〔欲望からの偽り〕
西義輝が自殺したのは、2010年2月のことだった。正確な日付は不明だが、関係者に最後に郵送された手紙の消印を見ると2月9日だったことから、その直後と思われるが、「遺書」の性格を持つ書面は、西が崇拝して止まなかった「社長」(A氏)を始め、鈴木義彦、青田光市、茂庭進のほかに鈴木の実父徳太郎にも宛てていたようである。西が自殺した後に、会社のデスクマットの下にあった大量の文書(コピー)を発見して分かった。それらの書面の宛先がA氏や鈴木ほか数名になっていた。なお、茂庭は山一證券で海外業務を歴任した人物で、鈴木の下では外資のペーパーカンパニーを管理しており、また、鈴木による利益金の海外流出にも関与していた。
本誌は、このたび、その書面の一部を公開するが、より具体的な出来事については、これまでに取り上げた「鈴木義彦への公開質問」や「海外の隠匿資金1000億円超の全容解明」などの記事を参照いただくとして、特徴的なのは「裏切り」という言葉が書面の随所に出てくることだ。例えば、「三人で合意したいくつかの約束事に関する裏切行為、私の浅はかな考えから、貴殿の狡る賢しさにコントロールされ、社長に大変な実害や信用を傷つけた件、社長を利用することによって与えた大きなダメージなど、貴殿と私で行った社長への大きな裏切り」であり、「貴殿が真剣に反省しなければいけない事が沢山ある。まず貴殿のずるい考え方からやってきた、人間としてやってはいけない裏切り」などである。
「三人で合意した」とは、西が宝林株を取得後の平成11年7月8日に「社長」と西、鈴木が交わした「合意書」を指す。鈴木は西を利用して「社長」から株取引資金を引き出す計画をしたが、宝林株で予想外の利益を出したことに目がくらみ、利益の独占を画策した。
西と鈴木は仕掛けた株取引で「二人だけでは成し得なかった事を、社長に全面的な資金面の協力をしていただいて成功した数々の株取引、資金を出していただいて始(初)めて実行できた」にも拘らず、利益を独占するために「社長」に対して最大の裏切りを働いたことを西は悔いているが、一方の鈴木は何一つ真実を明らかにしようとせず、最終的には西をも「嘘つき」と罵倒して切り捨てた。これが、西が自殺を決意した一番の要因だったと思われる。鈴木宛の書面は18枚からの長文で、
「この手紙は、貴殿に私から最後の手紙であり、正しい判断をするか否かが貴殿の人生を大きく左右する事になるだろう。(略)最初の貴殿との出会いから今までのあらゆる約束事に関する貴殿の裏切り行為を書き残すもの(で)ある」とあるように、鈴木が逮捕された親和銀行事件の、今まで語られていなかった“秘話”に始まり、株取引のきっかけとなった宝林株の取得や、鈴木による利益金の支配に西が抵抗できなかったこと、金銭欲に憑りつかれた鈴木の人間性等を生々しく描いている。抜粋になるが、書面の重要な部分を以下に挙げる。
「今から文章に残すことはすべて真実であり、貴殿の身内、関係者だけでなく、マスコミ及び関係各所にも、貴殿の今後のやり方いかんでは大きく取り上げられることを先に申し述べておく」
「社長及び私の助けだけで誰も協力してくれなかったころの貴殿を今一度しっかりと振り返りながら考えるべきである」
「私は伊藤忠商事のコンサルタントをしていた経歴を貴殿に伝えたところ、(略)西会長を100パーセント信用するので、是非色々な相談に乗っていただきたい事がある、といわれ、貴殿の熱意に感動し(略)相談に乗るようになった」
鈴木が持ちかけた相談とは、親和銀行からの新規融資であったが、その際に鈴木が意外な話をした。それは、事件が公然化した後も関係者の間でくすぶっていたことで、鈴木が同事件で“主犯”に擬せられた真相でもあった。
「青田氏(当時興信所勤務)を使い、さも副島氏グループがやったようにして、親和銀行会長に女性を近づけ、長崎市大村のラブホテルでの女性との秘事をビデオに撮らせたりして、いかに副島氏が危険な人物であるかのように会長に説明をし、その後、会長に取り入り、もみ消しを貴殿に依頼させ、恩義を売った。副島氏グループを親和銀行から遠ざけた。(略)新たに親和銀行より15億円を、価値のない絵やA氏から借りた数千点のリトグラフ(これは貸金約28億円に含まれていない)を担保に借りられるようにしたり、田中森一元特捜検事を親和銀行の顧問弁護士になってもらい、価値のない土地を担保に20億円を借り入れできるようにした。
親和銀行の借り入れができなくなった後、当時のクリソベル(クレスベール)証券の紀井氏の紹介で北九州市の投資家(末吉氏)よりタカラブネ株20億円分の株券を預かり、FR社の資金繰りに利用した。
貴殿はタカラブネ株20億円を担保に新規に60億円分のタカラブネ株を購入できると言って、末吉氏にウソをついて20億円分の株券を預かったり、(略)タカラブネ株の株券を売却した資金を使い果たした後に、貴殿は、私に先でFR社の第三者割当増資をやるので、かならず返済をすると言って、お金を1年ぐらい貸してもらえるところがないかの要望があり、私にとって一番大事な金主であり、いつも弟のように大事にしていただいていた社長を紹介する事になった。貴殿は、私にすごい力のある人物がバックにいることを日ごろからの会話で聞き知っていて、計画的に私に頼んだわけだ」
「貴殿は借りるお金について、私の保証が入っている事を分かった上で行っている。私と社長の性格をよく理解した上での、このようなやり方には、貴殿の狡る賢しこさの一部がよく分かるが、私は今になってはそれを解決する方法がないため、非常に残念に思う。(略)平成10年5月末より(略)貴殿は逮捕される日まで周囲を騙してきた。出頭する1時間前に私の家内に電話をし、金銭的な協力や後の事を西会長によろしく頼むことを伝え、私にその後、電話をし、弁護士に対する着手金の支払い1000万円やFR社に来る債権者に対する対応などを頼んできた。(略)貴殿の愛人で子供もいるサラ女氏(史)の三田のマンションにいた時も、毎月、生活費として50~60万円を届けながら、私が必ず大きな仕事をする用意を考えているから頑張っていこうと励ました日々だったと思う。
後に分かったことだが、貴殿は逮捕前にサラ女氏(史)に3000万円のお金を預けていたと聞いて、私は自分の馬鹿さ加減に呆れてしまった」
「逮捕され、信用をなくしていた貴殿は、沢山の借財を抱えていたためである。宝林株800万株の購入資金についても、社長にしかお願いできる人がいなかった。その後、お金の協力をしてもらい、社長、私そして貴殿の3人で役割の分担を決めて合意書の作成までしたわけだ。我々は以前から社長に借りている借金、貴殿も私も多額の金額が残ったままであったにも拘わらず、出していただいた。他の人よりお金を調達してまでも社長は全面的に協力をしてくれたわけじゃないか。社長は自分で持っていたお金だけじゃなく、他の人より借りてまでやっていただいた。理由としては、我々がお金を返済していないため手持ち現金が少なくなっていた。(略 鈴木は)逮捕される3日前にも私に内緒で8000万円のお金を土下座までして借りている。社長は逮捕される事を分かっていたが、貴殿の置かれている立場を理解した上で、土下座してまで必要なお金であればと思い、出してくれたのだと思う。きっと、この8000万円のお金は、この時の貴殿にとっては10億円にも匹敵するお金であったはずだ。他に誰も借して(貸して)くれる人(は)いなかったはずだ。この時だって、社長の性格や人間性を分かった上で利用しただけじゃないか。宝林株の成功がなかったら、貴殿の人生は今の私より大変な状況であったことは確かだ」(以下次号)