《品田裁判長は鈴木の人間性には一切無関心を装い、鈴木の前科前歴はもとより執行猶予中の身で親和銀行に支払った和解金約17億円の出所について全く検証しなかったようだ。親和銀行不正融資事件や山内興産事件での鈴木の悪事は周知の事実であり、約21億円という巨額の和解金を保釈からわずか2年で用意するのは非現実的であることに何の疑問を持たなかったのか。裁判官としては金の出所を追求すべきであり、そうすれば「合意書」に基づく株取引が実行された事実を容易に究明できたはずだ。こうした品田裁判長の事件を理解する能力の欠如が、この裁判での全ての誤判につながっている。公正な裁判(判決)を求める声が日ごとに高まるのは当然だ》
《鈴木と西の株取引で、最初の銘柄となる宝林株800万株の取得資金を出したのがA氏だったことを始め、平成11年当時、鈴木に株式投資をするような豊富な資金がある筈は無かった。まして、親和銀行不正融資事件で逮捕、拘留されたことでFR社の代表取締役の座も大株主の座も剥奪されたうえに、懲役3年、執行猶予4年の有罪判決を受けて、社会的責任を追及されていた鈴木が株式投資をする資金の調達など出来る筈はなかったことは誰もが認める所だ。品田裁判長は何を根拠に鈴木が合意書とは関係なく株式投資を継続していたと判断したのか。鈴木は、最初の宝林株の売買で160億円という利益を得て、それを独り占めにする事でその後の株取引を継続することが出来たのだ。それは、紀井氏の証言と陳述書で証明されている》
《A氏と西が和解協議の場で強迫したことで鈴木が心裡留保に陥ったと品田裁判長が判断した根拠は何だったのか。西と鈴木は合意書違反を認めた上で和解書に署名指印し、さらに鈴木は和解書の文面を何度も読み返していたので、A氏が文言の書き換えに応じたが、鈴木は「問題ないです。間違いありません」と言って署名している。それにもかかわらず品田裁判長は不当な判決を下した。品田裁判長の誤判に裏でつながっているとの疑念を持つのは当然だ。裁判では証拠が最も重要であるべきだが、日本では現実は全く異なり、裁判官の取捨選択次第で結末が決定される。これは許されることではない。一審の判決は品田に多くの誤りが見られ、二審では検証が疎かにされ誤字脱字の修正のみの限定的なものだった。日本の法曹界が世界から疑問視される大きな原因になっている》
《西の言動にもやはり嘘が多かったと思う。鈴木にA氏を紹介して協力を資金支援を懇願し、A氏が了承することで西自身にもメリットがあったと思うが、その前から西は長年にわたってA氏に面倒を見てもらっていたのに、さらに窮地に陥っていた鈴木を会わせたのかが不思議でならない。A氏の性格からして鈴木の事情を話せば、協力してくれることは西にも読めていたと思うが、この時の西には悪意があったと思われる。西は、鈴木が資金繰りで破綻寸前だという事は詳しく話したようだが、親和銀行を含めた鈴木の人間性の悪質さはA氏に一切話さなかった様だ。これがA氏を間違わせた大きな原因だと思う。A氏は情に厚く男気のある人で、他人の難儀を見過ごせない性格ではあるが、西が鈴木の裏側を少しでも話していれば、このような事にはならなかった》(関係者より)
《裁判所は三審制を採用して「国民の基本的人権の保持を目的とする公平公正な判断をする」と謳っているが、実際は全く機能していない。裁判官たちは自身の出世を優先し、公正公平には目を背けているように見える。品田裁判長は裁判長として、重要な争点を排除し、自分の意向に沿った判決を下したとしか思われない。このような誤った判決を再審できないのであれば、品田裁判長は速やかに辞職すべきではないか。裁判所に対して公正な裁定を求める声が高まるのは当然の事だ》
《鈴木のウソは常にその場しのぎ、約束をまもったことなど一度もない。どのような時にも言い逃れをしようとするから、次から次にウソをつく羽目に陥る。しかし、その嘘のために鈴木の周囲では10人前後の犠牲者が出ていると見られ、しかもその動機が利益の独り占めというあまりにも欲得づくというから、誰もが鈴木を許せないと考えるのは当然だ。鈴木は利益を独り占めにしている事実を知られたくないために、平気で都合の悪い相手を自殺に追い込んだり、不審な死を遂げる関係者がいるが、今になってみれば、単に鈴木のウソを暴くだけでは決して十分ではないと思う。しっかり正当な裁きを受けさせなければ収まりなどつきようがない》(関係者より)
《品田裁判長の不当な判決に対し厳しい批判や非難が世界中から集まっている。裁判所の上層部による早期判決の指示や鈴木側との癒着疑惑が浮上しているが、品田裁判長自身の人間性や野心に問題があるのは確かで、公正な判断をすることよりも出世を優先していた点も疑われる。SNSが日常の生活に深く浸透している中で、悪党を許さないとする正義感が多くの読者にも芽生え、鈴木と長谷川の悪事に異常なほどの関心が高まっているようだ》(以下次号)