記事削除命令に対する本誌の見解(3)

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(3)訴訟での虚偽証言
平成11年9月30日付の「確認書」について。A氏が鈴木から貸付金の担保として預かっていた手形につき、エフアールの決算対策を名目に西経由でエフアールに渡すとともに「債権債務は無い」とする「確認書」を西経由で鈴木に手交したが、鈴木に頼まれ便宜上作成したものであったことはいくつもの書類で明らかであり、鈴木の側近であったエフアールの天野裕常務も認めていた。
鈴木はこの「確認書」を悪用して「A氏に対する債務は完済された」という主張を法廷の場に持ち込み、「債務者はエフアールで、被告は関知しない」とまで主張した。
しかし、A氏が融資をしたのは鈴木個人であって、エフアールという認識がなかったことは、平成9年9月頃に西が鈴木を紹介して以降、西の強い要請に応えてわずか数カ月の間に手形13枚を担保に約17億円、借用書で3億円と8000万円、さらに鈴木が持ち込み言い値で買ってもらったピンクダイヤモンドと絵画に加えA氏保有の高級時計等の預託販売代金の未収分約7億4000万円の合計約28億円を融通したことで容易に分かる。仮に債務者がエフアールであれば、天野裕(当時は常務)が対応しなければならなかったが、A氏は鈴木との対立が表面化する直前まで天野との面識は一度もなく、電話でのやり取りさえなかった。
そもそも9月30日に金銭の授受は一切なく、天野もまた「当時、会社に債務を返済する資力は無く、『確認書』は便宜的なものだった」と認めていた。しかも債務は元本だけでも28億円超であったから、15億円では整合しない上に、西が15億円をA氏の会社に持参したのは同年の7月30日で、それも株取引の利益金の一部を3等分したうえで西と鈴木は返済金の一部として5億円ずつを返済したものだった。A氏は翌日、西と鈴木に15億円の処理について確認し、西も鈴木もそれぞれA氏が心遣いで渡した5000万円を受け取ったことに礼を述べていた。
さらに言えば、鈴木が平成14年6月27日付で作成した「借用書」と、同年12月24日に鈴木がA氏の会社に持参した10億円を鈴木はどのように説明するのか。「借用書」には確定日付もあるが、「確認書」をもって「完済された」と言うならば、この15億円の「借用書」と同年12月24日の10億円の授受は鈴木には説明がつかないはずだ。
裁判官は、「確認書」については鈴木の主張を採用せず、債務が残存しているとしたが、「合意書」を無効としたために宙に浮いた格好となった15億円と10億円の授受について、鈴木によるA氏への返済金として相殺してしまった。15億円の授受に対する事実認定は明らかに誤りである。
平成10年5月頃、鈴木が資金繰りのためにA氏に言い値の3億円で買ってもらったピンクダイヤモンドとボナールの絵画について、平成10年5月28日にA氏の会社を訪れ、「売らせてほしい」と言って持ち出し、その後、売却代金も納めず現品も返却しなかった(しかも絵画は一度も持参しなかった)。同じく以前にA氏が保有する高級時計(上代価格40億円以上)を持ち出し、売却代金も納めず現品も返却しなかった。鈴木は高級時計の一部を投資家に持ち込んで6億円を借り受けた後に、他の時計を全部玉や商事という質店に質入れした。この質入れ分についてはA氏が後日金を払って質から出した。鈴木による一連の行為は、A氏が事を構えていれば詐欺横領になったはずだ。
鈴木は平成9年10月15日にA氏が3億円を貸し付けた際の借用書と合致させて「3億円は借りておらず、ピンクダイヤモンドと絵画の代金として買った際の借用書だった」と主張した。期日を確認すれば明らかな通り、3億円の貸付は平成9年10月15日で、ピンクダイヤモンドの持ち出しよりも7ヶ月も前である。鈴木はピンクダイヤモンドを持ち出す際に「念書」まで用意していたのだから、支離滅裂としか言えない。なお、天野によれば「鈴木より白紙の右下部分に署名捺印しろと言われ、書いた」と言い、それが「念書」の実体だった。しかも「念書」には「預かりました」とあるのが、何故、鈴木は「買った」と言えるのか。3億円の「借用書」の但し書きには証券1億円分を担保に入れると明記していた。なお、この担保は西が「鈴木の資金繰りに使わせてあげてください」とA氏に頼み、A氏は渡していたが、訴訟の場で「完済したので返してもらった」とウソを平気で言える鈴木の神経が分からない。
裁判官は、時計について「合計上代45億円相当の価値を有するという腕時計を合計4億円で販売委託するのは、経済的合理性がない」として退け、また絵画等の委託販売についても「原告から本件絵画等の販売委託を受けたのはエフアールであり、被告個人ではない」として退け総額7億4000万円の債務を無効にしてしまった。しかし、鈴木の側近の天野は「ピンクダイヤは見たことがあるが、絵画は一度も見たことがない」ということをA氏、西との面談の中で語っていたから、裁判官の認定は明らかに間違っていた。前述のとおり、鈴木によるいくつもの整合性のない主張を裁判官がことごとく採用した結果が債務の無効だったのである。誰が見ても裁判官が事実認定を誤って判決を下したということが分かる。

(4)鈴木の暴力団との関係
削除申立10の記述は、西義輝が鈴木から直接聞いた話として記録していたものである。
冒頭にも挙げたとおり、鈴木の暴力団との関係は青田光市を抜きには語れない。利岡襲撃事件は青田光市が依頼したものであり、鈴木が関与していないのならば、何故平林弁護士が少なくとも2回以上も習志野一家の木川総長と面談する必要があったのか。平林はA氏の関係者に対して「私は青田の弁護はしていない。鈴木個人の弁護をしている」と述べていた。
なお、青田は「赤坂マリアクリニック」を乗っ取り、暴力団員を引き連れて院長の根岸重浩氏宅を訪ねて「出てこい! 根岸」「殺すぞ」などと脅したうえ、医療法人まで乗っ取って私物化した。青田と鈴木は「義光会」という医療法人の役員に名を連ねている。鈴木義彦の「義」と青田光市の「光」を取ってつけた名称であることが一目で分かる。

(5)詐欺、脱税などの犯罪行為
前述したとおり、鈴木が親和銀行事件で逮捕される直前に、一度はA氏に言い値の3億円で買ってもらったピンクダイヤモンドと絵画を「売らせてほしい」と言って持ち出しながら、現品の返却も販売代金の支払いもせず、高級時計に至っては最後に残った時計を質入れまでしており、持ち出した当初から販売代金をA氏に支払う気などなかった。それこそ詐欺、横領ではないか。
親和銀行から融資を引き出すにあたって差し入れた担保物件についても価値のない土地や古屋貴石が作った偽造のダイヤであった事実が発覚して鈴木は逮捕された。詐欺を指摘した記事は、主に西の遺書に書かれたもので、その信ぴょう性は前述のとおりである。
鈴木による脱税疑惑については、すでに触れている通り、鈴木に任されて取得株の売りをすべて担っていた紀井が証言している。利益を獲得した名義人は鈴木が海外のオフショアに用意したペーパーカンパニーであり、茂庭と紀井が日本での申告義務はないという名目の下で香港やシンガポールの証券会社経由で送金する役割を茂庭と2人で担っていた。本来ならば鈴木自身が申告しなければならなかった性格の資金である。

(6)自殺者、不審死者、行方不明者への関与
鈴木の周辺で挙げるべき西の自殺、天野の不審死、そして行方不明となった証券担保金融業者「五大」の吉川某は、いずれも鈴木と関わりながら、不慮の死、行方知れずとなっているが、その原因が鈴木には全く関係ないとは言わせない。
西が自殺する直前に認めた書面は鈴木宛だけではなく、鈴木の実父徳太郎や青田光市等にも宛てていた。いずれの書面も鈴木が株取引の利益を独り占めしている事実を非難したうえで、鈴木に改心を求めたものだった。
天野は、クロニクル(旧エフアール)の公式の発表とは大きく違い、自宅での病死ではなく都心のホテルでの首つり自殺(不審死)だったことが明らかになっている。何故、クロニクルは明らかに虚偽の広報をしたのか。鈴木は、親和銀行事件以来、エフアールとは一切関係ないと公言していた模様だが、実際には側近の天野に影響力を行使して、西と仕掛けた株取引における新株の発行企業として名を連ねている事実は紀井の証言や「確認書」からも明らかだった。また平成19年にA氏と面談した際にも、天野は鈴木から「A社長とは会うな」と叱責され、両人の間に深刻な亀裂が生じた事実も判明している。こうした事実を踏まえれば、クロニクルによる虚偽の広報に鈴木が関与していないとは考えにくく、逆に天野が首つり自殺をした真相の一端を知っていたのではないかとさえ言われている。
また、大石高裕についても記事で触れたとおり、西義輝が親和銀行事件で公判中の鈴木より「大石の口を封じたい」と頼まれ、大石に5000万円を渡したと言い、天野と同様に鈴木との間に亀裂が生じていたことが窺える。それ故、大石が交通事故に巻き込まれるような状況の一部でも鈴木は承知していたのではないか、という関係者は少なくない。(以下次号)

2020.06.04
     

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