〔鈴木はA氏との架空の面談を創作した〕
「質問と回答書」や乙58号証の書面での鈴木の陳述は、当然、青田と平林が交渉の場で作り上げたストーリーに乗った形で行われていたが、それらが全て鈴木の演出によるものとは考えにくく、青田と平林の発想や思惑も加わってあまりにも多くの嘘を構築して極端に増幅させた。
「質問と回答書」には、鈴木がA氏から借り受けた債務はすでに完済されているのに、何故、まだ清算されていないと言うのか分からなかったとして、西に確認を求めたという件がある。以下、具体的に触れるが、個々に〔注〕を入れて事実を記しておく。質疑応答は大きく4つに分類され、(1)はA氏と鈴木の債権債務の存否に係るやり取り、(2)は宝林株取得に係るやりとり、(3)は平成14年6月27日に鈴木が作成した借用書に係るやり取り、そして(4)は(3)の借用書に基づいた支払いに係るやり取りとなっている。(2)については宝林株の取得に係る資金や受け皿となった海外の投資会社についての主張となっているので、これまでに触れてきた記事を参照してもらい、また(4)については多くが(3)の質疑応答と重複するため、必要な部分のみを取り上げる。
(1)債権債務の存否に係るやり取り
1(長谷川) 甲4(平成14年6月27日付で鈴木が作成した15億円の借用書)の作成経緯についてお尋ねします。(略)あなたの主張は、平成11年9月30日に、原告に対し15億円を返済し、それで従前の全ての債務を完済した、それで原告作成の、原告とエフアールおよび被告間には何らの債権債務も存在しない旨の同日付確認書(乙41)の交付をうけたというものですね。
(鈴木)その通りです。
〔注〕鈴木は借金を全額返済した際には、関連書類を残さず引き上げるという。それ故、鈴木の主張が事実であれば、手形以外の書証類も受け取っていたはずだ。そもそも、鈴木の債務は元本だけでも28億1600万円(詐欺横領分7億4000万円を含む)あったのに、何故15億円で完済などと言えるのか。平成11年9月30日当日、A氏の会社に来たのは西一人だった。前年にもエフアールの天野裕常務(当時)の依頼を受けた西が「決算対策のために手形を一時預かりたい。会計監査が終了次第お返しする」とA氏に依頼し、A氏が応じた経緯があり、この時はA氏の下に手形が戻った。A氏はその経験があったので手形の預けに応じたが、西が「確認書も書いて戴けませんか」と言ったので、A氏は危惧して「大丈夫なのか?」と尋ねると、西が「別途に社長宛に私の確認書を差し入れます」と言ったことから、A氏も応じた。西が手形の原本と確認書を持ち帰った後にA氏に電話を架けてきて、鈴木が代わり「無理なお願いを聞いて戴き有難うございました」と礼を述べた。
2(長谷川)平成11年9月30日にすべての債務を完済し、乙41の交付もうけているのに、平成14年6月27日付の甲4を作成したのか、誰もが疑問を持つところなので、お聞きします。甲4を作成した契機、切っ掛けはどういうことですか。
(鈴木)平成14年3月頃、原告から私に、「どうしても話をしたいから事務所に来て欲しい」旨の連絡がありました。
3(長谷川)どんな用件でありましたか。
(鈴木)何を話しするのか分かりませんでした。
4(長谷川)平成14年3月頃というのは、西が証券取引法の相場操縦で逮捕・勾留されていたころですか。
(鈴木)そうです。西が同年2月末頃に、志村化工事件で逮捕されて、数日後に原告から連絡があったと記憶しています。
5(長谷川)原告経営の会社(注:原文実名)の事務所に行ったのですか。
(鈴木)はい。社長室に行きました。
6(長谷川)あなた一人で行ったのですか。
(鈴木)はい。そのとおりです。
7(長谷川)西は志村化工事件で逮捕・勾留中だったのですか。
(鈴木)そうです。
8(長谷川)原告はどんな話をしてきたのですか。
(鈴木)1つは、エフアール振出の手形などに関する債務は弁済されていない、どのように返済するのかということ。
9(長谷川)あなたは、それに対し、どう言ったのですか。
(鈴木)まず、平成11年9月30日に、西を通じて現金で金15億円を支払い、全て完済していること、したがって、原告作成、立会人西のA氏とエフアールおよび鈴木間には何らの債権債務も存在していない旨の確認書の交付をうけていると反論しました。
10(長谷川)それに対して、原告はどう言いましたか。
(鈴木)西に言われて書いただけだと言いました。
11(長谷川)あなたは、どう言ったのですか。
(鈴木)債務の弁済もないのに、債権債務は存在しないことを確認する書面を作成して債務者に渡すということは世の中で有り得ないという反論をしました。
12(長谷川) 原告は、確認書(乙41)を作成し、債務者に渡したことにつき、さらに説明をしましたか。
(鈴木)いいえ。西に言われて書いただけということを繰り返すだけです。
13(長谷川)何故、西が、そういうことを言ったのかについては説明がありましたか。例えば、エフアールの決算のために必要であるとか。
(鈴木)そういう説明もありません。
〔注〕2~13について。平成14年3月にA氏が鈴木に架電して会社に呼び出した事実はない。A氏は鈴木の電話番号さえ知らなかった。従って、鈴木が主張するような債権債務の存否に係るA氏と鈴木の協議などなく、全くの作り話である。A氏が鈴木と2人だけで会ったのは、鈴木が逮捕される3日前の平成10年5月28日、和解協議前後の平成18年10月13日と10月23日の3回しかない。志村化工事件で西は逮捕されたが、東京地検特捜部が本命視していたのは鈴木であった。西は検事の取り調べで鈴木の関与を頑なに否認した。それは、鈴木が逮捕前の西に縋り、「西会長が出所したら何でも言うことを聞きます。私は今、執行猶予の身なので、絶対に私の名前を出さないでください」とまで言って土下座して懇願したからだったが、西は株取引の利益分配に目がくらんだのか、鈴木には利益分配を実行する保証はないという冷静な判断が西にあったならば、事態がどう転んだか分からなかったという点を鈴木は自覚するべきではないか。「確認書」を裏付けとする債務の完済というが、「確認書」は天野も認めたように決算対策上で便宜的に作成されたものであり、天野は「前年も手形13枚を預けて戴いた。会社には社長(A氏)へ返済する資金は用意できるはずはなかった」と証言していた。なお、平林弁護士は交渉の過程で、A氏の鈴木への貸し付けに「世の中では有り得ないこと」と言う言葉を頻繁に使ってA氏の主張を否定したが、この「質問と回答書」でも同じ言葉を連発している。しかし事実は事実であり、鈴木が和解後にA氏に送った手紙に「社長には過去大変にお世話になった」とか「男としても一目も二目もおいていた」と書いていたのは、世の中で有り得ないようなことをA氏が何回もしてくれたと鈴木が実感していたからである。(注:平成10年5月28日に鈴木が初めて単独でA氏の会社を訪ねたが、それは鈴木から言い値で買ってあげていたピンクダイヤを「売らせてほしい」という名目をつけて持ち出すことにあり「念書」を用意していた。その時、鈴木が「近々、親和銀行での不正融資事件が表面化すると思うのですが……」と言うので、A氏は「実は、鈴木さんが3日後に逮捕されるという情報が入っている」と伝えた。すると鈴木は驚き、その情報が間違いないと実感すると、別に8000万円をA氏から借り受けるために土下座して涙を流して懇願した。また平成18年10月13日はA氏から初めて鈴木に電話したが、この時は西から紀井の電話番号を聞き、紀井から鈴木に連絡を取ってもらった。さらに和解協議後の10月23日は鈴木から電話がありA氏の会社を訪ねて来た。ところで、前記にあるとおり平林弁護士が「有り得ないこと」という点で特にこだわったのは、鈴木に対する40億円超の貸付金を25億円に減額したことだったが、A氏は債務者に催促をしたこともないし金利をゼロにした人(借主)が十数人いたことが取材で判明している。加えて、西が「今後、株取引の利益が大きくなるので、25億円に減額してあげてくれませんか」という依頼をしたのでA氏は了解をした)
14(長谷川)次に、あなたが、平成11年9月30日に西を通じて原告に交付した金15億円については、どう言っていましたか。
(鈴木)西の自分に対する借金の返済に充てた。また、一部は株取引の配分金ということを言いました。
15(長谷川)それに対し、あなたはどのように反論しましたか。まず西の債務返済に充てたということについて。
(鈴木)そんなことは通用しない、エフアールと私の債務返済として金15億円を渡したのであり、したがって、確認書を作成したのでしょうと言いました。
16(長谷川)原告はどう言いましたか。
(鈴木)鈴木さんと西は一蓮托生みたいなものだから、西の債務に充てたと世間では通用しない理屈を言っていました。
17(長谷川)株取引の利益分配金ということについては、あなたはどう言いましたか。
(鈴木)原告と株の話をしたこともなく、株取引をしたこともないのではないかと反論しました。
18(長谷川)原告は株取引の利益分配金は甲5にもとづくものであると主張したのですか。
(鈴木)いいえ。甲5については何の話もありませんでした。私も甲5については忘れてしまっていました。
19(長谷川)原告が甲5にもとづく株取引の利益分配金ということを主張してきたのは、何時ですか。
(鈴木)甲6作成直前の平成18年10月13日です。この時、初めて、これを忘れてはいないかと甲5を見せたものです。
20(長谷川)原告は、甲5の話もしなかったということですが、宝林株800万株の利益分配金という主張はしたのですか。
(鈴木)具体的な銘柄についても話はありませんでした。
〔注〕14~20について。15億円の授受は平成11年7月30日であり9月30日ではない。しかもその15億円は「(宝林株取引の)利益」であるとの説明を受けたA氏は、「合意書」に基づいて3等分すると思ったが、西が「自分と鈴木の取り分は返済金の一部に充てます」と言うのでA氏は15億円を受け取り、そのうち1億円を西に渡し「鈴木さんと分けなさい」という心遣いをした。そして翌7月31日午後4時に西と鈴木がA氏の会社を訪ねた際に15億円の処理を三者で後日のために確認し、鈴木は5000万円の礼を述べた。
鈴木は15億円の授受の日時を変えただけでなく、「西の債務支払いと株取引の利益分配金に充てた」などと都合よくすり替えているが、7月31日午後4時に3人が会ったのは15億円の処理を再確認するためのことだけだった。
なお、鈴木は平成10年5月31日に親和銀行事件で逮捕起訴された後の同年12月に保釈された当時、東京・三田の愛人(サラと鈴木の子供)のマンションに身を寄せる中で朝から酒に溺れ自暴自棄になっていた。それを見かねた西が鈴木に再起を促すために日参し、折から宝林株800万株の売却話が持ち込まれた話をして、これをきっかけに株取引を進める話をした。それがA氏との「合意書」の作成につながったのである。A氏を巻き込むにあたっては、鈴木が一人熱弁を振るってA氏を説得し資金支援を取り付けた。こうした経緯がこの「質問と回答書」には何一つ触れられていない。鈴木は「3~4年で20億円以上の授業料を払った(株で損をした)ので絶対の自信があります。それに、これをやらせて戴けないと、私も西会長も借金を返す目途が立ちません」とまで言って懇願したので西の提案で「合意書」が作成された。(以下次号)