読者投稿「鈴木義彦」⑥(28)

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《世間には弱者=善人という先入観があるように思うが、弱者の振りをしている悪人が大勢いる事も知っておかなくてはならない。特に、詐欺師はその典型だろう。そういう悪人の化けの皮を剥がして公正な裁判を行い、真の善人を救うのが裁判官の役目のはずだが、現実には勧善懲悪のドラマの中だけの話のようだ。裁判官は研修期間を終え、その後は10年間の副判事時代に経験を積むらしいが、実体験が少ない為にどうしても判例参考書の知識によるところが多いのではないか。判例集には「洞察力の付け方」は書いていない。洞察力は、その人が持って生まれた感性かも知れないが、品田裁判長の洞察力は酷いものだ。法廷では被告の顔も見ずに嘘の主張だけを真に受けていただけではないのか》

《葉っぱを隠すなら森の中というが、「嘘を隠すなら嘘の中」しかないという事を鈴木はよく知っている。鈴木の心にしか真実は無く、鈴木が一番の証人なのだ。鈴木の本心を隠す為に存在するのが弁護士で、鈴木の本心を見ぬくのが裁判官のはずだ。それでも弁護人の能力が裁判官を上回っていれば、判決は被告人の勝訴となるのか。こんな不条理があってはならない、と同時に、何も反発しなかった原告の弁護士に憤りさえ感じる》

《控訴審では、一審で審理は尽くされたとして、原審に追随する判決が横行しているように思われる。これでは三審制が全く機能していないではないか。一審判決に不服があるから、二審で独自の審議をやり直してくれと申し立てをしているのに、何をもって審理が尽くされたと言えるのか。裁判長は定年まで楽をしようとした、ただの怠慢としか思えない》

《「死人に口なし」という言葉の通り、鈴木は自分の罪を自殺した西に擦り付ける言動を繰り返した。これは故人を冒涜するもので畜生にも劣る行為だ。鈴木の様な畜生以下の悪党の言動を品田裁判長は何故支持できたのか。まるで鈴木の共犯者であるかのような裁定には強い憤りを覚える》

《鈴木は、直接間接を問わなければ、自分の利益のために何人もの人を犠牲にした疑いを持たれている。天野氏や大石氏などの側近ばかりか鈴木に直接関わった人たちが相次いで不可解な死を遂げ行方不明になっている。これでは疑われない方がおかしい。鈴木の様に、自分の周囲でこれだけ不可解な自殺や事故、行方不明者がいる人間など見た事がない》

《西は、A氏に300億円以上の債務確認書を書き残して死んだ。これは、事業資金と合意書に基づいてA氏が出した株式投資の「買支え資金」だった様だが、買い支え資金についても最後に清算するということで西一人に書かせていた。本来ならば鈴木と連名で書くべき書類だったが、西に利益の一部を渡していたことで、西は承知していたようだ》

《民事裁判では、事件の大小は関係ないと思うが、この裁判の金額はあまり例のない金額だと思う。これだけ巨額の金額が裁判沙汰になる場合は、民事事件だけではなく刑事事件が絡む場合が多いのではないか。この訴訟は、原告が被告に対して行った温情に対する対応と貸金回収という両方の意図があったように思う。一方で刑事事件として告発できる証拠が揃っていたのではないか。脱税、外為法違反、詐欺横領等が立証されれば、鈴木の刑期は長期のものとなり、隠匿している資産からA氏の債権を差し引いた金額の殆どが没収されることになるだろう。鈴木は、A氏の心遣いに感謝して詫びを入れ、返すべきものは返すことだ》

《鈴木は株取引の利益を独り占めするために違法な行為を繰り返し、他人の人権や尊厳さえも踏みにじってきた。彼の行為は倫理的な観点からも許されるものではなく、社会の道徳的な基盤を揺るがすものである。鈴木の裁判では、法の下での平等と正義の原則が適切に適用されるべきであり、彼の犯した罪に見合った厳正な罰が与えられるべきだ》(以下次号)

2024.12.17
     
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