《東北の地震から10年が経過した。朝からのニュースで10年前の映像が流れていた。私自身は直接の被害を受けてはいないが、今思い出しても胸が詰まる。津波が自分に迫ってくる寸前まで他人を助けようとしている人、他人を助けるために自分が逃げ遅れて被害に遭い、亡くなった人も大勢いる。2011年(平成23年)3月というと、鈴木がA氏を裏切り続けて消息を断ち、隠匿した資産をタックスヘイヴンに保管し、お前の悪事を知っている周囲の人間を排除しながら秘密の城を築くのに必死の頃だろう。莫大な資産を使って東北地震の被災地に義援金を送ったらどうだ。コロナ禍で悪戦苦闘している医療機関に寄付したらどうだ。むしろA氏の多くの関係者がお前の隠匿資金を没収させてセーフティネットの構築の原資にしようと呼びかけている。お前のせいで汚れた金も基金の原資に充てることで他人の命は救える。少しはそういう事も考えろ》
《品田裁判長の思惑通り裁判の早期終結の目的を達成するためには「合意書」と「和解書」の存在をどうにか打ち消さねばならない。「合意書」の有効性を無効にした後「和解書」に至っての裁判官の主張を簡単に要約すれば「合意書が無効であるから50億円の和解契約をした意思表示は心裡留保に該当するから無効である」との理由だ。この心裡留保を理由にすればほとんどの契約は無効に出来るはずで、どう考えても無理矢理な見解だ。それだけこの裁判から株取引の問題を取り除きたかった様子が見え見えだ》
《鈴木と長谷川が嘘で固めた「質問と回答書」(乙59号証)は鈴木側に証拠がない為にA氏が提出した数多くの証拠を否定する作戦で作られた。長谷川は甲号証を示し鈴木に否定や言い訳をさせている。こんな子供騙しのような内容でも反論しなければ通ってしまうのだ。結局A氏がせっかく提出した証拠類もこの陳述書によって否定され、裁判官の印象に大きく影響を与えたのだろう。どうせ噓だから大丈夫とA氏代理人である中本弁護士が思ったかどうかは別にして、ハッキリと1項目ごとに否定反論するくらいの緻密さが不可欠だった。長谷川と中本や戸塚の裁判への取り組みでの温度差は大きすぎた》
《民事裁判は「申し出のあった証拠を調べるかどうかは裁判所の判断に委ねられるが、基本的に原告や被告の申し出がないまま証拠調べをすることが出来ない」としている。「証拠調べの結果から事実があったかどうかを認定する事実認定の過程では、証拠の事実を証明する力の評価は、裁判所の裁量にゆだねられている」という事になっている。民事裁判では、裁判官の心証や裁判官の裁量が大きく左右する。という事は、判決が全て公平で真実であるとは言い切れない場合があるという事ではないのか。当事者の一方がどうしても納得できない判決が出た場合は、裁判所は再審請求を受理するべきだ。裁判所の権威を保つために再審のハードルを甚だしく高くしてはいけない》
《裁判で品田裁判長が「合意書」を無効にしたことにより、本来争われるべき株取引の問題が完全に抜け落ちてしまった。品田裁判長にとって裁判の早期終結が目的であったならば株取引の問題は裁判を長引かせる大きな要因だったはずだ。その株取引についての要となるのが「合意書」とそれに付随する「和解書」の存在だ。裁判官の「合意書」を無効とする理由も敢えて専門的な言葉を並べ立てた一般人には理解し難い内容になっている。「合意書」のアラを探し強引にでも無効にしたい品田裁判長の苦悩が表現に表れているようだが、そんな苦悩こそ公平性や公正性を大きく損なうもので、裁判所の信頼を大きく傷つけるものだということを分かっていないのか》
《西は平成14年6月20日にA氏を訪ね、鈴木の借金の減額を懇願している。そしてA氏はその依頼を受け入れ40億円超(年利15%。鈴木が平成9年10月15日に持参した3億円の借用書では年利36%、遅延損害金40%であった。この計算では約70億円になった)の債務を25億円にした。当然鈴木の差し金であった筈だが、その一週間後の27日に改めて三人で会った際に鈴木は「西に返済の一部の10億円を渡している」と発言した事から、A氏が西に確認すると受取りを認めた。実際にはその10億円は合意書破棄のために西に支払った裏金だったのだが、結局西はその分の借用書を書き、鈴木は25億円から更に10億円を引いた15億円の借用書を書いた。もし鈴木がA氏から返済金の10億円をどうやって調達したのかと聞かれたら何と答えるつもりだったのか。そして西は一週間前に25億円にまで鈴木の借金を圧縮してもらっていながら、更に10億円を自分の借金にされてしまった事で鈴木に対する憤りはなかったのか。それともそれ程の弱みを握られていたというのか》
《民事裁判では「原告側がクリアすべき立証の基準は低く、証拠の優越、即ち、ある事実についての重み、証明力が被告のそれよりも上回っている程度で足りる」となっている。刑事裁判では「疑わしきは罰しない」という鉄則がある為、徹底的に証拠を固め、被告人が絶対に犯人だと言えるところまで立証するが、民事の場合はそこまでやらない。それ故に、黒白が明確ではない結果が生まれる。民事裁判は被告の過去の履歴をもっと重要視するべきではないか。この裁判の直前に鈴木が犯して有罪判決を受けている親和銀行事件の内容も詳しく検証するべきだった。その事件を検証していれば鈴木の犯罪パターンがよく解る。今回も同じようなやり方をしているところが沢山あるが、この裁判では全く鈴木の過去の履歴を加味していない事が不思議でならない》
《A氏と西の出会いも初対面の翌日からのアプローチの仕方を冷静に考えれば尋常では無かった。紹介者から資産家であることを聞きつけ西のその後の対応からやはり近づいた目的は金であった。それでも西がまともな人間であればよかったが、関係が続く中でA氏より多額の資金援助を受けても真面目に返済する事無く甘えと横着さがあり誠実さに欠ける人間だった。A氏に甘えていた西は結局鈴木に見透かされ、口車に乗せられて鈴木と共にA氏を裏切り挙げ句には自分まで足元を掬われる事になる。西の遺書にはA氏に対する懺悔と謝罪が綴られていたが、西に限らずほとんどの人間が死ぬ時になって自分の過ちに気付くようだ。まだ気付くだけましかもしれないが、生きている間に気付く機会はいくらでもあるはずだ》
《この裁判は3年もの長い時間をかけているが、鈴木側の長谷川弁護士の虚偽主張を構築するための時間稼ぎであったと思う。終始、長谷川主導で裁判が進んで行ったように感じる。A氏側の中本や戸塚の両弁護士は本当に存在感が薄く、受け身の弁護であり方向性を決められなかった。長谷川のように確固とした証拠もなく時間稼ぎのための審理引き延ばしに対して、中本や戸塚の両弁護士が時間の無駄である事を主張し、早期結審を申し出るべきだった》(以下次号)