《鈴木はA氏と出会う前は借金しか無く人生のどん底を味わっていたはずだ。藁にもすがる思いで西からA氏を紹介してもらい、10日で1割以上の金利の金を清算してもらい、今後の株取引の方針を取り決め「合意書」を作成した。しかし鈴木はこの段階から利益金の独占を画策していたと思われる。紀井氏を利益の折半を条件に雇い入れ国内外に利益金を隠匿しA氏や籠絡した西にさえ株取引で幾ら儲けたか分からない仕組みを構築しA氏に対して取引に関する詳細な報告も一切しない。A氏の情けにつけ込みどん底から復活できたその恩義に報いようともせず最初から計画的な嘘ばっかりいうとんでもない詐欺師だ》
《品田裁判長は判決で、紀井氏を「株取引による利殖活動の全体像を把握できる立場になかった」として、証言や株取引の利益の詳細を表した確認書を排除したが、鈴木から取得株の売りを一任されていた紀井氏の方が鈴木よりも利益金額を詳しく把握していた。売値は鈴木が決めるのではなく、全て紀井氏の判断でやっていた。裁判官たちは紀井氏の証言が事実ではないと判断したのなら、何故、紀井氏に偽証罪を適用しなかったのか。明らかにその判断には株取引に関連するA氏側の請求や主張を排除するという思惑が働いていたとしか言いようがない》
《乙59号証で長谷川弁護士が「西に代理権を与えていたか」と質問し、鈴木が「ありません」と答えている。これは誰が聞いてもおかしすぎる話だ。長谷川は、鈴木が西に代理権を与えていると不利になることを承知で、あえて鈴木に否定させたのだが、西がA氏に鈴木を紹介し支援を受け始めた時から、西のA氏に対する言動は明らかに鈴木の代理人としてのものだ。裁判官はここでも鈴木の主張を採用したが、明らかに誤審だ》
《西はA氏に送った「遺書」で、随所に懺悔を綴っているが、己の過ちに気付くのが遅すぎた。鈴木と出会う前から西はA氏に100億円を超える債務を負っていたが、まともに返済もしなかったから、邪な気持ちが少なからずあったはずだ。そして鈴木を紹介して後も、鈴木と同じ穴の狢となり、一緒になってA氏を騙した。その西をも裏切り、自殺するまで追い込んだ鈴木は、非道極まりない悪党だ。西の怨みは深く鈴木を精神的にも苛んでいくに違いない》
《最近公開された和解協議の一部の模様から鈴木は株取引で得た利益金が幾らなのかA氏と西には把握出来ない事に自信を持っていた様子だが、紀井氏の証言により利益金の詳細が明るみになった後でもそれを認めようとせずA氏を欺こうと苦しい言い逃れに終始している。「合意書」の契約の原点に戻る事を頑なに拒む姿勢は鈴木の強欲からくるほか何ものでもなく、ここで全てを認めてしまうと折角手中にした多額の利益金を3等分しなければならなくなるからに他ならない。とんでもなく欲深な人間だ。鈴木は「これを、合意書の原点に戻すと言われてもどうしても納得いかない」と言っているが、宝林株収得資金から始まり株価維持の買い支え資金をA氏が出したからこそ今の利益金を得る事ができたことを鈴木は理解していないはずがない。独りよがりが過ぎるにも程がある。それに鈴木の主張を受け入れるためには合意書の契約を解除する手続きが必要だが、それも行っていないし、3人の誰からも話題になっていないから、宝林株取引以後も合意書の有効性を3人とも認めていることになる。鈴木の、この盗人猛々しい態度には呆れるばかりで救いようがない》
《裁判が終結した後、鈴木はしばらくの間は裁判に完勝したと言っていたようだが、その熱も急激に冷めたに違いない。これほどまでにネット情報誌やYouTube動画が執拗に裁判の矛盾や判決の誤りを解明しているだけでなく、鈴木の犯罪疑惑に迫るとは思ってもみなかっただろう。もっとも、裁判に完勝したと喜んでいたのは、鈴木の他には長谷川、平林、杉原の弁護士達、青田そして地裁と高裁の裁判官たちだけだろうが、それも今は、鈴木同様に肩身の狭い思いをしているに違いない。良心ある世間の人達は鈴木の悪事を決して許さない。今後、裁判官と弁護士達は法律家としての罰を受けなくてはならない。鈴木と青田は多くの刑事事件での罰が待っている。ここまでの情報が発信されてSNS上でも世界中に情報が拡散している中で、それを逃れることはできない》
《平成17年10月、東陽町のホテルで株取引における利益金の分配に関する話し合いが行われた件について、西の回想録によればA氏からの資金協力があってこそ、ここまでこれたことなど、西は多少頭をよぎったようで鈴木に言っているが、鈴木はそれを無視してしまった。それでも2人とも我欲に走り、自分の金の取り分の事しか眼中にない。このレポートから恩知らずな2人の浅ましさが窺い知れる》
《鈴木の法廷での証言や書面での主張は、徹底してA氏の主張を否定したものだったが、ここまで徹底して嘘がつけるものなのか。たった1つの言葉を間違えても悪事が暴露する修羅場で、鈴木は長谷川弁護士の指導や忠告を守って逃げ切った。そこには品田裁判長の擁護があったのは間違いないだろう。品田裁判長は「裁判官の忌避」の申立をされても当然だった。A氏側はその機会を逃してしまった。これも中本弁護士の注意力不足、というより真剣さの欠如だったと思う》(以下次号)