〔「上野の会長」と呼ばれた青田光市〕
(1)西が自殺した直後、A氏は西の妻子と共に鈴木の実父(鈴木に頼まれ、西の会社で働いていた)の自宅を訪ねた。鈴木の実父と鈴木の妹が同道して最寄りの警察署に出向き、鈴木に電話を架けると、鈴木は言を左右にして「今は警察署には行けない」と言って拒み、「明日以降で必ずA氏に電話をするから」と言ったにも拘らず一度も電話はなかった。脅しという言葉をA氏に対して使うならば、警察署でその意思を明言する良い機会でもあったはずだ。
(2)鈴木の側近(裏方?)として永い付き合いのある青田光市は、広域指定暴力団幹部とは20年来、実懇の関係にあり、そうした暴力団幹部らと金融などの付き合いで彼らから「上野の会長」と呼ばれているという。さらに、鈴木の代理人弁護士を務めた平林英明も、その暴力団トップと複数回面談している事実がある。これは懲戒に当たる行為ではないのか。
(3)A氏の代理人となった利岡正章が平成20年6月11日、伊東市内のパチンコ店駐車場で広域指定暴力団(N一家)の構成員ら暴漢2人に襲撃され、全治3ヶ月の被害を受けたが、裁判で鈴木の代理人が「襲撃ではなく、偶然に起きた諍いあるいは事故」と主張した。その後、利岡や関係者の調査で、利岡の襲撃は「青田の依頼による」という複数の証言が得られた。利岡襲撃事件の後、青田が20年来懇意にしてきたN一家のNO.2に「(自分とは今まで)一切付き合いはないことにしてくれ」と口止めをしたり、同一家の構成員らに車を買ってやったり、海外旅行に連れて行ったりしたという証言もN一家の上部団体の幹部数人よりあった。
(4)A氏の下には鈴木や西とのやり取りを始め数多くの面談の録音記録があるほか、相当数の関係書類があって、それらがA氏の代理人弁護士により的確な形で証拠として提出されなかったのは大きな不手際に違いなかった。鈴木側が法廷に提出した証拠と言えるものは、前述したように「確認書」(平成11年9月30日付)だけだったから、そこにA氏側の弁護士に大きな油断があったのではないかと思われる。
(5)なぜ、裁判官がA氏側の証言や証拠を適正に検証せず、故意にとさえ思われるほど西や紀井の証言を軽視したのか、不可解でならない。
鈴木は、別誌記事削除仮処分の審尋に提出された「陳述書」で「海外での資産運用で生計を立てている」と述べているが、前述したように、その資産なるものはいかなる経緯で形成されたものであったのか? また、海外財産調書制度に基づいて国税当局に申告をしたものであるのか? など事実関係の究明が今後、マスコミを含めてなされることは必至の状況にある。すでに、鈴木が真っ当な主張で訴訟に勝ったのではないという事実に触れてきたが、鈴木が勝訴したことで逆に重荷を背負うことになると想定されるのは、まさに前述の動きがあるからである。(以下次号)