故鶴巻智徳の負の遺産で家族や身内が果たすべき責任

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

鶴巻智徳が病死したのは平成19年8月5日のことだったが、親族が鶴巻の死を誰にも知らせなかったために、債権者が知ったのは2年後の平成21年だった。その後、債権者は何度も鶴巻の妻道子に面談を要請していたが、道子は体調がすぐれないとか、他に用事が出来たといった理由で日延べするだけでなく、面談の約束が出来ても当日になると突然にキャンセルするということが鶴巻の死を挟んで3年以上にわたって50回以上も繰り返された結果、ようやく平成23年11月1日に目黒の都ホテル(現シェラトン都ホテル東京)での面談が実現した。

振り返れば、債権者が鶴巻に5億5000万円を融資したのは平成6年7月のことで、翌8月に公正証書が作成されたが、一方で鶴巻は平成2年に日本初のF1を開催するとの目的で大分県日田市にサーキット場を建設したが、2年後の平成4年に日本オートポリスは倒産し、同社の親会社である日本トライトラストは総額1200億円の負債を抱えて倒産した。実は債権者に鶴巻を紹介した森重毅は、鶴巻が個人的にも危機的状況にある事実を隠していたために、債権者は融資をする際に、鶴巻が自宅が建つ目黒区平町の土地建物を担保に入れると申し出たが、債権者が「住居を担保に入れたとなれば、金融機関に対して信用を失くすことが目に見えているので、担保に取るのは控えます」と温情を示したので、鶴巻は感動して何度も債権者に礼を述べた。しかも、鶴巻への貸付金が債権者の自己資金であったならばともかく、実際には債権者が知人より借り受けたものだったから、なおさら債権者の厚意が鶴巻には身に滲みたに違いない。しかし、鶴巻は期限が来ても返済する目処が立たないまま金利の支払いさえ遅れる一方だった。

鶴巻が率いた会社群の中で日本オートポリスと中核の日本トライトラストは倒産したが、デルマークラブ(競走馬関係)、リンド産業(シイタケ栽培)などは表向きには倒産を免れ、債務処理ほかの残務整理を名目に業務を継続した。そして、それぞれの会社が保有する資産、例えばデルマークラブはエーピーインディの種付権(1億円超)のほかに目黒平町に土地を保有し、リンド産業は福島県内に1万坪を超える土地を所有(借地分を含む)していた。鶴巻も個人的に絵画(美術工芸品)を保有しており、保有資産は総額で約10億円から11億円と見込まれた。
鶴巻は滞る債務の返済について債権者には絵画の売却を提案していたが、実際には金融機関が応諾しなかったために実行されなかった。そうした中で債権者にとって寝耳に水の事態が起きた。平成9年から翌10年にかけて、鶴巻が東京地裁に自己破産を申し立て、それが受理されて免責を受けたにも拘らず、債権者には事前に相談も無かったばかりか、鶴巻の顧問の松本憲男弁護士が債権者の下に破産宣告の通知が届かないような工作をしていたのだ。
さらに、鶴巻の側近として融資の当初から債権者に関わってきた岡田瑞穂が実態を伴わない返済計画を債権者に吹き込んでいたために、平町の土地を始め絵画等の売却による債権の回収をすることが出来なかった。

冒頭に挙げた道子との面談であるが、道子は待ち合わせのホテルに単独ではなく、長男の智昭と次女の晴美、そして鶴巻の会社の社員だった田中泰樹を同行したが、鶴巻が死亡してから3年間、債権者が何十回も面談を要請しながら当日になると断ってきたことへの謝罪もしないまま債権者が待つ席に長男と一緒に座った。
そして債権者が貸付金と、その返済にかかる絵画について話を切り出すと、「ご存知のように私は鶴巻とは別居していましたから、社長からの借入金とか、絵画のこととか言われても何も分からない」と言う道子の返答が債権者を不快にさせた。謝意のかけらも感じさせない上から目線のような口ぶりだったからだった。
債権者が岡田に「絵画はどうなっている? あるんだろうな?」と多少は強い口調で2度、3度と質すと、岡田が「はい、あります」と答えると、同席していた長男の智昭が立ち上がり「おい、いい加減にしろ!!」と岡田に向かって怒鳴りつけたため、岡田も向きになって「表に出ろ」と言い返したことから、あわや取っ組み合いになりかけた。そのため、これ以上は面談を続けられる状況に無く、お開きとなってしまい、道子はどうしても岡田を自宅に連れて帰ると言って、気が進まない岡田に対して「来なさい」と強引な態度を取った。

道子との面談が何の成果もなく終わって1ヵ月半ほどした平成23年12月下旬に岡田が債権者に「確約書」と題した書面を持参した。債務の返済に関わる絵画(モネの「松林」)の処理、競売の申立が成された目黒平町の土地に係る処理等が具体的に書かれ道子の署名まであったが、その後、この確約書の約束が履行されなかったために、岡田が翌平成24年1月20日付けで前の確約書とほぼ同じ内容の「確約書」を今度は手書きのまま原本を債権者に持参したのだが、これは岡田の創作に基づいた債務返済計画である上に書名も偽造したと主張する道子側と真っ向から対立したのである。
結局債権者、鶴巻に貸し付けた債権の返還と絵画(クロードモネの「松林」)の引き渡しを求めた訴訟を日本トライトラストと道子に対して起こした。そして、その判決が出たのは平成26年12月のことだったが、裁判官は日本トライトラストに対しては、債権者に対して負っている債務が合計で約8億6400万円あることを認め、その支払と一部2億8000万円については平成12年4月28日から支払い済みまで年30%の金員を支払えと命じている。しかし、道子に対しては全面的に請求が退けられてしまった。岡田が持参した確約書の信ぴょう性が問われたうえ裁判での証言が全く信用されなかった結果である。

岡田が債権者と道子の間を往復しながら、両方に都合のいいことばかりを言ってきたために、道子は債権者の請求を逃れることが出来たが、鶴巻の債務に全く無関係という訳ではないことははっきりしている。モネの「松林」にしても、鶴巻が死亡する直前に銀座の画廊に3億5000万円で売却され、その代金が日本トライトラストの口座に振り込まれた直後にあったという間に引き出されたのは、明らかに道子以下親族によるものだった。
道子の死亡についても岡田は債権者に事実を話さなかったので、債権者は全く知らなかったことだが、少なくとも智昭以下鶴巻の子供たち4人は、相続放棄をしているとはいえ日本トライトラストが負っている債務は父智徳の責任を捉え、少なからずの社会的道義的責任を負うべきではないのか。しかも、日本トライトラストの資産を処分し、自分たちが消費したが、このようなやり方が許される訳がない。この借財については、岡田が連帯保証人になっているが、最初に鶴巻のことを全て分かっていて手数料を稼ぐために債権者につないだ乗り重毅にも大きな責任がある。しかも、この森の裏で隠匿した財産は100億円以上になると言われている。したがって、森の相続人と岡田が責任を免れることは無い。(つづく)

2021.07.02
     
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

    お問い合わせ