弁護士も裁判官も弾劾する!!「鈴木義彦」を巡る訴訟告発(3)

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〔「A氏とは二度と会うな」と天野を叱責した鈴木の真意は〕
前号で触れたように(2)の1~11については宝林株の取得に係る「合意書」との関連性のやり取りとなっているので、ここでは省略するが、宝林株の取得資金3億円を西の要請に基づいて出したのがA氏であったことを誤魔化すために鈴木は多くのウソを重ねている。西が宝林の株800万株取得で動いた平成11年の2月から5月当時、鈴木は刑事被告人の身であって、大っぴらに動くことができなかった。しかも、宝林は宝石の販売を業とする会社だから、鈴木が株式の取得に関わっていることが分かれば、すぐにも話は潰れていたはずだ。鈴木はそうした立場を弁えてものを言っているのか? という疑念を誰もが持つに違いない。また、受け皿となった投資会社が金融庁に大量保有報告書を出すにあたって、常任代理人となった杉原正芳弁護士は資金の出所を「紀井義弘」と虚偽の記述をした。紀井には無断であったために後日、紀井から抗議を受けたが、杉原は一切返答しなかった。鈴木は「杉原を知らない」と言っているが、それならば誰が紀井の名義を使えと指示できたのか。鈴木以外には有り得ないのだ。

(写真:杉原弁護士は宝林株の取得に際し、金融庁宛の報告書に資金の出所を「紀井義弘」と虚偽記載をした。紀井の抗議に杉原弁護士は一切返答しなかった)

次に(3)の借用書の作成に係るやり取りについて触れる。
質疑応答の(1)~(20)については、平成14年3月頃に鈴木がA氏と面談した時のやり取りを再現しているが、長谷川も鈴木もいろいろな辻褄を合わせるために、よほど鈴木とA氏が面談したという架空の話を作るしかなかったに違いない。そのために同じ状況の説明が、多少は文言を変えて繰り返されているので、これらの質疑応答は省略する。
21(長谷川)原告及び西は、エフアールの決算に必要なので、手形の原本を、平成10年11月26日に天野に返還し、平成11年9月30日にあなたに返還するために西が預かったと主張していますが、事実ですか。
(鈴木)事実ではありません。
〔注〕西が手形と確認書を持ち帰った後にA氏に電話を架けてきて、鈴木が代わり、「無理なお願いを聞いて戴いて有難うございました」と礼を述べていた。
22(長谷川)それでは、これら(甲56(手形コピー)~甲57(手形の預けに係る西の借用書)を示す)の内容は虚偽ということですか。
(鈴木)ウソです。
23(長谷川)甲56は、何故、ウソということになるのですか。
(鈴木)平成11年(平成10年の間違い?)11月26日というと、私が親和銀行事件で拘留中でしたが、保釈後、天野から決算のために手形13枚の原本が返還されたことは一切聞いておりません。したがって、決算終了後に原告に返還したということを聞いたこともありません。
〔注〕A氏と天野、西が面談した際に天野は認めている。なお、天野は鈴木には言わずにA氏と会い多くの真実の証言をしたが、その後、面談での多くの事実が鈴木に発覚し、天野は鈴木から「A氏とはもう二度と会うな」と厳しく叱責された。そのために鈴木と天野の間に深刻なしこりが残った。
24(長谷川)そもそも、天野は、エフアールが甲1の手形を振り出し、原告に交付したことを知っていたのですか。
(鈴木)天野は、当時、営業担当の常務取締役であり、甲2の金3億円の件やピンクダイヤモンドなどの件は承知していたと思いますが、甲1の手形については、私以外知らなかったものです。
〔注〕鈴木の話で明らかだが、エフアールではなく鈴木個人が勝手にエフアールの手形を使用した。鈴木は親和銀行事件で逮捕される直前に、西に何度も連絡する中で「エフアールを存続させるために、何とか協力して下さい」と懇願していた。それ故、西は同社の債権者に天野と共に折衝を重ねた経緯があったから、手形についても天野が知らないはずはなかった。平成10年の決算対策でA氏から手形を預かったのはその一環である。和解協議の際に、鈴木が「保釈後に天野から『社長には大変お世話になったので、お礼を言って下さい』と聞いています」と言っていたことを忘れたわけではあるまい。なお、「ピンクダイヤモンドなどの件」とあるのは、鈴木が持ち込んできた「念書」に天野が連署していたから、そう言ったのだろうが、天野によれば、「白紙の状態で署名を指示されたという事情があったためにそのような表現となったのではないか。
25(長谷川)甲57はどうですか。

(平成10年5月28日、鈴木がA氏に言い値で買ってもらったピンクダイヤモンドと絵画を「売らせてほしい」と言って持ち出す際に持参した「念書」)

(鈴木)私は平成11年9月30日に、西を通じて、エフアールの決算に必要であるから、手形の原本を返還して欲しいなどと依頼したことなどありません。同日、金15億円を返済し、債務を完済したので、甲1の手形13通の原本などの返還をうけたものです。
〔注〕15億円では債務の完済とはならないどころか、元金の約半分にしかならない。
26(長谷川)甲87では、エフアールの決算終了後、手形の原本を原告に返還するとありますが、手形の原本を決算終了後に原告に返還したことはありますか。
(鈴木)ありません。
〔注〕鈴木はA氏に「公正証書を作ります」と言っていたが、親和銀行事件で曖昧になっていたが、当時のやり取りで鈴木は公正証書を作ったものと勘違いしていたくらいであった。
27(長谷川)原告から、もしくは西を通じて、手形13通の原本を返還するように請求されたことはありますか。
(鈴木)一度もありません。
〔注〕前述のとおり、貸金返済の催促をしたことがないのと同様で、鈴木は公正証書も作ると言っていたので、その言葉を信用してあえて返却の催促をしなかった。
28(長谷川)西は、鈴木義彦代理人として署名押印していますが、あなたは、西に代理権を授与したのですか。
(鈴木)全くそんな事実はありません西と原告が結託して作り上げたとしか考えられません。
〔注〕結託したのは鈴木と西である。鈴木が同行する時と鈴木が一人で来社した時以外は、西が全てを代理する形で対応していた。株取引の利益15億円の授受、手形の原本と「確認書」の預かり等の大事な用件も西が単独でA氏に対応したのではないか。いずれの場合も西と鈴木は電話にて対応すのが基本だった。今から考えれば、鈴木のやり方は後々、言い訳ができるように考えていたからではないのか。
29(長谷川)経験則上、論理則上、債権者、それも無登録の高金利(月利10~13%)を取る貸金業者が、返済もうけていないのに、債権の存在を証する手形の原本や担保物である金1億円の証書を債務者に変換するということは考えられないのですが。
(鈴木)その通りです。金15億円で債務を完済したのでこれらの返還を受けたものです。
〔注〕30~38については、手形の返還がエフアールにとって、どのような意味を持っていたかについてのやり取りとなっているが、鈴木はA氏から手形を担保に融資を受けるにあたって、A氏が個々に借用書や金銭消費貸借借用証書を取らなかったことを悪用して、借主が鈴木個人というよりもエフアールであったという認識を強く打ち出そうと謀った。しかし、そもそも西からA氏を紹介された当時、鈴木もエフアールも破産するギリギリの状況にあった事実を思い出すべきだ。A氏はあくまで鈴木の窮状に手を貸すということで、わずか数か月で手形のみで約17億円を貸し付けた(A氏に自己資金がないときは友人知人から借り受け、金利面でも鈴木が「年36%でお願いします」というのを年15%にした)。手形はA氏が要求したものではなく鈴木が持ち込んだもので、どの金融機関でも担保価値はなかったから、A氏が鈴木に乞われるままに貸し付けをしたことははっきりしている。鈴木はA氏と会う以前から融資を受ける際にこの手法を用いて、全ての責任を法人であるエフアールに押し付け、自身は連帯保証人で名を連ねていても、「責任はエフアールが負うべきもの」と言って債権者から逃れてきた事実がある

(平成10年11月26日、決算対策でエフアールに一時預ける際に、西が手形(一部)のコピーに添え書きした)

39(長谷川)あなたと西の面談の話に戻ります。話はどうなったのですか。
(鈴木)西は、乙41(A氏とエフアールには債権債務はないとする確認書)の内容はその通りと言い、原告が、債務が返済されていないと主張する理由については黙ってしまうということが続き堂々めぐりのようなことになりました。
〔注〕鈴木への「確認書」交付の際には、西が別に「エフアールの決算対策のために便宜的に作成したものであることを確認する」旨を記した「確認書」をA氏に交付していた。「確認書」は2件とも9月30日付で、鈴木はその後にA氏に架電して「無理なお願いにもかかわらず、本当にありがとうございました」と礼を述べていた。それ故に西が確認書の内容を事実と認める発言をしたということは有り得ない。
40(長谷川)その後、どうなったのですか。
(鈴木)この場は印象的で良く覚えていますが、突然、西の顔が引きつって、泣き出すような表情になり、「鈴木さん、俺の命を救ってくれ」と懇願してきました。私は、何を言っているのか分からなかったので、「どういうことか」と聞きました。
41(長谷川)そうすると、西はなんと説明したのですか。
(鈴木)原告の要求に従って金を払わないと、原告に殺される、鈴木さんも鈴木さんの身内も殺されると泣きそうな顔で言いました。
〔注〕このような事実があれば、平成18年10月13日、そして10月16日の和解協議の際にも、さらにその1週間後の10月23日に鈴木が一人で来社した時にも当然議題になっていたはずだが、そうした事実は一切なかった。全て鈴木による後付けの作り話である。仮に西がA氏には逆らえないという話が事実とすれば、「合意書」を交わした後に西は何故A氏を裏切って鈴木と利益折半の密約を交わすことができたのか。西はA氏への「遺書」の中で、裏切りを最大限に詫びていたが、鈴木が西をも裏切ったからこそ自ら命を絶たざるを得なかったことが遺書からも明白である。さらに天野裕の自殺を始め、鈴木の周辺関係者たちが不審な死を遂げ、あるいは行方不明になっている疑いがある中で、逆に鈴木の身内や家族に危害が及ぶような事実があったのかを問いたい。さらにこれが公になったとき、全く関係のない濡れ衣を着せられた事実は深刻過ぎて、何事もなく収まるのかと心配するほど大胆なウソである。
42(長谷川)あなたはどう思いましたか。
(鈴木)にわかには信じることができませんでした。
43(長谷川)西は何か言いましたか。
(鈴木)鈴木さんも分かっていると思うけれど、A氏のバックは山口組の弘道会。自分も平成7年3月に金銭トラブルで弘道会の組員にピストル2発を腹に撃たれたことがあり、弘道会の凶暴性をよく知っているなどと言いました。
〔注〕A氏、西、鈴木の3人での面談や飲食等で暴力団に関わるような話が話題になったことは一度もなかった。西がトラブルに巻き込まれて暴力団員に狙撃されたのは事実であっても、そのこととA氏は何の関係も無く、鈴木が勝手にこじつけた創作であった。(以下次号)

2020.04.24
     

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