「福島(金澤)明彦」と「利岡正章」の共謀・凶悪犯罪を解明する(1)

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債権者が福島(金澤)明彦(以下「金澤明彦」)を知ったのは平成15年頃のことで、紹介したのは倉持茂で、倉持は「金澤がどうしても紹介して欲しいとしつこく何回も頼んでくるので、本当は紹介したくはなかったが」と債権者に言っていた。債権者に悪事の限りを尽くした倉持と同様に、金澤もまた債権者に多大な損害を与えるほどの迷惑をかけ、今に至るもその償いをしないまま頬被りを続けている。なお、金澤は旧姓で、妻の万利子と結婚した際に妻の姓である福島を名乗るようになった。旧姓の金澤ではまずいことだらけになった結果の悪知恵ではないのか。

(写真:福島(金澤)明彦)

債権者が初めて金澤と面談した際に、金澤は応対がしっかりしていて下卑た印象もなく、特に不信感を持たなかったようだが、後日、倉持と金澤がトラブルになった際に、倉持がそれまで面識の無かった利岡正章(前科前歴を数多く持つ暴力団準構成員だった)という男から「金澤の言う事を聞かないと殺すぞ」と脅された事実が法廷に提出された証拠から明らかになっていた。金澤という男は、暴力団と警察の間を都合よく立ち回っているようだが、被害の数が余りに多く、警察も放置するわけには行かなくなっているようだ。
このような金澤のいい加減で無責任な言動が周囲に信用されるはずがなく、これは10年ほど前のことになるが、SNSの投稿掲示板では群馬県内では日常的に金澤を批判し非難する投稿が相次ぎ、検索で金澤の名前を入れると1000件もの投稿が犇めいていたという。ちなみに1000件という数は投稿の上限のようで、関係者によれば日本で一番と言われている。金澤は常に批判の対象になっていたことが分かる。
また妻の万利子も「新しく店舗を開くに当たって大家側に内装工事をさせておきながら家賃を払わず工事費も大家に負担させたまま引き払うことを常習にしてきた」(事情を知る元従業員)という。「妻の店舗出店の交渉はもっぱら金澤が担っていた」(前同)というから、ネット上では最悪の夫婦として有名になっているので、変装でもしないと外を歩けなくなり、やがては子供たちにも影響が拡大するはずだ、とさえ言われている。

(写真:福島万利子)

冒頭で触れたが債権者が金澤から被った多大な損害と迷惑については、債権者が起こした裁判で、金澤が債権者から預かった車3台のうち事実は売り飛ばしたに違いない1台について「盗まれた」と言って憚らなかったが、それでいて被害届を出していなかったことでも辻褄が合わず嘘が明白だ。また、裁判は金澤敗訴で決着がついているのに「クレネ」(当時約4500万円)という車の返却も数千万円の債務返済も未だに一切していない。さらに妻の万利子は債権者との電話のやり取りで金澤の債務の連帯保証を承諾していたにもかかわらず、裁判では『ダンナが勝手に印証を持ち出した』と言って責任逃れをしていた。ちなみに金澤が負っている債務には、金澤が「子供に車を買うと約束をしたから」と言って借りた金も含まれている。このとき、金澤は債権者が金を貸すまで債権者の会社から帰りそうにない様子だったという。そして、帰りの車中で「(債権者が)死んだら、何台も預かっている車は自分のものになる」と運転をしている社員に話していた。

金澤の悪質さを挙げれば、このようにキリがないが、中でも債権者に紹介した利岡正章について触れておかねばならない。利岡の実像はまさに事件師だった。ところが、金澤はそれを債権者には隠しただけでなく、「様々なトラブルを解決している凄い人が伊東にいて、行政や弁護士会もその男には一目置いている」とか「前橋や高崎でも関わった裁判で負けたことがなく、裁判官にも知り合いがいる」などと言って売り込んだのだ。それで、債権者は利岡を顧問として雇った。それが平成18年から同19年にかけてのことだった。債権者は金澤の話を聞いて、利岡と面談して依頼することにし、以後約4年間、毎月50万円の顧問料に加え、必要に応じた経費や個別案件での報酬と実費を渡すようにした。利岡は恐縮して「こんなにもらっていいんですか?」と言っていたくらいだったが、しかし、実際にトラブル処理ができたのはわずかに2,3件に過ぎず、しかも後に相手先から「おたくは暴力団を使うのか」と債権者に苦情が入ったことで、債権者は初めて利岡の正体を知ったのだった。

(写真:利岡正章)

その後、利岡が静岡県伊東市内で金澤や坂本と徒党を組んで悪事を働いていた事実が相次いで判明していった。利岡は金澤と坂本の2人の子分に「金になる人間を見つけてこい。俺がうまくやるから」と日常的に言っていたという。しかし、伊東市内での悪事が高じていられなくなり、金澤の地元である群馬に移り住んだ。金澤は周囲には「利岡が群馬に居場所を移しても絶対に付き合わない」と話していたという。利岡が伊東にいられなくなったのは利岡の度の過ぎるあくどさを表していた。というのも、債権者の下で顧問の仕事をするようになった利岡は、様々な交渉事で手助けが必要になったときに金澤や坂本を手足のように利用したにもかかわらず、債権者から顧問料のほかに実費経費や報酬を受け取っていたことを坂本や金澤には一切言わずに「ただ働き同然」などと愚痴話ばかりを繰り返していたのだ。債権者から顧問料のほかに案件処理の際の報酬を受け取っておきながら、利岡自身が仲間をただ働き同然で利用していたのだ。ちなみに、伊東の高橋という人物は利岡に1億円以上を騙し取られたという指摘もある。

それで仲間たちが債権者に直談判をしに出向いたことで、利岡が十分すぎる報酬を受け取っていた事実を知った。利岡が過去にも仲間(身内)を騙し裏切ってきたこともあって仲間の怒りが増幅し、いつまでも伊東市内に留まっていられずに金澤を頼って群馬に移り住んだことも、債権者はようやく知ることとなった。
そうした中で金澤は債権者に利岡を紹介し、伊東の仲間にも口を利いた手前から、伊東の仲間には「利岡には見切りをつけて絶対に縁切りする」とまで言っていたのに、実際には利岡に協力していたのだから、利岡と金澤の関係は腐れ縁としか言いようがない。利岡は群馬でも反省をするどころか、さらに伊東での悪事と同じかそれ以上のことを繰り返した。利岡は「資格もないのに行政書士を名乗るようになったが、みだりに国家資格を振りかざして、とうとう頭がおかしくなった」とか、取り立てやトラブル処理の現場で広域指定暴力団・住吉会の名刺を使っていたことで「数年前に住吉会の幹部から『今後は組の名前を出すな』と厳しく注意された」といったことまで周囲から言われていたという。そして金澤もまた利岡の日常を詳細に知っていたのに、それでも実際には利岡に追随して悪事に加担していたのである。ちなみに関係者によれば、被害者が群馬県警に相談に出向いた際に、担当の刑事から「利岡に対する告訴・告発がなされれば、すぐにも事件として扱う」という話を聞いているという。しかし、利岡は金澤に「F(金澤の会社の元社員)は今、金を持っているから自宅に押し掛けよう」などと持ち掛け、金澤が「すぐに逮捕される」と言っても、「そんなことは平気だ。どうせ20日も入っていれば、出て来られるんだから」と平然と言ってのけたという。また、関越道の前橋インターチェンジの傍にあるビルの1階フロアーに債権者から借り受けた車両10台以上をショウルームのように展示して、立ち退きを名目に競売の落札者に900万円を支払わせたというあくどい手口も判明している。金澤はその900万円について「利岡が独り占めにした」と言っていたようだが、債権者には車両の搬送にかかった莫大な費用さえ払わなかった。こうしたことでも利岡には善悪の見境が全くないことがよく分かるし、利岡に追随している金澤もどうしようもない人間だ。金澤は「利岡のような詐欺師を紹介してしまい、本当にすみませんでした」と数人がいる前で債権者に謝っていたが、言っていることとやっていることが全く逆だった。平成30年12月11日に債権者が自宅マンション前で暴力団員3人に襲われる事件が起き、実行犯2人はすでに有罪が確定して服役しているが、倉持は事件の首謀者でありながら、未だに逮捕を免れている。そして、この事件にも金澤が深く関与している疑いが強く持たれている。

利岡の実態、そして金澤と利岡の腐れ縁的な関係が判明した時点で、債権者は金澤と利岡に実情を確認する必要があると考えた。すると、金澤は「利岡さんが近々社長にお詫びを言うために会いに行く」と言っていたが、利岡は債権者に対して顧問料の未払金があるとして、その支払いを求める訴訟を起こしてきたので債権者はこれに怒り、逆に過払金を含め利岡に貸し付けた1500万円の返還を求める訴訟を提起した。そして、その時もまた金沢は性懲りもなく利岡の見方をして、利岡が債権者に協力した貢献度は高かったなどといった内容の虚偽の陳述書を出していたのである。周囲には利岡の悪口をこれでもかと言う金澤も同罪だという声が圧倒している。利岡に対する訴訟は当然、債権者が勝訴したが、利岡は金澤と同様に未だに債務の返還に一切応じず、知らぬ振りを決め込んでいる。
すでに金澤と利岡に対する勝訴判決が下されてから10年近くが経過した今、債権者は改めて金澤と利岡に対して訴訟費用を含む貸金の返還を求める手続きを取っており、金澤には車両の返還も求めている。2人が態度を改めず、今後も悪質なやり方を続けるなら、刑事事件化させることも辞さない構えだが、もはや金澤も利岡もこれ以上知らぬ振りを決め込むことは悪あがきに過ぎず不可能だと自覚するべきだろう。(以下次号)

2024.05.30
     

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