〔株取引が実行されていた事実を無視した裁判官〕
貸金返還請求訴訟で、「合意書」や「和解書」は無効だから原告(A氏)の請求を棄却する、という信じられない判決を出した東京地裁の裁判官の姿勢について、改めて考える。
裁判官は「合意書」に基づいた鈴木と西が株取引を実行した痕跡がみられず、何よりも平成18年に「和解書」が作成されるまでの7年間に株取引に係る三者の協議が行われたという具体的な証拠も提出されていない、と言って「合意書」の有効性や実行性を否定した。法廷に提出された多くの証拠書類を精査すれば、鈴木が故意に会おうとしないで逃げ回っていたことが分からないはずが無い。
しかも、西のレポート「鈴木義彦がユーロ債(CB)で得た利益について」や「鈴木義彦との出会いから現在」を次号より掲載するが、これを読めば明らかな通り、「合意書」に基づいた株取引は実行されていた。それを裏付ける証拠が他にもいくつも法廷に提出されていて、例えば、
(1) 鈴木が取得した株の売り抜けをほぼすべて任されていた紀井が、各銘柄の株取引で得た利益とその総額を「確認書」という書面にまとめ、さらに鈴木が利益のほとんどを海外に流出させ密かに隠匿している事実を法廷で証言したこと。
(2)「合意書」が交わされた直後の平成11年7月30日に西が「株取引の利益」と言って、A氏の会社に15億円を持参したこと。
(3)A氏はその15億円を「合意書」に基づいて5億円ずつ分配すると考えたが、西と鈴木の取り分をA氏への借金の返済の一部に充てると言ったことから全額を受け取り、そのうち1億円を心遣いで「鈴木さんと分けなさい」と言って西に渡したこと。
(4)翌7月31日、西と鈴木がA氏の会社を訪ね、15億円の処理を確認したこと。その際、西と鈴木が5000万円ずつを受け取ったことに礼を述べたこと。
(5)平成18年10月16日の三者協議で、鈴木が西に「合意書」の破棄を執拗に迫り、その報酬として10億円を複数回に分けて渡したことを認めたこと。
(6)その場で「和解書」が作成されたが、その後の約1週間の間に鈴木が何度もA氏に連絡を取り、「和解書」で約束した金員の支払を追認するとともに、西が株取引で蒙った損失を「合意書」に基づいて補填しなければいけないと発言していたこと。
など、挙げればいくつも出てくるのだが、裁判官はそうした事実関係の検証を完全に怠り判決に反映させなかった。
宝林株で約160億円という巨額の利益を獲得したために、鈴木が西を巻き込んで「合意書」を反故にすることを企んだのは間違いなく、「利益を二人で折半しよう」と西に持ち掛けた。すると、西はその誘いに目がくらんでかA氏に対して、はぐらかしの対応ばかりをするようになり、A氏は株取引の実態が掴めなかったのが真相であった。
鈴木については、エフアールの代表者時代から殺人事件への関与の疑いや親和銀行不正融資事件ほか多くの事件で報道されてきた過去を持つ。特に親和銀行事件では総会屋、暴力団との密接な関係が明らかになり、それ以降は反社会勢力の「一員」というレッテルが貼られ、すでに触れたように「金融機関や証券会社等での口座開設ができない」と鈴木自身が自白した。
そして、その後、平成25年1月下旬、前年の12月から行方が分からなくなっていた霜見誠夫妻が遺体で発見されるという事件が起きたが、霜見が主宰していたファンドJOF(ジャパンオポチュニティファンド)の金主が鈴木ではないか? という情報がマスコミに一気に報道されたのである。もちろん、鈴木が金主である可能性は極めて高く、その資金が西や西田とともに繰り広げた株取引で得た巨額の利益の一部であったことは言うまでもない。霜見夫妻の殺人事件に鈴木が関与したという真偽は不明だが、事件の2年前にクロニクルの代表者天野裕が京王プラザホテルの客室で謎の自殺を遂げていることとの関連を考えると、鈴木が何らかの真実を知っているに違いないと思わざるを得ない。
裁判には前述の報道記事が証拠書類として提出されたが、それらの記事に描かれた鈴木の人間性を抜きには「合意書」と「和解書」の真実は明らかにならないというのが趣旨だった。しかし、東京地裁で3人、同高裁で3人の、合わせて6人もの裁判官たちは「合意書」と「和解書」に記された文言を無視して、それぞれの書面に込められたA氏、西、そして鈴木の真実には一切目を向けなかったことに誰もが大きな疑問を感じた。
当事者たるそれぞれの人間を無視した上に書面の文言も無視したと言わざるを得ない。(以下次号)