〔西義輝が「A氏には逆らえない」と言ったという嘘〕
鈴木義彦関連の膨大な資料の中に「質問と回答書」(乙59号証)という表題の文書がある。鈴木が貸金返還請求訴訟で提出した証拠の中で物的証拠と呼べるものは唯一「確認書」しかなく、その他の証拠はA氏側が出した証拠や陳述への反論でしかなかったが、この乙59号証も鈴木が反論の一つとして提出したものであった。しかし関係者によれば、この書面に書かれた内容は明らかにA氏の名誉、社会的信用を著しく毀損したものであるだけでなく裁判官の事実認定をも大きく狂わせ判決にも深刻な影響を及ぼした可能性が高いとして、関係者は鈴木と弁護士に対して法的措置を取っているという。(注:平成10年、11年の2年度にわたって、エフアールの決算対策のため鈴木がA氏から融資を受ける際に担保に供していた手形を監査終了まで一時的に預けたが、11年度には鈴木の要請に基づいて「債権債務は存在しないとする」書面(確認書)も交付した)
乙59号証の文書は21ページからなり、代理人弁護士の長谷川幸雄が質問し鈴木が答えるという体裁になっている。内容の多くはA氏が「貸金と合意書、和解書に基づいた約束を果たすこと」を求める訴訟まで起こした債権の存在を否定するという主張を繰り返し述べているが、鈴木が主張を裏付けるためにありもしない嘘を並べ立て、それを長谷川が巧妙に脚色するという手法が一貫して取られていた。また、この「質問と回答書」とは別に鈴木が反論として提出した書面(乙58号証)があり、それには表題は無いが、「平成18年10月13日(金)と10月16日(月)の話し合いの件」と「平成18年10月16日(月)以降」という見出しをつけて「和解書」を作成した前後の鈴木の言動をまとめたものとなっているが、これも鈴木が自分に都合よく好き勝手な嘘で固めた陳述書であった。ところが、この書面と「質問と回答書」に書かれた鈴木の陳述の中には度を越してA氏を誹謗中傷している部分が多くあり、決して許されるものではないと多くの関係者が言う。
乙58号証の書面で、鈴木は、その直前に西が香港で殺人未遂事件に巻き込まれた出来事を前提に、西が同事件で鈴木の名前を出さなかったにもかかわらず、鈴木自身がA氏と西によって容疑者に仕立て上げられそうになり、また側近の紀井義弘が裏切ったと決めつけて、その不安と恐怖の中で用意された「和解書」に署名指印せざるを得なかった、と主張した。「和解書」は西の顧問だった警視庁のキャリアOBが作成したもので、鈴木が時間をかけて何度も読み返していたので、A氏が「気になるところがあれば、文言を書き換えますよ」と言ったが、鈴木は「問題ありません」と言って署名指印したものだ。そうした経緯を否定して「和解書」無効の主張を正当化するために過度の言い訳を並べ立てたのが乙58号証の書面だった。それは鈴木が、一連の株取引が「合意書」に基づいて行われたという事実を認めたが、しかし「和解書」が作成されたという当然の成り行きをどうしても否定しなければいけない、という思惑から構成されたもので、平林英昭弁護士が悪知恵を絞って作成したと思われるが、和解協議を録取した音源に残された鈴木の発言と矛盾して整合性のないものであった。何よりも、鈴木の言動が書面に書かれた内容と違っている事実を鈴木自身が一番よく分かっているはずで、何から何まで無理を聞いてもらったにもかかわらず、このようなやり方は人として許されることではない。
平成18年10月16日の和解協議の場では、鈴木が株取引の利益を50億円とした発言に西は噛みつき、「そんな少ない金額ではない」「鈴木さんの側近から聞いている」と言うと、鈴木が「誰が言っているんだ!?」と強い口調で西に詰め寄るという場面があった。西は紀井や茂庭から利益金の明細を聞いていたが、具体的な名前を出さずにいると、鈴木が激しく詰め寄ったために西も紀井の名前を出さざるを得なかった。紀井が真相を語っていることが明らかになったことで、鈴木はA氏と西にそれぞれ25億円ずつを支払うと約束して「和解書」が作成されたが、最終的にA氏には別途20億円を支払うとも言った。ただし20億円については、鈴木が「西の言い方が気に入らないので、和解書には書かないが、間違いなく約束は守ります」とA氏に断言した(音源が残されている)。
鈴木と西は「和解書」で「合意書」に違反した事実を認めて謝罪をするとともに、前述の通り鈴木が支払いを約束したが、その後、しばらくしてA氏に手紙を送り付け、約束した株取引に係る利益分配金の支払いを留保して、その後の交渉の代理人として青田光市と弁護士の平林英昭を指名すると一方的に通告してきた。しかも、青田と平林による対応は交渉どころか、「和解書」を無効にするための言いがかりであり、A氏に対する誹謗中傷であった。「質問と回答書」の文面は、まさにその延長で仕立てられたもので、鈴木の嘘が増幅したものだった。
青田と平林は「和解書」を反故にするために好き勝手放題の嘘を並べ立てた。
青田は「和解書」作成の場に立ち会っていないにもかかわらず、「A氏と西に強迫され、また出入りができないようにするためにエレベーターを止められて事実上の監禁状態に置かれたため、その場を切り抜けるためには署名押印するしかなかった」というありもしない作り話を平然と言ってのけた。「和解書」は正常な協議の下に作成したにもかかわらず、青田の作り話によって交渉は混乱を招いただけでなく、強迫という文言を乱用することでA氏の名誉と社会的信用を著しく毀損したものだった。A氏が初めて平林と会った際にも、平林から「社長さん、50億円で手を打ってくれませんか。そうしてくれれば、鈴木がすぐに支払うと言っているんで……」と打診してきた事実が、何よりも「和解書」が正当に作成されたことを物語っていたが、A氏がその申し出を断ったことから、青田と平林による誹謗中傷がひどくなったのは明白だった。ちなみにA氏は青田の嘘を証明するためにエレベーター会社から「エレベーターは止められない」という証明書を出してもらった。青田はビルの1階で待機していたと言って前述のような好き勝手放題の嘘を吐いたが、実際にはビルの1階にはおらず、同行していたら当然のように協議に同席したはずで、A氏が鈴木を車(来社した時に乗ってきたマイバッハ)まで見送った際に運転手しか乗っていなかったのを何人もの社員が見ていた。
青田による悪質な妨害行為は目に余った。A氏が鈴木の要請に基づいて止むを得ず立てた代理人(利岡正章)が、平成20年6月11日、静岡県伊東市内のパチンコ店駐車場内で暴漢2名に襲われるという傷害事件が起きた。暴漢はそれぞれ金属バットのようなもので利岡を滅多打ちにしたため、利岡は殺されると実感したという。利岡は両腕で頭部を庇っていなければ間違いなく命に係わる重傷を負ったことから、暴漢には殺意があったのは間違いなかったという。暴漢2名を逮捕した静岡県警は暴漢が広域指定暴力団稲川会習志野一家の構成員であると発表した。
伊東市立病院に入院した利岡を翌日に見舞った暴漢の親分に当たる渡辺某組長が利岡に示談を申し入れ、利岡が自分を襲った理由と指示者(教唆者)の名前を教えるよう条件を出すと、渡辺がそれに応じたため利岡は示談に応じた。
しかし、退院後に利岡が渡辺組長に連絡を入れ、襲撃事件の動機と教唆犯の開示を要請したが、渡辺組長は態度を曖昧にしたまま回答を先送りにした揚げ句、別の事件の容疑で逮捕される事態となり、以降で渡辺組長が約束を果たすことはなかった。
襲撃事件については渡辺組長から真相を聞き出すことはできなかったものの、利岡及び関係者が聞き取り調査を重ねた結果、稲川会系の別の組幹部複数人の証言によると、青田が前記習志野一家NO.2の楠野伸雄とは20年来の昵懇であること、青田が事務所を置く東京上野の周辺の警察署では青田が習志野一家を含む暴力団関係者より「上野の会長」と呼ばれている事実を承知していること、利岡襲撃事件に前後して青田が習志野一家構成員らを海外旅行に招待したり車を買い与えたり、さらには飲食も常態化していたことなどが判明するとともに、青田が「鈴木はモナコに数十億円もするコンドミニアムを所有し、F1のスポンサー(100億円規模)をする予定である」といった話も周囲にしていたことも分かった。また、鈴木が密かに愛人(10人いると自慢する中の一人である清水みのり)と住むための住居としていた超高級マンション(ドムス南麻布)は、鈴木がオフショアに用意したペーパーカンパニーが所有していたが、そこに居住してるのが発覚すると間もなくして青田が処分した。なお、襲撃事件の直後には青田自らが楠野との関係を隠すために「関係は一切なかったことにしてほしい」と口止めしていただけでなく、鈴木の代理人弁護士の平林英昭もまた稲川会習志野一家総長の木川孝始に最低でも2回以上も面会していた事実が判明した。それ故、利岡襲撃事件は青田(鈴木)の依頼(教唆)に基づいて実行された疑いが強く持たれている。(以下次号)