読者投稿 「種子田益夫」(16)

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《種子田吉郎はもちろん、病院グループを残らず徹底的に調査する必要がある。時期や期間もあるだろうが、毎月6000万円を父に届けていたというという裏金作りのシステムは、益夫が死んだ後も継続していた可能性が高く、病因経営からすれば相当に深刻な話で、それをねん出するために診療のレセプトを改ざんなどしていたら刑事事件になるし、病院の決算書を誤魔化していたのだろうから、粉飾の疑いは免れない。吉郎はただ責任を取って理事長の職を辞するだけでは済まなくなる。パンドラの蓋が開いてしまうのではないか》

《種子田益夫には前科前歴がいくつもあったが、吉郎のやっていることは正に父親と同じだから、今後、吉郎にも履歴がつく可能性が高い。吉郎には理事長を務める資格など無いと思う。今までは色々な面で父親が壁を作ってきたから何とかなったのだろうが、今後はそうはいかない。全て吉郎自身が決断して責任を取らなければいけなくなる。しかし、益夫の庇護でのうのうと理事長職に胡坐をかいてきた吉郎には、世間の目が厳しく注がれるだろうから、それにどれだけ耐えきれるか、大いに疑問だ》

《種子田益夫が病院を買収しても、さすがに自治体は益夫が理事長になることは認めなかったろうから、吉郎が代行して病院の理事長に就いた。吉郎は父益夫に自分の名義を貸したことになる。これは明らかに犯罪ではないか。父親が死んで、吉郎自身が真実の経緯を説明しなければいけない時期が必ずあるはずだ。吉郎には法律に触れる行為がいくつもあるはずで、吉郎は必至に隠し続けているのではないか》

《吉郎が死んだ父親の益夫に全ての責任をかぶせようとしても、できる訳がない。病院の権益だけは弟妹と家族で受けておいて、父親が作った債務は知らないという考えはあまりにもふざけた話だ。益夫の言いなりになって社会人として過ごしてきたから、世間を甘く見ているかも知れないが、益夫の罪は深く重いから、吉郎一人で背負えるものではない。吉郎は益夫のクローンに過ぎないのではないか。吉郎も益代も安郎も益夫の子供である限り、責任はすべて取らなければいけないし、知らぬ振りはできない》

《吉郎は医師の資格もないのになぜ病院の理事長に就けたのか。自治体の知事が許諾したから理事長になれたのだろう? その背景事情は地元の自治体の歴代の知事が全員知っているはずだ。地元の医師会も種子田からどれだけ裏金をもらったのかは分からないが、吉郎を推薦したはずだ。そうであれば、絶対に吉郎が隠してきたスネの傷が癒されることは無い。大学も裏口入学の疑いを持たれているというが、吉郎はそれを隠すためか、新たに学習院の大学院で修士の学歴を得たが、それも実態があるかどうか不明だ。吉郎の人生はみんな裏側の世界を通ってきたようにも見える。今後、牛久愛和総合病院には隠され続けた巨額の債務があるという事実が公然化したら、吉郎はどのように釈明をするのか。それに医師会や地元の自治体の対応も気になる所で、吉郎がその責務を果たせるとは到底思えない》

《種子田益夫の強欲は半端ではなかったようだが、職員が備品の食器を壊しただけでも怒鳴り散らして「コップも灰皿も、みんな俺のものだ」と職員を罵倒したという話は有名で誰もが知っている。強欲だから借りた金でも懐に入れたら返すという認識が無くなってしまうのだろうが、いくつもの銀行から不正融資を受けても返済しなかったために逮捕され有罪判決を受けた事への反省が一つもない。吉郎も恐らく父親の血を引いて、というより社会人としてまともな経験を積んでいないから、父親の真似しかできない。吉郎は父親と同様に犯罪を認識していない可能性があるだけに、病院の理事長など決してやるべきではないか》

《石川さゆりは何故種子田とつながったのか。所属していた事務所から独立した際に大騒動が起きてテレビやラジオへの出演ができなくなったという話があったが、種子田はそれに付け込んだのか。それなら、しっかりバックアップしてやればいいものを、不正融資事件に巻き込まれたうえに債権回収機構(RCC)から10億円を超える請求を受けて必死に返済を続けてきたという。何ともたくましい精神の持ち主だが、一方の種子田は請求を受けた50億円以上の債務の返済もしていなかったようだ。あまりにも無責任で非常識な男だが、子供たち全員が相続を放棄したのは父親と同様の感覚しかないからだ。それなら当然、病院も相続するべきではない。相続放棄で責任回避ができると思ったら大間違いだ。他人を喰いモノにして債務を膨らませてきた父親の責任を、吉郎ほか弟妹たちは決して逃れることはできない。債務を放棄するなら病院も放棄するのは当然のことだ》

《種子田益夫が債権者に7億円の融資を依頼した際に「暴力団との縁を切る」という言葉を口にしたが、それは真っ赤なウソだった。種子田が逮捕された直後に側近が債権者の所に運び込んだ内部資料を取り返そうと躍起になって、頼んだ先が山口組芳菱会だった。種子田には節操がひとかけらもないという証だ。芳菱会のトップであった瀧澤孝(故人)は債権者の事務所を何回も訪ねて、最後に別荘の権利証を置いていった話は瀧沢なりの誠意だったかもしれないが、債権者が被った被害を埋めるには遠く及ばない。そもそも瀧沢との関係を種子田は名目にして融資の理由にするかと思えば、自分に都合が悪くなると警察に訴えて恐喝の被害届を出し、瀧澤を逮捕させるという煮え湯を飲ませた。身内を含め誰もが種子田のあくどさには辟易としていたようだが、息子の吉郎も父親に負けないワルで、度を越えた身勝手さがいずれは身を亡ぼすことを吉郎は忘れてはいけない》(以下次号)

2022.06.22
     
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