明らかになった鈴木義彦の虚偽証言

明らかになった鈴木義彦の虚偽証言(1)

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〔記事削除申立について〕(公開質問状に鈴木は一切の反論はできない)
2015年に掲載された「東京アウトローズ」での西義輝の自殺に関する記事の削除申立で、鈴木は「陳述書」まで提出するという異例な対応をしていたが、その中で「証券、金融口座が開けない」と吐露した。しかしそれは鈴木自ら「反市場勢力」と金融当局から認定されていると告白しているに等しいではないか。もちろん口座開設拒否の責任を情報誌に押し付けること自体、余りにお門違いの言いがかりで論外だが、本誌は鈴木が裁判に勝訴したことには大いに疑問を持ち、裁判記録を検証する中で、先ずは裁判に至る経緯を取り上げ、さらに鈴木が事実を隠蔽するために吐き続けた嘘の数々を列挙し、さらに訴訟の場で裁判官が何故鈴木の嘘を見抜けず(誤審)、誤りの判決を下すことになったかについて具体的に検証した。

記事削除を申し立てた「東京アウトローズ」の情報は西義輝の自殺に限られていたが、記事削除後に新たに貸金返還請求訴訟について具体的な問題点を詳しく取り上げたにもかかわらず、鈴木は何ら抗議をすることも無く、また責任ある回答もしていない。それどころか、判決を受け削除された記事が残存しているとして、鈴木はプロバイダーだけに圧力をかけ、その後に発信した記事には一言も反論していないのである。本当におかしな話ではないか。鈴木には本誌の問いに答える義務があると考えるが、鈴木をめぐる疑念と裁判官による誤審(誤判)については公にすべきと考え公開質問とした。

〔株取引が疑惑の始まり〕
鈴木をめぐる裁判については、マスコミでも「有り得ない判決」と違和感を持って関心を寄せており、裁判記録を精査している記者が多くいるかと思うが、当方の意思に拘わらず、記事の削除という事態が起きたことを理由に鈴木に対する取材が滞ったり中断することはない。さらに本誌に寄せられている情報によれば、鈴木が今後刑事責任を問われるような事態がいくつも生じる可能性に言及する記者も何人かいる中で、裁判官が重大な誤認に基づいた判決を下しているのではないか、という疑念、そして再審請求の可能性すら想定しているようである。鈴木には海外に巨額の資金を隠匿しているという疑惑が以前からあり、それがここにきて急に浮上することになった理由は、ほかでもなく今回の裁判で原告(A氏 鈴木が「陳述書」で呼称)のまさかの敗訴に対して、双方の関係者やマスコミが誤審と考え精査が始まったからだ。裁判で判決は出ていても、誤判を疑われる故に鈴木をめぐるトラブルは依然として収束しておらず、却って周囲の関心が高まったといえる。

以下に挙げる事例は全て事実であり、鈴木がその場その場をやり過ごすために言いつくろった虚偽の証言が多く確認されている。
(1)鈴木の記事削除申立で提出された「陳述書」は、勝訴を前提にしているとはいえ、まさに度が過ぎるほどに事実を歪曲しており、裁判におけるいくつもの虚偽証言が明確になっているだけでなく、裁判に未提出の証拠類(10本以上の録音テープ、多くの書類等)も沢山ある中で、それらが次第にマスコミにおいても共有されつつある。

(2)「陳述書」には西義輝に関する記述があるが、鈴木が平成10年5月31日に親和銀行不正融資(商法違反)事件で逮捕される直前の半年ほどの間で、西がA氏からの約28億円(詐欺横領に係る分を含む)という巨額の融資を仲介して保証人となり、鈴木の窮地を救った関係にあった。そして、鈴木が弁護士費用や生活費等を名目に借り入れを依頼した際に西の妻が1800万円を貸し、また、これとは別に西個人でも鈴木の愛人宅に毎月50万円を届けるような支援をした経緯があった。さらに西が鈴木に頼まれ、会社で鈴木の父徳太郎を雇用して60万円の給与を支払っていた。そうした事実を無視して西を足蹴にする言動を平気でする鈴木は決して許されるべきではないのではないか。

(3)10日で1割以上の金利を伴う借り入れでも資金繰りが追いつかず、自己破産はもちろん、自殺という選択肢すら鈴木の脳裏に浮かんでいたような状況を救ったのはA氏であり、またA氏以外にはいなかった。A氏は鈴木からの返済が一切なかったにも拘らず、逮捕直前にも8000万円を貸しているが、そんな人間は他にはおらず、それはA氏、鈴木周辺の関係者全員が認めていることで、鈴木も分かっているはずである。

(平成10年11月26日、決算対策でエフアールに一時預ける際に、西が手形(一部)のコピーに添え書きした。)

 

(4)鈴木は手形以外にいくつも物品を持ち込み、A氏はそのたびに言い値で買ってあげていた。ピンクダイヤモンドとボナールの絵画も言い値の3億円でA氏に買ってもらっていた。但し絵画は一度も持参しなかった(他の債権者の担保に入っていたことが後日判明)。関係者によると、「鈴木は後日トラブルになることを想定して、証拠の残らない方法でA氏から融資を受けていた。帳簿に記載したり銀行口座を介して金を動かしていれば、もっと早い時期に鈴木の嘘は発覚していた」(以下次号)

明らかになった鈴木義彦の虚偽証言(2)

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〔裏切りの報酬10億円〕
(1)西と鈴木は平成11年5月末から開始した仕手戦で一攫千金を狙い、株価を高値誘導、維持するために、A氏に資金支援を頼み協力を仰ぎながら、その際に交わした「合意書」(平成11年7月8日作成)の全てを反故にして騙し、A氏に巨額の損失を負わせ鈴木は利益を独り占めにした。この「合意書」は銘柄欄が空白で、ただ「本株」とだけ書かれていたが、「本株」が宝林株式であることに疑いはない。また「今後本株以外の一切の株取扱についても、本合意書に基づく責任をそれぞれに負う」と明記しており、西と鈴木が継続的に株取引を実行する意思表示がなされていた。
平成11年7月30日、西が「株取引の利益」と言って15億円をA氏の会社に持参した。A氏は「合意書」に基づいて3等分するものと考えたが、西が「私と鈴木の取り分は返済金の一部に充てる」という約束通り、A氏は全額を受け取った。が、そのうち1億円を心遣いとして「鈴木さんと分けなさい」と言って渡した。翌7月31日、鈴木と西がA氏の会社を訪ねた際、A氏が利益金の処理を確認したところ、二人とも了解し、A氏から5000万円ずつを受け取ったことに礼を述べた。

(2)ところが、実際に鈴木は西と組んで仕掛けた仕手戦で巨額の利益を出しながら、A氏には全うな報告もせず、西を窓口にして「都内のマンションの1DKで頑張っているから長い目で見て欲しい」などといった言い訳ばかりをA氏の耳に入れさせていた。西と鈴木の仕手戦の最初の銘柄は「宝林」で、同株の利益約160億円は次に仕掛ける銘柄の“仕込み”に使う一方で相当額を鈴木は密かに海外に流出させていた。

(3)鈴木は周到な計画を立て、海外に流出させた利益金の詳細を西にも詳しく語らず、独り占めを図った。そして、平成14年2月27日に志村化工株の取引で、東京地検特捜部が西ほかを相場操縦の容疑で逮捕するや、鈴木は西と距離を置くようになった。特捜部は事件の本命を鈴木と睨んでいた。しかし、「逮捕直前に鈴木が土下座をして、『私の名前は絶対に出さないで欲しい。そうしてくれたら、西会長が出た後には言うことは何でも聞くから』と懇願した」と西は後に証言したが、取調べで西が鈴木の関与を否認したために逮捕が見送られたと思われる。西の保釈後、鈴木は掌を返すように西との距離を置き始めた。このことだけでも鈴木の人間性が分かるのではないか。

(4)なお、平成11年9月30日付でA氏はエフアールに対して「債権債務はない」とする「確認書」を交付した。鈴木はA氏から融資を受ける際に手形か借用書を預けていたが、決算対策上は処理しておかねばならず、前年の平成10年9月にA氏は手形の原本を西経由で天野に渡して、監査法人の監査終了後に問題なく戻ってきたため、同様に協力したものだった。「確認書」は、この時に西から頼まれ便宜的に作成したに過ぎなかった。

(5)西が保釈された直後の平成14年6月、A氏が貸金と株の話をしたところ、「株取引の利益がこれから大きくなるので(債務を)圧縮して欲しい」と西がA氏に話したため、A氏は了解し、鈴木への40億円超(金利年15%を含む)の貸付金を25億円に減額したうえで、同月27日に新たに借用書を作成した。その際、鈴木が「社長への返済金10億円を直近で西に渡している」と言い出したため、A氏が西に確認したところ、西が金の受け取りを渋々認めたため、鈴木が15億円、西が10億円の借用書を作成し署名した。この二人の借用書には確定日付(6月27日付け)がある。

(6)しかし、西が受け取った10億円は、実はA氏への返済金ではなく、鈴木が「合意書」の破棄を西に執拗に迫り、それを西に実行させるための「報酬」として複数回にわたり紀井から西の運転手である花館を経由して手交されたものであったことが後日判明した。平成18年10月16日に話し合いが持たれた際に、西に「これくらいは認めろ」と言われ、鈴木もこのことについては認めていた。

(7)なお、鈴木は西との仕手戦で獲得した利益の中から親和銀行に対して損害補填による示談を申し入れ、約17億円を支払うことで示談を成立させた(平成12年1月19日付け)。もし損害補填がなければ、鈴木は執行猶予とならず実刑だったに違いないが、「合意書」に基づけば、鈴木は横領を働いたことになる。エフアールや鈴木個人の借金(負債)の清算に充てるという、こうした例は他にタカラブネ株の返還訴訟で山内興産に約4億円を支払って和解した事実もある。(以下次号)

明らかになった鈴木義彦の虚偽証言(3)

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〔香港へ渡航 その先にあったのは殺人未遂〕
鈴木義彦への疑惑の核心は、西と鈴木が「合意書」に基づいて株取引が行われ、巨額の利益がありながら、鈴木と西が密約を交わしてA氏を外しにかかり、さらに鈴木は西をも排除して利益の独り占めを謀ったという点にある。西が鈴木の裏切りによって、次第にA氏に真相を明らかにするようになり、また鈴木の側近で、鈴木の指示で取得株式の売りを全て任されていた紀井義弘も重い口を開いたことから、ようやく株取引の実態を理解したA氏が平成18年10月16日に鈴木を呼び、西も同席して鈴木を質した。

(1)鈴木は「宝林株」の取引すら「合意書」とは関係ないと言い張り、「合意書」は交わしたが、「何一つ履行した事実がなかったので忘れていた」などと言って、完全に否定した。しかし最後には宝林株の取得でA氏が3億円を出したことと株取引だけは認め、「分配金はすでに渡し終わっている」と言った。「合意書」が関係ないと言うなら、何故、宝林株を売ることができたのか。また、「合意書」には「今後一切の株取引」と明記されている。仮に鈴木が単独で株取引を実行したとしても、「合意書」を前提にA氏や西に報告をして、協議しなければならなかった。

(2)西は平成18年10月2日に香港に向かったが、その目的は利益の分配金を受け取るためだった。その際、西は妻に「置手紙」を残していたが、その中に「(鈴木と)二人の約束は、今後宝林だけでなく、あらゆる第三者割当増資(ユーロ債)から得られる利益を、経費を除き折半する約束」「平成11年から平成14年までは、彼は私との約束を守り、30億のお金を払ってくれ……」と注目すべき部分がある。鈴木が西に30億円を渡した事実が明らかになったことから、鈴木の主張が嘘であることが明白となったが、「分配金は渡している」との証言に基づけば、鈴木はA氏にはいつ、いくらを支払った、というのか。

(3)株取引の利益は最終的に60億円という鈴木の発言を基にしつつ、「合意書に関する問題を解決するために50億円(A氏と西にそれぞれ25億円)を支払う」と鈴木が言ったことから、西が予め用意していた「和解書」に鈴木は金額を書き入れ、署名指印した。さらに鈴木は「社長には大変世話になったので、2年以内にあと20億円払います」とまで語ったが、「西の言い方が気に入らないから」と言って、それは「和解書」に書かなかった。裁判官は鈴木が「和解書」に署名指印したことを強迫や心裡留保と決めつけたが、和解後にA氏に届いた手紙の中にも「(A氏を)男として一目も二目も置く」とか「大変世話になった」と直筆で書かれている。

(4)その後、鈴木は何度となくA氏に電話を入れて支払の確認をする時に、「西の買い支え損は約70億と言っていたが、正確にはいくらか?」と尋ね、それを確認すると「全体の利益より引いて3等分しないといけませんね」と鈴木はそこまで追認していた。1週間後の10月23日には再びA氏の会社を訪ね、そのときにも支払についての確認をしていた。

(5)しかし、約1ヵ月後の11月末に「50億円の支払を一旦留保する」旨の鈴木からの手紙がA氏の元に届いた。A氏は翻意を促す手紙を書いたが、内容がほとんど同じ手紙が再び届き、以降、鈴木は所在を不明にし、弁護士の平林英昭と青田光市が「代理人」として窓口に立った。途中で代理人を立てるくらいなら、何故、最初から弁護士を入れなかったのか。

(6)これら両人は、問題を解決するどころか逆に紛糾させるだけだった。青田は「鈴木はA氏と西に脅かされて怖くなり、和解書に署名しなければ、その場を切り抜けることができなかった」と言い出し、また平林は鈴木の債務総額について、交渉のたびにコロコロと変わるほど主張を変転させた。さらに「和解書」についても青田と同様に「強迫」とか「心裡留保」というありもしない状況を根拠に無効を主張した。それが本当ならば、A氏と初対面の際に「社長さん、50億円で何とか手を打って頂けませんか? 50億円なら、鈴木もすぐに支払うと言っているんで……」と平林は言ったが、そのような言葉を口にするはずはなかった。それ故に「強迫」だの「心裡留保」など有り得ない。

(7)青田は三者の話し合いには一度も立ち会っておらず、その場の雰囲気すら分かっていないのに、「エレベーターを止められ監禁状態に置かれた」とか「ビルの下で待機していた」、あるいは西が香港で事件に巻き込まれたことについても「西は香港へは行っていない」など、都合によって口からでまかせの発言をする人物という評価が関係者全員の一致した印象だった。しかも、「和解書」の作成後に鈴木からA氏に送られた2通の手紙には強迫や心裡留保に当たる文言は一切なく、支払の撤回は西と紀井の情報漏えいを理由にしていた。したがって、平林弁護士が鈴木の依頼に応え苦肉の策で作り出した強迫や心裡留保は後付けに過ぎなかった。

(8)平成9年9月~平成10年5月までにA氏が融資した金額が約28億円あったが、鈴木は前述の「確認書」を盾に「平成11年9月30日に15億円を支払い完済した」と主張した。鈴木の言う15億円は西が同年の7月30日に持参した15億円を指していたが、9月30日に金銭の授受はなかった。手形の原本は確かに鈴木の手許に戻ったが、借用書や預かり書など全ての原本はそのままA氏の手許にあり、「確認書」が債務完済の根拠になどならないのは明白だった。また、貸付金約28億円は元本であったから、15億円では完済とならない。エフアールの常務(後に代表者)だった天野裕は、「前年の平成10年9月にも決算対策のために西さん経由で手形を預けて頂き、再びA氏に返した。お陰で取締役会で議題にもならなかった。従って平成11年当時の確認書も便宜上のものと認識している」と鈴木の主張を完全に否定した。

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(9)天野は平成23年8月3日に急逝したが、生前に偶然、東京・赤坂の高級クラブでA氏とも会ったことが数回あった。「天野会長は社長(A氏)と会う度に社長の席に挨拶に行っていた。その際には、『鈴木が大変お世話になっています』と挨拶をし、一緒に来ていた3~4人の取り巻きにも『鈴木が今あるのは、全てこちらの社長(A氏)に数百億円の資金をお世話になっているお陰です』と言っていた」と某クラブの店長が言う。ほかにも何人もの同様の証言がある。

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(10)ある時期に鈴木が巨額の資金を有している事実を天野が質すと、鈴木が「A社長の資金だ」と答えたというが、その後、A氏との対立が深刻になると、鈴木は天野に「A氏とは絶対に会うな」と命令したにも拘らず、前述したように鈴木には内緒でA氏と会ったために、鈴木からひどく咎められ、以来、二人の関係は険悪になったという。ちなみに、天野の急逝について、クロニクル(=旧エフアール)は「自宅で病死」と発表したが、一部には都心の京王プラザホテルの客室で首を吊って自殺し、それには「鈴木が関係している」と言う関係者も少なくない。また、天野が鈴木の保釈後「A氏には感謝しなければいけない」といった趣旨の話をしていたというが、それについて鈴木は「和解書」作成時にA氏に感謝の言葉を伝えていた。(以下次号)

明らかになった鈴木義彦の虚偽証言(4)

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〔今後一切の株取引と合意書に明記〕
前述したピンクダイヤモンドと絵画の準消費貸借契約について、鈴木は平成9年10月15日にエフアールを債務者としてA氏が3億円を貸し付けた際の借用書と合致させて「3億円は借りておらず、ピンクダイヤモンドと絵画の代金3億円の借用書を書いた」と主張した。期日を確認すれば明らかな通り、3億円の貸付は平成9年10月15日で、ピンクダイヤモンドの持ち出しよりも7ヶ月も前のことだった。さらに平成10年5月28日付の「念書」まで書いているのだから、支離滅裂としか言えない。(しかも、鈴木は絵画を一度も持参しなかった)

平成18年10月13日、16日、23日の話し合いの場において、鈴木はかろうじて宝林株が「合意書」に基づく株取引であった事実を認め「利益は二人に分配した」と言った。そしてまた、その後の株取引は鈴木個人によるもので「合意書」に基づくものはひとつもなかったと主張した。しかし、「合意書」には「今後本株以外の一切の株取扱についても、本合意書に基づく責任をそれぞれに負う」と明記しており、鈴木の主張は通らない。株の売りを全て任されていた紀井の証言によれば、「宝林株の時より、誰か大きなスポンサーが付いたと思ったが、後日『合意書』を見て理解できた。宝林株以後の銘柄も数多くあったが、それらも全て『合意書』に基づいた株取引だった」ということだったが、当然の事である。ちなみに実行された株取引は宝林株のあとエフアール、アイビーダイワ、住倉工業ほか数多くの銘柄を挙げており、西もまた具体的な経緯を説明していた。「合意書」の解除は三者の協議による同意を必要としたのは言うまでもなかった。(以下次号)

明らかになった鈴木義彦の虚偽証言(5)

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〔捻じ曲げられた真実 裁判官はなぜ騙されたのか〕
A氏との貸金返還請求訴訟において、鈴木側が法廷に提出した物的証拠は先に触れた「確認書」1点だけで、それ以外は全て鈴木の構築した虚偽の証言を無理やり裏付けるための主張でしかなかった。ところが、裁判官は何を根拠にしたかを明確にしないまま、鈴木の主張した「強迫」や「心裡留保」を採用して、「合意書」と「和解書」を無効とする判決を下してしまった。「合意書」から「和解書」に至る7年間に現金の授受はあったにしても、三者による「合意書」の履行に伴う具体的な協議や手続処理が行われていないのは整合性がない、というのだが、A氏が何度も協議を申し入れても西が裏切って正確な情報をA氏の耳に入れず、鈴木は故意に姿をくらませて所在がつかめない状態で、どれほど的確な対応ができたのか、はなはだ疑問だった。そして、鈴木がA氏に送った2通の手紙の内容からも「和解書」作成時の話し合いが強迫には当たらず、心裡留保にもならないことは十分に分かるはずだった。整合性のない鈴木の主張を、裁判官が証拠として採用したのが不可解でならず、誰が見ても誤審を疑わざるを得ない。

(1)「確認書」に関連して鈴木の代理人は、「手形の約束期日に銀行へ取り立て依頼をしていない」とか、「普通は手形訴訟を起こすはず」と主張したが、A氏が鈴木の要望を全て受け入れ協力してやった好意につけ込んであらゆる事項で「原告の主張は有り得ない」という。何故そこまで協力したかが分からないために「有り得ない」としか言えないのだ。「和解書」作成以後もA氏への手紙で「大変お世話になった」とか「男として一目も二目も置く人には会ったことがない」と述べたのは鈴木自身だった。

(2)鈴木の証言や主張は場面が変わるに従って、どんどんひどく変転した。鈴木が所在不明となって以後、平林弁護士と青田は支離滅裂で不当な主張を繰り返し、そしてそれを裁判にまで持ち込んでさらに増幅させた。裁判官が、そうした鈴木の主張や証言の変転に何ら目を向けていなかった。裁判官は鈴木が「売らせて欲しい」と言ってA氏の会社から持ち出した時計(4億円相当)やピンクダイヤモンドと絵画(3.4億円)について、「(時計は)上代が40億円超と言いながら、それを4億円で取引するのは経済的整合性がない」と断じて債権を認めなかったが、業者間での取引や決算対策等では一つの手段として行われていることだ。裁判官が単に「世間知らず」ということで、7億円超の債権が認められず、鈴木の悪意が見逃されるのは本末転倒だ。

(3)さらに鈴木は平成14年6月27日の借用書作成時に「社長への返済金として西に10億円を渡した」と言っていたが、法廷に提出された証言では「言っていない」とか「言った覚えはない」と翻し、また平成18年10月16日の「和解書」作成時に鈴木は「2年以内に20億円を払う」と約束したが、その後はこれを「贈与」と言ったり、最後には「20億を払うとは言っていない」と変わったこれらの証言が虚偽であることは、面談の録音記録に残っていた。

(4)鈴木のように二転三転するような証言を裁判官が証拠として採用することは先ずない、というのが裁判官による認定の通例であるにも拘らず、こうした虚偽の証言を裁判官は「合意書」と「和解書」の無効を理由として、安直に「(鈴木が)明確に意思表示した事実は認められない」と判断する一方で、西が「株取引の利益」と言って持参した15億円、鈴木が持参した10億円をA氏への返済金と断定してしまった仮に原告が鈴木のような人間であれば、この2件の金の授受は証拠が無いのでA氏はシラを切ることさえできた。しかし、原告はそれをありのままの真実の証拠として提出したのだが、それも裁判官は無視したのである。鈴木が法廷に提出した証拠が唯一[確認書]であったにもかかわらず、6人の裁判官が疑問を持たなかった理由は何か。金額の違い他あらゆることに整合していない。

(5)鈴木は西から聞いた話として、「A氏の背景には反社会的勢力が控えており、逆らえば命に関わる」などというありもしない作り話を証拠として平気で法廷に提出した。しかし、この言い回しは全て西が語っていたことという、まさに「死人に口なし」の作り話であって、A氏と西、鈴木の間でそのような会話がなされたことも一度もなかった。したがって、裁判官には確認のしようもない、極めて卑劣な誹謗中傷の作り話であることが分かるちなみに、A氏の会社は東京・新宿の高層ビル街に建つ新宿センタービルの43階に本社があったが、同ビルに入居するには厳密な審査があって、仮に鈴木が言うような経歴がA氏にあれば、決して30年も継続して入居などできなかった。鈴木の証言は西が死亡していることを奇貨としてA氏から反論されても「聞いた話」という逃げ道を作った、言いたい放題の証言で、裁判官がこうした証言をまともに採用したとは思えないが、少なからず心証に影響した点は否めないのではないだろうか。(以下次号)

明らかになった鈴木義彦の虚偽証言(6)

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〔「上野の会長」と呼ばれた青田光市〕
(1)西が自殺した直後、A氏は西の妻子と共に鈴木の実父(鈴木に頼まれ、西の会社で働いていた)の自宅を訪ねた。鈴木の実父と鈴木の妹が同道して最寄りの警察署に出向き、鈴木に電話を架けると、鈴木は言を左右にして「今は警察署には行けない」と言って拒み、「明日以降で必ずA氏に電話をするから」と言ったにも拘らず一度も電話はなかった。脅しという言葉をA氏に対して使うならば、警察署でその意思を明言する良い機会でもあったはずだ。

(2)鈴木の側近(裏方?)として永い付き合いのある青田光市は、広域指定暴力団幹部とは20年来、実懇の関係にあり、そうした暴力団幹部らと金融などの付き合いで彼らから「上野の会長」と呼ばれているという。さらに、鈴木の代理人弁護士を務めた平林英明も、その暴力団トップと複数回面談している事実がある。これは懲戒に当たる行為ではないのか。

(3)A氏の代理人となった利岡正章が平成20年6月11日、伊東市内のパチンコ店駐車場で広域指定暴力団(N一家)の構成員ら暴漢2人に襲撃され、全治3ヶ月の被害を受けたが、裁判で鈴木の代理人が「襲撃ではなく、偶然に起きた諍いあるいは事故」と主張した。その後、利岡や関係者の調査で、利岡の襲撃は「青田の依頼による」という複数の証言が得られた。利岡襲撃事件の後、青田が20年来懇意にしてきたN一家のNO.2に「(自分とは今まで)一切付き合いはないことにしてくれ」と口止めをしたり、同一家の構成員らに車を買ってやったり、海外旅行に連れて行ったりしたという証言もN一家の上部団体の幹部数人よりあった。

(4)A氏の下には鈴木や西とのやり取りを始め数多くの面談の録音記録があるほか、相当数の関係書類があって、それらがA氏の代理人弁護士により的確な形で証拠として提出されなかったのは大きな不手際に違いなかった。鈴木側が法廷に提出した証拠と言えるものは、前述したように「確認書」(平成11年9月30日付)だけだったから、そこにA氏側の弁護士に大きな油断があったのではないかと思われる。

(5)なぜ、裁判官がA氏側の証言や証拠を適正に検証せず、故意にとさえ思われるほど西や紀井の証言を軽視したのか、不可解でならない。
鈴木は、別誌記事削除仮処分の審尋に提出された「陳述書」で「海外での資産運用で生計を立てている」と述べているが、前述したように、その資産なるものはいかなる経緯で形成されたものであったのか? また、海外財産調書制度に基づいて国税当局に申告をしたものであるのか? など事実関係の究明が今後、マスコミを含めてなされることは必至の状況にある。すでに、鈴木が真っ当な主張で訴訟に勝ったのではないという事実に触れてきたが、鈴木が勝訴したことで逆に重荷を背負うことになると想定されるのは、まさに前述の動きがあるからである。(以下次号)

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