《鈴木がA氏を説得して交わされた合意書の締結に際して、秘密保持のために顧問弁護士や第三者の介入を拒否し、他言無用を強要するのは一見当然のように思えるが、鈴木の場合は、悪巧みの計画がバレない為の作戦であった。また、疑惑を持たれたり、後にトラブルになった際の証人になり得る存在を作らないためにも必要なことであった。すでにこの時点で合意書を排除し破棄する事も考えていたと思われる》
《鈴木は、親和銀行事件で逮捕される3日前の平成10年5月28日に、珍しく自分一人でA氏を訪問した。A氏は鈴木が逮捕されることを知っていて、それを鈴木に伝えつつも気を使って親身になって相談に乗った。鈴木は逮捕されることを知っていながら知らない振りをしたようだが、これが鈴木の常套手段なのだ。滅多に一人で来ない鈴木が逮捕3日前に1人で来ること自体が不自然だ。そしてA氏に融資を依頼して8000万円の現金を借りた。その上、あらかじめ用意した天野氏の署名押印がある「念書」を出してピンクダイヤモンドと絵画の販売委託を申し出ている。絵画は鈴木から購入した時から1度もA氏は受け取っていない。後日判明した事だが、鈴木はこの絵画を担保に金融業者から融資を受けていた。明らかに詐欺師の手口を使っている。この一連の鈴木の詐欺師的な言動は訴状に書かれていると思うが、裁判官達は充分な認識を持っていなかったようだ。民事裁判は裁判官次第で決まると言われるが、その通りの結果となった》
《A氏による裁判は一審で予想外の敗訴を受け、控訴しましたが、控訴審では一回の審理で結審し、一審判決を支持する判決が下されました。一審の判決に不服があり、正当な判決を求めて控訴したにも関わらず、裁判官は真摯に検証することなく結審しました。これでは控訴の意味がありません。裁判官が一審判決を覆せないような、事なかれ主義と言われても仕方がないでしょう。日本の司法の問題は深刻です》
《「疑わしきは被告人の利益に」が裁判の原則だと言われているが、これを聞いて違和感を覚える人が多いのではないだろうか。政治家や高級官僚にはこの言葉の恩恵を受けている人が大勢いる。法律は、黒は有罪、白は無罪を明確にするために作られたもので、権力者の為に作られてものではない。灰色は無罪という事なのか。しかし、この裁判の様にどこから見ても真っ黒な被告が勝訴する事もある。法律が個人の解釈によって違う事はあってはならないのではないのか。自供や、状況証拠、物的証拠、目撃者証言等によって明確になる刑事裁判と違って、民事裁判は裁判官の思考能力が大きく影響する。裁判官も人間である以上間違いも犯す。しかし裁判官の威厳を守る為に被害者を蔑ろにすることがあってはならない。裁判所は、弾劾裁判や再審申立ての制度のハードルをもっと低くして「開かずの扉」ではなく「開かれた扉」にするべきだ》
《鈴木の主張は、矛盾だらけです。長谷川弁護士が鈴木に有利な話を作り出すことで事実が歪められ、裁判官にA氏への印象に大きな悪影響を与えました。特にA氏が反社会勢力との深いつながりがあるかのように思わせた嘘は、非常に卑怯な裁判戦略でした。民事訴訟ではこのような中傷が許されるのでしょうか。民事裁判では、当事者に対する偽証罪が適用されないために、どんな手段も使えるのでしょうか。このような判決はゆるされません》
《品田裁判長は、平成14年12月24日の10億円をA氏への返済金としたが、鈴木は裁判では贈与と言ったり、「質問と回答書」(乙59号証)で「A氏と縁を切る為の手切れ金」と言っている。品田裁判長の裁定と鈴木本人の発言が一致していない。裁判長は自分の判断と当事者の発言が違っていても自分の判断を優先できる権利があるものなのか。しかも、この10億円は返済金ではなく株売買の利益金から払ったものだという事まで見破れなかったのは品田裁判長の大きな誤りだった》
《西はA氏に後悔と懺悔を綴った遺書を遺したが、己の過ちに気付くのが遅すぎた。鈴木と出会う前から西には邪な気持ちが少なからずあったはずだ。それが鈴木と出会った事でタガが外れ、欲望を満たす為に鈴木の言い成りになってしまった。その西を裏切り、自殺するまで追い込んだ鈴木は、底知れない悪党だ》
《医師や立派な学者を「先生」と呼ぶことに抵抗はないが、政治家や弁護士を「先生」と呼ぶことには違和感がある。まして、政治家や弁護士同志が互いに先生と呼び合っているのが気に入らない。自分が偉そうな地位にある事を誇示し確認し合っているように思う事がよくある。これは、能力の無い者同士が偉そうに見せるために利用している呼び方だと思う。政治家は国民の僕であり、弁護士は金で雇った代弁者であって、「先生」と呼ばれるほど尊敬できる人間はごく少数だと思う》(以下次号)