読者投稿「鈴木義彦」 ④(60)

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《鈴木のスタッフだった茂庭進氏は元山一証券出身で海外の山一證券の損失を隠す為の業務の中心的人物だったようだ。海外での豊富な経験を鈴木が上手に活用し、海外でのペーパーカンパニーの管理は茂庭氏に任せていた。しかし、紀井氏と同じで宝林株購入資金をA氏が出していた事や、買い支え資金を支援し、鈴木と西との三者で合意書による約束がある事は知らなかった。西は、この茂庭氏からも鈴木の株取引の実態をヒヤリングしていて紀井氏の証言と一致していた。茂庭氏が紀井氏と同じように証言台に立たなかったのは何か理由があったのか。山一証券時代にトップの行平会長が東京地検に逮捕された際に茂庭氏も厳しい取り調べを受けた可能性は高いが、紀井氏との対応は全く違っていた》

《鈴木は「FRの手形の発行は自分以外誰も知らない」と言い切っているが、それは立派な背任行為だ。告訴告発すれば間違いなく逮捕され、同時に会社には捜査が入り、上場廃止に追い込まれただろう。天野氏たち役員も上場廃止が怖くて告発できなかったと予想される。鈴木はそれも計算済みだった。仮にも株式を公開して一般の投資家から資金調達する上場会社の代表取締役の発言とは思えず、完全に会社を私物化し食い物にする発想だ。こんな社長のもとで側近として働いてきた天野氏が京王プラザホテルで死亡したのは、鈴木の犠牲になった典型だ》

《西田晴夫の側近の白鳥女史はアイビーダイワ株で15億円の利益を上げたことでSEC(証券取引等監視委員会)と国税庁から内定調査を受けることになって平成14年にヨーロッパに逃亡した。永らくフランスに在住していたようだが、消息は分からない。白鳥女史が逃亡した後、西田は株価操作の疑いで逮捕され拘留中に持病の糖尿病が悪化し死亡した。西田は自分名義で証券会社や金融機関の口座は持たない主義で、亡くなった後、「N資金」と言われる西田の資産の行方が注目されたが不明のままになった。西田グループの関係者の間ではヨーロッパにいる白鳥女史と鈴木が結託して西田の資金を運用していると関係者は言う。これが真実だとしたら鈴木という男が何処までも抜け目の無い、日本一どころか世界一の強欲者だと多くの関係者や多くのジャーナリストに語られる所以だ》

《鈴木は、平成14年3月ごろA氏に呼び出されたといっていて、その日の打ち合わせ内容として最初から最後まで嘘のオンパレードの証言をしている。実際はA氏とこの日には会っていないのだ。ここまで嘘の作り事が良くできるものだ。西と天野氏がこの世にいない事も最大限に悪用して長谷川弁護士と共謀して虚実のストーリーを作り上げた。これは人間として絶対やってはいけないストーリーだった。これでも日本は法治国家と言えるのか》

《宝林株は西が売却先との話を進め、A氏から資金を調達して購入まで1人で取り纏めた。鈴木は親和銀行事件の余波で表立っては何もできなかった。しかし、鈴木は自分の強欲から購入資金をA氏から借り入れたことを隠す為に金融庁に提出した大量保有報告書に「紀井義弘からの借り入れ」と虚偽の記載をし、さらに裁判では「自己資金で買った」「ワシントングループの河野氏から借りた」「売主からは売却の話ではなくファイナンスの相談だったので購入資金は必要なかった」と三転四転しながら調べればすぐに分かる嘘をついている。裁判では鈴木が何故このように嘘をつかなければならないかの検証はしなかった。証言がコロコロと変わる被告の多くの疑義に対してすべて目をつぶった。この誤判は是正されるべきだ》

《鈴木が宝林株の受け皿に用意したバオサングループの3社について、「A氏と西には関係ないし、自分も関係なく利害関係も無い」と言っているが、宝林株購入時にフュージョン社の町田と川端に指示して取得したペーパーカンパニーであることは事実で周囲の人間の証言がある。そして杉原正芳弁護士を常任代理人に就かせ、金融庁に報告する「大量保有報告書」に宝林株の購入資金は「紀井義弘からの借入」と虚偽を記入して提出させた。紀井氏本人も知らなかった話で、後日に気が付いて杉原に抗議したが、一切返答はなかった》(関係者より)

《鈴木の悪の計画は、バブル景気崩壊前後の1991年にFR社の株式を店頭公開した時に始まっている。バブル崩壊への景気対策として、日本は証券市場の活性化を図った。その結果、鈴木のような虚業家を数多く生み出し、一般投資家を煽って一攫千金を狙う輩が続出した。しかも証券市場では、FR社のように基盤が未熟な企業が乱立して上場廃止になるという現象が頻発した。鈴木は、そんな中で創業者利得を獲得するために株価を安定化させ一般投資家に関心や興味を持たせようと無理をして、株価を維持するための資金調達をするようになった。そして破綻寸前の状況に陥って、他人を騙すことで生き延びていた時期にA氏に出会った。まさにA氏は救世主であった。しかし、立ち直るチャンスが到来したにもかかわらずA氏を裏切って私腹を肥やすことに執着し、紹介者の西までも鈴木の裏切りに加担した。人としての原点を忘れて、大事な約束を次々に反故にした。鈴木が、たとえ莫大な資産を手に入れても、それは自分の物ではないことに気が付かなければ、今度こそ人生が終わるのは当然の成り行きだ》

《鈴木の平成11年9月30日についての発言には驚かされる。「前年の決算の事は拘留中で知らない。天野からは何も聞いていない」とシラを切っているが、天野氏は「西氏を通じてA氏に無理を言って一時手形を戻して頂き、お陰様で何の咎めも無く監査を済ませました」と証言している。そして翌年の決算期には鈴木が「債務は完済したので手形が手許にある」と言った事についても天野氏は「FRには資金的な余裕がなくとても返済できる状態になかった」と述べている。平成10年から同11年当時の同じ会社の人間の発言とは思えない不整合がある。しかも、鈴木は当時は親和銀行事件で被告の身であって、FRの代表取締役と取締役を辞任し株主でもなかった。それ故、外部に秘密裏に手形が流出している事実を天野氏が知らない訳はなく、天野氏自らがA氏に一度も接触もせずに事を収めることなどできなかった。裁判官はFRの実情を検証したのか》(以下次号)

2023.07.30
     
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