《A氏の鈴木に対する貸付金に関して、裁判官は株取引の利益分配金を返済金に充当するという誤審をした。A氏と鈴木の間で授受があった25億円(実際は24億円)がどうして鈴木の返済金になるのか。しかも、この25億円の出所が株取引の利益金であることは明らかだ。裁判官が、借入金についてはA氏の主張を認め、株取引関連の合意書、和解書は鈴木側の主張を認めるという予断を持っていたのではないかと疑わせるような判決で、辻褄が全く合っていない。裁判官による重大かつ深刻な誤審誤判だ。何より、西が株の利益の配当金としてA氏に届けた15億円を全額A氏への返済金とみなしたのかが全く理解できない》
《鈴木が平成14年6月27日に書いた借用書の15億円は、その直前の6月20日に西がA氏と面談した際に、「今後の株取引の利益が大きくなるので、鈴木の債務を減額して戴けませんか」と懇願して、その時点の債務額40億円超(金利年15%で計算。遅延損害金年30%で計算すれば60億円超)を25億円に圧縮したうえに、鈴木が「社長への返済金の一部10億円を西さんに渡した」と言い出し、それを西も認めたためにさらに減額して15億円とした経緯がある。つまり鈴木が株取引の利益の配当を合意書に基づいて実行することが全ての前提になっていた。さらに鈴木は借用証を書いた後、「年内に清算するので10億円にして頂けませんか」と言い、A氏は了解した。すると12月24日に鈴木が紀井氏を同行して10億円を持参した。しかし、その後の経緯からも明らかなとおり、鈴木は合意書に基づいた株取引の利益をA氏には一切分配していなかったから、40億円超(もしくは60億円超)の債権額は変わっておらず、10億円についても、A氏は一旦は返済金として処理したが、鈴木による巨額利益の隠匿という実態を知って、この10億円を利益分配金の一部に切り換えたのだ。裁判でも鈴木は合意書の有効性を頑なに否定したものの、和解協議では宝林株の取得資金3億円をA氏が出したことと利益が60億円上がったことを認めて和解書の作成に至っている。こうした経緯を裁判官は判決には全く反映させず合意書と和解書を無効にしてしまったので、鈴木(西)からA氏に渡った15億円と10億円の処理に困り、鈴木の返済金扱いにするというとんでもない間違いを冒した。品田裁判長が長谷川、鈴木と談合をしたのではないかという疑いを持つのは当然だ》(取材関係者より)
《鈴木の周辺では多くの不可解な死亡事故(事件)が発生している。その一人が天野氏でFR社で鈴木の側近として働いていた人物だ。会社の公式発表では「自宅で急性心不全により死亡」となっていたが、事実は都心の京王プラザホテルの客室で首を吊った状態で遺体となって発見されている。その後、天野氏単独による犯罪疑惑として合計9億円の使い込みが表面化したが、海外のファンドに送金して工作するノウハウなど持ち合わせていない天野氏には不自然な事件だった。また天野氏は、紀井氏が鈴木の株取引で得た利益とその総額を詳細に記した「確認書」の裏付けの証言をする事ができた人物でもあった。A氏側にしてみれば天野氏は重要な証人になり得たはずだ。鈴木にとっては知りすぎた存在であり、死んでいなくなる事は非常に好都合である。9億円の使い込みの濡れ衣を着せられ、また口封じの為に自殺に見せかけて殺された可能性は十分考えられる》(関係者より)
《鈴木は宝林株の取引で予想外の利益を生む事が出来たおかげで、その巨額の利益から親和銀行に和解金の約17億円を支払うことができて実刑を免れた。A氏との出会いがなければ株取引で多額の利益金を手にする事が出来なかったから、当然、和解金の約17億円も払えず懲役3年の有罪判決に執行猶予はつかなかった。そのことだけでも鈴木にとってA氏は救世主的存在であることをもう一度振り返って考えてみることだ。保釈直後に西が毎日のように鈴木を訪ねた時、鈴木は朝から飲んだくれて自暴自棄になっていたというではないか。しかも、西に宝林株800万株の買取話が持ち込まれたから再起のチャンスが巡ってきたが、その宝林株の買取資金3億円を出したのも、その後株取引で買い支え資金約58億円超(総額では207億円)を出したのもA氏だった。それもこれもなかったことになれば、鈴木は一体どういう事になっていたか分かっているはずだ》
《原告の弁護士、特に中本と戸塚は真剣さが全くなかったに等しいと非難されているようだ。裁判の方針など全く立てていなかったに等しく、特に陳述書の「質問と回答書」(乙59号証)に対しては反論しなければならなかったのに何もせず、高裁では聞き取れないようなか細い声で震えながら1~2分喋って、裁判官の心証を悪くしただけではないか。何をしていいのか分からなかったら、早く代理人を降りるべきだった。それにもまして品田幸男のような裏取引を強く疑われる裁判官は一日も早く辞めるべきだ》
《真田幸村が「恩義を忘れ、私欲を貪り人と言えるのか」という言葉を残している。これは「受けた恩義よりも金や出世などの欲に溺れる者は果たして人と呼べるのだろうか」という意味で、まさに鈴木という人間を言い表した言葉だ。鈴木は人とは言えない男だ。戦国時代ならば間違いなく斬首の刑で処刑されている》
《自殺寸前の人間(鈴木)が、何から何までA氏にしてもらって助けられた。約28億円を無担保同様で複数月という短期間で借り、その金は10日で1割以上の金利を伴う借金の返済に使われ、一度も返済しないまま逮捕の3日前にも8000万円を借りたうえにA氏に言い値の3億円で買ってもらったピンクダイヤと絵画を借り出した(絵画は一度も持参していない)。その返済もせずピンクダイヤの代金の支払も返却もしなかった。さらに保釈後に鈴木一人が熱弁を振るって懇願した結果、合意書を交わしたにもかかわらず、西を巻き込んでA氏を裏切らせ、最後は利益を独り占めにした。ここまでの悪党は世界中探してもいない。これを分かっていて青田、平林、長谷川は金のために加担した。この4人は絶対に許されない》
《裁判官はあらゆる事件を扱うので、得意不得意があれば、専門外的な内容も争点になるだろう。その度に突っ込んだ検証もせずに、偏った判決が出されていたら、とんでもない事だ。裁判官の能力や知識によって事件を振り分けるようにしないとダメなのではないか。全ての事案を一人一人の裁判官が扱うのは絶対無理で誤審誤判だらけになる。品田裁判長は明らかに株取引に詳しい裁判官ではなかった、というより人格的に問題がある》(以下次号)