海外流出資金470億円は今や1000億円超(6)

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〔借用書には確定日付〕
(1)平成14年6月27日、A氏が鈴木に対する貸付金の整理をするために西と鈴木を会社に呼び確認をした際、鈴木が「社長への返済で西に10億円を渡した」と主張した。驚いたA氏が同席していた西に確かめたところ、西が曖昧ではあったが授受を渋々認めたために、鈴木への債権25億円から10億円を差し引いて15億円とし、西も10億円の借用書を書いた。A氏は鈴木に対し「私に対する返済金であれば、なぜ直接来て話をしなったのか。もしそれができないときでも、なぜ私への返済金の一部として西に渡したということを、最低でも電話で何故言わなかったのか」と言うと、鈴木は「済みませんでした」と言って謝罪し俯いた。

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ところが、西が鈴木から受け取った10億円はA氏への返済金などではなく、「合意書」の破棄を西に執拗に迫り、その結果、複数回にわたって西と鈴木の間で報酬名目の金銭の授受が発生したものであった。平成18年10月16日の三者協議の折に、西が鈴木に「これくらいは認めろ」と言うと、鈴木は渋々認めた。

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(2)前記(1)に関連して、鈴木はその後、法廷に提出した証拠資料(「乙59号証」)の中で、「6月27日に、原告(A氏)との間で債務合計金25億円とする準消費貸借契約の合意をしたことがあるか」という被告側弁護士の質問に「全くない」と言い、続けて「西に対して『原告に支払うべき25億円のうち10億円は西に預けている旨を述べたことはあるか」という質問にも「ない」と答え、A氏からの借入金を25億円に減額する旨の協議など6月27日には無く、A氏への返済金10億円を西に渡したことさえも否定した。当日の二人の借用書には確定日付がある。

しかし、これまで触れている通り、A氏が「今後は株で大きく利益が出るから、鈴木への貸付金を25億円にして欲しい」という西の依頼を了承して6月27日の面談協議になった経緯があり、その場で鈴木が「西に10億円を渡した」という発言がなければ、さらに減額した15億円の借用書を作成することなどなかったし、西もまた10億円の借用書を作成してA氏に渡すことなどなかった。同日の借用書の存在は、年利15%で計算しても(遅延損害金は30%)40億円を優に超えていたから、鈴木が平成11年9月30日付の「確認書」を悪用して「A氏への借入は完済した」と強弁していることにも明らかに矛盾している。

何より「完済した」という債務が9月30日当時、鈴木はいくらあったという認識だったのか。仮に百歩譲って、15億円が返済金であったとしても、A氏が有していた鈴木への債権は元本だけでも約28億円あったのだから、「完済された」などと言えるはずはなかった。

(3)平成18年10月16日に作成された「和解書」について、鈴木は「西が香港で殺されかけたという事件の容疑者にされる、という不安と恐怖感、そして側近の紀井に裏切られたという衝撃から、書面に署名指印してしまった」と主張して、あたかもA氏と西に脅かされたからということを強調した。さらに、A氏の会社はビルの8階にあるが、そのフロアーに上がるエレベーターを止められ、監禁状態に置かれたとか、A氏と反社会的勢力の大物とのツーショットも見せられた、と言い、脅迫を受けたかのごとき主張をした。

しかし、当日の面談は録取されており、A氏や西が鈴木を脅かした事実など無いことは明白で、前記(4)にもある通り、紀井が鈴木の指示で取得株式を売り抜け、巨額の利益金を確保している事実を突きつけられたため、弁明が通らないと覚悟して、それでも隠匿資金の流出を最小限に食い止めるために、さっさと「和解書」に署名、指印したことが推察される。なお、鈴木は「和解書」を2度3度と注意深く読んでおり、「文言に不備があれば修正する」というA氏の言葉にもかかわらず署名指印したのである。(以下次号)

2020.09.08
     

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