〔暴力団をバックに貸金業という嘘〕
前号に引き続いて鈴木が証拠として提出した「質問と回答書」の後半部分を取り上げる。A氏に対する債務は完済されたという主張を正当化するために、そして「合意書」に基づいた株取引はなく、したがって「和解書」で約束した支払いはA氏と西に「強迫」されたことにより「心裡留保」の状況下で署名指印したものだから無効だという主張を正当化するために、鈴木はありとあらゆる嘘を吐いたが、この「質問と回答書」はその最たるものだった。以下、具体的に触れる。
45(長谷川)あなたも、原告が弘道会と関係があるのではないかと感じていましたか。
(鈴木)はい。原告が、弘道会の構成員もしくは準構成員なのかどうかは知りません。しかし、A氏の会社で、原告から数回、原告と司忍が談笑している写真などを見せられたことがありましたので、原告は暴力団の弘道会の力をバックにして貸金業をやっているのではないかと思っていました。
〔注〕新宿センタービルの43階にA氏の本社があった当時、A氏が社長室に飾っていた写真は、A氏と室伏稔氏(当時は伊藤忠商事アメリカ社長、後に本社社長)のツーショットと、西とブッシュ大統領のツーショット写真以外になく、鈴木の言うような事実があれば、A氏は新宿センタービルに30年以上も本社を置くことはできなかった(入居の選考では120社以上の中から選ばれ、家賃の滞納も一度もなかった)。
46(長谷川)西は、その他にどういうことを言っていましたか。
(鈴木)西は、「原告の金主元はほとんど知っている。多くは弘道会絡みである。弘道会を甘く見たら駄目であり、原告も弘道会と関係があり、原告を甘く見たら大変なことになる」などと言っていました。原告のために命を捨ててもよいと思っている人間は一人や二人ではないとも言っていました。
〔注〕A氏は金銭問題では大勢の旧知の知人たちを助けてきたことが数十人に上る関係者への取材で判明しているが、貸金業を本業にしてはいないので借り手は知人友人であり、さらにその先の知り合いも数人いたが、A氏から催促された人は一人もいなかったこと、また、生活資金に困っている人には金利をゼロにして貸していたことは正直驚かされる話だ。そして、その知人友人の中には事業に成功した者が何人もいる中でA氏の投資に参画した者がいる。西はそうしたA氏の人脈をよく承知しており、暴力団が絡むような金主など一切ないことを熟知していたから、仮にも鈴木が言う様な話を西が発言すること自体あり得ない。また、もし西が同様の話をしたとしても、それはA氏を畏敬する関係者たちの中に鈴木の嘘や余りに身勝手な言動を許さないという者が多くいたことも事実で、そうした趣旨に沿ったもので暴力団とは何の関係もない。そもそも鈴木に貸付けを始めた当初から元金はおろか金利の返済もないままに金銭を貸し続け、しかも催促もしないことはプロの金融業者には絶対に有り得ないことだ。鈴木も、一度も催促されたことはないはずだ。会社が経営危機に陥り、暴力団絡みの闇金融業者から融資を受けたことがある経営者によると、「金利は10日で2割3割がざらで、1カ月で返済は倍近くになった。しかも取立が厳しく、少しでも遅れると毎日、会社や自宅に電話が何回もかかって来るだけでなく、業者がやって来て仕事どころではなかった」と言う。A氏は鈴木に頼まれるままにわずか数カ月の間に簿外の融通手形13通を担保に約17億円を貸したが、その間、金利の返済すら猶予したうえ別に借用書一枚で3億円や8000万円を貸してもいた。また、鈴木が持ち込んできたピンクダイヤモンドと絵画(2点で3億円)のほか数多くの貴金属を言い値で買ってあげていた。それはA氏がプロの貸金業者ではなかったからで、金主元が反社会的勢力であれば決してできない金銭の貸し方だったのである。しかも、鈴木が西の紹介でなければ、A氏と言えども融資を断るほどで、鈴木の融資依頼は上場企業代表者としてエフアールが経営破たんしている事実を自ら明らかにしていた(A氏は西からもエフアールの実情を聞いていた)。もし、鈴木が当時から前述のような話をしていたら、特にピンクダイヤモンドと絵画については「売らせてほしい」と言ってピンクダイヤモンドを持ち出しながら、現品の返却も販売代金の支払いもなく、絵画は「近々持参します」と言っておきながら一度もA氏には渡していなかったが、もともと別の債権者に担保に入れていた事実が後日判明して確実に事件になっていたはずである。鈴木は、それまでにA氏に対していくつも刑事事件になることをしていた。
47(長谷川)あなたは、西の話を聞いて、どう思いましたか。
(鈴木)西のいろんな話を聞いているうちに、原告の言うことを聞かなければ危害を加えられるのではないかと不安になり、恐怖に思いました。
〔注〕鈴木が本当にそのように思っていたなら、裁判ではここまでウソで固めることはしなかったのではないか。本当であれば、あまりに危険すぎると思わなかったのか。
48(長谷川)西は、その他にはどんなことを言いましたか。
(鈴木)鈴木さんも、原告に金を借りてエフアールの資金繰りをつけたことがあったのも事実であり、恩義を受けたのも事実であると強調していました。
49(長谷川)結局、西は、どう言ってきたのですか。
(鈴木)まず、鈴木さんが支払った金15億円は、殆んどが金主元の弘道会関係に流れ、自分の取り分が殆んどなかったので、原告は債務の返済がないと言っているのではないかと言っておりました。次に、殺されてしまっては、幾ら金があっても意味がない。鈴木さんも恩義をうけたのも事実であり、手切金と思って金を出してほしい、旨を述べました。
〔注〕A氏と鈴木に宛てた西に「遺書」を見れば分かるが、西は悔しくて何回も「鈴木や青田を絶対に許せない」とA氏に訴えており、A氏に「馬鹿な真似は絶対にするな」と止められた。それは鈴木も十分に理解しているはずだ。平成9年9月頃より手形を担保に鈴木に貸し付けが発生して以来、平成14年6月まで返済はなかったし、A氏は一度も催促をしていなかった(ただし、平成11年7月30日に西が「宝林株取引の利益」と言って15億円を持参した際に、A氏は「合意書」に基づいて15億円を3等分したが、西と鈴木の意思により2人の取り分5億円ずつをA氏への返済金の一部として処理した。A氏は西に心遣いで「鈴木さんと分けなさい」と言って1億円を渡した。翌7月31日午後4時に西と鈴木がA氏の会社を訪ね、15億円の処理の確認をした後で鈴木は5000万円を受け取ったことに礼を述べた経緯があった。平成14年6月当時、鈴木への貸付金は元本に金利を入れて40億円を超えていた(年15%の金利。本来は遅延損害金年30%で計算すると60億円を超えていた)が、折から西が志村化工株の相場操縦容疑で東京地検に逮捕起訴された後に保釈されたのをきっかけにA氏が鈴木に対する債権について尋ねると、西は「今後、株取引の利益が大きく膨らむので、鈴木の債務を25億円まで減額して戴けませんか」と言ったことからA氏は了解し、改めて借用書を作成することになった。そして6月27日、西と鈴木がA氏の会社を訪ね、いざA氏が貸付金を25億円にすると言うと、鈴木がそれに対して礼を述べたうえで「社長への返済の一部10億円を西に払った」と唐突に言い出した。A氏は驚き、西に確認を求めると、西が渋々「一応受け取りました」と認めたため、A氏は止むを得ず了解し、鈴木が15億円、西が10億円の借用書を作成した。A氏は鈴木に対し「何故西に同行しなかったのか。最低でも西に10億円を渡したという電話をしてくるのが当たり前ではないか」と言ってたしなめたが、鈴木は「すみません」と言いながら俯いたままだった。従って、鈴木が「平成11年9月30日付の『確認書』にあるとおり債務は完済された」と頑なに主張していることは、この借用書と矛盾しており、借用書に自署したうえに確定日付がある限り鈴木の主張は全くの嘘であることが分かる。また前述の10億円については、鈴木と西がA氏を外して密約を交わし、その上で鈴木が利益を折半するために「合意書」を破棄させようと西に執拗に迫り、その結果として西に何回かに分けて支払われた報酬であった(実際には紀井義弘から西の運転手の花館聰を経由)。こうした経緯を見れば、鈴木が平成11年9月30日に15億円を返済してなどいないこと、また西に払った10億円はA氏への返済金ではなかったこと、したがってA氏の金主元という暴力団に流れたために二重の返済を迫られたという鈴木の話が全くの創作であることが分かるはずである。ちなみに、鈴木は貸金返還請求訴訟の証人尋問で、「西に10億円を渡した」という点については「そんな話はしていない」と言い、借用書を作成した6月27日には「会っていない」と二重三重の嘘を重ねた。
50(長谷川)あなたは、最終的には、どうすることにしたのですか。
(鈴木)何故、自分がそんなことをしなければならないのかと思いましたが、万一、自分の身内に危害を加えられたらどうしようという不安、恐怖、金で命を救うことができるのなら金を出すのもやむを得ないと考え、また、原告からの融資でエフアールが存続できたのも事実であり、西には、「俺も殺されるのは真平だから、A氏とは金輪際、関係を断つということで手切金を出す」旨述べました。
51(長谷川)西は、どう言っていましたか。
(鈴木)喜んで、「宜しくお願いする、これで命が助かる」などと言っていました。
〔注〕これが本当であれば、A氏と鈴木に宛てた西の「遺書」は誰が書いたというのか。
52(長谷川)あなたは、幾ら、手切金として渡そうと考えていたのですか。
具体的には考えていませんでしたが10億円位は必要とは思っていました。
53(長谷川)金額につき、西には何か言いましたか。
(鈴木)10億円位なら年内には何とかなると思うが、それでA氏と話をつけると言いました。
54(長谷川)西は、どう言いましたか。
(鈴木)それで十分に話はつけられる、自分もA氏に前もって話をしておく旨を述べました。それと、西は、「自分が根回しをしておくから、3人であったときは難しい話はしないでくれ、金額と期限の話だけにして欲しい」ということも言いました。
55(長谷川) あなたはどう言いましたか。
(鈴木)分かっていると答えました。
〔注〕借用書の作成経緯が全く違っていて、明らかに鈴木の創作であることは借用書の但し書きを見れば明白である。この質疑応答では、鈴木が平成14年3月頃、直前に西が志村化工株の相場操縦容疑で東京地検特捜部に逮捕起訴されたのを受けてA氏から呼び出され、貸付金の返済について問われたという設定になっている。だが、その時期、A氏は鈴木には会っていないどころか、鈴木の電話番号さえ知らなかった。
鈴木はA氏に債務は平成11年9月30日付の「確認書」にもある通り完済されていると反論したが、「A氏は西の債務返済と株取引の利益分配に充てたと言うだけで話し合いは平行線をたどった」と述べたうえで、次に西には保釈された直後の6月下旬に会い、A氏との債権債務をめぐるやり取りについて確認を求めたと言い、その内容が前記39~49の質疑応答となっている。
A氏は、それまでは西が鈴木の連絡役を常に担っていたので、鈴木と直接連絡を取り合うことは敢えて一度もしなかった。そして、A氏が西から鈴木の電話番号を聞き鈴木に初めて電話を架けたのは平成18年10月13日のことだったが、実は西もその頃は鈴木の電話番号を知らず、連絡をするときには必ず紀井を経由していたのだった。A氏の電話を受けた紀井は「鈴木は海外に出かけています」と言い、A氏が「では、連絡があったら、私に電話をくれるように伝えて下さい」と言って電話を切ると、間もなくして鈴木から電話が入った。この経緯を見ても、鈴木がA氏にさえ所在を明らかにしていなかったことが分かるはずで、西をクッションにしてあらゆる言い訳(作り話)を用意していたことが窺える。ちなみに紀井によると、鈴木は自分からは一切電話には出ず、紀井には「誰からの電話も絶対に取り次ぐな。不在と言え」と言っていたという。また、A氏から電話が入ったことに鈴木はうろたえ、紀井に「何の話だろうか? どうしたら良いだろうか?」と尋ねながら落ち着かない様子で部屋の中を歩き回った揚げ句、紀井から「社長には大変世話になっているので、すぐに電話をした方が良いですよ」と言われて、ようやくA氏に電話を架けたという。(以下次号)