今から40年ほど前の昭和60年代初めに、古川賢司が宝石業界関係者の紹介で新宿センタービル43階にあった債権者の会社に顔を出すようになった。以降、債権者は自社の販売用ダイヤの仕入れの大半を古川に任せることにした。また、古川は宝石の卸の傍らで、クラブの経営にも手を出していたようだが、日常的に資金繰りが大変だったようで、債権者に様々な名目で借入をするようになった。
古川は借入の際に「月3%でお願いします」と言っていたが、それでは金利の支払だけでも苦労するだろうからと、債権者は途中から年15%にしたが、やはりそれでも返済が滞ったことで、元利合計が7000万円になった時点で、連帯保証人をつけますと言って連れて来たのが西義輝だった。西は会話では相手の気をそらさせず、立ち居振る舞いにも卒がないので、債権者は好感を持ったこともあって承諾したが、今から考えてみれば、それが古川と西の正体を見誤る間違いの第一歩だったようだ。
古川は、その後も借入の返済を滞らせ続ける一方で新たな借入を債権者に懇願するようになった。債権者が古川の資金繰りの事情を深く詮索をせずに、頼まれれば応じていたことに古川が付け込んだのか、頼み事の事情の説明に嘘が混じり、それが、借入の頻度が増すたびに深刻になっていった。
古川が債権者に持ちかけた「ボートピア」(競艇の場外舟券売場の呼称)の事業では、事業計画の重要な部分で書類や印鑑を偽造し、債権者に開設事業が着々と進んでいるかのようにパンフレット等を持参して誤信させ、資金を出させたのだ。周知のように競艇は国交省の監督下に置かれる日本財団(旧日本船舶振興会)が運営する公営のギャンブルであり、舟券の販売についてはモータボート競走法に基づき総務大臣が指定する全国の自治体が法律に基づいて販売していることから、誰もが簡単にボートピアを開設できるものではなかった。審査では二重三重にチェックが入り非常に厳しいものとなっているのが現実だけに、逆に事情に疎い資産家に詐欺を働いて資金を出させる事件がかなりの件数で横行していたという。
古川がなぜ開設の事業にのめり込んだのか、そして開設の計画が現実味のないものであることを承知で事業資金あるいは会社の運転資金名目で債権者に金を出させたのかは不明だが、実際にはボートピアの開設に向けて手続きが順調に進んでいるかのように錯覚させていたのは事実だった。そのために古川が工作したのが書類や印鑑の偽造・変造だった。それも、事情を知る人間の指摘がなければ債権者には気づかれないような巧妙な偽造だった。そして、古川の書類と印鑑の偽造を見抜いて指摘したのが西だった。だが、開設事業の偽装を指摘された古川は、西が指摘していると聞いて観念したのか、ようやく書類の偽造を認めたが、謝罪もなく「西も私と同類だから分かるんですね」などと開き直ったような言い方をした。
古川は自身の能力を過信している所があり、また弁も立つようで、周囲に対してはかなり威圧的な態度を取ることが多く、それだけに債権者の会社のスタッフには横柄な対応をしていたためか、古川からかかった電話にスタッフの誰もが一瞬緊張して構え、それを古川は当たり前のようにしていたようだ。
このボートピア開設の事業が、正確にはいつとん挫していたのかは債権者にも不明だったが、そもそもが実現の可能性が極端に薄いものだけに、古川にしてみれば、債権者に計画破綻を切り出すタイミングを図って、ズルズルと先延ばしにして来たのが実情だったのではないか。しかし、その一方で債権者から借り入れた債務の返済は滞らせ続け、さらに新たな借入で債務総額がどんどん膨らんでいく中で、古川が「担保にするものが何もないので、その代わりに生命保険に加入します」と言い、複数の保険会社に9000万円と、その後に借入のために4億円の保険契約を新たに結んだのだが、呆れたことに毎月の掛け金を債権者に4年以上も立替払いをしてもらっていたのである。債権者にすると、債権の回収が覚束ないままで手をこまねいている訳にもいかず、古川が更生するための時間も必要と考えるほかに選択肢がなかなか見つからなかったのか、止むを得ず古川の依頼を受け、毎月の掛け金(72万円)の支払を承諾した。しかし、古川はそれから4年以上も債権者に立替払いを続けさせた揚げ句、債権者には無断で失効させてしまったのである。
そうした中で発覚したのが、またもや古川による書類や払込伝票の偽造・変造だった。あろうことか古川は掛け金の支払に係る払込伝票の押印を細工して、受領者側の保険会社や金融機関の出納印を偽造・変造していたのだ。すでに失効している保険が継続維持されているかのように装うことを目的とした古川の小細工が犯罪であるのは明らかだが、古川にはその自覚が無いのか、それとも債権者を誤魔化すために犯罪にまで手を染めることを厭わず常習化しているのか、いずれにしてもやってはいけないことをやっても、古川は平然としていた。
古川は何度か雄一を伴い債権者と面談をしてきたが、面談の中で加入した保険の受取人を長女の志乃から長男の雄一に替えることを名目に志乃を連帯保証から外してもらおうという思惑があったようだ。そして、昨令和4年6月に、古川と長男の雄一が改めて債権者の会社を訪ね、改めて古川の債務の処理について協議が持たれた。その際に、平成10年に公正証書が作成された時に連帯保証をした志乃と雄一も債務承認の手続きをすることにした。債務承認書に署名捺印した雄一が一旦書面を持ち帰り、志乃が署名捺印をした書面を持参することになった。同時に連帯保証をしている雄一もまた提供する担保がないとして父親同様に保険に加入するという意思が示された。
それから数週間を経て、雄一が債権者に電話をしてきて、「折り入って社長と2人で相談したいことがあります」と言うので債権者が会うと、「今、姉に債務承認の話をして署名捺印の話をすると、姉が混乱するだけでなく家庭崩壊につながる危険性もあります。それで、私が全面的に責任を持ち、5億円の保険加入は自分がしますので姉の署名捺印は保留とさせて下さい」と雄一が言う。それを聞いた債権者が雄一の希望通りにすることに承諾した。そのうえで雄一が保険契約を進めるに当たって、適時状況を知らせることになったのだが、その後、債権者には雄一から連絡が入らず、いつの間にか年を越してしまったのである。そして1月中旬に古川と雄一が一緒に債権者の会社を訪ねてきたが、そこでも進捗した話がある訳ではなかった。それから数か月した4月に入り、雄一に連絡を取ったが、雄一からの折り返しの電話は長時間なく、それも言い訳がましい話ばかりだったので、電話でのやり取りで一旦は面談する日程を約束しようとしたが、債権者が日時を打診しても一切応答しなくなった。債権者も腑に落ちず、古川にも連絡を取ったが、古川は「しばらく雄一と連絡を取っていないので事情が分かりません」と言い、その後、体調に異変はあるものの雄一と必ず連絡を取って債権者に状況を知らせるという内容のメッセージがメールで入ったが、結局は古川もまたなしのつぶてだった。
ここにきて、債権者は、雄一の対応が、古川と連絡を取り合っての結果に違いないと思ったが、2人の言っていることが違うので、債権者としても決断をするしかないのは当然だった。それは古川を刑事告訴するという決断だった。考えてみれば、債権者が古川にどれだけ嘘や誤魔化しで翻弄されながら、それでも古川の意思を尊重して我慢をして来たことか。それにもかかわらず、ここまで債権者をバカにするような態度を取る古川も雄一も信義を守る人間ではないことが分かった。古川の債務が7000万円の時点で保証人として連れてきた西には、その後、大変な損害を被ったが、古川のこのやり方は人間として絶対に許せない。詳細については今後明らかにしていくが、もちろん過去40年間で働いた悪事が全て公になるだろう。親子や一族が結託した詐欺は珍しいからだ。(つづく)