株取引の利益総額470億円を生み出した手口

株取引の利益総額470億円を生み出した手口(1)

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[相場師「西田晴男」の関与で莫大な利益]

これまでに西義輝が自殺する直前に鈴木義彦ほか関係当事者に宛てて遺した書面(遺書)の一部を公開したが、西が書き記した書面はこの他にいくつもあった中で「鈴木義彦がユーロ債(CB)で得た利益について」と題するレポートには冒頭に「宝林以外のユーロ債の発行、売却についての詳細を記載する」とあるように、エフアールから始まり9銘柄の手口が具体的に書かれている。

貸金返還請求訴訟で、裁判官が西の陳述をほとんど無視したことは触れてきたとおりだが、このレポートを読む限り、裁判官が無視した真意が分からず、不可解でならない。

第一に挙げている銘柄はエフアールで、「時期は2000年(平成12年)、1株あたり50円にておよそ50億円のユーロ債を発行し、100~360円で売却を行いました。但し、これも一部西田グループに割当株を譲渡し、協力を依頼しているため、鈴木氏の利益は約40億円です」

鈴木と西は株取引を行う際に、大量の株を取得するためにユーロ債(CB)や第三者割当増資を鈴木がタックスへイブンに用意したペーパーカンパニーが引き受けた後、西が株の売買を繰り返して株価を高値で買い支える中で取得した株を売り抜ける、というのが手口だった。

「エフアール社のユーロ債発行後、鈴木氏は私に対し、『800~1000円まで株価を上昇させるので、350円前後で買いを入れてください』との指示をしました。私は言われたとおりにおよそ600万株の買付を数日間に亘って行いました。しかし、この指示は鈴木氏が私を利用して株価を上げさせるための罠だったのです。

この時に私が使った金額は、ファイナンスを活用したため約8億円前後だったと思います。しかしながら、私が株の買付を行った直後、株価は暴落基調に入りました。最終的には平均160円前後で全株式の売却を行わなければならない羽目となり、私は約12億円の損失を蒙りました」

鈴木は、西が蒙った損失の言い訳とその損失の補填について、「西田グループが先に株を売却してしまったために売れなくなった」と言い、「後で必ずエフアール株の上昇により補填を行うから、待っていて下さい」と言ったが、その約束が実行されることはなかった。

「紀井氏は、鈴木氏の指示で、ユーロ債にて得た50円の割当株を売却した中で残りの株は1~2カ月程度の期間のうちに売り下がりにて、下値120円までで売却をしている」という。下値でも2.4倍の価格で売却したのだから、鈴木が40億円の利益を上げたのは実感できる。

問題は西が蒙った12億円の損失の処理だった。株取引をスタートするに当たって交わした「合意書」に基づけば、40億円の利益から株式取得ほかのコスト、西の損失額、東京オークションハウスの手数料(10%)等を差し引いて後にA氏と西、鈴木で三等分することになっていたが、西と鈴木は利益を二人で折半する密約を交わしていたから、A氏には一切報告をせず分配金も渡さなかった。しかし、前述したように鈴木が一向に西の損失を補填しようとしなかったために、西は鈴木に確認を求めた。「その後2001年(平成13年)の鈴木氏との打ち合わせの中で、私は損失補填の要求をしましたが、それまで見たことも無い彼の態度と言動により、彼の本心、性格を知ることとなりました」

具体的なことは書かれていないが、鈴木がものすごい剣幕で西に詰め寄り、損失補填の要求を引っ込めさせたことが分かる。そして同時に、鈴木が利益を独り占めして国内外に隠匿して行った実態も窺えるのだ。

ちなみに、鈴木は親和銀行事件で逮捕、起訴された後、表向きにはエフアールの代表権が無くなり、保有株の名義も無くなったが、実際にはそうではなく社名を「なが多」「クロニクル」と変更した後も常務の天野裕に指示をしてユーロ債の発行や第三者割当増資を実行させるという影響力を行使した。

西のレポートにも、「2005年(平成17年)に66億円(37円/1億8000万株)の新株予約権を引き受け」たとあり、およそ半数の株式売却に成功して約30億円の利益を獲得したという。売ることが出来なかった株式は香港のペーパーカンパニーやプライベートバンクに保管されたが、株価が極端に下がり株式に転換するタイミングが無かったともいう。(以下次号)

株取引の利益総額470億円を生み出した手口(2)

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[西田の側近[白鳥女史]は海外へ逃亡]

西のレポートは次にアイビーダイワの現場に触れている。

「これは2000年(平成12年)5月に実行された。これは鈴木が主導で行ったわけではなく、西田グループの東京事務所で秘書をしていた女性、白鳥女史が中心となり行ったことだった。

およそ70%を白鳥女史、20%を鈴木氏、残りを西田グループの出資にて、およそ12億円(50円/2400万株)のユーロ債を発行した。したがって鈴木氏が引き受けた金額はおよそ2億4000万円であった。

その後、株価は700円前後まで急騰し、利益が約10億円となる。これも鈴木氏および西田グループによる株価操作によるものであり、大変なIR活動、国内の証券新聞および投資顧問会社等への資金提供により、一般投資家に多額の購入を持ちかけた結果でもある」

鈴木と西田晴男との関係は最初の宝林の株取引から密接で、西による株価の買い支えはもちろんあったが、西田グループによる活発な株の売買によって、宝林株はピーク時で2300円の値をつけた。西は1株37円で宝林株を取得することに成功していたから、単純に計算しても63倍近い値で売却したことになる。それ故、鈴木がその後の銘柄選びや株取引で西田グループを重宝がったのは頷けることだった。

「また、この件の中心人物である白鳥女史は、このユーロ債にて15億円以上の利益を上げることができた。ただ、白鳥女史にSEC(証券取引等監視委員会)および国税庁(東京国税局?)から内偵調査が入り、彼女は2002年(平成14年)にヨーロッパへ逃亡し、未だ帰国ができない状況である。ちなみに鈴木氏は、東京オークションハウスの第三者割当増資の際に、私からも要請したものの、自分の資金を使わず、この時に多額の利益を上げた白鳥女史に2億円の増資(出資?)を実行させている」

鈴木は、西との間で利益を折半すると言っていながら、実際には西に対しても分配を先延ばしにしていたことがエフアール、アイビーダイワという2件の株取引の現場を見ただけでも分かる。西が分配に預かろうとして、東京オークションハウスの第三者割当増資を持ちかけても、鈴木は自身では一切協力することなく、白鳥女史に2億円を出させた。鈴木の下で株の売り抜けを任されていた紀井は「鈴木氏の人間性を見ていて、金への執着心は凄いものがあるが、度が過ぎると毒でしかない」と裁判で証言したが、これはまだ優しい言い方で、西への対応で同様の言動を見ると、鈴木はあまりに強欲で、ここまでの悪党はいないのではないか、と関係者全員が言う。

次回も西のレポートを続けるが、読者より多くの注目を戴く中でさまざまな情報が寄せられているため、取材等を進めつつ適宜発信していく予定である。また、記事の内容に重複があるかもしれないが、読者よりの問い合わせに応じた結果、ということである。(以下次号)

株取引の利益総額470億円を生み出した手口(3)

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[株価の吊り上げで伊藤忠商事元役員を社長に]

続いて「昭和ゴム」、「ヒラボウ」そして「住倉工業」を取り上げる。西のレポートによると、鈴木は「昭和ゴム」で約40億円、「ヒラボウ」では約20億円、そして「住倉工業」では約3億円の利益を上げたといい、これら3銘柄の株取引でも西田グループとの関係は密接だった。以下、それぞれの銘柄について触れる。

先ずは「昭和ゴム」だが、「これは、鈴木氏及び西田グループとの合同で発行されたユーロ債で、2000年(平成12年)6月、発行金額は11億3000万円(113円/1000万株)だった」という。

「その内、鈴木氏の引き受けた金額はおよそ8億円であり、西田グループがおよそ3億円」だった。鈴木が40億円もの利益を獲得したのは株価が700円前後まで急騰したからで、約6倍の値で売り抜けたことになる。

鈴木は株価を吊り上げるために「IRにおいては私の名前を活用して、伊藤忠商事の元役員を社長に招いて、全面的に株価の吊り上げが行われた結果である」という。

なお、西田グループの“総帥”である西田晴男(故人)については余りにも有名で、いまさら説明など要らないと思うが、同人が手がけた銘柄として有名になったものの過半数は鈴木が巨額の利益を上げて隠匿したとされる銘柄と一致している。また株取引への取り組み方として西田は自らの証券口座だけでなく銀行口座さえ持たずに周辺関係者の口座を使うこと、預金や不動産などの個人資産もほとんど無く、周辺関係者の口座に溜まった潤沢な資金のみだったという点は、そっくり鈴木にも当てはまっている。社債や株式の取得名義人は鈴木がタックスヘイブンに用意した外資を装うペーパーカンパニーであり、株価を高値誘導するのは西や西田グループ、そして取得した株の売りを任された紀井は外資名義で証券金融会社を経由して取引することで鈴木の名前が出ないよう二重三重の煙幕を張る慎重さだった。恐らく鈴木は、株取引で西田の相場作りでの協力を得るだけでなく、その取り組み方すら取り込んだに違いない。西田の“資産”も鈴木が隠しこんでいると言う関係者も少なくない。(以下次号)

株取引の利益総額470億円を生み出した手口(4)

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[新株売却を違法に仕掛ける]

次に「ヒラボウ」(現OAKキャピタル 東証2部上場)である。「時期は2001年(平成14年)、発行価格は15億円(90円/1600万株)になる」と西は明かした上で鈴木が80%、西田グループが20%を引き受けた。そして、鈴木が得た利益は約20億円であったという。

「この件の担当責任者は、元山一證券スイス駐在所長の茂庭氏でした。私が当時経営していた、日本橋ノモスビル5F内にある投資会社、ファーイーストアセットマネージメントと同フロアに、ユーロベンチャーキャピタルを設立し、ファーイースト社の一室にて茂庭氏が運営代行を行っていた」

山一證券は1997年(平成9年)に自主廃業に追い込まれたが、その原因となったのが1988年9月6日に社長に就任した行平次雄が、バブル崩壊後の株価暴落によって発生した含み損を適切に処理せず、先送りを繰り返した結果、簿外損失が2000億円を超える額にまで膨らんだことにあった。損失を隠すための“飛ばし”の現場が実はヨーロッパ各国にあり、茂庭も簿外損失を隠す中心的な役割を果たしてきた経緯があったことから、そのノウハウは鈴木にとっては、まさに利益隠匿で大いに役立ったに違いない。

「このユーロ債に関しては、ファーイースト社別室にて、茂庭氏立会いの下、鈴木氏の親交ある金融ブローカーや、来社したヒラボウ内部の人物に対し株券の受け渡しを実行しました。鈴木氏は、これらの金融ブローカー会社を3~5社使用し、ヒラボウの新株売却を担当させていた。目的は、自分の名前を出さないことと、本来日本ではすぐに売却できないユーロ債で発行した新株を少しでも早く売却させるためでもあった」

「一方では、西田グループに対し、割当価格の1~2割増しの金額で安く譲渡し、株価上昇に対する協力をさせ、自分が多大な譲渡益を得る工作もしていた」と言い、こうした工作により、鈴木は大量の新株を捌くことに成功したという。ちなみに、金融ブローカーの中で中心的だったのが「吉川某」という元反社会勢力の人間で、宝林株に始まる初期の株取引で吉川も大きな利益を手にしつつSECの目を逃れるようにフランスへ“逃亡”し、以降、同国内に住まっていたという。また、事務所の事務員を愛人として囲い、同じくパリに居住させていたともいう。鈴木は年に7、8回はフランスに出かけていたそうだが、その目的は、もちろん香港経由で海外に流出させた利益をスイスのプライベートバンクに集約させ隠匿する手続をすることにあったろう。

ただし、その後の吉川の消息については知る者が無く、それを鈴木に尋ねた者がいたが、鈴木はあっさりと「あいつは死んだよ」と答えたという。「ある時期から鈴木と吉川の関係がこじれたようで、鈴木が吉川を詰るような口ぶりに変わっていたが、まさか鈴木から『あいつは死んだよ』なんていう話を聞くとは思わなかった」という。最後は「住倉工業」だが、西によると「2002年(平成14年)、割当金額が10億円として鈴木氏と西田グループが合同で引き受けたユーロ債だった」というが、全株式を売却する前に住倉工業が倒産してしまったために、最終的な利益は約3億円に留まったという。 (以下次号)

株取引の利益総額470億円を生み出した手口(5)

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[ステラ・グループ立ち上げは鈴木による新たな暗躍舞台]

西義輝が書き残した「鈴木義彦がユーロ債(CB)で得た利益について」を取り上げるのは今回が最後となるが、宝林株に始まる鈴木と西の株取引の実態がいくらかでも実感されたと思われるが、そうであれば、裁判官は株取引の基になった「合意書」を何故無効と断定したのか? という疑問が残るに違いない。

今回取り上げる「エルメ」はエフアール(なが多 クロニクル)と同様に「アポロインベストメント」と社名を変更した後も鈴木はユーロ債の発行、第三者割当増資の実施企業として何度も利用した。

「2002年(平成14年)5月に総額約12億円(44円/2700万株)を発行した」という中で「これは宝林で協力を戴いた平池氏の案件であり、エルメにユーロ債を発行させる運びとなった」ということから鈴木のみが引き受けることになった。

「当初の約束では、平池氏に対して割り当てた株数のうちの100万株を割当価格にて譲渡する条件」で、平池がユーロ債発行に尽力し、株価も一時329円まで急騰して鈴木は約20億円の利益を上げたが、約束を破り平池には100万株を渡さなかった。「平池氏は鈴木氏に大変な憤りを感じ、後にあらゆる鈴木氏の身辺調査をすることに」なると記しているが、鈴木の身辺ではいつも同じようなことが起きる。鈴木が平気で人を裏切り、利益を独り占めにするからだ。

なお、前述したようにエルメはアポロインベストメントと社名を変えたが、「2005年(平成17年)春に、約23億円(44円/5300万株)にてユーロ債及び新株予約権を(鈴木は)引き受け、約30億円の利益を得た」という。そして翌平成18年以降、アポロインベストメントはステラグループと商号を変え、同興紡績ほかいくつもの企業を傘下に治めて行ったが、これは全て鈴木の差し金によるものだった。グループには不動産取引を扱う企業もあり、鈴木の友人、青田光市も日常的にグループの本社に“勤務”するような行動を取っていた。

これまで見てきた主要な株取引に加えて、鈴木は数多くの銘柄にも手をつけていたが、イチヤ、南野建設、シルバー精工、エスコム、オメガプロジェクト、東海観光などその数は20前後にも上る中で約25億円の利益を上げていたという。こうして鈴木が国内外に隠匿した利益の総額は470億円を超える巨額に達した。

鈴木が仕掛けた銘柄で常に巨額の利益を確保してきたことに、不可解で有り得ないと思われる読者も多くいるに違いない。それは当然のことだったが、そこにはカラクリがあった。西の存在である。「エフアール」のところで紹介したように、西は株価買い支えのために12億円の損失を蒙りながら、鈴木は利益を応分に負担も分配もせず独り占めした。つまり、西が株価を買い支えるために資金支援を仰いだA氏が損失全額を被ったことになる。

1999年(平成11年)から2006年(平成18年)までに、A氏が西の要請に基づいて支援、協力した資金は総額207億円にも上ったというが、全ては「合意書」に基づいてのことであり、当然、鈴木は国内外に隠匿した利益をA氏や西に分配しなければならなかった(ただし、西は鈴木との密約で30億円を受け取っていた)。

平成18年10月16日に、その分配をめぐる三者協議が持たれて、鈴木はどこまでも「合意書」を否定したが、紛議の解決のためと称してA氏と西にそれぞれ25億円、そしてA氏には2年以内にさらに20億円を払うと約束して「和解書」が作成されたが、その後、西が蒙った損失総額207億円の内、鈴木関連の買い支え損が58億円超であることを鈴木がA氏に確認した上で、「それを清算した上で利益を3等分する」ということまで口にしながら、約束を反故にして行方不明を決め込んだ。こうした事実が「合意書」から「和解書」に至る7年間に連綿として積み上がっていたにもかかわらず、裁判官はその全てを無視してしまったのである。 (以下次号)

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