて詣でていたようだ。また、岡田は通っていた銀座の飲食店の女性を自殺させてしまったこともあった。全てが岡田が嘘で招いたものである。

ところが、こうした経緯があるにもかかわらず、岡田瑞穂が令和4年1月中旬に亡くなり、本来なら、妻の優子は真っ先に岡田の死をオーナーに知らせるべきだったが、優子が最初に取った行動は家族全員の相続放棄と優子自身の破産手続きであった。債権者は鶴巻の債務を連帯保証してきた岡田には返済能力は乏しいとは思いつつも、せめて岡田が個人で負っている債務の返済は確実に実行させ、また3人の子供たちが分担してその責任を負う形を整えるよう、何度も岡田と優子に言ってきた。岡田も優子も何度も同意してきたのに、岡田のみならず優子までが言葉とは裏腹の行動を取って、自身と子供たちの相続放棄と破産手続きを進め、債務返済の責任を免れようとしたのは本当に恥ずべきことではないか。
優子だけではない。由紀子と寿彦、由美子の子供たち3人も、岡田が債権者を騙し、あるいは借りたりした金で子供たちの学費等に使っていたことを考えれば、最低でも岡田本人の借金くらいは責任を持って返済するのが当たり前ではないか。岡田が死亡しても、その事実を債権者には伝えず、陰では掌を返すように責任放棄の対応を取ったことは決して許されるものではない。少なくとも債務の処理についてどうするかを説明する場面を作るのが人として当然の行為ではないかと思われる。(つづく)

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