読者投稿 「鈴木義彦」 ②(25)

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《鈴木は悪だくみをどこまで計画して先を見据えていたのでしょうか。行き当たりばったりの対応ではない事はあらゆる状況からはっきりしていますが、自分を助けてくれた恩人に対して、ここまでの計画性と悪質性を兼ね備えた行為は非道すぎます。少しでも申し訳ないとか後悔するといった人間ならではの心情が浮かばなかったのでしょうか。海外のタックスヘイブンに着目してペーパーカンパニーを利用するといった普通の人には思いも寄らない方向に動いたのは、以前に誰かの指南を受けたのか、誰かの手口を真似したのだと思いますが、真っ当なやり方ではないし生き方そのものが間違っている。強欲が深すぎて悪行を承知の上での行動だったのでしょうが、このような人間こそ裁かなければならない》

《平成14年2月、西は志村化工株相場操作の容疑で、東京地方検察庁の事情聴取を受けた。検事は鈴木を主犯と見ていたが確証を掴めずにいた。鈴木は事情聴取が続く西を訪ねて、「私の名前は絶対出さないでほしい。今後、会長(西の事)の言う事は何でも聞きます。弁護士費用、拘留中の生活費は私が負担します」と言って土下座した。西は、鈴木が逮捕されると合意書に基づいた株取引で隠匿している利益の事と自分への配分が水泡に帰すと考え、鈴木を全面的に庇うことにし、2月27日に逮捕され拘留された。取り調べ中も鈴木の事は一切喋らなかった。西は、同年6月には釈放されたが、平成15年7月30日に懲役2年、執行猶予3年の判決を受けた。鈴木の約束を西がどこまで信用したのか、それとも利益分配のほかに拠り所が無かったのか、西は是が非でも鈴木から利益分配を判決の前後に受け取るべきだった》

《株取引を行うに当たり、A氏、西、鈴木の三者間で交わした「合意書」の約束を三人が信頼関係の下で確実に実行していれば、大きな成果を上げる事が出来たと思う。しかし最初から鈴木の裏切りが始まり利益金の管理主導権を握った事により、西まで金で釣られA氏を裏切った。西は「合意書」破棄の報酬として10億円と宝林株の利益分配として別に30億円を受け取っている。その他にもA氏より受け取っていた買い支え資金の一部を流用していたことも判明している。その西も最後には鈴木に裏切られ全容がA氏の知るところとなり、自分自身でどうすることもできなくなり、追い詰められた気持ちになった西は自殺し、A氏は多大な被害を被った。騙しと裏切りを実行した鈴木がいくら逃げ隠れしようと安住の地はないし、正当な裁きを受けさせなければ、日本はもとより世界の誰もが鈴木と家族や身内に対する非難を止めることは無いはずだ。青田、長谷川にもこの影響は大きいはずだ》

《日本の裁判制度は明治新政府から始まったのでしょうが、戦後からを見ても、個人でこれだけの巨額資金を争った裁判もなかったと思うし、こんな滅茶苦茶な判決もなかったと思います。司法を担当する記者を始めとするマスコミにしてみれば格好の餌食になる事件です。それだけ関心を寄せているでしょうしサイトの記事がとても読みやすく、読者が注目するのも理解できます。自分達が信頼していたはずの司法の驚くべき実態を知り、驚きと困惑が入り交ざっている状況かもしれません。この事件がどのように展開していくか、少なくとも鈴木の犯罪疑惑、中でも1000億円以上の利益隠匿と10人前後の犠牲者の真実が明らかにならなければ、今後の日本の法曹界に対する評価は国内のみならず世界からも最低のものとなるだろう。そのためにも再審は絶対に行われなければならない》

《平成14年6月、西は志村化工株の事件で保釈中だったが、A氏から連絡を受け、鈴木の債務40億円(金利年15%で計算した場合)について話し合い、「今後、株の配当金が大きくなるので25億円に減額してやってくれませんか」と懇願し、A 氏の了承を得ていた。これも鈴木からの依頼であった。平成14年6月27日、鈴木と西がA氏と会って鈴木の債務について新たに借用書を作成することになった。すると突然鈴木が「社長への返済金の一部として10億円を西に渡してあります」と言い出した。A氏は驚いて西に確認すると西も狼狽えていたが渋々認めた。A氏は鈴木に「そんな大事な事を、何故自分で来ないのか、せめて電話ででも連絡するべきだ」と珍しく激しく諫めた。鈴木は「すみません」と言って俯いただけだった。A氏は仕方なく、鈴木に15億円、西に10億円の借用書を書かせ、確定日付を取った。鈴木はまた本領を発揮して「年内に払うので10億円にしていただけませんか」と債務額を値切り、A氏が了承した為、12月24日に紀井氏を同行して10億円を持参した。しかし、鈴木は、裁判では6月27日の会談を無かった事だと否定し、「西に10億円を払ったとは言っていない」と言い出した。12月24日の10億円も返済金ではなく「手切れ金」だったと嘘の主張をした。この10億円と、平成11年7月の15億円とを合わせて品田裁判長はとんでもない独断と偏見によってA氏の貸付金25億円は返済された事になったが、元金だけでも28億1600万円であり、鈴木が最初に持参した借用書でも年36%の金利、年40%の遅延損害金になっていて、当時の計算でも70億円をオーバーしていたくらいだ》(関係者より)

《西は金に目が眩み鈴木の本性に気が付くのが遅すぎた。鈴木の描いた筋書き通り、気付いた時には全て鈴木の代わりに表で動いた西に責任が向けられる状況に陥っていたと思う。香港で命が助かったのは幸いで、全ての秘密を知っている西は鈴木にとって最も邪魔な存在になっていたはずだ。わざわざ利益金を支払う為に香港の地を選んだのも日本より香港の方が断然犯行を実行し易いからではなかったか》

《鈴木や西がA氏から借り入れをする際は、現金でのやり取りであったらしい。鈴木はそれをいい事に証拠が残らない方法を取っていた。最初にA氏から借入れた時にA氏のやり方を知り、利用したのかもしれない。現金の受け渡しは西にやらせて、西にA氏からの債務の金額まで減額させている。その要求はかなり酷いものだったようだが、西は株の利益金が大きくなるという名目を材料にしてA氏を説得している。こうした名目はいつでもどうにでも変更できると鈴木は考えていたのだろう。鈴木のこの計画の実行には西の存在が不可欠だった訳だが、西がここまで思い通りに動いてくれたのは先々の約束があってのことだと思う。散々世話になったA氏を裏切ってしまった後悔が鈴木と違って西には重くのしかかっていただろう。人の人生を狂わせる鈴木の悪行は必ず何らかの形で制裁されなければ、日本の法曹界が地に堕ちることになるのは間違いない、という意見が数えきれないほど多いようだ》

《平成17年5月10日、西は都内のホテルイーストで鈴木と会い、志村化工事件で鈴木を庇った時に作成した合意書(密約)を履行するように催促した。鈴木はすぐには無理だと言って先送りを画策したが、西の執行猶予期間が終わる翌平成18年8月までに43億円の支払いをすることを約束しつつ、香港で銀行の保証小切手での支払いを提案し、西も了解した。西は鈴木が本当に約束を守って実行すると信じたのか。香港で事件に巻き込まれることを案じて息子の陽一郎を同行させたようだが、陽一郎は何の助けにもならなかった》

《西は「遺書」の中で鈴木の狡い考え方や度を超えた裏切り行為に対して猛省を促しているが、金に対する執着心が常軌を逸している鈴木には馬の耳に念仏だろう。鈴木は己の強欲を満たす為なら恩人であろうが仲間だろうが騙しても平気な義理も人情も無い人間だ。この男は死刑囚にでもなって最後の瞬間を迎えない限り自身の多くの悪事に気が付かない人間だ》(以下次号)

2021.06.26
     
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