《品田裁判長は被告の主張の裏付けと事件の経緯の検証を全く行っていない。被告の主張をそのまま支持している。明らかに一方的な裁定をしている。これでは到底公平な判決は望めない。裁判官が当事者の一方との関係を疑われるような言動があってはならない。品田がなぜそのような判断に至ったのか、真相を解明して鈴木を正当に裁かなければ、裁判所が役目を果たしたとは言えない》
《今回の裁判では、被告側が提出した証拠は「確認書」だけで、それも検証すれば便宜上のものであり証拠と言えるものでは無い。対して原告側からは多数の証拠類が提出されている。特に西が書き残していた遺書や手紙、鈴木との交友記録から株取引に関する詳細を記したレポート等、鈴木の嘘を覆す重要な証拠であるにも拘らず、裁判官は何故か検証する事無く被告側の主張だけを採用して判決を下している。こんな裁判が罷り通っていいわけがない》
《鈴木はどれだけ疑われても逃げ切れると確信しているのか。裁判所まで自分に味方して、合意書に基づいた株取引が無かったことにしてくれたから尚更意を強くしたとでも思っているのか。ネット情報誌が事実の裏付けを示して真実を解明しても、鈴木や青田はもちろん長谷川と平林、杉原の3人の弁護士、元弁護士は何一つ反論も抗議もできず、ただ沈黙するのは、いずれ風化するのを待てばいいとでも思っているのか。そんな考えや期待が少しでもあるなら、すぐにも改めた方が良い。ネットで拡散している情報が消えることは永久にない、どころか、読者投稿を見れば分かる通り、ますます鈴木ほか当事者に対する批判や非難の声が大きくなっている。最近ではYOUTUBEも情報を流している。今後はさらに鈴木の犯罪疑惑情報が世界中に拡散して身動きが取れなくなるのは間違いない》
《西の長男の内河陽一郎は、人の道を知らない人間のようだ。西の悪いところを全て引き継いでしまった。父親が一番世話になった恩人に対する礼儀を知らない。一時は西の仕事を手伝っていてA氏とのやり取りは充分知っていたはずだ。また、鈴木の悪人振りも父親から聞いていたし、交渉の場で西から指示されて書面を作成していた。父親は少しはいいところもあったが、息子の陽一郎にはいいところは全くないというのが関係者全員の意見のようだ。西が香港で襲われた後のA氏への報告や、西が自殺した直後の言動からして、男として全くだらしないように思う。大きなお世話だと思うだろうが、このままだと将来は西の二の舞になる可能性がある。現在があるのは、A氏のお陰ではないか。感謝の気持ちを全て忘れているようだ》
《宝林株買取りが完了後の翌日に杉原弁護士は紀井氏の名義を無断使用して大量保有報告書に記載し金融庁に提出した。「合意書」を締結する約1ヶ月前のことだった。この頃から、A氏から金を詐取する謀略は始まっていたと考えられる。宝林株を手に入れたところで、思う様に株価が暴騰する訳は無く、一ヶ月位の期間を空けてA氏に株価を高値維持する為の買い支え名目で資金支援を嘆願する計画だったのだろう。西に舞い込んできた宝林株の買取情報が鈴木と西の運命を大きく変えることになったのだろう。最初のきっかけは西がつくり、資金も「この人だけは何から何まで世話になり絶対に騙せない」と、自分の当時の側近に言っていたA氏に全て出させたが、鈴木の口車にほぼ全て乗せられ騙されて自殺した》
《鈴木の家族は、鈴木の金に完全に毒されてしまっているようだ。実際には家族全員が住所地に住んでおらず、人目を避けて暮しているというから呆れてしまう。家族はそんな生活を、鈴木が親和銀行事件で逮捕された時から続けているのではないか。そうだとすれば20年以上が経過していることになるが、鈴木に対して何も感じないのだろうか。鈴木がどれだけの金を家族に与えていようと、その金は真っ黒に汚れた金だ。しかも10人前後の犠牲者を出して得た金である。そうした事情を家族はすでに知っているはずだ。それにもかかわらず何も反応しないというのは鈴木に従っているという証になるが、ならば家族も同罪、共犯ということになる。しかし、鈴木に対する批判や非難が増えている中で今以上に世間の目から逃れるように日常を過ごさなければならない。それが永久に続くことを本当に自覚しているのか》
《鈴木は「質問と回答書」(乙59号証)の中で、人間とは思えないほど嘘の発言を連発している。これを言わせた長谷川元弁護士も今や弁護士どころか人間ではないと言われ、裏金を持っていても家から出られないようだ。品田裁判長は鈴木のA氏への返済金は15億円と10億円の合計25億円と勝手に断定したが、鈴木本人が乙59号証で最後に払った10億円は「贈与」とか「手切れ金」だったと言っていたが、品田裁判長は勝手に返済金だと決めつけているが乙59号証の陳述書も詳細をチェツクしていない様だ。この中には鈴木の犯罪を裏付ける発言が詰まっていると思う。この陳述書を充分な検証をしていないようでは公平で正当な判決文は書けるはずがない》
《裁判官の判決文というのは、聞き慣れない難しい法律用語を用いて、一般的には分かりづらい。品田裁判長の判決文にしても不自然な表現は誤った判断をもっともらしく誤魔化している様にしか見えない。法律家は敢えて分かりづらい専門用語を用いて理論武装している節がある。そんな事より争点の真偽を正しく判断する事に全神経を使うべきだ》
《西の鈴木に宛てた遺書には、鈴木の悪事が多く書かれていたが、鈴木は遺書を読んで「証拠はない」とでも考え、それならば、勝手に言わせておけくらいにしか考えなかったかもしれない。人の心を持たない鈴木は、証拠を突き付けられて初めて土下座して謝罪する気持ちになるようで、あまりにも身勝手さと独りよがりが際立っている。本当に金だけの哀れな家族だ。インターネットで世界中に拡散され身の置き場がなくなると思う》(以下次号)