鈴木義彦及び長谷川幸雄元弁護士への質問状(3)

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鈴木義彦及び長谷川幸雄元弁護士に答えてもらいたい、鈴木には真実を語ってほしいという趣旨の読者からのご意見、ご質問を「鈴木義彦及び長谷川幸雄元弁護士への質問状」としてお届けする3弾目である。もとより、本誌の特集記事に一度も反論していない鈴木が真正面から答えるとは思えないが、参考までに本誌の把握している事実関係を述べることにした。

1 西が逮捕されて起訴されるまでの間、鈴木はビクビクしていたのではないか? ジャパンクリサイスファンドというペーパーカンパニーの代表者だった武内一美も逮捕されたが、武内にはどれほどの約束をしたのか? 利益を独占するために、どれほどの犠牲者が出ているか、自分でも実感していると思うが、犠牲者に対して何も言うことはないのか?
〔本誌〕武内は外資系証券会社に勤務しているときに鈴木にスカウトされたが、志村化工株でどれほどの利益を確保したのか、それが有罪判決を受けても帳尻が合うと思うほどのものだったのか。ジャパンクリサイスファンドもまた鈴木が用意したペーパーカンパニーの一つに違いなく、武内がスケープゴートにされたことも間違いない。鈴木は逮捕されずに利益を享受してのうのうと日々を過ごしていることに武内は怒りを感じていると思うが、鈴木を怖がって何も言えなかったのではないか?。

2 平成14年6月27日付の15億円の借用書を、鈴木は直筆(A氏に送った手紙と同じ筆跡)で書いているが、その前に西と会ったか? 会ってA氏に対する債務の処理について話をしたか?
〔本誌〕西は志村化工株の相場操縦容疑で逮捕起訴された後の平成14年6月に保釈され6月20日にA氏と会った。その際にA氏より鈴木の債務処理について尋ねられたが、西が「今後の株取引で大きな利益が見込めるので鈴木の債務を減額していただけませんか」という依頼をした。その時点で鈴木の債務は元本28億円に年15%の金利分を加えると40億円超となり、また遅延損害金の年30%で計算すると60億円を超える巨額だったが、西はそれを25億円にして欲しいという。西がそういう依頼をするからには、当然、事前に鈴木と打ち合わせをしていなければ減額の話はできなかったのではないか。西は逮捕前に鈴木と密約を交わして株取引の利益の1/3以上を受け取る約束が出来ており、また逮捕後の金銭的な補償も約束されていたから、鈴木の言いなりでA氏に依頼したことが窺える。

3 15億円の借用書を書くに当たって、鈴木は突然「西に社長への返済金10億円を渡している」と言ってA氏を驚かせ、A氏が西に確認すると西も渋々認めたため額面が15億円となったが、10億円の話は西と打合せ済みだったのか?
〔本誌〕A氏は10億円の話を聞いて、鈴木に対し「10億円という大金を返すのになぜ同行しなかったのか? 仮に大事な用があったとしても、電話くらいはできたはずだ」と鈴木をたしなめた。すると、鈴木はただ「スイマセン」と言って頭を下げた切り、しばらく顔を上げようとしなかった。そして、鈴木は「年末までにお支払いしますので10億円にしていただけませんか?」と切り出した。A氏は驚き、内心では鈴木が何を考えているのかを訝ったが、「12月は私も慌ただしいので、24日までにできるなら、その金額で良い」と応えた。ただし、40億円超の債権額を25億円にしたのは株取引の利益分配が大きくなり、確実に分配されることが前提にあったからだった。

4 平成14年12月24日、鈴木は紀井を伴って10億円をA氏の会社に持参したが、その時、A氏から領収書を取らなかったのは何故か? それだけの大金をどうやって調達したのか?
〔本誌〕鈴木が本当に10億円を持参したことにA氏も驚いたようだが、鈴木が「スイスの投資家を騙した金」と言った。A氏は株取引で鈴木が隠匿していた利益総額を知らなかった。後日、A氏が西に鈴木の持参した金の出所について尋ねたが、西は「鈴木が言っていた話の通りのようです」とだけ答えたが、この時点ではかなりの利益が上がっていたが、スイス人を騙したというのは西と口を合わせた作り話だった。

5 西が平成14年6月に保釈された後、西に約束した金銭的な面倒を何故打ち切ったのか? 打ち切るならば何故、西に約束した利益分配を具体的に進めなかったのか?
〔本誌〕西は平成15年7月30日に懲役2年、執行猶予3年の判決を言い渡されたが、それから2か月後の9月に鈴木は西を呼び出して、「西さんへの毎月の生活費の支払いをそろそろ止めたい」と通告した。それに対して西は「執行猶予が解けたら、(利益分配の)契約を実行してもらいたい」と西が言うと、鈴木は利益分配に関しては具体的な話を一切出さなかった。鈴木の話はウソだらけで株取引の利益分配ではA氏を外しているから論外であり、借入金は10億円ではなく、鈴木が西をたぶらかして債務を減額させた上に「西に社長への返済金10億円を渡している」とウソを言った。この10億円を返済金とするなら、正確な情報を下にA氏と協議をしなければならず、そもそも鈴木と西が勝手に決めることではなかったはずだ。西はそれ以降、紀井経由でなければ鈴木との連絡が取れなくなってしまった。

6 平成18年10月に西は鈴木から利益分配金を受け取るために香港に出向いたが、鈴木の代理と称するTamという男から薬物の混入したワインを振舞われ、意識を失った。鈴木は本当に西を殺そうとしたのか?
〔本誌〕平成18年9月に何回か鈴木と面談を重ねる中で、鈴木が10月2日に香港で約46億円を日本国内の銀行振り出しの保証小切手で支払うとした。現地でTamに会えと指示したのは鈴木だった。10月4日、香港のリパレスベイでTamと待ち合わせ、Tamの車の中で小切手の受け渡しを行った後、勧められたワインを飲み、西は意識を失い、その後の記憶が全くないという。
西が鈴木との面談で香港に向かい、指示されたTamと会った経緯からすると、西が事件に巻き込まれたのは鈴木の仕掛け以外に考えられないのではないか。

7 平成18年10月13日にA氏から「合意書」を見せられると、鈴木は「株取引の実績はない」と否定して、A氏は西に騙されているとまで言った。鈴木は何もかも自己中心的で、西まで悪者にしたが、それで乗り切れると思っていたのか?
〔本誌〕A氏が「合意書」を見せると、鈴木は驚いたが、合意書に基づいた株取引は行っていないから忘れていたととぼける始末だった。合意書には「今後の全ての株取引」と明記しているだけでなく、A氏が「合意書の話は、鈴木さん、あなたが私に買い支えをやって戴けないと、2人とも借金を返すことができないと言ったことを忘れたのか」と言うと、鈴木は黙ってしまった。さすがに西が同席していなければ、話が平行線をたどるだけとして3日後の10月16日に3人で会うことが決められた。西が香港で事件に巻き込まれた原因が鈴木にあったことはほぼ間違いなかったことだが、鈴木はどこまでも開き直ってシラをきったので、すぐに合意書に基づく株取引の利益の話になった。

8 A氏と鈴木の面談から3日後の10月16日にA氏の会社で3者協議が開かれたが、鈴木は「合意書」の破棄を西に迫った事実を認め、宝林株の取引が合意書に基づいたものだと認めたのに何故合意書に基づいて3等分しなかったのか?
〔本誌〕3者の協議は、A氏が鈴木との協議の場を作り、鈴木に「合意書」を見せて株取引での利益について尋ねた。鈴木は当初は否定し続けたが、鈴木は遂に合意書に基づいて宝林株の取引を行った事実を認めたが、すでに利益を分配していると言い出した。平成14年6月27日に鈴木が15億円の借用書を作成した際に、「西に社長への返済金10億円を渡している」と言った、その10億円についても、実際には合意書の破棄を目的にした西への報酬だった事実を西が鈴木に突き付け、「それだけは認めろ」と言うと、鈴木はそれも認めた。ただし、鈴木も西も株取引で得た利益の総額については口にしなかったため、A氏はこの時点でもまだ利益総額が470億円ということを知らなかった。

9 A氏が株取引の利益がいくらあるのかを鈴木に尋ねると、鈴木は最初は50億円と答えた。そして、A氏と西に25億円を支払うと約束した。すると、A氏が、利益が50億円でA氏と西に25億円ずつを払ったら鈴木の取り分はないではないか聞くと、鈴木は慌てて60億円と言い変えた。協議の終了後に紀井に電話して「100億以内で済んだ」と言ったというが、A氏と西に支払う分が25億円ずつと別にA氏への20億円で済んだと、内心でホッとしていたのではないか?
〔本誌〕和解協議での利益にかかるやり取りは質問部分にある通りで、協議を終えると鈴木はホッとしたのか、帰り際にA氏に握手を求めたほどだった。そして、鈴木が紀井に電話をした事実は紀井自身が語ったもので、紀井自身が承知していた利益総額は470億円以上であったから、鈴木が「100億以内で済んだ」と言うのは、本当に鈴木のやり方は強欲というより完全な騙し以外の何物でもない。納得できる数字で落ち着いたと理解できる。鈴木は紀井に「香港の件はバレていないだろうな?」と確認しているが、鈴木が海外に流出させた利益の送金先(ペーパーカンパニー名義の口座)のことと紀井は言う。

10 和解時に、A氏には別途20億円を支払うと約束したのは、西より「A氏が知人から借りた金の一部にしかならない」と言われ、鈴木としてみればA氏にお世話になったという気持ちからだったと思うが、もしそうであれば、合意書で何回も懇願したのだから奇麗に3等分するべきだ。本来ならば金主が一番リスクが大きいので70%以上を取ると聞いているが?
〔本誌〕鈴木は和解協議の場で、A氏に対して「2年以内に20憶を払います」と言った際に「今、大きなことを始めています。見ていてください」と言う話をした。それがおそらくステラ・グループ(旧アポロインベストメント)の業務拡大や新たな事業構想だったのだろうが、同社は平成20年までにSECの強力な監視下に置かれたこともあって、鈴木が期待するような状況にはならなかった。

11 和解協議の後、鈴木は何回かA氏に電話を入れ、また1週間後の10月23日にもA氏の会社を訪ねて、和解書で約束した支払いを追認したが、それが何故豹変して和解書を反故にしたのか? 鈴木は後日、和解書は強迫や心裡留保で署名させられたと言い出したが、それが本当ならば、このように一人で来社するなどの言動は有り得ないはずだ。
〔本誌〕鈴木はA氏への電話で、西が株取引で被った買い支え損を正確に知りたいと言い、A氏が西と紀井から聞いて58億数千万円と答えると、「それを差し引いて利益を3等分しなければいけませんね」とまで言って和解書で約束した支払いを追認したのである。それが、何故、豹変することになったのか。鈴木がA氏に手紙を送ってきたのは約5日後で、手紙の日付は11月28日になっていた。これは後日判明したことだが、鈴木と青田光市とのやり取りで、青田が「Aにそんな金を払うことはない。俺に任せてくれれば何とかする」と言って「和解書」を反故にしてしまうよう口説き、鈴木もそれに乗ったということであった。

12 西田晴夫が大阪地検に逮捕された時、事情聴取を受けることはなかったのか? 西田が逮捕された平成19年当時、旧アポロインベストメントを中核にステラ・グループと商号を変えて業態を拡充させていた。いつも裏に潜んでいる鈴木は青田光市を前面に立てて青田を毎日のように出勤させていたようだが、西田の逮捕でその構想もとん挫したのではないか?
〔本誌〕鈴木はエフアールと言う上場企業の代表取締役を務めたが、真の事業家ではなく、同社の株価を高値に誘導して第三者割当増資などで資金を調達し、創業者利得を得ることくらいしか頭にはなかったようである。合意書を交わして株取引を開始して以来、巨額の利益を海外に隠匿する中で、ステラ・グループでも転換社債の発行や第三者割当増資等で海外のペーパーカンパニーが多く登場するという株取引と同様の構図が見え、その中には霜見誠の名前も見え隠れした。そうした動きが活発化した平成20年から同21年にかけて西田晴夫が大阪地検特捜部に逮捕される動きが重なっていたのである。鈴木は間違いなく金融庁や検察にマークされていた。(以下次号)

2020.06.18
     

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