この稿は青田を告発する関係者の一人から寄せられた告発情報をもとにしており、青田が10数年前からタイのバンコクを拠点にして働いた悪事の一部始終をまとめたものである。

最初に断っておくが、本サイトは読者、関係者から寄せられた様々な情報を精査して裏付けが取れ次第記事化していくことを旨としているが、債権回収のために協力する発想は一切ない。青田の悪事に係る情報を寄せてきた告発者も当初は、本サイトの取材チームに積極的に対応して具体的な内容を開示してくれたが、ある時期から連絡が疎遠となり、その後は一切反応しなくなった。恐らく、青田が国内だけでなく海外でも鈴木の金を使って悪事を働いているという情報が広まり始めたのを恐れて、告発者側と和解したのではないかと思う。もしそれが事実ならば、告発者は遠慮なく申し出てくれればいいはずで、それが無いまま、ただ梯子を外されたようなやり方は許容できない。取材チームは告発者の情報源としての立場を尊重し、鈴木や青田が敵対者に対して極めて粗暴な対応をする人間であることから告発者を擁護する姿勢を保ってきたが、その忖度はもはや無用と思われる。

〇青田は威圧的言動でチンピラ風情

「私と青田が初めて会ったのは約15年前(はっきり覚えていない)。当時青田はバンコクに新会社の設立準備を行っており、バンコク在住のある日本人から紹介を受けたことがきっかけで知り合いました。会社名はブルー・バンコク。ブルーは青田の『青』から取ったのでしょう。主な事業内容はIP電話の販売でした」

初めて青田に会った時から威圧的な言動やチンピラ然とした品のない身なりで印象が悪かったために、あまり付き合いたくはないと思ったという。紹介者からも「青田とは気をつけて付き合うように」とアドバイスがあったほどだった。

青田の事業の主な対象はバンコク在住の日本人。当時まだ国際電話料金が今よりもかなり高額だったため、インターネットの通信代とわずかな通話料だけで国際電話が利用できるサービスとして需要を見込んだと思われるが、「価格設定が悪かったのか、営業力不足からなのか、あまり業績は良くなかったと傍目には映りました」という。青田は1~2カ月に一度訪タイする程度で、実際に会社の切り盛り、営業活動など一切は駐在員が行っており、駐在員は元々青田が日本で経営している人材派遣会社に登録していた派遣社員だった。
「その後あるきっかけで、青田と私は疎遠になりました。駐在員が休みなく奮闘しているものの、一向に業績が上がらない(略)その後、ブルーバンコクはK氏の会社の代理店契約を締結。その後この契約の金銭のことでもめ、両社間でトラブルに発展。ここでは詳細は触れませんが、どちらにも非があったと思います。青田はトラブルについて、K氏を紹介し、契約時に立ち会っていることもあり、私に責任を取るように強く求めました。私は承服できないため、青田との一切の連絡を絶つと、青田は日本からヤクザ風情の人間を多数引き連れ私の会社に乗り込んできましたが、私が警察に被害届を出したことを知ると私への責任追及をやめ、その後は連絡がなくなりました」
青田に対する印象の通り、トラブルが起きると、必ずと言っていいほど青田は暴力団員を手足のように使って相手を脅すから始末に負えない。そして、被害届が出たというだけで尻尾を巻いてしまう。卑怯者の典型だ。ちなみに青田は告発者に対して鈴木のことを話しているが、青田が「兄い」と呼ぶ者からの送金内容について、次のように語っている。
「兄いという存在は、青田がよく口にしていた方のこと。一時はモナコでマリーナの見える部屋のバルコニーからF1モナコグランプリを観戦した話や、購入した大型クルーズ船を売却するという話、ある時は青田が所有するバンコク銀行の口座にお金が兄いから振り込まれたが、多額(金額は不明)であるため、バンクオフィサーから何のお金か説明を求められたので、銀行に同行し、貸した金を返却してもらったということで説明して欲しいと頼まれました。本名はもちろん、どんなビジネスをしている人なのかは話題に出なかったので、分かりません。サハダイヤモンドという社名が会話に出たこともあるのですが、関心はなかった」
青田が「兄い」と呼ぶ者が鈴木であることは間違いない。鈴木は青田のことを「口が軽い」と言っていたが、まさに青田は自分のことのように鈴木の話をしている。青田は今後もこのように口が軽くおしゃべりを繰り返すに違いない。

〇2500万円を地下銀行を使って送金

話を戻して、今から約7年前、青田から電話があり「あの時は悪かった。水に流して」「決して責めたりしない」「とりあえず会いたい」とのことだったので、会うことになったが、青田の新事業について説明があった。それが水と軽油を混合させるプラントの販売だったが、このプラントをめぐり後日、購入したタイの現地企業と青田の間で裁判に発展する。

青田の新事業は自身が役員を務める日本の会社の商品をタイで販売することだったが、青田はタイ現地法人を設立し、代表者にタイ人を据えて商品のタイ国販売代理店契約を現地企業と結んだ。同社の代表はエンジニアのタイ人女性だったが、契約前に青田が商品について、すでに日本で多くの販売実績があり、海外にも輸出していると虚偽(購入後しばらく後に独自に調査した結果、嘘であることを確認=弁護士を通じて取引先リストに問い合わせを行った結果、幾つかの企業より当該商品やそのような設備を購入していないとの返答がり、中には無回答の企業もあった)の説明を行っていたという。購入前に、女性代表者は日本への視察を希望したが、シンガポールに販売したものがあるため、そこに見に行ったという。そして、シンガポールでは確かにプラントがあったそうだが、稼働しているところは見せてもらえなかった。購入前に青田から見せられていた商品説明の資料には1時間あたり200リットルの燃料(水50%:軽油50%の割合)が製造でき、毎日10時間、20時間と連続して製造することで、大幅な燃料代の削減になると謳っていたが、実際に購入後に届いたプラントでは、資料にあった通りの製造ができないものだった。
「まだ、青田が私に気を許していた当時、青田は色々な説明を私にしています。例えば、シンガポールでプラントを購入した企業は設備のブラックボックス的な部分で、契約上開けてはならない箇所(水を改質するための鉱物が入っている部分)を開けてしまったため、サポートできなくなったと。今となっては確認できないですが、シンガポールを訪問した時、すでにこの企業が購入した設備は稼動できない状態にあったのかもしれません。稼動していない設備を見て、購入ムードが高まって購入を決めてしまった企業が慎重さに欠けるとは思いますが、責められることではありません」
告発者が初めてこの設備を見たのは、現地企業がプラントをタイに輸入してからしばらく経っており、まだその運用テストと現地企業のスタッフに操作方法をレクチャーしていた頃だった。青田側の都合で約半年ほどプラントの到着が遅れ、現地企業はその間の高額な空家賃を浪費させられた上、いざ運用指導が始まっても、運転が上手くいかないままに時間が過ぎたという。さらにその後、プラントは何度も移転を余儀なくされたという。

このプラントで使用する水の質は、ある一定の基準をクリアしていなければならない。また汚れた空気も水の改質に悪影響を与え、燃料製造の失敗につながるという。現地企業から再三にわたって、必要な水の基準を求めたそうで、それが分かれば必要な水を作るためのフィルターも用意できるが、最後まで燃料生産はできず、それがより良い環境を求めて度重なる移転につながったというのだ。当然計4度の移転には大きな経費負担もあると同時に、時間の浪費にもつながった。

現地企業の営業努力により、プラントを購入したいという客は既に何社か(大手船会社、鉄道、政府機関など)名乗り出ていたというが、この設備で生産した燃料は自社で使うことが前提で、作った燃料を販売することは不正軽油となるため、必ず使いたい会社は設備を購入し、自社生産が必要となる。現地企業の担当者が販売先のスタッフに作業方法を指導したりメンテナンスを行うという、プラントの販売だけでなく保守業務も見込んでいたようだが、遺失利益は莫大なものとなった。以下、主要な問題点を列挙する。

(1)現地企業が購入したプラントの価格は5000万円であったが、青田の節税を目的にした要望に従い2500万円の契約書を2通作成。現地企業は合計で5000万円を支払っているが、領収証がなく、送金時の書類等で確認できる銀行送金時の資料があるだけである。しかも、半分の2500万円は送金だが、半分はキャッシュで青田が受け取っている。領収証がない代わりに、渡す際にスマホで写真撮影をしようと言われ、撮影したが、それは青田側のスマホで、その後画像データは渡されることがなかった。そのため、5000万円を支払っているにもかかわらず、裏付けとなる証拠がない。裁判で青田は合計2500万円だったと主張し、例え何らかの補償をするとしても2500万円をベースにすべきと主張を続け、争点となっている。
青田が2500万円であると主張するだけでなく、プラントを開発した日本の会社の社長も2500万円と口を揃えるが、青田が総額で5000万円を受け取った事実を知らない様子だった。日本の開発会社には2500万円しか入金されておらず、青田が搾取していることになる。現金で直接払った分は、タイで有名なある両替商の地下銀行を使って日本へ送金しており、現地タイ人も立ち会っているため間違いない事実だが、証拠が残っていない。

(2)支払い条件は着手金、設備製作過程、納品後と3度に分ける契約であり、最後の支払いは納品後であるにもかかわらず、実際には青田が海上輸送の前に払わなければ輸出しないと言った。現地企業としては、契約に従って進めたかったが、輸出されなければそれまでに支払った分を失う恐れがあるために、従わざるを得なかった。外国企業との貿易では、互いのリスクを減らすためにLCでの取引が一般的であるが、青田はLCでの取引を拒否した。

(3)海上輸送費は現地企業が(実費)負担するという契約であったが、この解釈で食い違いがあり、青田がおかしな要求をした。現地企業の本業はロジスティック、運送業で当然、プラントのタイへの輸入にかかる作業は全て自社経由でハンドリングする考えであったが、青田は青田側で手配し、マークアップしてそこでも現地企業から利益を出した。輸出業務に慣れない青田側はプラント製造の遅れをシッピングの会社に通知せず、そのため仕上がっているはずの設備を工場に受け取りに行った、フォワーダーのトラックは荷物を受け取れなかった。そのため無駄な経費も発生したが、それも現地企業に負担させた。

(4)プラントが稼動せず、問題が長期化すると青田が設立した現地法人のタイ人代表者は、ますます青田から距離を置くことになった。そのため告発者が青田と現地企業の間に立つ連絡係のような役目を任され、色々な問題を見聞きすることになった。猜疑心の強い青田はタイ人代表者が裏切り現地企業側に付いたと考え、告発者にどういう状態にあるかを探るよう依頼があった。事実、販売をしたプラントがいつまでも稼働しない責任を感じていたタイ人代表者は、現地企業の立場に立ち、青田に意見をするなどしていたため、青田としてはタイ人代表者が邪魔な存在になった。すると代表者が不在のまま株主総会を開き、代表から外してしまった。タイ人代表者の署名も偽造し、書類を作成し登記の書き換えを行なってしまった。

(5)青田は現地企業のスタッフを怒鳴るなど、プレッシャーをかけたり、作業上の質問をすると威嚇するなどして、辞職者が相次いだ。その度にプラントの運用指導が振り出しに戻ってしまった。そもそも運用指導の前に、操作マニュアルや注意事項をまとめた資料を現地企業側に提出すべきだが、青田はそれをしなかった。再三の催促で提出してきたものは全く使えないもので、「詳細は日本の開発会社に問い合わせください」と書かれたものであった。

(6)青田はプラントを設置した工場内に現地企業代表者が近づくことを禁止した。禁止した理由について、青田は「設備の技術的な核心部分を調べてコピーする恐れがある」と言いがかりをつけて、監視カメラを取り付けるなどして代表者を排除した。そもそも秘密保持契約も結んでいるため、設備のさまざまな秘密をまず開示すべきだが、全くそれが行われなかった。

(7)現地企業が地元警察に被害届を出し、警察は詐欺の容疑で青田を逮捕したが、青田はすぐに保釈され日本へ帰国してしまった。青田の逮捕に関係したある警察官が行方不明になっている。この警察官は青田から多額な金を受け取ったとみられる。青田は裁判のために青田側の主張をまとめたかなり分厚いファイルを逮捕から2日後には警察に提出しており、いつか訴えられることを予期して準備していたとみられる。
告発者が言う。
「詐欺を立証するには幾つかの詐欺を構成する要素を全て満たさなければならないため、現地企業としても裁判は簡単なことではありませんでした。詐欺を確信するに至るだけのことがたくさん積み重なって、告訴に踏み切ったのですが、購入前に『すでに多くの販売実績がある』という嘘は、使えもしないプラントを購入するという誤った判断をさせたということで詐欺に当たります。唯一実際に販売していた会社は、水素水の販売ではマルチ商法で多くの被害者を出している企業で、青田も本当はあんな会社と付き合いたくない、と本音を私に伝えていました。
青田は現地企業が購入したプラントは試作機で、だから本来5000万円であるところ2500万円だったと理由付けしています。現地企業側の証人として、タイ鉄鋼協会のウィロート会長に出廷してもらい現地企業のプラントについて証言してもらっています。まず安全面での対策が不備で、爆発の危険性があること。長く日本の大手産業機器メーカーで勤めた経験のあるエンジニアにも調査してもらったが、まず物理的にも1時間200ℓは生産できず、また例えばもっと少なく100ℓが生産できたとしても連続して生産はできないという結果が出ています。同じ日本人としては、外国の地で不完全な製品を売りつけ積極的に悪事を働き、人に迷惑を掛けたことに憤りを禁じえません」
以上が告発者が明かした青田の悪事の経緯である。青田は、日本国内だけでなく、わざわざタイまで出かけて行って悪事を働き恥を晒しているのがよく分かる。

〇青田は暴力体質にまみれている

告発者の証言にあるとおり、青田は何かにつけて「ヤクザ風情の男たちを引き連れ」て相手を脅かし、恐れさせることを常習にしている。そのヤクザ風情の男たちは間違いなく青田が長年懇意にしている稲川会習志野一家の構成員ではなかったか。同一家のNo.2である楠野伸雄は青田とは30年来の付き合いがあり、青田から頼まれれば、それこそ配下の者に指示して暴行(殺人未遂)さえも厭わない。

平成20年6月11日、青田の教唆が強く疑われる事件が起きた。鈴木義彦がA氏との連絡を絶って所在を不明にした後、A氏は鈴木が指定して代理人に就いた青田光市と弁護士の平林英昭と交渉することになったが、A氏が代理人に指名した利岡正章が静岡県伊東市内のパチンコ店駐車場で暴漢2名に襲われるという事件が起きた。暴漢は金属バットのようなもので利岡を滅多打ちにし、利岡は全治3か月の重傷を負ったが、暴漢を逮捕した静岡県警の調べで、暴漢が習志野一家の構成員だった事実が判明。また事件の翌日、利岡が入院した病院に暴漢の親分に当たる渡辺某が現れ、事件の背景事情を明らかにすることを条件に利岡に示談を依頼した。利岡は渡辺某の依頼に乗ったが、しかし、渡辺は利岡の度重なる催促にもかかわらず、事件の真相を明かさなかったため、解明には至らなかったが、事もあろうに青田が楠野に対して、それまでの付き合いを「なかったことにして欲しい」と口止めし、また平林も同一家の木川孝始総長に最低でも2回以上面談を繰り返していた事実が判明するなど、事件の首謀者(教唆犯)が青田であり、鈴木であることが強く疑われた。

青田は、東京上野で鈴木の金を使って金融業を営み、同一家の多くの構成員から「上野の会長」と呼ばれていたという。そうした中で、青田は告発者も聞いているモナコのコンドミニアムの話や鈴木がF1チームのスポンサーになろうとしている話をしていた。利岡の襲撃事件の前後では同一家の幹部らに対し日常の飲食だけでなく、構成員を含め海外旅行に連れて行ったり、車をプレゼントするなど派手な饗応を繰り返していた事実も判明しているが、そうした事実と照らし合わせれば、タイでの青田の行動も腑に落ちる。

仮に告発者が青田と和解したとしても、青田の悪事が消えることは無い。それ故、改めて告発者からの情報を精査し、記事化することにしたが、読者には青田光市という男が許し難い粗暴犯であることがよくよく分かって戴けると思われる。(つづく)