〔多くの証拠物が語る鈴木の悪事〕
先に「海外の隠匿資金1000億円超の全容解明へ」の記事で、A氏が裁判所に提出した証拠(未提出分を含む15点)を掲載したが、読者より「もう少し詳しい説明が欲しい」という問い合わせがあった。そこで、改めて主要な証拠一点一点について、それが作成されたときの経緯や背景事情を具体的に取り上げる。
(1)合意書
平成11年7月8日にA氏、西、鈴木の三者が「合意書」を交わした。同年の5月末に西が宝林(現サハダイヤモンド)の株式800万株を買収し、鈴木と西は同株をきっかけにして大掛かりな仕手戦を仕掛けようとするが、株価を安定的に高値維持させる資金が覚束ず、宝林株800万株の資金3億円を出してくれたA氏に相談を持ちかけたのが7月8日だった。
それまでA氏や西と会った際の鈴木は、どちらかと言えば寡黙で、常に西を立てる対応が多かったが、その日は別人のように饒舌で、A氏を説得し続けた。「これまでに20~30億円という授業料を払ってきたので、(利益を出す)絶対の自信があります」と力説し、株取引は宝林株で終わらず、いくつもの銘柄を仕掛けていくので安定的に資金が必要であり、それを社長にお願いしたい」と懇願した。さらに鈴木が、A氏に負っていた多額の債務を返済するためにも、この株取引を成功させたいと力説したことからA氏は応じた。
ところが、鈴木は貸金返還請求訴訟の法廷で「A氏から資金提供を受けるために必要だという西に協力して、書面に署名したに過ぎず、それを実行するという認識はなかった。事実、その後、社長とは株の話は一切していない」と主張した。
西がA氏から宝林株800万株の取得資金3億円を借り受け、その直後からの株取引で株価を高値誘導するための買い支え資金もA氏から支援を受け、実際に鈴木の指示する銘柄の株価を高値誘導し、そのタイミングで鈴木の側近であった紀井義弘が売り抜けた事実は、紀井の証言からも揺るがない。
西が鈴木に言われるままにA氏に株取引の情報を入れず、またA氏と鈴木の関係を故意に希薄にするような対応をしたために、A氏は蚊帳の外のような状況に置かれたが、そのことで『合意書』に基づいた株取引は無かったという鈴木の主張は正当化などできるはずは無かった。何より、西が志村化工の相場操縦容疑で東京地検に逮捕された際、鈴木の側近であった武内一美も逮捕され、鈴木の関係先が家宅捜索されていた。取り調べで、検事が執拗に鈴木の関与を追及しても、西が頑なに否認し続けたからこそ、鈴木は首の皮一枚で助かったようなものだった。
また、宝林株の売却利益について、鈴木自身が「JAS(宝林)の件では、双方(社長と西)に資金を渡しているはずです」と、「合意書」の効力(実績)を認めている。すでに触れたように、西は宝林株取引の利益分配で30億円を受け取った事実を明らかにしたが、鈴木はいつ、いくらをA氏に渡したというのか?
(2)念書
平成9年9月初旬から同10年5月にかけて、鈴木が資金繰りのためにA氏から借り受けた金員は約28億円に上った。その内訳はエフアールの手形13枚で総額約17億円、借用書で3億8000万円だったが、その他にいくつもの物品を持ち込んでA氏に言い値で買ってもらった中にピンクダイヤモンド(1億3000万円相当)とボナールの絵画(1億7000万円相当)があった。鈴木は後日、ピンクダイヤモンドと絵画、さらにはA氏が保有していた高級腕時計を「売らせてほしい」と言って持ち出したにもかかわらず、売却代金も払わず現品も返却しなかった。それらの売却代金約7億4000万円も、準消費貸借として鈴木の債務となった。
証拠である念書は平成10年5月28日、鈴木がA氏の会社を訪ねた際に持参してきたもので、エフアールの常務取締役、天野裕の署名、押印もあって、A氏はピンクダイヤモンドを鈴木に預け、念書を受け取った。
ところが、その3日後の5月31日、鈴木は親和銀行を巡る不正融資事件で警視庁に逮捕された。A氏はその情報を入手していて、5月28日に鈴木に伝えたほどだが、それでも鈴木の依頼に応えてピンクダイヤモンドを預けたのはA氏の温情だった。しかし、鈴木はA氏の温情を悪用した。
A氏に買ってもらったはずの絵画は、すでに他の債権者に担保として預けられており、また高級時計は知人に持ち込んでバセロン3セットで6億円を借入した事実が確認されている。
また、鈴木は、平成9年10月15日付の3億円の融資で作成した借用書をもって「A氏より買ったもので、それが3億円の借用書」と主張した。ピンクダイヤモンドをA氏から預かる7カ月も前のことである。まったく支離滅裂な主張でしかなかった。(以下次号)
貸金返還請求訴訟証拠書類を再検証する(1)
2019.11.16