特集1-1 前代未聞の大悪党「鈴木義彦」を徹底追及!!

鈴木義彦からの2通の手紙(1)

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〔和解書を留保撤回〕
今回は鈴木義彦がA氏に送った2通の手紙を取り上げる。この手紙は、平成18年11月下旬から同12月初旬にかけて郵送されたが、その直前の10月16日にA氏と西、鈴木が「合意書」の存在と共に有効性の認否をめぐって協議を重ねた結果、鈴木義彦がA氏と西義輝にそれぞれ25億円を支払うことを約した「和解書」が交わされたという場面があった。
協議は数時間を経たなかで、鈴木は「合意書」に基づいた株取引を頑なに否定して、当初は宝林株の取得資金3億円をA氏が出したことさえも否定していたが、鈴木の指示で株の売り抜けを全て任されていた紀井が、西の聞き取りに応じて株の売り抜けの現場や利益の総額を始め、鈴木が利益の大半を海外に流出させてきた実態等の真相を語っていた事実が明らかになったことで、鈴木は遂に折れる形となり、冒頭に挙げた金額を支払う約束をA氏と西にしたことから、西が予め用意した「和解書」にA氏と西、鈴木がそれぞれ署名、指印した。
「和解書」には書かれなかったが、鈴木は、A氏にはさらに2年以内に20億円を支払うと約束して協議は終了した。
鈴木がA氏に送った手紙は、この支払約束を留保撤回し、代理人を新たに立てるから、その者たちと交渉して欲しいという内容だった。

「先日帰国しましたが、本日再度、出国せざるを得ません。当分の間、帰れません。理由は、国内で問題が発生しました(詳細は、青田氏から聞いて下さい)。帰国前から、青田氏から多少の情報は得ていたのですが、国内から海外へ切り口を付けようと本気のようです。誰がやったかは確認できませんが、私は西しかいないと思っています。(略)こんなことで本当に今回の件がキッチリ話がつき終わるのでしょうか?」
「紀井もあの日以来逃亡し、私一人では仕様もありません。(略)私は、社長が西、紀井と共謀しているとは思っていませんので、(略)是非、協力、再考して下さい」
鈴木は、利益の隠匿が国税当局にバレて、問題が生じた。その原因を作ったのは西しかいないと決め付けたうえで、先ずは「和解書」の履行に疑問を投げた。そして、三者協議について、
「紀井の卑劣な裏切りに動揺し、3年間に及ぶ西の全てがウソの作り話を、ハッキリさせず、西の罠にはまり、安易に和解してしまったこと、金額についても、現在自分が、全資産を処分して出来うるギリギリの数字を言ってしまったこと(現在の状況では非常に難しい)、また、紀井が言っている数字は、表面上の数字であり、損、経費、裏側の事情が全く分かっていません」としつつ「私しか本当の利益の数字は分かっていません」と断じる。鈴木が三者協議の場で認めたのは、わずかに「合意書」に基づいた株取引は宝林株のみであったが、この冒頭の流れを見ると、鈴木が株取引で上げた利益を不正に海外に流出させていたこと、紀井が証言した利益総額約470億円は事実であること(ただしそれは、鈴木に言わせれば粗利益で、純利益ではない)を認めたうえの話になっている。(以下次号)

鈴木義彦からの2通の手紙(2)

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〔私一人で立案し稼いだ金〕
「私はこの3年間で西と会ったのは、(略)2回きりです。TELも1回、それきりです」
「特に今回、私を陥れるため作り上げた香港での殺人未遂事件は、考えれば考えるほど、頭にきて眠れません。到底許せることではありません。第三者を入れ、ウソだった、作り話だったと判明させなければ、納得がいきません」
「(紀井は)話し合い当日に全ての仕事をほっぽり出して逃亡していますが、私の被害が多方面で非常に大きいということ。また、やり方が非常に卑劣だということ。また、紀井は、国内外の関係者数名に、私が殺人を犯すような人なので、私の所を辞めたと言っています。(略)このような話をされては、私の国内外における仕事の被害も甚大です。許せません。(略)3人が共謀して、私を陥れようとしたのか、疑念を抱いてしまいます」
鈴木は紀井に約束した報酬の1/100も払っていないのに、よく言えると思うほど身勝手な事情を書き連ねている。
「今回の件も話がほとんど漏れており、どちらにしても、西と紀井がいる限り、秘密保持は出来ません。何とか紀井本人を捕まえて、第三者を入れ、キッチリ紀井から本当の事情を全て聞きたいということ」
そして、「合意書」の件になると、
「よく振り返って考えると、何の株を買うとか、どのくらいの数量を買うか等、株に関することで、3者で話し合いをしたことが一度も無いということ。(西と2人でも一度も無い)また、私一人で立案し稼いだ資金を、国内外の移動という、現在もっとも難しいことで、なぜ、一人だけでやらなければいけないのかということ」
「合意書」を交わして、A氏に株価の買い支え資金を出させておきながら、一方でA氏を蚊帳の外のような状態に置いて、情報の遮断を策したのはほかならぬ鈴木自身だった。
「私一人で立案して稼いだ資金」とは、よく言えたもので、宝林株800万株の取得は西の交渉によるもので、その後の取得した宝林株を高値で売り抜けるための買い支え資金はA氏が出した。もし鈴木が立案したと言うのであれば、それは、利益を密かに海外に流出させ、タックスヘイブンのプライベートバンクに隠匿することだったのではないのか。
しかし、鈴木は、こうした独りよがりの理屈を根拠に「私がした約束は、西の脅しと騙し、紀井の裏切りにより、正常な判断を奪われてしたもので、私を拘束するようなものでは有り得ない」と主張することに尽きた。そして、今後の対応を、「私のことをよく理解してくれている青田氏と、弁護士の平林先生に、国内における全ての問題の代理人として全面委任することにしました」と言って、鈴木自身は身を隠す。
「今後、全てが解決するまで、私がこの件で直接話をすることはありませんし、金を払うこともありません」
鈴木が狡猾と思われるのは、A氏だけは自分のことを理解している、とA氏に思わせるような流れを作っていることではないか。それを窺わせているのが、末尾の件である。
「私は、海外での資金作りに最大限、全力投球するつもりです。また、現状それしか出来ません。(海外口座を作ることは検討しておいて下さい)
何とか私のこの真意をよく理解して戴き、世の中の道理に適う形、納得いかない点の解決に協力してもらい、和解金、支払い方法等の再考をお願いします」

A氏は、鈴木の手紙を読み、「この問題は当事者同士で話し合いをしなければ解決しない(代理人や弁護士が同席するのは構わない)」という趣旨の手紙を平林弁護士経由で鈴木に送った。
しかし、鈴木は頑なに代理人を立てることに固執し、自身は姿を現そうとしない。これも鈴木の常套手段に違いない。なお、A氏は鈴木が代理人を何人立てるにしても、鈴木本人が同席しなければ本当のところが分からないから、必ず同席するということを条件にした。

〔不可解な鈴木の手紙〕
2通目の手紙でも鈴木のA氏に対する態度は変わらないように見えた。
「根本的に私は、今回の件は以前に社長に言いましたが、合意書とか、和解書とか、そんなものは関係ないのです。社長には過去たいへんお世話になり、人物的にも魅力を感じ、男としても一目も二目も置いていました。私にはそう思える人物が過去ほとんどいませんでした。それと100歩譲って西がJASのきっかけを作ったということです。JASの件では、双方に資金を渡しているはずです。西が一人だったら、何と言おうが、何をしようがびた一文渡しません。社長が居るからやろうという気持ちを維持しているだけです」

そして、相変わらず紀井を悪者にして、
「話し合いの後、西が紀井に話し、紀井が私の関係者にTELをして、香港の件を含め、今回の件の話をしたことです。海外の資金は自分のものであって、自分のものではありません。関係者には事情を説明して、各方面対応してもらうしかないのです。当然、関係者は、このような件を一人で対応させるようなことはさせません」
と言って「平林先生の力と青田氏がフォローしてくれなければ、完全な形で資金(現金)を受け渡すことは難しいのです。また、私が逃げ隠れするとか、裁判をするとか、話を壊すつもりならば代理人等立てません」と、代理人を立てることの正当性を強調した。だが、鈴木は実際には何年間も逃げ隠れしていた。

もし、鈴木がこの二通の文面にあるように、A氏に対しては「和解書」の履行に努力するという意思があったならば、代理人となった青田、平林の両人は、本当に交渉する現場を作ったに違いない。しかし実際には逆だった。(以下次号)

貸金返還請求訴訟証拠書類を再検証する(1)

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〔多くの証拠物が語る鈴木の悪事〕
先に「海外の隠匿資金1000億円超の全容解明へ」の記事で、A氏が裁判所に提出した証拠(未提出分を含む15点)を掲載したが、読者より「もう少し詳しい説明が欲しい」という問い合わせがあった。そこで、改めて主要な証拠一点一点について、それが作成されたときの経緯や背景事情を具体的に取り上げる。
(1)合意書
平成11年7月8日にA氏、西、鈴木の三者が「合意書」を交わした。同年の5月末に西が宝林(現サハダイヤモンド)の株式800万株を買収し、鈴木と西は同株をきっかけにして大掛かりな仕手戦を仕掛けようとするが、株価を安定的に高値維持させる資金が覚束ず、宝林株800万株の資金3億円を出してくれたA氏に相談を持ちかけたのが7月8日だった。
それまでA氏や西と会った際の鈴木は、どちらかと言えば寡黙で、常に西を立てる対応が多かったが、その日は別人のように饒舌で、A氏を説得し続けた。「これまでに20~30億円という授業料を払ってきたので、(利益を出す)絶対の自信があります」と力説し、株取引は宝林株で終わらず、いくつもの銘柄を仕掛けていくので安定的に資金が必要であり、それを社長にお願いしたい」と懇願した。さらに鈴木が、A氏に負っていた多額の債務を返済するためにも、この株取引を成功させたいと力説したことからA氏は応じた。
ところが、鈴木は貸金返還請求訴訟の法廷で「A氏から資金提供を受けるために必要だという西に協力して、書面に署名したに過ぎず、それを実行するという認識はなかった。事実、その後、社長とは株の話は一切していない」と主張した。
西がA氏から宝林株800万株の取得資金3億円を借り受け、その直後からの株取引で株価を高値誘導するための買い支え資金もA氏から支援を受け、実際に鈴木の指示する銘柄の株価を高値誘導し、そのタイミングで鈴木の側近であった紀井義弘が売り抜けた事実は、紀井の証言からも揺るがない。
西が鈴木に言われるままにA氏に株取引の情報を入れず、またA氏と鈴木の関係を故意に希薄にするような対応をしたために、A氏は蚊帳の外のような状況に置かれたが、そのことで『合意書』に基づいた株取引は無かったという鈴木の主張は正当化などできるはずは無かった。何より、西が志村化工の相場操縦容疑で東京地検に逮捕された際、鈴木の側近であった武内一美も逮捕され、鈴木の関係先が家宅捜索されていた。取り調べで、検事が執拗に鈴木の関与を追及しても、西が頑なに否認し続けたからこそ、鈴木は首の皮一枚で助かったようなものだった。
また、宝林株の売却利益について、鈴木自身が「JAS(宝林)の件では、双方(社長と西)に資金を渡しているはずです」と、「合意書」の効力(実績)を認めている。すでに触れたように、西は宝林株取引の利益分配で30億円を受け取った事実を明らかにしたが、鈴木はいつ、いくらをA氏に渡したというのか?
(2)念書
平成9年9月初旬から同10年5月にかけて、鈴木が資金繰りのためにA氏から借り受けた金員は約28億円に上った。その内訳はエフアールの手形13枚で総額約17億円、借用書で3億8000万円だったが、その他にいくつもの物品を持ち込んでA氏に言い値で買ってもらった中にピンクダイヤモンド(1億3000万円相当)とボナールの絵画(1億7000万円相当)があった。鈴木は後日、ピンクダイヤモンドと絵画、さらにはA氏が保有していた高級腕時計を「売らせてほしい」と言って持ち出したにもかかわらず、売却代金も払わず現品も返却しなかった。それらの売却代金約7億4000万円も、準消費貸借として鈴木の債務となった。
証拠である念書は平成10年5月28日、鈴木がA氏の会社を訪ねた際に持参してきたもので、エフアールの常務取締役、天野裕の署名、押印もあって、A氏はピンクダイヤモンドを鈴木に預け、念書を受け取った。
ところが、その3日後の5月31日、鈴木は親和銀行を巡る不正融資事件で警視庁に逮捕された。A氏はその情報を入手していて、5月28日に鈴木に伝えたほどだが、それでも鈴木の依頼に応えてピンクダイヤモンドを預けたのはA氏の温情だった。しかし、鈴木はA氏の温情を悪用した。
A氏に買ってもらったはずの絵画は、すでに他の債権者に担保として預けられており、また高級時計は知人に持ち込んでバセロン3セットで6億円を借入した事実が確認されている。
また、鈴木は、平成9年10月15日付の3億円の融資で作成した借用書をもって「A氏より買ったもので、それが3億円の借用書」と主張した。ピンクダイヤモンドをA氏から預かる7カ月も前のことである。まったく支離滅裂な主張でしかなかった。(以下次号)

貸金返還請求訴訟証拠書類を再検証する(2)

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(1)確認書
平成11年9月30日付で、A氏がエフアール宛に出した「確認書」は、鈴木が融資を受けるためにA氏に振り出した手形(13枚)を、同社の監査の都合上、どうしても一旦お預かりしたいという鈴木の依頼に応え、A氏の温情で手形の原本と共に渡したものだった。もちろん、それまでに貸付金の返済は一切ない。
ところが、鈴木はこの「確認書」を悪用して、「A氏に対する債務は完済された」
という主張を法廷の場に持ち込み、さらに「債務者はエフアールで、被告は関知しない」とまで主張した。しかし、当時のエフアールは、経営が危機的状況にあり、手形を持ち出した経緯から見ても、鈴木個人の責任ははるかに大きかった。A氏が金員を貸したのは鈴木個人であって、会社であれば天野が対応しなければならなかったが、当時A氏は天野とは電話で話したことも無く、面識すらなかった。
なお、鈴木はA氏の手元にある多くの「借用書」や「預かり書」等の書類(全て原本)を「回収漏れ」と言ったが、鈴木を知る誰もが「鈴木は相手方には出来るだけ書類を渡さずに口約束だけをして、仮に書類を出すことがあった時には、100%回収することに執着する男で、回収漏れなど絶対にあり得ない」と言う。
平成11年7月30日に西がA氏に納めた利益の分配金15億円について、鈴木はA氏に対する債務の返済金であると言って、「確認書」との整合性を取るために支払日を無理やり9月30日と主張した。しかし、西が15億円をA氏の会社に持参したとき、A氏は「合意書」に基づいて、自分の取り分を5億円とし、残る10億円は西と鈴木のA氏に対する債務の返済金の一部に充てるという手続きをした。また、A氏は心遣いで「鈴木さんと分けなさい」と言って西に1億円を渡した。その翌日、A氏の会社に西と鈴木が訪れた際、15億円の処理と1億円を西に渡した件を鈴木に確認すると、鈴木は「有難うございました」とA氏に礼を述べた。15億円が鈴木の言うように返済金であるとしたら、そのうちから西と鈴木にそれぞれ5000万円を渡すようなことは無かったはずだ。
(2)借用書(15億円と10億円)
平成14年6月27日、A氏が鈴木に対する貸付金の整理をするために鈴木を会社に呼び確認を進めた際、鈴木が「A氏社長への返済で西に10億円を渡した」と主張した。驚いたA氏が同席していた西に確かめたところ、西が授受を渋々認めたために、鈴木への債権25億円から10億円を差し引いて15億円とし、西も10億円の借用書を書いた。A氏は鈴木に対し「私に対する返済金であれば、なぜ直接来て話をしなったのか。もしそれができないときでも、なぜ『西に社長への返済金の一部として渡した』ということを、最低電話ででも何故言わなかったのか」と言うと、鈴木は「済みませんでした」と言って謝罪し俯いた。ところが、西が鈴木から受け取った10億円はA氏への返済金などではなく、「合意書」の破棄を西に執拗に迫り、その結果、複数回にわたって西と鈴木の間で報酬名目の金銭の授受が発生したものであった。平成18年10月16日の三者協議の折に、西が鈴木に「これくらいは認めろ」と言うと、鈴木も渋々認めた。
鈴木はその後、法廷に提出した証拠資料(「乙59号証」)の中で、「6月27日に、原告(A氏)との間で債務合計金25億円とする準消費貸借契約の合意をしたことがあるか」という被告側弁護士の質問に「全くない」と言い、続けて「西に対して『原告に支払うべき25億円のうち10億円は西に預けている旨を述べたことはあるか」という質問にも「ない」と言って、A氏からの借入金を25億円に減額する旨の協議など6月27日には無く、A氏への返済金10億円を西に渡したことさえも否定した。当日の二人の借用書には確定日付がある。
しかし、これまで触れている通り、A氏が「今後は株で大きく利益が出るから、鈴木への貸付金40億円以上(約束の遅延損害金30%では60億円以上)を25億円にして欲しい」という西の依頼を了承して6月27日の面談協議になった経緯があり、その場で鈴木が「西に10億円を渡した」という発言がなければ、さらに減額した15億円の借用書を作成することなどなかったし、西もまた10億円の借用書を作成してA氏に渡すことなどなかった。
(3)和解書
平成18年10月16日に作成された「和解書」について、鈴木は「西が香港で殺されかけたという事件の容疑者にされる、という不安と恐怖感、そして側近の紀井に裏切られたという衝撃から、書面に署名指印してしまった」と主張して、「公序良俗違反」「強迫」「心裡留保」という根拠を並べ立てた。あたかもA氏と西に脅かされたからということを強調した。さらに、A氏の会社はビルの8階にあるが、そのフロアーに上がるエレベーターを止められ、監禁状態に置かれたとか、A氏と反社会的勢力の大物とのツーショットも見せられた、と言い、脅迫を受けたかのごとき主張をした。しかし、当日の面談は録取されており、A氏や西が鈴木を脅かした事実など無いことは明白で、紀井が鈴木の指示で取得株式を売り抜け、巨額の利益金を確保している事実を突きつけられたため、弁明が通らないと覚悟して、それでも隠匿資金の流出を最小限に食い止めるために、さっさと「和解書」に署名、指印したことが推察される。なお、鈴木は「合意書」も「和解書」も2度3度と注意深く読んでおり、「文言に不備があれば修正する」というA氏の言葉にも応じて署名、指印したのである。ちなみに、裁判に提出された音源は最後の部分が切れているという不手際があったが、西が別途に録取したものには録音されていた。
「和解書」作成後、鈴木は頻繁にA氏に電話を入れ、「和解書」を追認する言動を繰り返した。さらに、同年10月23日にはA氏の会社を訪れ、「和解書」に記した50億円の支払方法等について、より具体的な内容に触れた。(当日の録音記録もある)
前記電話でのA氏との会話の中で、鈴木が「西が株を買い支えするために蒙った損害は70億円と言っているが、正確な数字を知りたい」と尋ね、2~3日後にA氏が58億円数千万円と伝えると、鈴木は「その損失額は利益から差し引いて3等分するべきですね」と言った。この発言は、まさに「合意書」に基づく株取引が実行された事実を鈴木自身が認めたものだった。
三者協議の場で、紀井が株取引の実態を証言した事実を巡って、鈴木が西義輝に対して「じゃあもう命落とせば良いじゃないか今。そんだけの腹あるのかお前」(録音記録より)という発言をしたが、「強迫された」と言っている人間が、強迫しているという人間に吐く言葉ではない。(以下次号)

株取引の利益総額470億円を生み出した手口(1)

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[相場師「西田晴男」の関与で莫大な利益]

これまでに西義輝が自殺する直前に鈴木義彦ほか関係当事者に宛てて遺した書面(遺書)の一部を公開したが、西が書き記した書面はこの他にいくつもあった中で「鈴木義彦がユーロ債(CB)で得た利益について」と題するレポートには冒頭に「宝林以外のユーロ債の発行、売却についての詳細を記載する」とあるように、エフアールから始まり9銘柄の手口が具体的に書かれている。

貸金返還請求訴訟で、裁判官が西の陳述をほとんど無視したことは触れてきたとおりだが、このレポートを読む限り、裁判官が無視した真意が分からず、不可解でならない。

第一に挙げている銘柄はエフアールで、「時期は2000年(平成12年)、1株あたり50円にておよそ50億円のユーロ債を発行し、100~360円で売却を行いました。但し、これも一部西田グループに割当株を譲渡し、協力を依頼しているため、鈴木氏の利益は約40億円です」

鈴木と西は株取引を行う際に、大量の株を取得するためにユーロ債(CB)や第三者割当増資を鈴木がタックスへイブンに用意したペーパーカンパニーが引き受けた後、西が株の売買を繰り返して株価を高値で買い支える中で取得した株を売り抜ける、というのが手口だった。

「エフアール社のユーロ債発行後、鈴木氏は私に対し、『800~1000円まで株価を上昇させるので、350円前後で買いを入れてください』との指示をしました。私は言われたとおりにおよそ600万株の買付を数日間に亘って行いました。しかし、この指示は鈴木氏が私を利用して株価を上げさせるための罠だったのです。

この時に私が使った金額は、ファイナンスを活用したため約8億円前後だったと思います。しかしながら、私が株の買付を行った直後、株価は暴落基調に入りました。最終的には平均160円前後で全株式の売却を行わなければならない羽目となり、私は約12億円の損失を蒙りました」

鈴木は、西が蒙った損失の言い訳とその損失の補填について、「西田グループが先に株を売却してしまったために売れなくなった」と言い、「後で必ずエフアール株の上昇により補填を行うから、待っていて下さい」と言ったが、その約束が実行されることはなかった。

「紀井氏は、鈴木氏の指示で、ユーロ債にて得た50円の割当株を売却した中で残りの株は1~2カ月程度の期間のうちに売り下がりにて、下値120円までで売却をしている」という。下値でも2.4倍の価格で売却したのだから、鈴木が40億円の利益を上げたのは実感できる。

問題は西が蒙った12億円の損失の処理だった。株取引をスタートするに当たって交わした「合意書」に基づけば、40億円の利益から株式取得ほかのコスト、西の損失額、東京オークションハウスの手数料(10%)等を差し引いて後にA氏と西、鈴木で三等分することになっていたが、西と鈴木は利益を二人で折半する密約を交わしていたから、A氏には一切報告をせず分配金も渡さなかった。しかし、前述したように鈴木が一向に西の損失を補填しようとしなかったために、西は鈴木に確認を求めた。「その後2001年(平成13年)の鈴木氏との打ち合わせの中で、私は損失補填の要求をしましたが、それまで見たことも無い彼の態度と言動により、彼の本心、性格を知ることとなりました」

具体的なことは書かれていないが、鈴木がものすごい剣幕で西に詰め寄り、損失補填の要求を引っ込めさせたことが分かる。そして同時に、鈴木が利益を独り占めして国内外に隠匿して行った実態も窺えるのだ。

ちなみに、鈴木は親和銀行事件で逮捕、起訴された後、表向きにはエフアールの代表権が無くなり、保有株の名義も無くなったが、実際にはそうではなく社名を「なが多」「クロニクル」と変更した後も常務の天野裕に指示をしてユーロ債の発行や第三者割当増資を実行させるという影響力を行使した。

西のレポートにも、「2005年(平成17年)に66億円(37円/1億8000万株)の新株予約権を引き受け」たとあり、およそ半数の株式売却に成功して約30億円の利益を獲得したという。売ることが出来なかった株式は香港のペーパーカンパニーやプライベートバンクに保管されたが、株価が極端に下がり株式に転換するタイミングが無かったともいう。(以下次号)

株取引の利益総額470億円を生み出した手口(2)

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[西田の側近[白鳥女史]は海外へ逃亡]

西のレポートは次にアイビーダイワの現場に触れている。

「これは2000年(平成12年)5月に実行された。これは鈴木が主導で行ったわけではなく、西田グループの東京事務所で秘書をしていた女性、白鳥女史が中心となり行ったことだった。

およそ70%を白鳥女史、20%を鈴木氏、残りを西田グループの出資にて、およそ12億円(50円/2400万株)のユーロ債を発行した。したがって鈴木氏が引き受けた金額はおよそ2億4000万円であった。

その後、株価は700円前後まで急騰し、利益が約10億円となる。これも鈴木氏および西田グループによる株価操作によるものであり、大変なIR活動、国内の証券新聞および投資顧問会社等への資金提供により、一般投資家に多額の購入を持ちかけた結果でもある」

鈴木と西田晴男との関係は最初の宝林の株取引から密接で、西による株価の買い支えはもちろんあったが、西田グループによる活発な株の売買によって、宝林株はピーク時で2300円の値をつけた。西は1株37円で宝林株を取得することに成功していたから、単純に計算しても63倍近い値で売却したことになる。それ故、鈴木がその後の銘柄選びや株取引で西田グループを重宝がったのは頷けることだった。

「また、この件の中心人物である白鳥女史は、このユーロ債にて15億円以上の利益を上げることができた。ただ、白鳥女史にSEC(証券取引等監視委員会)および国税庁(東京国税局?)から内偵調査が入り、彼女は2002年(平成14年)にヨーロッパへ逃亡し、未だ帰国ができない状況である。ちなみに鈴木氏は、東京オークションハウスの第三者割当増資の際に、私からも要請したものの、自分の資金を使わず、この時に多額の利益を上げた白鳥女史に2億円の増資(出資?)を実行させている」

鈴木は、西との間で利益を折半すると言っていながら、実際には西に対しても分配を先延ばしにしていたことがエフアール、アイビーダイワという2件の株取引の現場を見ただけでも分かる。西が分配に預かろうとして、東京オークションハウスの第三者割当増資を持ちかけても、鈴木は自身では一切協力することなく、白鳥女史に2億円を出させた。鈴木の下で株の売り抜けを任されていた紀井は「鈴木氏の人間性を見ていて、金への執着心は凄いものがあるが、度が過ぎると毒でしかない」と裁判で証言したが、これはまだ優しい言い方で、西への対応で同様の言動を見ると、鈴木はあまりに強欲で、ここまでの悪党はいないのではないか、と関係者全員が言う。

次回も西のレポートを続けるが、読者より多くの注目を戴く中でさまざまな情報が寄せられているため、取材等を進めつつ適宜発信していく予定である。また、記事の内容に重複があるかもしれないが、読者よりの問い合わせに応じた結果、ということである。(以下次号)

株取引の利益総額470億円を生み出した手口(3)

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[株価の吊り上げで伊藤忠商事元役員を社長に]

続いて「昭和ゴム」、「ヒラボウ」そして「住倉工業」を取り上げる。西のレポートによると、鈴木は「昭和ゴム」で約40億円、「ヒラボウ」では約20億円、そして「住倉工業」では約3億円の利益を上げたといい、これら3銘柄の株取引でも西田グループとの関係は密接だった。以下、それぞれの銘柄について触れる。

先ずは「昭和ゴム」だが、「これは、鈴木氏及び西田グループとの合同で発行されたユーロ債で、2000年(平成12年)6月、発行金額は11億3000万円(113円/1000万株)だった」という。

「その内、鈴木氏の引き受けた金額はおよそ8億円であり、西田グループがおよそ3億円」だった。鈴木が40億円もの利益を獲得したのは株価が700円前後まで急騰したからで、約6倍の値で売り抜けたことになる。

鈴木は株価を吊り上げるために「IRにおいては私の名前を活用して、伊藤忠商事の元役員を社長に招いて、全面的に株価の吊り上げが行われた結果である」という。

なお、西田グループの“総帥”である西田晴男(故人)については余りにも有名で、いまさら説明など要らないと思うが、同人が手がけた銘柄として有名になったものの過半数は鈴木が巨額の利益を上げて隠匿したとされる銘柄と一致している。また株取引への取り組み方として西田は自らの証券口座だけでなく銀行口座さえ持たずに周辺関係者の口座を使うこと、預金や不動産などの個人資産もほとんど無く、周辺関係者の口座に溜まった潤沢な資金のみだったという点は、そっくり鈴木にも当てはまっている。社債や株式の取得名義人は鈴木がタックスヘイブンに用意した外資を装うペーパーカンパニーであり、株価を高値誘導するのは西や西田グループ、そして取得した株の売りを任された紀井は外資名義で証券金融会社を経由して取引することで鈴木の名前が出ないよう二重三重の煙幕を張る慎重さだった。恐らく鈴木は、株取引で西田の相場作りでの協力を得るだけでなく、その取り組み方すら取り込んだに違いない。西田の“資産”も鈴木が隠しこんでいると言う関係者も少なくない。(以下次号)

株取引の利益総額470億円を生み出した手口(4)

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[新株売却を違法に仕掛ける]

次に「ヒラボウ」(現OAKキャピタル 東証2部上場)である。「時期は2001年(平成14年)、発行価格は15億円(90円/1600万株)になる」と西は明かした上で鈴木が80%、西田グループが20%を引き受けた。そして、鈴木が得た利益は約20億円であったという。

「この件の担当責任者は、元山一證券スイス駐在所長の茂庭氏でした。私が当時経営していた、日本橋ノモスビル5F内にある投資会社、ファーイーストアセットマネージメントと同フロアに、ユーロベンチャーキャピタルを設立し、ファーイースト社の一室にて茂庭氏が運営代行を行っていた」

山一證券は1997年(平成9年)に自主廃業に追い込まれたが、その原因となったのが1988年9月6日に社長に就任した行平次雄が、バブル崩壊後の株価暴落によって発生した含み損を適切に処理せず、先送りを繰り返した結果、簿外損失が2000億円を超える額にまで膨らんだことにあった。損失を隠すための“飛ばし”の現場が実はヨーロッパ各国にあり、茂庭も簿外損失を隠す中心的な役割を果たしてきた経緯があったことから、そのノウハウは鈴木にとっては、まさに利益隠匿で大いに役立ったに違いない。

「このユーロ債に関しては、ファーイースト社別室にて、茂庭氏立会いの下、鈴木氏の親交ある金融ブローカーや、来社したヒラボウ内部の人物に対し株券の受け渡しを実行しました。鈴木氏は、これらの金融ブローカー会社を3~5社使用し、ヒラボウの新株売却を担当させていた。目的は、自分の名前を出さないことと、本来日本ではすぐに売却できないユーロ債で発行した新株を少しでも早く売却させるためでもあった」

「一方では、西田グループに対し、割当価格の1~2割増しの金額で安く譲渡し、株価上昇に対する協力をさせ、自分が多大な譲渡益を得る工作もしていた」と言い、こうした工作により、鈴木は大量の新株を捌くことに成功したという。ちなみに、金融ブローカーの中で中心的だったのが「吉川某」という元反社会勢力の人間で、宝林株に始まる初期の株取引で吉川も大きな利益を手にしつつSECの目を逃れるようにフランスへ“逃亡”し、以降、同国内に住まっていたという。また、事務所の事務員を愛人として囲い、同じくパリに居住させていたともいう。鈴木は年に7、8回はフランスに出かけていたそうだが、その目的は、もちろん香港経由で海外に流出させた利益をスイスのプライベートバンクに集約させ隠匿する手続をすることにあったろう。

ただし、その後の吉川の消息については知る者が無く、それを鈴木に尋ねた者がいたが、鈴木はあっさりと「あいつは死んだよ」と答えたという。「ある時期から鈴木と吉川の関係がこじれたようで、鈴木が吉川を詰るような口ぶりに変わっていたが、まさか鈴木から『あいつは死んだよ』なんていう話を聞くとは思わなかった」という。最後は「住倉工業」だが、西によると「2002年(平成14年)、割当金額が10億円として鈴木氏と西田グループが合同で引き受けたユーロ債だった」というが、全株式を売却する前に住倉工業が倒産してしまったために、最終的な利益は約3億円に留まったという。 (以下次号)

株取引の利益総額470億円を生み出した手口(5)

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[ステラ・グループ立ち上げは鈴木による新たな暗躍舞台]

西義輝が書き残した「鈴木義彦がユーロ債(CB)で得た利益について」を取り上げるのは今回が最後となるが、宝林株に始まる鈴木と西の株取引の実態がいくらかでも実感されたと思われるが、そうであれば、裁判官は株取引の基になった「合意書」を何故無効と断定したのか? という疑問が残るに違いない。

今回取り上げる「エルメ」はエフアール(なが多 クロニクル)と同様に「アポロインベストメント」と社名を変更した後も鈴木はユーロ債の発行、第三者割当増資の実施企業として何度も利用した。

「2002年(平成14年)5月に総額約12億円(44円/2700万株)を発行した」という中で「これは宝林で協力を戴いた平池氏の案件であり、エルメにユーロ債を発行させる運びとなった」ということから鈴木のみが引き受けることになった。

「当初の約束では、平池氏に対して割り当てた株数のうちの100万株を割当価格にて譲渡する条件」で、平池がユーロ債発行に尽力し、株価も一時329円まで急騰して鈴木は約20億円の利益を上げたが、約束を破り平池には100万株を渡さなかった。「平池氏は鈴木氏に大変な憤りを感じ、後にあらゆる鈴木氏の身辺調査をすることに」なると記しているが、鈴木の身辺ではいつも同じようなことが起きる。鈴木が平気で人を裏切り、利益を独り占めにするからだ。

なお、前述したようにエルメはアポロインベストメントと社名を変えたが、「2005年(平成17年)春に、約23億円(44円/5300万株)にてユーロ債及び新株予約権を(鈴木は)引き受け、約30億円の利益を得た」という。そして翌平成18年以降、アポロインベストメントはステラグループと商号を変え、同興紡績ほかいくつもの企業を傘下に治めて行ったが、これは全て鈴木の差し金によるものだった。グループには不動産取引を扱う企業もあり、鈴木の友人、青田光市も日常的にグループの本社に“勤務”するような行動を取っていた。

これまで見てきた主要な株取引に加えて、鈴木は数多くの銘柄にも手をつけていたが、イチヤ、南野建設、シルバー精工、エスコム、オメガプロジェクト、東海観光などその数は20前後にも上る中で約25億円の利益を上げていたという。こうして鈴木が国内外に隠匿した利益の総額は470億円を超える巨額に達した。

鈴木が仕掛けた銘柄で常に巨額の利益を確保してきたことに、不可解で有り得ないと思われる読者も多くいるに違いない。それは当然のことだったが、そこにはカラクリがあった。西の存在である。「エフアール」のところで紹介したように、西は株価買い支えのために12億円の損失を蒙りながら、鈴木は利益を応分に負担も分配もせず独り占めした。つまり、西が株価を買い支えるために資金支援を仰いだA氏が損失全額を被ったことになる。

1999年(平成11年)から2006年(平成18年)までに、A氏が西の要請に基づいて支援、協力した資金は総額207億円にも上ったというが、全ては「合意書」に基づいてのことであり、当然、鈴木は国内外に隠匿した利益をA氏や西に分配しなければならなかった(ただし、西は鈴木との密約で30億円を受け取っていた)。

平成18年10月16日に、その分配をめぐる三者協議が持たれて、鈴木はどこまでも「合意書」を否定したが、紛議の解決のためと称してA氏と西にそれぞれ25億円、そしてA氏には2年以内にさらに20億円を払うと約束して「和解書」が作成されたが、その後、西が蒙った損失総額207億円の内、鈴木関連の買い支え損が58億円超であることを鈴木がA氏に確認した上で、「それを清算した上で利益を3等分する」ということまで口にしながら、約束を反故にして行方不明を決め込んだ。こうした事実が「合意書」から「和解書」に至る7年間に連綿として積み上がっていたにもかかわらず、裁判官はその全てを無視してしまったのである。 (以下次号)

恩を仇で返して巨額資金を隠匿 この顔に要注意!!

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[プライベートバンクも「脱税」の同罪]
「鈴木義彦」が証券市場から吸い上げた利益を海外に流出させて、かれこれ20年が経過する。ペーパーカンパニーを数多く設立、購入しては用済みになると潰して証拠隠滅を図っていたはずなのに、いつの間にか、その実態なき会社からコンサルタント料を取る国際ビジネスマンを騙るようになった。
外資系の金融機関担当者の皆さん、この男と取引をすると、いずれ犯罪に巻き込まれるリスクが高まるので、然るべき機関にご相談の上、本誌にもご一報いただきたい。

鈴木は住居登録地(神奈川県相模原市)には長らく居住していなかったから、毎年の税の申告ひとつとっても不明な点が多い。そして、海外に隠匿しているとされる巨額の資金については、主にスイスの複数のプライベートバンクにて、複数の口座を使って運用されていて、その口座名義人として、鈴木が第三者割当増資という手口を使い、外資を装うために用意したペーパーカンパニーの一部が生き残り、例えば、ホーリーマネージメントリミテッド、マジェスティック・インベストメンツ・トレーディングは今も存在している事実が確認されている。それ故、その一端でも表面化すれば、関係当局は鈴木の財産と見られるすべてに凍結の指示、要請を関係する政府、金融機関にかける。いったん凍結された財産は30年間、解除されることはない(その後は事実上没収の対象となる)。事は国税当局だけでなく、金融庁に蓄積されたデータも共有されて実態の解明に向かうだろう。疑惑が持たれている隠匿資金は十数年間の利回りを含めると1000億円を超える規模になっていると思われるが、全額が国庫に没収されることになるから、国税当局や金融庁が動くのは必至だ。ちなみに事情を知る関係者によると、日本国政府が相手国と司法取引で没収という手続に入ると、鈴木を顧客としたプライベートバンクにも厳罰が下ることになるが、相手国にも事実上分配されるのが慣例という。(以下次号)

明らかになった鈴木義彦の虚偽証言(1)

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〔記事削除申立について〕(公開質問状に鈴木は一切の反論はできない)
2015年に掲載された「東京アウトローズ」での西義輝の自殺に関する記事の削除申立で、鈴木は「陳述書」まで提出するという異例な対応をしていたが、その中で「証券、金融口座が開けない」と吐露した。しかしそれは鈴木自ら「反市場勢力」と金融当局から認定されていると告白しているに等しいではないか。もちろん口座開設拒否の責任を情報誌に押し付けること自体、余りにお門違いの言いがかりで論外だが、本誌は鈴木が裁判に勝訴したことには大いに疑問を持ち、裁判記録を検証する中で、先ずは裁判に至る経緯を取り上げ、さらに鈴木が事実を隠蔽するために吐き続けた嘘の数々を列挙し、さらに訴訟の場で裁判官が何故鈴木の嘘を見抜けず(誤審)、誤りの判決を下すことになったかについて具体的に検証した。

記事削除を申し立てた「東京アウトローズ」の情報は西義輝の自殺に限られていたが、記事削除後に新たに貸金返還請求訴訟について具体的な問題点を詳しく取り上げたにもかかわらず、鈴木は何ら抗議をすることも無く、また責任ある回答もしていない。それどころか、判決を受け削除された記事が残存しているとして、鈴木はプロバイダーだけに圧力をかけ、その後に発信した記事には一言も反論していないのである。本当におかしな話ではないか。鈴木には本誌の問いに答える義務があると考えるが、鈴木をめぐる疑念と裁判官による誤審(誤判)については公にすべきと考え公開質問とした。

〔株取引が疑惑の始まり〕
鈴木をめぐる裁判については、マスコミでも「有り得ない判決」と違和感を持って関心を寄せており、裁判記録を精査している記者が多くいるかと思うが、当方の意思に拘わらず、記事の削除という事態が起きたことを理由に鈴木に対する取材が滞ったり中断することはない。さらに本誌に寄せられている情報によれば、鈴木が今後刑事責任を問われるような事態がいくつも生じる可能性に言及する記者も何人かいる中で、裁判官が重大な誤認に基づいた判決を下しているのではないか、という疑念、そして再審請求の可能性すら想定しているようである。鈴木には海外に巨額の資金を隠匿しているという疑惑が以前からあり、それがここにきて急に浮上することになった理由は、ほかでもなく今回の裁判で原告(A氏 鈴木が「陳述書」で呼称)のまさかの敗訴に対して、双方の関係者やマスコミが誤審と考え精査が始まったからだ。裁判で判決は出ていても、誤判を疑われる故に鈴木をめぐるトラブルは依然として収束しておらず、却って周囲の関心が高まったといえる。

以下に挙げる事例は全て事実であり、鈴木がその場その場をやり過ごすために言いつくろった虚偽の証言が多く確認されている。
(1)鈴木の記事削除申立で提出された「陳述書」は、勝訴を前提にしているとはいえ、まさに度が過ぎるほどに事実を歪曲しており、裁判におけるいくつもの虚偽証言が明確になっているだけでなく、裁判に未提出の証拠類(10本以上の録音テープ、多くの書類等)も沢山ある中で、それらが次第にマスコミにおいても共有されつつある。

(2)「陳述書」には西義輝に関する記述があるが、鈴木が平成10年5月31日に親和銀行不正融資(商法違反)事件で逮捕される直前の半年ほどの間で、西がA氏からの約28億円(詐欺横領に係る分を含む)という巨額の融資を仲介して保証人となり、鈴木の窮地を救った関係にあった。そして、鈴木が弁護士費用や生活費等を名目に借り入れを依頼した際に西の妻が1800万円を貸し、また、これとは別に西個人でも鈴木の愛人宅に毎月50万円を届けるような支援をした経緯があった。さらに西が鈴木に頼まれ、会社で鈴木の父徳太郎を雇用して60万円の給与を支払っていた。そうした事実を無視して西を足蹴にする言動を平気でする鈴木は決して許されるべきではないのではないか。

(3)10日で1割以上の金利を伴う借り入れでも資金繰りが追いつかず、自己破産はもちろん、自殺という選択肢すら鈴木の脳裏に浮かんでいたような状況を救ったのはA氏であり、またA氏以外にはいなかった。A氏は鈴木からの返済が一切なかったにも拘らず、逮捕直前にも8000万円を貸しているが、そんな人間は他にはおらず、それはA氏、鈴木周辺の関係者全員が認めていることで、鈴木も分かっているはずである。

(平成10年11月26日、決算対策でエフアールに一時預ける際に、西が手形(一部)のコピーに添え書きした。)

 

(4)鈴木は手形以外にいくつも物品を持ち込み、A氏はそのたびに言い値で買ってあげていた。ピンクダイヤモンドとボナールの絵画も言い値の3億円でA氏に買ってもらっていた。但し絵画は一度も持参しなかった(他の債権者の担保に入っていたことが後日判明)。関係者によると、「鈴木は後日トラブルになることを想定して、証拠の残らない方法でA氏から融資を受けていた。帳簿に記載したり銀行口座を介して金を動かしていれば、もっと早い時期に鈴木の嘘は発覚していた」(以下次号)

明らかになった鈴木義彦の虚偽証言(2)

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〔裏切りの報酬10億円〕
(1)西と鈴木は平成11年5月末から開始した仕手戦で一攫千金を狙い、株価を高値誘導、維持するために、A氏に資金支援を頼み協力を仰ぎながら、その際に交わした「合意書」(平成11年7月8日作成)の全てを反故にして騙し、A氏に巨額の損失を負わせ鈴木は利益を独り占めにした。この「合意書」は銘柄欄が空白で、ただ「本株」とだけ書かれていたが、「本株」が宝林株式であることに疑いはない。また「今後本株以外の一切の株取扱についても、本合意書に基づく責任をそれぞれに負う」と明記しており、西と鈴木が継続的に株取引を実行する意思表示がなされていた。
平成11年7月30日、西が「株取引の利益」と言って15億円をA氏の会社に持参した。A氏は「合意書」に基づいて3等分するものと考えたが、西が「私と鈴木の取り分は返済金の一部に充てる」という約束通り、A氏は全額を受け取った。が、そのうち1億円を心遣いとして「鈴木さんと分けなさい」と言って渡した。翌7月31日、鈴木と西がA氏の会社を訪ねた際、A氏が利益金の処理を確認したところ、二人とも了解し、A氏から5000万円ずつを受け取ったことに礼を述べた。

(2)ところが、実際に鈴木は西と組んで仕掛けた仕手戦で巨額の利益を出しながら、A氏には全うな報告もせず、西を窓口にして「都内のマンションの1DKで頑張っているから長い目で見て欲しい」などといった言い訳ばかりをA氏の耳に入れさせていた。西と鈴木の仕手戦の最初の銘柄は「宝林」で、同株の利益約160億円は次に仕掛ける銘柄の“仕込み”に使う一方で相当額を鈴木は密かに海外に流出させていた。

(3)鈴木は周到な計画を立て、海外に流出させた利益金の詳細を西にも詳しく語らず、独り占めを図った。そして、平成14年2月27日に志村化工株の取引で、東京地検特捜部が西ほかを相場操縦の容疑で逮捕するや、鈴木は西と距離を置くようになった。特捜部は事件の本命を鈴木と睨んでいた。しかし、「逮捕直前に鈴木が土下座をして、『私の名前は絶対に出さないで欲しい。そうしてくれたら、西会長が出た後には言うことは何でも聞くから』と懇願した」と西は後に証言したが、取調べで西が鈴木の関与を否認したために逮捕が見送られたと思われる。西の保釈後、鈴木は掌を返すように西との距離を置き始めた。このことだけでも鈴木の人間性が分かるのではないか。

(4)なお、平成11年9月30日付でA氏はエフアールに対して「債権債務はない」とする「確認書」を交付した。鈴木はA氏から融資を受ける際に手形か借用書を預けていたが、決算対策上は処理しておかねばならず、前年の平成10年9月にA氏は手形の原本を西経由で天野に渡して、監査法人の監査終了後に問題なく戻ってきたため、同様に協力したものだった。「確認書」は、この時に西から頼まれ便宜的に作成したに過ぎなかった。

(5)西が保釈された直後の平成14年6月、A氏が貸金と株の話をしたところ、「株取引の利益がこれから大きくなるので(債務を)圧縮して欲しい」と西がA氏に話したため、A氏は了解し、鈴木への40億円超(金利年15%を含む)の貸付金を25億円に減額したうえで、同月27日に新たに借用書を作成した。その際、鈴木が「社長への返済金10億円を直近で西に渡している」と言い出したため、A氏が西に確認したところ、西が金の受け取りを渋々認めたため、鈴木が15億円、西が10億円の借用書を作成し署名した。この二人の借用書には確定日付(6月27日付け)がある。

(6)しかし、西が受け取った10億円は、実はA氏への返済金ではなく、鈴木が「合意書」の破棄を西に執拗に迫り、それを西に実行させるための「報酬」として複数回にわたり紀井から西の運転手である花館を経由して手交されたものであったことが後日判明した。平成18年10月16日に話し合いが持たれた際に、西に「これくらいは認めろ」と言われ、鈴木もこのことについては認めていた。

(7)なお、鈴木は西との仕手戦で獲得した利益の中から親和銀行に対して損害補填による示談を申し入れ、約17億円を支払うことで示談を成立させた(平成12年1月19日付け)。もし損害補填がなければ、鈴木は執行猶予とならず実刑だったに違いないが、「合意書」に基づけば、鈴木は横領を働いたことになる。エフアールや鈴木個人の借金(負債)の清算に充てるという、こうした例は他にタカラブネ株の返還訴訟で山内興産に約4億円を支払って和解した事実もある。(以下次号)

明らかになった鈴木義彦の虚偽証言(3)

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〔香港へ渡航 その先にあったのは殺人未遂〕
鈴木義彦への疑惑の核心は、西と鈴木が「合意書」に基づいて株取引が行われ、巨額の利益がありながら、鈴木と西が密約を交わしてA氏を外しにかかり、さらに鈴木は西をも排除して利益の独り占めを謀ったという点にある。西が鈴木の裏切りによって、次第にA氏に真相を明らかにするようになり、また鈴木の側近で、鈴木の指示で取得株式の売りを全て任されていた紀井義弘も重い口を開いたことから、ようやく株取引の実態を理解したA氏が平成18年10月16日に鈴木を呼び、西も同席して鈴木を質した。

(1)鈴木は「宝林株」の取引すら「合意書」とは関係ないと言い張り、「合意書」は交わしたが、「何一つ履行した事実がなかったので忘れていた」などと言って、完全に否定した。しかし最後には宝林株の取得でA氏が3億円を出したことと株取引だけは認め、「分配金はすでに渡し終わっている」と言った。「合意書」が関係ないと言うなら、何故、宝林株を売ることができたのか。また、「合意書」には「今後一切の株取引」と明記されている。仮に鈴木が単独で株取引を実行したとしても、「合意書」を前提にA氏や西に報告をして、協議しなければならなかった。

(2)西は平成18年10月2日に香港に向かったが、その目的は利益の分配金を受け取るためだった。その際、西は妻に「置手紙」を残していたが、その中に「(鈴木と)二人の約束は、今後宝林だけでなく、あらゆる第三者割当増資(ユーロ債)から得られる利益を、経費を除き折半する約束」「平成11年から平成14年までは、彼は私との約束を守り、30億のお金を払ってくれ……」と注目すべき部分がある。鈴木が西に30億円を渡した事実が明らかになったことから、鈴木の主張が嘘であることが明白となったが、「分配金は渡している」との証言に基づけば、鈴木はA氏にはいつ、いくらを支払った、というのか。

(3)株取引の利益は最終的に60億円という鈴木の発言を基にしつつ、「合意書に関する問題を解決するために50億円(A氏と西にそれぞれ25億円)を支払う」と鈴木が言ったことから、西が予め用意していた「和解書」に鈴木は金額を書き入れ、署名指印した。さらに鈴木は「社長には大変世話になったので、2年以内にあと20億円払います」とまで語ったが、「西の言い方が気に入らないから」と言って、それは「和解書」に書かなかった。裁判官は鈴木が「和解書」に署名指印したことを強迫や心裡留保と決めつけたが、和解後にA氏に届いた手紙の中にも「(A氏を)男として一目も二目も置く」とか「大変世話になった」と直筆で書かれている。

(4)その後、鈴木は何度となくA氏に電話を入れて支払の確認をする時に、「西の買い支え損は約70億と言っていたが、正確にはいくらか?」と尋ね、それを確認すると「全体の利益より引いて3等分しないといけませんね」と鈴木はそこまで追認していた。1週間後の10月23日には再びA氏の会社を訪ね、そのときにも支払についての確認をしていた。

(5)しかし、約1ヵ月後の11月末に「50億円の支払を一旦留保する」旨の鈴木からの手紙がA氏の元に届いた。A氏は翻意を促す手紙を書いたが、内容がほとんど同じ手紙が再び届き、以降、鈴木は所在を不明にし、弁護士の平林英昭と青田光市が「代理人」として窓口に立った。途中で代理人を立てるくらいなら、何故、最初から弁護士を入れなかったのか。

(6)これら両人は、問題を解決するどころか逆に紛糾させるだけだった。青田は「鈴木はA氏と西に脅かされて怖くなり、和解書に署名しなければ、その場を切り抜けることができなかった」と言い出し、また平林は鈴木の債務総額について、交渉のたびにコロコロと変わるほど主張を変転させた。さらに「和解書」についても青田と同様に「強迫」とか「心裡留保」というありもしない状況を根拠に無効を主張した。それが本当ならば、A氏と初対面の際に「社長さん、50億円で何とか手を打って頂けませんか? 50億円なら、鈴木もすぐに支払うと言っているんで……」と平林は言ったが、そのような言葉を口にするはずはなかった。それ故に「強迫」だの「心裡留保」など有り得ない。

(7)青田は三者の話し合いには一度も立ち会っておらず、その場の雰囲気すら分かっていないのに、「エレベーターを止められ監禁状態に置かれた」とか「ビルの下で待機していた」、あるいは西が香港で事件に巻き込まれたことについても「西は香港へは行っていない」など、都合によって口からでまかせの発言をする人物という評価が関係者全員の一致した印象だった。しかも、「和解書」の作成後に鈴木からA氏に送られた2通の手紙には強迫や心裡留保に当たる文言は一切なく、支払の撤回は西と紀井の情報漏えいを理由にしていた。したがって、平林弁護士が鈴木の依頼に応え苦肉の策で作り出した強迫や心裡留保は後付けに過ぎなかった。

(8)平成9年9月~平成10年5月までにA氏が融資した金額が約28億円あったが、鈴木は前述の「確認書」を盾に「平成11年9月30日に15億円を支払い完済した」と主張した。鈴木の言う15億円は西が同年の7月30日に持参した15億円を指していたが、9月30日に金銭の授受はなかった。手形の原本は確かに鈴木の手許に戻ったが、借用書や預かり書など全ての原本はそのままA氏の手許にあり、「確認書」が債務完済の根拠になどならないのは明白だった。また、貸付金約28億円は元本であったから、15億円では完済とならない。エフアールの常務(後に代表者)だった天野裕は、「前年の平成10年9月にも決算対策のために西さん経由で手形を預けて頂き、再びA氏に返した。お陰で取締役会で議題にもならなかった。従って平成11年当時の確認書も便宜上のものと認識している」と鈴木の主張を完全に否定した。

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(9)天野は平成23年8月3日に急逝したが、生前に偶然、東京・赤坂の高級クラブでA氏とも会ったことが数回あった。「天野会長は社長(A氏)と会う度に社長の席に挨拶に行っていた。その際には、『鈴木が大変お世話になっています』と挨拶をし、一緒に来ていた3~4人の取り巻きにも『鈴木が今あるのは、全てこちらの社長(A氏)に数百億円の資金をお世話になっているお陰です』と言っていた」と某クラブの店長が言う。ほかにも何人もの同様の証言がある。

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(10)ある時期に鈴木が巨額の資金を有している事実を天野が質すと、鈴木が「A社長の資金だ」と答えたというが、その後、A氏との対立が深刻になると、鈴木は天野に「A氏とは絶対に会うな」と命令したにも拘らず、前述したように鈴木には内緒でA氏と会ったために、鈴木からひどく咎められ、以来、二人の関係は険悪になったという。ちなみに、天野の急逝について、クロニクル(=旧エフアール)は「自宅で病死」と発表したが、一部には都心の京王プラザホテルの客室で首を吊って自殺し、それには「鈴木が関係している」と言う関係者も少なくない。また、天野が鈴木の保釈後「A氏には感謝しなければいけない」といった趣旨の話をしていたというが、それについて鈴木は「和解書」作成時にA氏に感謝の言葉を伝えていた。(以下次号)

明らかになった鈴木義彦の虚偽証言(4)

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〔今後一切の株取引と合意書に明記〕
前述したピンクダイヤモンドと絵画の準消費貸借契約について、鈴木は平成9年10月15日にエフアールを債務者としてA氏が3億円を貸し付けた際の借用書と合致させて「3億円は借りておらず、ピンクダイヤモンドと絵画の代金3億円の借用書を書いた」と主張した。期日を確認すれば明らかな通り、3億円の貸付は平成9年10月15日で、ピンクダイヤモンドの持ち出しよりも7ヶ月も前のことだった。さらに平成10年5月28日付の「念書」まで書いているのだから、支離滅裂としか言えない。(しかも、鈴木は絵画を一度も持参しなかった)

平成18年10月13日、16日、23日の話し合いの場において、鈴木はかろうじて宝林株が「合意書」に基づく株取引であった事実を認め「利益は二人に分配した」と言った。そしてまた、その後の株取引は鈴木個人によるもので「合意書」に基づくものはひとつもなかったと主張した。しかし、「合意書」には「今後本株以外の一切の株取扱についても、本合意書に基づく責任をそれぞれに負う」と明記しており、鈴木の主張は通らない。株の売りを全て任されていた紀井の証言によれば、「宝林株の時より、誰か大きなスポンサーが付いたと思ったが、後日『合意書』を見て理解できた。宝林株以後の銘柄も数多くあったが、それらも全て『合意書』に基づいた株取引だった」ということだったが、当然の事である。ちなみに実行された株取引は宝林株のあとエフアール、アイビーダイワ、住倉工業ほか数多くの銘柄を挙げており、西もまた具体的な経緯を説明していた。「合意書」の解除は三者の協議による同意を必要としたのは言うまでもなかった。(以下次号)

明らかになった鈴木義彦の虚偽証言(5)

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〔捻じ曲げられた真実 裁判官はなぜ騙されたのか〕
A氏との貸金返還請求訴訟において、鈴木側が法廷に提出した物的証拠は先に触れた「確認書」1点だけで、それ以外は全て鈴木の構築した虚偽の証言を無理やり裏付けるための主張でしかなかった。ところが、裁判官は何を根拠にしたかを明確にしないまま、鈴木の主張した「強迫」や「心裡留保」を採用して、「合意書」と「和解書」を無効とする判決を下してしまった。「合意書」から「和解書」に至る7年間に現金の授受はあったにしても、三者による「合意書」の履行に伴う具体的な協議や手続処理が行われていないのは整合性がない、というのだが、A氏が何度も協議を申し入れても西が裏切って正確な情報をA氏の耳に入れず、鈴木は故意に姿をくらませて所在がつかめない状態で、どれほど的確な対応ができたのか、はなはだ疑問だった。そして、鈴木がA氏に送った2通の手紙の内容からも「和解書」作成時の話し合いが強迫には当たらず、心裡留保にもならないことは十分に分かるはずだった。整合性のない鈴木の主張を、裁判官が証拠として採用したのが不可解でならず、誰が見ても誤審を疑わざるを得ない。

(1)「確認書」に関連して鈴木の代理人は、「手形の約束期日に銀行へ取り立て依頼をしていない」とか、「普通は手形訴訟を起こすはず」と主張したが、A氏が鈴木の要望を全て受け入れ協力してやった好意につけ込んであらゆる事項で「原告の主張は有り得ない」という。何故そこまで協力したかが分からないために「有り得ない」としか言えないのだ。「和解書」作成以後もA氏への手紙で「大変お世話になった」とか「男として一目も二目も置く人には会ったことがない」と述べたのは鈴木自身だった。

(2)鈴木の証言や主張は場面が変わるに従って、どんどんひどく変転した。鈴木が所在不明となって以後、平林弁護士と青田は支離滅裂で不当な主張を繰り返し、そしてそれを裁判にまで持ち込んでさらに増幅させた。裁判官が、そうした鈴木の主張や証言の変転に何ら目を向けていなかった。裁判官は鈴木が「売らせて欲しい」と言ってA氏の会社から持ち出した時計(4億円相当)やピンクダイヤモンドと絵画(3.4億円)について、「(時計は)上代が40億円超と言いながら、それを4億円で取引するのは経済的整合性がない」と断じて債権を認めなかったが、業者間での取引や決算対策等では一つの手段として行われていることだ。裁判官が単に「世間知らず」ということで、7億円超の債権が認められず、鈴木の悪意が見逃されるのは本末転倒だ。

(3)さらに鈴木は平成14年6月27日の借用書作成時に「社長への返済金として西に10億円を渡した」と言っていたが、法廷に提出された証言では「言っていない」とか「言った覚えはない」と翻し、また平成18年10月16日の「和解書」作成時に鈴木は「2年以内に20億円を払う」と約束したが、その後はこれを「贈与」と言ったり、最後には「20億を払うとは言っていない」と変わったこれらの証言が虚偽であることは、面談の録音記録に残っていた。

(4)鈴木のように二転三転するような証言を裁判官が証拠として採用することは先ずない、というのが裁判官による認定の通例であるにも拘らず、こうした虚偽の証言を裁判官は「合意書」と「和解書」の無効を理由として、安直に「(鈴木が)明確に意思表示した事実は認められない」と判断する一方で、西が「株取引の利益」と言って持参した15億円、鈴木が持参した10億円をA氏への返済金と断定してしまった仮に原告が鈴木のような人間であれば、この2件の金の授受は証拠が無いのでA氏はシラを切ることさえできた。しかし、原告はそれをありのままの真実の証拠として提出したのだが、それも裁判官は無視したのである。鈴木が法廷に提出した証拠が唯一[確認書]であったにもかかわらず、6人の裁判官が疑問を持たなかった理由は何か。金額の違い他あらゆることに整合していない。

(5)鈴木は西から聞いた話として、「A氏の背景には反社会的勢力が控えており、逆らえば命に関わる」などというありもしない作り話を証拠として平気で法廷に提出した。しかし、この言い回しは全て西が語っていたことという、まさに「死人に口なし」の作り話であって、A氏と西、鈴木の間でそのような会話がなされたことも一度もなかった。したがって、裁判官には確認のしようもない、極めて卑劣な誹謗中傷の作り話であることが分かるちなみに、A氏の会社は東京・新宿の高層ビル街に建つ新宿センタービルの43階に本社があったが、同ビルに入居するには厳密な審査があって、仮に鈴木が言うような経歴がA氏にあれば、決して30年も継続して入居などできなかった。鈴木の証言は西が死亡していることを奇貨としてA氏から反論されても「聞いた話」という逃げ道を作った、言いたい放題の証言で、裁判官がこうした証言をまともに採用したとは思えないが、少なからず心証に影響した点は否めないのではないだろうか。(以下次号)

明らかになった鈴木義彦の虚偽証言(6)

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〔「上野の会長」と呼ばれた青田光市〕
(1)西が自殺した直後、A氏は西の妻子と共に鈴木の実父(鈴木に頼まれ、西の会社で働いていた)の自宅を訪ねた。鈴木の実父と鈴木の妹が同道して最寄りの警察署に出向き、鈴木に電話を架けると、鈴木は言を左右にして「今は警察署には行けない」と言って拒み、「明日以降で必ずA氏に電話をするから」と言ったにも拘らず一度も電話はなかった。脅しという言葉をA氏に対して使うならば、警察署でその意思を明言する良い機会でもあったはずだ。

(2)鈴木の側近(裏方?)として永い付き合いのある青田光市は、広域指定暴力団幹部とは20年来、実懇の関係にあり、そうした暴力団幹部らと金融などの付き合いで彼らから「上野の会長」と呼ばれているという。さらに、鈴木の代理人弁護士を務めた平林英明も、その暴力団トップと複数回面談している事実がある。これは懲戒に当たる行為ではないのか。

(3)A氏の代理人となった利岡正章が平成20年6月11日、伊東市内のパチンコ店駐車場で広域指定暴力団(N一家)の構成員ら暴漢2人に襲撃され、全治3ヶ月の被害を受けたが、裁判で鈴木の代理人が「襲撃ではなく、偶然に起きた諍いあるいは事故」と主張した。その後、利岡や関係者の調査で、利岡の襲撃は「青田の依頼による」という複数の証言が得られた。利岡襲撃事件の後、青田が20年来懇意にしてきたN一家のNO.2に「(自分とは今まで)一切付き合いはないことにしてくれ」と口止めをしたり、同一家の構成員らに車を買ってやったり、海外旅行に連れて行ったりしたという証言もN一家の上部団体の幹部数人よりあった。

(4)A氏の下には鈴木や西とのやり取りを始め数多くの面談の録音記録があるほか、相当数の関係書類があって、それらがA氏の代理人弁護士により的確な形で証拠として提出されなかったのは大きな不手際に違いなかった。鈴木側が法廷に提出した証拠と言えるものは、前述したように「確認書」(平成11年9月30日付)だけだったから、そこにA氏側の弁護士に大きな油断があったのではないかと思われる。

(5)なぜ、裁判官がA氏側の証言や証拠を適正に検証せず、故意にとさえ思われるほど西や紀井の証言を軽視したのか、不可解でならない。
鈴木は、別誌記事削除仮処分の審尋に提出された「陳述書」で「海外での資産運用で生計を立てている」と述べているが、前述したように、その資産なるものはいかなる経緯で形成されたものであったのか? また、海外財産調書制度に基づいて国税当局に申告をしたものであるのか? など事実関係の究明が今後、マスコミを含めてなされることは必至の状況にある。すでに、鈴木が真っ当な主張で訴訟に勝ったのではないという事実に触れてきたが、鈴木が勝訴したことで逆に重荷を背負うことになると想定されるのは、まさに前述の動きがあるからである。(以下次号)

海外流出資金470億円は今や1000億円超(1)

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〔鈴木義彦の巨額利益独占〕
平成11年2月、東京オークションハウス(以下「TAH」という)の経営者である西義輝に、宝林(現サハダイヤモンド)株800万株の売却情報が持ち込まれ、西は調査の結果、スポンサーであるA氏に宝林株800万株の買取り資金3億円の相談をした。A氏は資金3億円の用意を約束し、買取り決済日(5月末)までに資金を西に預けた。
宝林株800万株を取得後、西と鈴木義彦は株価維持の資金に不安を覚えA氏に今後の資金協力を要請した。
二人は、宝林株だけでなく他の銘柄でも証券市場で高値で売り抜け利益を出すという計画を話し、鈴木が一人熱弁を振るってA氏を説得にかかった。そして鈴木は「これが成功しないと、二人(鈴木と西)ともA氏に今までの借金の返済ができない」とも告げ、A氏は鈴木と西の説得に応じた。そこで西が「合意書」の作成を提案し、その場で簡単ではあるが最低限の要件を整えた書面が作成されることになった。

「合意書」は、A氏、西、そして鈴木が株式の売買、売買代行、仲介斡旋、その他株取引に関することはあらゆる方法で利益を上げる業務を行うことを第1の約定とした。株式の銘柄欄は空白で、ただ「本株」とだけ書かれていたが、それが宝林株であることには疑いがなかった。また、「今後本株以外の一切の株取扱についても、本合意書に基づく責任をそれぞれに負う」ことや「合意書」に違反した行為が判明したときは「利益の取り分はない」と明記して、西と鈴木が継続的に株取引を実行する意思表示がなされた。

株価維持のための資金協力をA氏に仰いで巨額の利益が生み出されたにも拘らず、鈴木と西はA氏を裏切り、利益を折半する密約を交わしてA氏には株取引の情報を伝えなかった。

鈴木に指示されて取得株式の売りを全て任されていた紀井義弘は後日、「平成18年までの約7年間で得た利益の総額は少なくとも470億円以上」として書面にしたが、鈴木はA氏に相談することなく勝手にそのほとんどを外資(ペーパーカンパニー)名義で海外に流出させ、さらにスイスのプライベートバンクに集約させていた。  (以下次号)

海外流出資金470億円は今や1000億円超(2)

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〔「和解書」に50億円を自書〕
西は平成18年10月2日、香港に向かった。「鈴木から利益金の分配金を受け取るため」だったという。「日本国内では色々まずい面もあるので、香港で受け渡しをしたい、と言う鈴木の意向に応じたものだった。もちろん社長には秘密であった」。
ところが、西はTamと称する鈴木の代理人と会った直後に事件に巻き込まれ、殺されかけた。西が宝林の2回目の第三者割当増資の際にTamに会っていることは紀井も承知していた。

西は香港から帰国後、ようやくA氏に香港に行った理由も含め、これまでの経緯の真相を語り始めた。A氏は鈴木が株取引で獲得した利益を独り占めにして、海外に隠匿している事実を初めて知った。
「合意書」に基づいて、平成11年7月から約7年間、株取引はずっと継続しており、しかも莫大な利益を上げるための原資は全てA氏が負ってきたので、何らかの入金があった時には、一旦全ての金をA氏に入金することになっており、鈴木が利益を3等分するのは当然のことだった。

平成18年10月16日にA氏と西、鈴木の三者協議が持たれた。その場でA氏は、西と鈴木に真実に沿ってしかるべき対応をするべきだと強く主張した。しかし、鈴木は頑として「合意書」に基づいた株取引を行った事実を認めなかった。

だが、紀井が宝林以外の銘柄でもそれぞれ10億円単位の利益を出した事実について、西に説明している録音テープを聞かされたことで、鈴木は最後には宝林株取得の資金はA氏が出したことを認め、宝林株の取引が「合意書」に基づいたものであったことも認めた。最後には「社長には、これまで大変お世話になったので、西の話は受け入れられないが、この問題を解決するために50億円を払います」と述べた。

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西があらかじめ用意していた「和解書」を鈴木の前に提示すると、鈴木は文言を何度も読み返し、真っ先に自筆で空欄となっていた金額欄に50億円(A氏と西それぞれに25億円)と書き、併せて住所と氏名を書き記し指印した。書面には「最近の経緯から乙(西)丙(鈴木)は本合意書に反したことは明白である」との表記があり、合意書どおりならば2人には利益の取り分は無く、鈴木と西がそれを認めた事実は重い。これを裁判官は無視できなかったはずだが、判決を見る限り一切考慮していない点は批判されるべき汚点である。

〔株資金を懇願し続けた鈴木と西〕
それから約1ヵ月後の11月末、鈴木はA氏宛に手紙を郵送し、「和解書」について「どうにも納得ができない」として「もう少し考えさせてほしい」という文言を書き連ねていた。そして、鈴木自身はA氏との直接の交渉に応じず、代理人として弁護士の平林英昭と友人の青田光市の二人を立てるので、代理人と交渉をして欲しい、という極めて無責任なものだった。

この手紙が郵送されて以降、鈴木は所在を完全に不明にして、交渉の窓口に立った弁護士の平林英昭と友人の青田光市は問題を解決するどころか逆に紛糾させるだけだった。(以下次号)

海外流出資金470億円は今や1000億円超(3)

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〔高裁判決は地裁判決の誤字脱字を修正のみ〕

貸金返還請求訴訟において、鈴木は平成9年9月から同10年5月28日までの期間で発生した債務約28億円(ダイヤモンド、絵画、時計等の詐欺、横領分を含む)について、平成11年9月30日付でA氏が鈴木に対して交付した「確認書」をもって「債務は完済された」と主張した。

(写真下:ピンクダイヤモンドと絵画の販売受託を示す念書)

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手形原本をエフアールに預けるのは2度目であったので、A氏は問題はなかろうと了解したが、さらに債権債務は無いとする「確認書」も欲しいという鈴木からの依頼があった。この手形の預け依頼は、2度ともA氏と天野、鈴木の間に入った西が行っており、特に「確認書」の交付についてA氏は西に「大丈夫なのか?」と確認し、西が問題はないことを証するため「手形原本の預けと『確認書』交付はエフアールの決算対策のために鈴木の要請によるもので、債務は返済されていない」旨を記した「確認書」を別に作成して当日A氏に渡していた。

A氏は同じ趣旨の「確認書」を西の会社(東京オークションハウス)にも交付したことがあったために躊躇はしたが「確認書」の交付に応じた。西が手形原本と「確認書」をA氏から預かり鈴木に渡した後、鈴木からA氏宛に「無理なお願いをして申し訳ありません。本当に有難うございました」と礼を述べる電話があった。

そうした経緯がありながら、株取引の利益分配でA氏と西、鈴木の関係に溝ができ深刻な対立が起きると、鈴木は一切返済していない債務約28億円を反故にする為に「確認書」を持ち出した。鈴木が裁判で証拠として提出したのが唯一この「確認書」で、このことだけでも鈴木の言動が嘘であることが明確に分かる。

また、「合意書」に基づいた株取引を行った事実も認めず、「和解書」についても交渉で平林が主張した“強迫”と“心裡留保”を根拠にして、それを裏付けるような虚偽の出来事を陳述したのであったが、虚偽であることを裏付ける証拠も多く見つかっている。

貸金返還請求訴訟で裁判官は「合意書」については、鈴木が宝林株での株取引があったと認めたにもかかわらず、それに基づいた株取引が実行された証拠がないとして認めず、したがって「和解書」も無効だとする判決を下した。鈴木が認めた部分さえ証拠と捉えず、納得のいく説明がないまま終了した。

A氏は、当然ながらそれを不服として控訴した。しかし、控訴審の裁判官は審理もろくに行わず、誤字脱字の修正のみで地裁判決を丸ごと支持する形でA氏の主張を退けた。

地裁判決によると、「株取扱合意において定義されるべき分配対象利益の内容及び範囲は、余りに無限定というべきもの」であり、「被告に対して法律上の具体的な義務を負わせる上で最低限必要な程度の特定すらされていないものといわざるを得ない」という判断をした。
裁判官が、「合意書」の体裁や文言の定義づけに拘るのは仕方が無いとしても、鈴木の証言や主張は場面が変わるに従って、どんどんひどく変転した。A氏、西との対応や発言、鈴木が所在不明となって以後の平林と青田の支離滅裂で不当な主張、そしてそれを裁判ではさらに増幅させた。裁判官は、そうした鈴木の主張や証言の変転に何ら目を向けなかったのは何故か。

平成18年10月16日に和解書を作成した三者協議の後、鈴木は頻繁にA氏に電話を架け、「西の買い支え損は約70億と言っていたが、正確にはいくらか?」と尋ね、それを確認して「全体の利益より引いて3等分しないといけませんね」と鈴木はそこまで「合意書」の有効性を追認した。また1週間後の10月23日、鈴木が三たびA氏の事務所を訪れた。これほど立て続けに鈴木が姿を見せるのは珍しかったが、「和解書」で約束したA氏と西それぞれに25億円を支払うことと、その後2年以内にA氏に20億円を支払うことについて、より具体的な説明をした。鈴木は、少なくとも「不正があれば利益の分配は受けられない」ことが「合意書」に明記されていたからこそ「和解書」でも不正を認め、金額50億円の支払を提示したことが容易に推察される。それ故に“強迫”や“心裡留保”など根拠になりようがないのに裁判官はあっさりと採用してしまったのである。

鈴木のように二転三転するような証言を裁判官が証拠として採用することはない、というのが裁判官による認定の通例であるにもかかわらず、ほとんどが虚偽の証言を裁判官は「合意書」と「和解書」の無効を理由にして、「(鈴木が)明確に意思表示した事実は認められない」と判断する一方で、西が「株取引の利益」と言って持参した15億円、鈴木が持参した10億円をA氏への返済金と断定してしまったのは、あまりに不可解で、誤審といわざるを得ず、判決は誰が見ても誤りとしか言いようが無い。

原告の主張を裏付けるべき証言が必須だったはずの西義輝が平成22年2月に自殺し、「合意書」に基づいた株取引の実態を、説得力をもって裁判官に訴えることができなかった点は大きかった。

西はA氏に決定的な裏切りを働き、鈴木に言われるままA氏と鈴木の間の距離を意図的に作り出し、平成11年7月30日に15億円の利益金をA氏に納めて期待をさせながら、それ以後の株取引で利益が出ているのにもかかわらず、西は具体的な報告も実情も語らないままA氏から株価の買い支え資金を引き出し続けたのである。それ故、A氏が当事者として「合意書」や「和解書」の作成経緯を法廷で正当性を訴えても、裁判官の思い込みを排除することは叶わなかった。(以下次号)

海外流出資金470億円は今や1000億円超(4)

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〔捻じ曲げられた信義〕
交渉の場や裁判で変転している鈴木義彦の主張、証言を以下に挙げる。
(1)平成11年9月30日付で、A氏がエフアール宛に出した「確認書」は、鈴木が融資を受けるためにA氏に振り出した手形(13枚)を、同社の監査の都合上、どうしても一旦お借りしたいという鈴木の依頼に応え、A氏の温情で手形の原本と共に渡したものだった。もちろん、それまでに貸付金の返済は一切ない。ところが、鈴木はこの「確認書」を悪用して、「A氏に対する債務は完済された」という主張を当事者間の交渉だけでなく、法廷の場にも持ち込んだ上に、「債務者はエフアールで、被告は関知しない」とまで主張したが、そうであるならエフアールも鈴木も関係ないことになる。

しかし、手形の原本と「確認書」をA氏から預かるに当たって、当時、西はA氏に「借用書」と「確認書」を作成して渡していた。そして何より、当時のエフアールは、経営が危機的状況にあり、手形を持ち出した経緯から見ても、鈴木個人の責任は大きすぎた。A氏が貸したのは鈴木個人であって、会社であれば実務の全てを仕切っていた天野が対応しなければならなかったが、A氏は当時、天野とは面識すらなかった。そもそも9月30日に金銭の授受は一切なく、その後の天野との面談でも天野は「会社に債務を返済する資力は無く、『確認書』は便宜的なものだった」と認めていた。なお、鈴木はA氏の手元にある「借用書」や「預かり書」等の多くの書類の全ての原本を「回収漏れ」と言ったが、鈴木を知る誰もが「鈴木は返済済みであれば、相手方にある書類の一切を回収することに執着する男で、回収漏れなど絶対にあり得ない」と言う。

(2)鈴木が資金繰りのためにA氏に言い値の3億円で買ってもらったピンクダイヤモンドとボナールの絵画について、平成10年5月28日にA氏の会社を訪れ、「売らせてほしい」と言って「念書」まで渡しピンクダイヤモンドを持ち出した(絵画は別の債権者に担保として入れていた)。しかしその後、売却代金も払わず現品も返却しなかった件について、鈴木は、それ以前に融資を受ける際にA氏に渡した借用書で「原告より買ったものだ」と主張した。ピンクダイヤモンドをA氏から預かる半年以上も前のことである。まったく支離滅裂な主張でしかなかった。

(3)前記(2)に関連して、5月28日に鈴木がA氏の会社を訪れた目的は、借金の申し込みとピンクダイヤモンドを「売らせて欲しい」と言って持ち出すことにあった。鈴木は、「私から手形を受け取っているにもかかわらず、当時のエフアールの常務の天野に絵画やダイヤの念書を連名で書かせろとA氏が念書を要求した」と主張した。しかし、A氏は金融業の免許は所持しているが、本業としているわけではなく、鈴木が予め念書を用意して持参したので預かったまでのことであった。A氏は鈴木の逮捕情報(親和銀行商法違反事件)を伝えた時、鈴木の依頼に応えて8000万円を貸し付けた。近日中に逮捕される人間に金銭を貸し付ける金融業者などいるはずがない。
鈴木側代理人は裁判の場でA氏を「金融のプロ」と呼称して、A氏の心証を悪くさせようと躍起になっていたと思われるが、しかし事実は全く逆である。(以下次号)

海外流出資金470億円は今や1000億円超(5)

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〔A氏は蚊帳の外に置かれた〕
(1)平成11年7月8日にA氏、西、鈴木の三者で交わした「合意書」について、鈴木は「原告から資金提供を受けるために必要だという西に協力して、書面に署名したに過ぎず、それを実行するという認識はなかった。事実、その後、原告とは株の話は一切していない」と主張した。しかし、「株の資金を出してもらわないと、西会長も私も社長への返済ができない」と言ったのは鈴木自身であった。鈴木の主張が事実ならば、何故、紀井に指示して宝林株を売らせることができたのか。西がA氏から宝林株800万株の取得資金3億円を借り受け、その直後からの株取引で株価を高値誘導するための買い支え資金もA氏から支援を受け、実際に鈴木の指示する銘柄の株価を高値誘導し、そのタイミングで鈴木の側近であった紀井が売り抜けた事実は、紀井の証言からも揺るがないのだ。西が鈴木に言われるままにA氏に株取引の情報を入れず、またA氏と鈴木の関係を故意に希薄にするような対応をしたために、A氏は蚊帳の外のような状況に置かれたが、そのことで『合意書』に基づいた株取引は無かったという鈴木の主張は正当化などできるはずは無かった。

何より、西が志村化工の相場操縦容疑で東京地検に逮捕された際、鈴木の側近であった武内一美も逮捕され、鈴木の関係先が家宅捜索されていた。取り調べで、検事が執拗に鈴木の関与を追及しても、後日、利益分配を受けるために西が頑なに否認し続けたからこそ、鈴木は首の皮一枚で助かったようなものだった。

(2)前記「合意書」に基づいて、平成11年7月30日に西がA氏に納めた利益の分配金15億円について、鈴木はA氏に対する債務の返済金であると言って(1)に挙げた「確認書」との整合性を取るために支払日を無理やり9月30日と主張した。しかし、西が15億円をA氏の会社に納めたとき、A氏は「合意書」に基づいて、自分の取り分を5億円とし、残る10億円は西と鈴木のA氏に対する債務の返済金の一部に充てるという手続きをした。また、二人への心遣いとして「鈴木さんと分けなさい」と言って西に1億円を渡した。その翌日、A氏の会社に西と鈴木が訪れた際、15億円の処理と1億円を西に渡した件をA氏が鈴木に確認すると、鈴木は「有難うございました」とA氏に礼を述べた。15億円が鈴木の言うように返済金であるとしたら、西と鈴木にそれぞれ5000万円を渡すようなことは無かったはずだ。

(3)ロレンツィ社が保有していた宝林株式800万株の買取りについて、鈴木は「買取りではなく、海外の投資会社がイスラエルの大株主ロレンツィ社から、800万株を1株(20,925円)でバルサン300万株、トップファン250万株、シルバートップ250万株と3社に譲渡された」と主張した。併せて、その購入代金をA氏が拠出したという事実も否認。しかし、西が株式買取りの作業を全面的に行ったことから主張を維持できず、また、株式の購入資金についても「株式の買取り企業が直接出した」という主張が途中から「自分の金であった」とすり替わり、さらにその調達先を「ワシントングループの河野博昌」からと言い換えたり、全く辻褄が合わなくなっていた。

前記の外資3社は鈴木がフュージョン社を介して用意(取得)した、実体のないペーパーカンパニーであり、紀井がその事実を明確に証言している。
また、前記の外資3社が大量保有報告書を金融庁に提出するに当たって、「紀井義弘」からの借入と虚偽の記載を行って、代理人の弁護士、杉原正芳は当の紀井から抗議を受けたが、杉原から紀井への返答はなかった。(以下次号)

海外流出資金470億円は今や1000億円超(6)

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〔借用書には確定日付〕
(1)平成14年6月27日、A氏が鈴木に対する貸付金の整理をするために西と鈴木を会社に呼び確認をした際、鈴木が「社長への返済で西に10億円を渡した」と主張した。驚いたA氏が同席していた西に確かめたところ、西が曖昧ではあったが授受を渋々認めたために、鈴木への債権25億円から10億円を差し引いて15億円とし、西も10億円の借用書を書いた。A氏は鈴木に対し「私に対する返済金であれば、なぜ直接来て話をしなったのか。もしそれができないときでも、なぜ私への返済金の一部として西に渡したということを、最低でも電話で何故言わなかったのか」と言うと、鈴木は「済みませんでした」と言って謝罪し俯いた。

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ところが、西が鈴木から受け取った10億円はA氏への返済金などではなく、「合意書」の破棄を西に執拗に迫り、その結果、複数回にわたって西と鈴木の間で報酬名目の金銭の授受が発生したものであった。平成18年10月16日の三者協議の折に、西が鈴木に「これくらいは認めろ」と言うと、鈴木は渋々認めた。

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(2)前記(1)に関連して、鈴木はその後、法廷に提出した証拠資料(「乙59号証」)の中で、「6月27日に、原告(A氏)との間で債務合計金25億円とする準消費貸借契約の合意をしたことがあるか」という被告側弁護士の質問に「全くない」と言い、続けて「西に対して『原告に支払うべき25億円のうち10億円は西に預けている旨を述べたことはあるか」という質問にも「ない」と答え、A氏からの借入金を25億円に減額する旨の協議など6月27日には無く、A氏への返済金10億円を西に渡したことさえも否定した。当日の二人の借用書には確定日付がある。

しかし、これまで触れている通り、A氏が「今後は株で大きく利益が出るから、鈴木への貸付金を25億円にして欲しい」という西の依頼を了承して6月27日の面談協議になった経緯があり、その場で鈴木が「西に10億円を渡した」という発言がなければ、さらに減額した15億円の借用書を作成することなどなかったし、西もまた10億円の借用書を作成してA氏に渡すことなどなかった。同日の借用書の存在は、年利15%で計算しても(遅延損害金は30%)40億円を優に超えていたから、鈴木が平成11年9月30日付の「確認書」を悪用して「A氏への借入は完済した」と強弁していることにも明らかに矛盾している。

何より「完済した」という債務が9月30日当時、鈴木はいくらあったという認識だったのか。仮に百歩譲って、15億円が返済金であったとしても、A氏が有していた鈴木への債権は元本だけでも約28億円あったのだから、「完済された」などと言えるはずはなかった。

(3)平成18年10月16日に作成された「和解書」について、鈴木は「西が香港で殺されかけたという事件の容疑者にされる、という不安と恐怖感、そして側近の紀井に裏切られたという衝撃から、書面に署名指印してしまった」と主張して、あたかもA氏と西に脅かされたからということを強調した。さらに、A氏の会社はビルの8階にあるが、そのフロアーに上がるエレベーターを止められ、監禁状態に置かれたとか、A氏と反社会的勢力の大物とのツーショットも見せられた、と言い、脅迫を受けたかのごとき主張をした。

しかし、当日の面談は録取されており、A氏や西が鈴木を脅かした事実など無いことは明白で、前記(4)にもある通り、紀井が鈴木の指示で取得株式を売り抜け、巨額の利益金を確保している事実を突きつけられたため、弁明が通らないと覚悟して、それでも隠匿資金の流出を最小限に食い止めるために、さっさと「和解書」に署名、指印したことが推察される。なお、鈴木は「和解書」を2度3度と注意深く読んでおり、「文言に不備があれば修正する」というA氏の言葉にもかかわらず署名指印したのである。(以下次号)

海外流出資金470億円は今や1000億円超(7)

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〔逮捕寸前に鈴木が土下座して懇願〕
鈴木義彦は、自らの資金繰りで手形と借用書以外にも物品を持ち込み、言い値でA氏に買ってもらっていた。特に平成10年5月頃、ピンクダイヤモンド(1億3000万円)とボナールの絵画(1億7000万円)を一旦はA氏に言い値で買わせておきながらボナールの絵画は「近々持参する」と言って一度も持参しなかった。その後、「ピンクダイヤと絵画を3億4000万円で売らせてほしい」と言って5月28日にピンクダイヤモンドを持ち出したほか、A氏が保有していた高級腕時計、バセロンの時計4セット(1セットの参考上代価格が10億円相当 世界一流図鑑参照)に加え、上代が1億円前後の時計5本(パティックやピアジェ)なども「売らせて下さい」と言って平成9年10月頃から平成10年4月頃にかけて、A氏から複数回に分けて預かったまま返却もしなかった。それらの総額は、鈴木が最低売却代金として提示した金額で言えば7億4000万円に上る(バセロンの時計3セットを担保に6億円を借り入れした、との鈴木の側近の証言がある)。貸金返還請求訴訟では、代金合計7億4000万円を損害賠償債務として請求した。

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ところが、鈴木は「ピンクダイヤモンドと絵画は合計3億円にて買受けることに」した上で、平成9年10月15日付で借受けた3億円を「売買代金を原債務として準消費貸借により貸金」とした。したがって、「原告からエフアールに対して金3億円は交付されていない」などと、支離滅裂な主張を法廷で展開した。

鈴木の主張にある嘘は、そもそもピンクダイヤモンドと絵画は、鈴木が資金繰りのためにA氏に持ち込んだものであり、しかも言い値の3億円でA氏が買い受けたという事実を隠して、鈴木が「買受けることにした」という点である。

A氏がピンクダイヤモンドと絵画を買受けたのは平成10年5月頃のことだったが、鈴木はさらに約7ヶ月も前の平成9年10月15日にA氏が3億円を貸し付けた際の借用書を持ち出し、この3億円がピンクダイヤモンドと絵画の売買代金であり、その支払は約7カ月前に準消費貸借による貸金として金銭消費貸借借用証書が作成された、という。誰が見ても、そんな言い訳が通らないことはすぐに分かる。

ところが、裁判官は鈴木とA氏の主張でどちらが正しいのか、虚偽かを認定せず、鈴木が「売らせて欲しい」と言って持ち出したという手続の正当性や可否だけを論じて、7億4000万円の債務を負うべきはエフアールで鈴木ではないと結論付けたのだ。

判決によると、「原告によれば、合計45億円相当の価値を有するという本件腕時計を合計4億円で販売することを委託するというのは、そもそも経済的に極めて不合理な行為というほかない」としつつ「販売価格の決定過程に関する客観的かつ合理的な説明はされていない」とした。またピンクダイヤモンドと絵画についても「原告から本件絵画等の販売委託を受けたのはエフアールであり、被告個人ではないというべきである」としたが、A氏と西が天野と面談した際に、天野が「(エフアールが責任を持つことなど)有り得ない」と述べており、「白紙の下部に常務取締役天野裕と書くよう鈴木に指示されサインした」とも述べた。ちなみに、天野が言う「有り得ない」とは、鈴木がA氏に提示した念書はエフアールの取締役会の決議を経ていなかったという事実に基づいていた。ちなみに平成11年9月30日付の「確認書」も同様である。
「被告が本件腕時計本件絵画等の販売委託契約の債務不履行に基づく損害賠償債務を原告に対して負うことなく、同債務を旧債務とする準消費貸借契約が原告と被告との間で成立する余地もない」と裁判官が下した判決は明らかな誤りである。

ダイヤモンドや腕時計等の上代価格と卸値に差が生じる点については「業者間では、決算対策等で差が生じるのはむしろ業界の商慣習であって、全く無いことではない」と業界関係者も言うように、そもそも論述の前提になりようがなく、それよりも問題は、鈴木が約7ヶ月も前に作成された3億円の借用書をピンクダイヤモンドと絵画の売買代金である、とした主張がどれほど荒唐無稽であるかだ。

「金銭消費貸借借用証書」はA氏が鈴木に3億円を貸し付けた際に作成されたものだが、この証書の「特約事項」には「JAIC・日本アジア(エ1)号投資事業組合加入確認書による金1億円、日本アジア投資株式会社の発行する証書を担保とする」という担保明細が明記されており、これをピンクダイヤモンドと絵画の売買代金とするなら、その旨が明記されなければならなかったはずだ。

また、同じく「念書」は、鈴木が平成10年5月28日にピンクダイヤモンドを「売らせて欲しい」と言って持ち出した際に、鈴木自ら手書きしてA氏に手交した書面だが、文面の冒頭に「販売目的で貴殿からお預かりしました」と明記している。鈴木の主張通りならば、「預かった」という言葉ではなく、売買代金はすでに「支払済み」と書かれたはずだ。そして、「売却できない場合、貴殿のご指示により速やかに返却することを確約いたします」とも書いていたが、前述したように「バセロンの時計3セットを担保に6億円を借入した」との鈴木の側近の証言があり、鈴木が詐欺横領に等しい行為を働いたのは明白だった。

なお、この5月28日という日は、親和銀行不正融資事件で鈴木が逮捕されるという情報をA氏が鈴木に伝えた当日であった。鈴木は驚愕して涙を流しつつ、その場で土下座までしてA氏から現金8000万円を借りた時、鈴木は「このご恩は一生忘れません」とまで言っていたのだが、A氏に鈴木の逮捕情報が入っているということは、すでに鈴木は警視庁から事情聴取を受けていたに違いない。それ故、A氏の所からピンクダイヤモンドを持ち出したのも同日だったことを考えると、鈴木にはそもそも売却代金を支払う気などない、計画的な行動だったのではないかという疑念が強く残る。(以下次号)

海外流出資金470億円は今や1000億円超(8)

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〔40億円超の貸付金を25億円に圧縮〕
鈴木は平成14年6月27日付でA氏に対して新たな「借用書」を作成していた。この「借用書」は、その4ヶ月ほど前に西が志村化工株の相場操縦容疑で東京地検特捜部に逮捕された後に保釈となり、A氏と西の間で鈴木の債務処理について話し合いが持たれたことから「借用書」の作成となったのだが、その際、西が「今後、株取引の利益が大きく出るので、鈴木の債務を圧縮していただけませんか」とA氏に依頼した。鈴木が負う債務は、その時点で返済が一切無く、元本約28億円に対する金利(年15%)が4年分加算され40億円を超える金額になっていたが、A氏は西の依頼に応じて鈴木の債務を25億円とした。

ここで問題になるのは、鈴木が平成11年9月30日付の「確認書」を悪用して「債務は完済されている」という主張を交渉や裁判の場で展開したが、この「借用書」によってその主張が虚偽であることが明らかになったという点である。さらに、鈴木が西にA氏への返済金10億円を渡したと唐突に言い出し、西がそれを認めたことから鈴木の債務は15億円となったが、実はこの10億円は、平成11年7月8日付けで作成された「合意書」の存在をひどく疎ましく思った鈴木が、西に破棄させようとして何度も要請し、西がそれに応じたかのような対応をしたために、その“報酬”として複数回にわたって西が受け取ったものだった事実が後日判明した。したがって、鈴木の債務は圧縮後でも15億円ではなく25億円であった。

また、鈴木は債務15億円について、「年内に支払うので、10億円にしてくれませんか?」とA氏に依頼し、A氏は鈴木が実行するかどうか不明だったが、それに応じた。すると、同年の12月24日、鈴木がA氏の会社を訪ね10億円の現金を持参した。

A氏はこの10億円について鈴木との話し合いの通り債務の返済金として扱っていたが、その後、鈴木と西が「合意書」に違反して巨額の利益を上げながら、それをA氏に報告をしないどころか、利益を二人で折半する密約を交わして隠匿してきた事実が判明したために、返済金の扱いを白紙に戻した。そして、貸金返還請求訴訟においては、この10億円は株取引の利益分配金の一部であるとした。

〔裁判官は認めなかった207億円〕
鈴木と西が平成12年頃から仕掛けていた志村化工(現エス・サイエンス)株の仕手戦で、証券取引等監視委員会(SEC)が悪質な相場操縦であるとして東京地検に告発。西は平成14年2月27日、オフショアカンパニーの代表者であった武内一美、さらに川崎定徳(川崎財閥の資産管理会社)の桑原芳樹と共に逮捕されるという事態が起きた。

武内が代表だったジャパンクリサリスファンドは英領ヴァージン諸島に本拠を置いていたが、武内自身はエフアールの元役員だった。鈴木が仕手戦を仕掛けるために手配した会社であることは明らかで、武内を代表者に仕立てた疑いが強く持たれた。

西が保釈されて間もなく、西が市場で仕掛けた銘柄の株価を高値で維持するためにA氏が協力をした資金の処理についても話し合われ、同年6月20日、西は「平成11年7月8日、私とA氏、鈴木義彦氏の三者間で作成した合意書に基づき、貴殿が本業務遂行の為に本日迄に207億円を出資している事を確認致します」と記した「念書」を作成しA氏に手交した。

しかし、貸金返還請求訴訟において、裁判官は「原告が株取扱に関して被告及び西に対して提供した金額は207億円に上っていたというのであるところ、仮にそれが真実であるとすれば、株取扱合意に基づく分配対象利益の分配が上記7年以上の間に上記の2回しか行われず、その額も上記の2回程度しかなかったにもかかわらず、平成18年10月16日の三者協議に至るまでの間に、株取扱合意の履行が適正に行われているかについて三者間で協議が持たれなかったというのであるから、一層不自然というほかない。これらのことは、株取扱合意が三者間で継続的に効力を生じていたとの原告の主張に対し、根本的な疑義を抱かせる事情といえる」として排斥した。(以下次号)

海外流出資金470億円は今や1000億円超(9)

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〔紀井の証言は何故軽視されたのか〕
「合意書」に基づいた鈴木と西による株取引は、平成11年7月から平成18年10月までの間に宝林株に始まり、エフアール、アイビーダイワ、昭和ゴム、ヒラボウ、住倉工業など判明している分で11銘柄に加え、銘柄を明らかにしていない分が20銘柄あったとした上で、鈴木が得た純利益は「合計約470億5000万円であることに相違ありません」と、取得株式の売り抜けを任されていた紀井が証言していた。
ところが、裁判官は「そもそも、紀井は、被告の指示に基づいて株式を売り、売買代金を保管するという立場に過ぎず、株取扱に必要な資金を誰から取得し、どのようなスキームでこれを運用し、株取扱により得た利益を誰にどのように分配すべきかといった、株取扱による利殖活動の全体像を把握できる立場にはなかった」と断じて、紀井の存在を軽んじただけでなく証言や陳述を当然のように退けたのであるが、真実を全く理解していなかった。

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鈴木と西が仕掛けた株取引で、鈴木は徹底して自分の存在を消しにかかった。自らの名前を表に出さず、ユーロ円建転換社債(CB)や第三者割当増資による株式の取得はペーパーカンパニーの外資名義で行い、市場で西が株価を高値誘導すると、タイミングを捉えた紀井が投資会社や証券担保金融業者を経由させて売り抜ける。これら一連の取引に鈴木は名前を出さないだけでなく直接介在することもなかった。それ故、西が志村化工株の相場操縦容疑で逮捕された時にも、西や武内が鈴木の関与を白状しなかったために鈴木は逮捕を免れた。
そうした“密室”のような状態の中で、限られた人間によって株取引が行われた実態を裁判官は何ら検証せず、「合意書」と「和解書」は無効という“結論ありき”を導くために障害となる証言はことごとく排除したのではないか、という疑いを強く持たざるを得ない。

なお西は、同じ平成14年6月20日付で「確約書」を作成し、この書面もA氏に手交したが、これは、西が経営していた東京オークションハウスの資金調達でA氏が協力したことから、約116億円の債務を負っていたことに加えて、前述の株取引に係る207億円を合計した323億円が西の債務総額であることを確認したものである。また、鈴木が所在を不明にして姿を現さず、交渉の窓口になった平林、青田との交渉も不調の状況が続く中で、西は改めて323億円の債務を承認する「承諾書」を作成し、A氏に手交した。鈴木との密約に基づいて西が鈴木から受け取ることになっていた137億5000万円をA氏への返済に充当するとあった。

西が自殺する直前の平成22年2月9日付で鈴木に送った手紙(遺書)には次のような件がある。
「貴殿は逮捕される3日前にも私に内緒で8000万円のお金を土下座までして借りている。社長は逮捕される事を分かっていたが、貴殿の置かれている立場を理解した上で、土下座してまで必要なお金であればと思い、出してくれたのだと思う。きっと、この8000万円のお金は、この時の貴殿にとっては10億円にも匹敵するお金であったはずだ。他に誰も貸してくれる人はいなかった。この時だって、社長の性格や人間性を分かった上で利用しただけじゃないか。宝林株の成功がなかったら、貴殿の人生は今の私より大変な状況であったことは確かだ」(以下次号)

鈴木義彦は強欲極まりなく、極悪な非人間と西の遺書は語る(1)

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〔欲望からの偽り〕
西義輝が自殺したのは、2010年2月のことだった。正確な日付は不明だが、関係者に最後に郵送された手紙の消印を見ると2月9日だったことから、その直後と思われるが、「遺書」の性格を持つ書面は、西が崇拝して止まなかった「社長」(A氏)を始め、鈴木義彦、青田光市、茂庭進のほかに鈴木の実父徳太郎にも宛てていたようである。西が自殺した後に、会社のデスクマットの下にあった大量の文書(コピー)を発見して分かった。それらの書面の宛先がA氏や鈴木ほか数名になっていた。なお、茂庭は山一證券で海外業務を歴任した人物で、鈴木の下では外資のペーパーカンパニーを管理しており、また、鈴木による利益金の海外流出にも関与していた。

本誌は、このたび、その書面の一部を公開するが、より具体的な出来事については、これまでに取り上げた「鈴木義彦への公開質問」や「海外の隠匿資金1000億円超の全容解明」などの記事を参照いただくとして、特徴的なのは「裏切り」という言葉が書面の随所に出てくることだ。例えば、三人で合意したいくつかの約束事に関する裏切行為、私の浅はかな考えから、貴殿の狡る賢しさにコントロールされ、社長に大変な実害や信用を傷つけた件、社長を利用することによって与えた大きなダメージなど、貴殿と私で行った社長への大きな裏切り」であり、「貴殿が真剣に反省しなければいけない事が沢山ある。まず貴殿のずるい考え方からやってきた、人間としてやってはいけない裏切り」などである。

「三人で合意した」とは、西が宝林株を取得後の平成11年7月8日に「社長」と西、鈴木が交わした「合意書」を指す。鈴木は西を利用して「社長」から株取引資金を引き出す計画をしたが、宝林株で予想外の利益を出したことに目がくらみ、利益の独占を画策した。

西と鈴木は仕掛けた株取引で「二人だけでは成し得なかった事を、社長に全面的な資金面の協力をしていただいて成功した数々の株取引、資金を出していただいて始(初)めて実行できた」にも拘らず、利益を独占するために「社長」に対して最大の裏切りを働いたことを西は悔いているが、一方の鈴木は何一つ真実を明らかにしようとせず、最終的には西をも「嘘つき」と罵倒して切り捨てた。これが、西が自殺を決意した一番の要因だったと思われる鈴木宛の書面は18枚からの長文で、
「この手紙は、貴殿に私から最後の手紙であり、正しい判断をするか否かが貴殿の人生を大きく左右する事になるだろう。(略)最初の貴殿との出会いから今までのあらゆる約束事に関する貴殿の裏切り行為を書き残すもの(で)ある」とあるように、鈴木が逮捕された親和銀行事件の、今まで語られていなかった“秘話”に始まり、株取引のきっかけとなった宝林株の取得や、鈴木による利益金の支配に西が抵抗できなかったこと、金銭欲に憑りつかれた鈴木の人間性等を生々しく描いている。抜粋になるが、書面の重要な部分を以下に挙げる。

「今から文章に残すことはすべて真実であり、貴殿の身内、関係者だけでなく、マスコミ及び関係各所にも、貴殿の今後のやり方いかんでは大きく取り上げられることを先に申し述べておく」
社長及び私の助けだけで誰も協力してくれなかったころの貴殿を今一度しっかりと振り返りながら考えるべきである
「私は伊藤忠商事のコンサルタントをしていた経歴を貴殿に伝えたところ、(略)西会長を100パーセント信用するので、是非色々な相談に乗っていただきたい事がある、といわれ、貴殿の熱意に感動し(略)相談に乗るようになった」
鈴木が持ちかけた相談とは、親和銀行からの新規融資であったが、その際に鈴木が意外な話をした。それは、事件が公然化した後も関係者の間でくすぶっていたことで、鈴木が同事件で“主犯”に擬せられた真相でもあった。

青田氏(当時興信所勤務)を使い、さも副島氏グループがやったようにして、親和銀行会長に女性を近づけ、長崎市大村のラブホテルでの女性との秘事をビデオに撮らせたりして、いかに副島氏が危険な人物であるかのように会長に説明をし、その後、会長に取り入り、もみ消しを貴殿に依頼させ、恩義を売った。副島氏グループを親和銀行から遠ざけた。(略)新たに親和銀行より15億円を、価値のない絵やA氏から借りた数千点のリトグラフ(これは貸金約28億円に含まれていない)を担保に借りられるようにしたり、田中森一元特捜検事を親和銀行の顧問弁護士になってもらい、価値のない土地を担保に20億円を借り入れできるようにした。
親和銀行の借り入れができなくなった後、当時のクリソベル(クレスベール)証券の紀井氏の紹介で北九州市の投資家(末吉氏)よりタカラブネ株20億円分の株券を預かり、FR社の資金繰りに利用した。

貴殿はタカラブネ株20億円を担保に新規に60億円分のタカラブネ株を購入できると言って、末吉氏にウソをついて20億円分の株券を預かったり、(略)タカラブネ株の株券を売却した資金を使い果たした後に、貴殿は、私に先でFR社の第三者割当増資をやるので、かならず返済をすると言って、お金を1年ぐらい貸してもらえるところがないかの要望があり、私にとって一番大事な金主であり、いつも弟のように大事にしていただいていた社長を紹介する事になった。貴殿は、私にすごい力のある人物がバックにいることを日ごろからの会話で聞き知っていて、計画的に私に頼んだわけだ」
「貴殿は借りるお金について、私の保証が入っている事を分かった上で行っている私と社長の性格をよく理解した上での、このようなやり方には、貴殿の狡る賢しこさの一部がよく分かるが、私は今になってはそれを解決する方法がないため、非常に残念に思う。(略)平成10年5月末より(略)貴殿は逮捕される日まで周囲を騙してきた。出頭する1時間前に私の家内に電話をし、金銭的な協力や後の事を西会長によろしく頼むことを伝え、私にその後、電話をし、弁護士に対する着手金の支払い1000万円やFR社に来る債権者に対する対応などを頼んできた。(略)貴殿の愛人で子供もいるサラ女氏(史)の三田のマンションにいた時も、毎月、生活費として50~60万円を届けながら、私が必ず大きな仕事をする用意を考えているから頑張っていこうと励ました日々だったと思う。
後に分かったことだが、貴殿は逮捕前にサラ女氏(史)に3000万円のお金を預けていたと聞いて、私は自分の馬鹿さ加減に呆れてしまった」

「逮捕され、信用をなくしていた貴殿は、沢山の借財を抱えていたためである。宝林株800万株の購入資金についても、社長にしかお願いできる人がいなかった。その後、お金の協力をしてもらい、社長、私そして貴殿の3人で役割の分担を決めて合意書の作成までしたわけだ。我々は以前から社長に借りている借金、貴殿も私も多額の金額が残ったままであったにも拘わらず、出していただいた。他の人よりお金を調達してまでも社長は全面的に協力をしてくれたわけじゃないか社長は自分で持っていたお金だけじゃなく、他の人より借りてまでやっていただいた。理由としては、我々がお金を返済していないため手持ち現金が少なくなっていた。(略 鈴木は)逮捕される3日前にも私に内緒で8000万円のお金を土下座までして借りている。社長は逮捕される事を分かっていたが、貴殿の置かれている立場を理解した上で、土下座してまで必要なお金であればと思い、出してくれたのだと思う。きっと、この8000万円のお金は、この時の貴殿にとっては10億円にも匹敵するお金であったはずだ。他に誰も借して(貸して)くれる人(は)いなかったはずだ。この時だって、社長の性格や人間性を分かった上で利用しただけじゃないか。宝林株の成功がなかったら、貴殿の人生は今の私より大変な状況であったことは確かだ」(以下次号)

鈴木義彦は強欲極まりなく、極悪な非人間と西の遺書は語る(2)

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〔私は大バカもの〕
前号に続いて西義輝の鈴木義彦に宛てた「遺書」を公開する。
「宝林株について詳しく書く。(略)社長にお金を出していただいた最初の宝林株800万株の代金を含め、貴殿に売買を任せる約束をしていたために、指導権(主導権?)を貴殿に取られてしまい、私のやりたい方法ができず、言いなりになってしまったため、社長に本当の事を言えなかった。合意書で利益を3等分するという約束であったが、貴殿に最初の宝林株800万株やその後、行った第三者割当増資で手に入れた宝林の新株も、売買を貴殿が行う三者間の役割分担であったために、貴殿の提案に私は従うしかなかったわけだ。

その後も、第三者割当増資を数十社に対して行ったが、貴殿は報告するだけで、お金のコントロールは貴殿がすべて行い、私は言い訳やウソの報告ばかり社長にすることになったわけだ。しかし、全体の利益のうち、1/3の取り分は必ず私に渡すという二人の約束があったため、私もそれを信じ、貴殿の言いなりになって社長を欺いてきたわけである。1回ずつの取引や利益金を社長に報告していれば、こんな事にはならなかったと、自分の考え方ややり方に呆れてしまっているが、今更社長に何を言っても言い訳にしか過ぎず、本当に申し訳なく思っている。私にとって最大の不覚であった。貴殿の言いなりになって、社長を欺いてきたわけである。私が絶対やってはいけない事を一番の恩人にしてきたわけだから、私は絶対に許されることではないし、貴殿も絶対に許されることではない。私は貴殿の汚いやり方にやっと気づいた。貴殿は、どんな時でも、自分が弱い立場にいる時、あらゆる事を言ってでも助けを乞うが、自分が強い立場になった時には、まず一番重要な立場にいて、貴殿のパートナーに近い人間や色々貴殿の秘密を知っている人間を追い落とし、弱くさせながら自分の思うようにコントロールするやり方をずっとしてきている。私以外でも、過去に貴殿が利用した人たちに対して、全く同じひどいやり方をしている」

続いて、志村化工株の相場操縦容疑で平成14年2月27日に東京地検特捜部に逮捕、起訴された事件について綴っている。
「自分に身の危険が迫っていることを分かっていて、何度となく私に会って、必死に口裏合わせを依頼した。私は、この時もまた、貴殿に騙されたと思ったが、私が本当の事を言って、貴殿が逮捕されれば、親和銀行で執行猶予の身でもあり、今まで貴殿と行ってきた三者合意による利益分の事も心配になり、私が全責任を取り、貴殿を逮捕から守る事にしたのである。私が貴殿の事を一切喋らないと約束した後、貴殿は私に頭を下げて言ったことを今でもはっきり覚えている。絶対に忘れる事はない。西会長の身の回りのことや弁護士費用、公判中の生活費用、そして三者合意での利益の分配のうち、少なくとも1/3の利益分に関しては、全責任を持って支払う事を約束したことだった。この志村化工事件でも貴殿を守りぬき、私だけが罪をかぶり解決したわけだ。ここまで貴殿のペースにはまるとは、私は大バカものだ」(以下次号)

鈴木義彦は強欲極まりなく、極悪な非人間と西の遺書は語る(3)

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〔書面に滲み出る西の無念〕
西は鈴木に篭絡され、株取引の利益金を「折半する」という密約を交わし、それを英文の契約書にしていた。これは、三人で交わした「合意書」に反した行為だった。
「社長に対する借金返済を少なくするために、私を利用したり、社長に多額な利益約400億円がばれないよう、私の置かれている弱い立場を利用してウソの報告ばかりさせてきた。私はもちろん、貴殿がやってきた事すべても絶対に許される事ではない。合意書の件についても、私が英文で書かれた合意書を貴殿からもらっていたため、社長と三人で交わした合意書については処分する約束で、常に貴殿に聞かれる度に処分をした事を伝えていた。そのため、貴殿は、ずっと合意書は残っていないと信じていたはずだ。この合意書の件については、貴殿も何度も有無を私に確認し、今思えば、本当にしつこかった。色んな事があって、その、無いはずの合意書を社長から見せられた貴殿は、さぞびっくりしたはずだ。2006年10月16日に社長、私と貴殿で社長の事務所で会って、貴殿は新しい支払い条件を社長と私に提示したわけだが、私はこの時、貴殿の言っている利益金が50億円~60億円しか無かったと言ったことに反発をし、貴殿が提示した50億円プラス2年以内に20億円の金額支払確認書にはサインをするつもりはなかった(20億円の支払は確認書には入っていないが、西が録取したテープには残っていた)。なぜなら、貴殿が稼いでいた利益は470億円以上あったからだ。貴殿の下で働いていた紀井氏も茂庭氏も私に前もって教えてくれていたし、天野氏に確認した時も470億円の金額にも一切の驚きもせず、それぐらいはあると思いますよと平然と応えた。この時は、ただ言葉だけで確認をしたのではなく、紀井氏の利益明細書を見てもらった。

しかしながら貴殿と三人での打合せの時にも、社長に私は本当の利益額を正直に伝えようとしなかったため、社長に貴殿の説明による利益金での判断をさせてしまい、あのような少ない金額の確認書(和解書)になったわけである。この三人の打合せの時でも、貴殿は利益金額を騙し、ウソの金額で押し通したわけであり、決して許される事ではない(但し、何人もが何度もテープで聞いている)。
その後も、約束した確認書(和解書)の金額を支払う事もせず、好き勝手に逃げ回っている。貴殿及び身内のことはすべて把握されていることだし、もっとよく考えて行動もすべきである。いつもそうであるが、貴殿は、自分は表に出ないで、私にずっと今までやらせてきた。同じ方法で何事に関しても引き延ばしをしているわけだが、私は貴殿にこれ以上、好き勝手な事をやらせる訳にはいかない。社長に大変辛い思いをさせている。これ以上貴殿も誤った判断をしてはいけない。貴殿は、貴殿を殺ったら金が取れなくなるのでやるはずがない、体をかけてまでやらないだろうと考えているのではないかと思うが、それこそ大きな間違いだ。貴殿も分かっていると思うが、社長の面倒見の良さ、人柄で社長のためならと思っている人は一人や二人ではない。普通の場合、殺ることを躊躇するのは長い刑が待っているからだ。しかし、死を決めた時から何も怖くはないし、何でもできると思うようになった。私をここまで追い込んだのは貴様だ。私は貴様を道連れにするつもりであったが、社長に話したらやめろと止められたので、仕方なく断念せざるお(を)得なかった」
「私も貴殿も、あんなやさしい人を裏切るとは本当に悪だと思わないか。社長の周りの人達は、社長が金を出し、三人で合意書まで作っているにも拘わらず一人占めするとは絶対に許すべきではないと思っている人が何人もいる。

貴殿は自分の事だけじゃなく、身内、彼女、関係者等の事を考えた事はあるのか。色んな事が調査済みであるし、かならず独断で動く人間が出てくると思う。最悪の結果を招く事になる。きっとその時には、社長でも止めようはないだろうし、早急に社長と話し合いをして解決する事だ。私の人生で悔いが残る事は、貴様と知り合った事と道連れに出来なかった事が無念で仕方がない。私の死後、貴殿もそんなに時間の余裕は無いはずだ。お金も持っているんだから、命を無駄にしないでしっかりと解決する事だ。死んでいく人間の最後の忠告だ。
私にはもう何一つ残っていないし、社長のお陰で素晴らしい経験も沢山させてもらった。 先にいく」

西が残した書面には無念さが溢れているが、それと共に鈴木がいかに非道な行為を続けていたか、それが金銭の独り占めという強欲から出ているため余計に始末が悪いが、西も述べているように真実を明らかにしなければ収まりは決してつかない。鈴木は人を助けるようなことなどしたことがないと見られるので、反対の立場で“わが身”を振り返れば、いかに悪いかが分かるはずだ。(以下次号)

鈴木義彦は強欲極まりなく、極悪な非人間と西の遺書は語る(4)

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〔社長が騙された金は323億円〕
「社長、大変お世話になりました。心から感謝申し上げます。私の様な人間を今まで全面的に信頼をしていただき、沢山の資金を出していただき、本当に有難うございました。(略)
私は二十三年前に初めて社長にお目にかかったおり、自分の人生でそれまで誰よりもすごいオーラとカリスマ的な存在感を感じました。絶対に大事にしなければいけない方だと思いました。お会いした後、社長に大きなチャンスや沢山の協力を与えていただきながら、私の片寄った生き方、考え方から、いつもつじつま合わせや自分流の考え方ばかり主張して押し通してしまい、社長の人生を台無しにしてしまいました。社長は考え方が大変まじめな方でいらっしゃいますのに、私は余りにもけじめのない事ばかりして、とりかえしのつかない大きな失敗ばかりしてしまったと思います。
今まで、社長に資金を依頼して一度もことわられた事はなく、人から借りてでも私にだけは、必ず用立てて下さいました。私は、そこまでして用意してくださった多額のお金を投資に回して、成功できる事が沢山あったにもかかわらず、詰めの甘さや人を信じすぎて、最後にいつも大きな失敗をしたり、人を見る目がないために裏切られてばかりで、本当に申し訳ありませんでした。社長が毎日苦しんでおられる姿を見る度に、私は本当に辛くて、極力冷静にふるまうようにしておりましたが、自分の力不足な事ばかりで、本当に申し訳なく思っております。内心では、社長に対して自分でできる事があれば、何でもしようと心がけてはおりました。しかし、それでも、社長に安心感を与えるまでの事は何一つできませんでした。私が行った数々の失敗について、何一つ言い訳ができる事ではありません」
「私に一命を絶つ事で許される事は一つもありません。お借りしたり、投資をしていただいたお金につきましても、天文学的な数字(注:総額では323億円に上るが、株取引だけでも207億円に及ぶ)ですし、誰以上に社長が私を信用してくださった事、(略)私はすべて解っておりましたが、それも自分勝手な理解でしか過ぎなかった事です。死をもってつぐなう事など何にも社長の役に立つ事ではない事も分かっております。しかし、あらゆる事がうまくいかない状況では、けじめをつけるしか他に道がないのです。社長を残して先に死んで行く事にしても、ただただ、自分に逃げているだけで、本当に無責任な事です。大好きな社長の側に、少しでも長くいて、力になれる事があれば、どんな努力でもするつもりでおりましたが、今回は、自分の頭でどのように考えても、生きていく方法を見つける事ができませんでした。

私は本当に大バカものです。いつも、いつも社長に期待ばかりさせて、失敗ばかりしている。色々な事を、自分の中で最大限こなそうと努力だけはしても、いつも相手の方が一枚も二枚も上手で、最後にやられてばかりです。多額の資金の運用をしたり、まかせられたり、管理できるようになっても、後一歩のところで自分のやり方が悪いのか、引きずってきている過去が悪いのか、運に見放されているのか、本当に悔しいです。
私は、社長のお力に一番ならなければいけない立場なのに、チャンスが沢山あったにもかかわらず、いつも見すかされていて、それすら気づいていない。いつも、今度はかならず成功すると頑張り、結果を出せない自分がおり、この先、どんな努力をしても、あらゆる信用を失ってしまった現況では、もう、どうする事もできません。(略)どんな言い訳も説得もできない事を、自分が自分にしてしまいました。社長に対しても、本当に御迷惑ばかりおかけして、何一つお役に立つ事ができませんでした。どうか、どうか、お許しください。大好きな社長の思い出だけを頭にうかべながら、一命を絶ちます。本当に二十三年間の長い間、大事にしていただき、命と引きかえに御恩礼(ママ)申し上げます。
もう一つ、お願いがあります。手紙にて内河陽一郎氏(注:前妻の長男)にユニバーサルデータに届く私宛の手紙、郵便物などを社長にお渡しし、相談に乗ってもらうよう、頼んでおりますので、その節はくれぐれもよろしくお願いを申し上げます。  社長様のご健康、ご発展をお祈り申し上げます」

文中に「お借りしたり、投資をしていただいたお金につきましても、天文学的な数字です」とあるが、この天文学的な数字は、総額323億円に達しており、そのうち207億円が西と鈴木の仕手戦に投じられた総額だった。もちろん、全てが自己資金というわけではなく、友人や知人等から借り受けて用立てた分が過半数を占めているという。
また、「色々な事を、自分の中で最大限こなそうと努力だけはしても、いつも相手の方が一枚も二枚も上手で、最後にやられてばかりです」とあるが、ここで言う「相手」とは恐らく鈴木が一番メインになっていた。西は鈴木が「合意書」や隠匿した利益金の存在を認め、約束を履行することを強く迫り、その成果が得られなかったとき、社長には繰り返し「命を懸ける」とつぶやき、そのたびに社長に叱責された。しかし、そのやり取りも虚しく終わりを告げた。西が「合意書」に係る鈴木との関わりや株取引の詳細を明示する“生き証人”であったことを考えると、社長にとって最大に悔やまれる出来事になったに違いないし、鈴木は許されざる人間という思いが一層深まったに違いないと思われる。

〔警察署からの電話に応じず〕
「社長」は西が自殺した後、西の妻と子息を伴って鈴木の実父の自宅を訪ねた。西は鈴木に頼まれ、実父を会社で雇用していた経緯があったからだ。妻は西の遺影を持参したそうだが、西を自殺に追い込んだ最大の原因を作ったのが鈴木である、という認識は西の妻にも同じくあり、鈴木の実父にも面識があったから、実父が西の自殺をどのように受け止めているか、それを確かめずにはおれなかったという。
鈴木が所在を不明にしている限り真相は何もはっきりしない、ということもあり、社長と西の妻と子息、そして鈴木の実父と鈴木の妹が同道して最寄の警察署に出向き、警察署を介して鈴木の妹が電話を架けると、鈴木は電話に出たが、言を左右にして「今は警察署には行けない」と言って拒み、「明日以降で必ず社長に電話をするから」と言ったにもかかわらず、一度も電話をしてくることは無かった。
鈴木は平成18年10月16日と23日のA氏との面談内容を反故にした揚げ句、「和解書」は強迫されて書かされた、と主張するようになったが、そうであるならば、こうした警察署での面談など、鈴木にとって絶好の機会であったはずである。それを鈴木自身が拒否したことで、自らの悪事を認めているに等しい。

〔鈴木の“黒子” それは青田光市〕
西は鈴木の友人である青田光市にも宛てて書面を残した。
「貴殿は今回、鈴木氏の件について、色々とアドバイスや協力をしてきた様だが、事の重大さを認識しないで無責任な発言が多すぎたようだ。私のホンコンの件についても、私がホンコンに行っていないとか、そのような事件がなかったとか、社長の会社のエレベーターを止めて鈴木氏を監禁したとか事実でない事ばかりを想像で何事も言っているが、エレベーターを止める事も出来ないし、ホンコンについても犯人は確定していないが、事件があった事も確かだ」(略)
「貴殿は今まで黙って状況を見ている社長の本当の姿を、何にも解っていない。鈴木氏より依頼され、身の回り(周り?)の事、運転手の手配やマンションの手配、鈴木氏のダミー的な事、その他あらゆる事を報酬と引き換えに色々とやっている様だが、貴殿の事についてもほとんどの事が調査済みである。鈴木氏の今後の行動や解決の方法によっては、貴殿の立場も大変な事になるような気がする」
などと綴っているが、鈴木の“黒子”として暗い所ばかりを歩いてきた青田が鈴木との関係で登場するのは、親和銀行事件(鈴木宛の書面参照)や利岡正章襲撃事件(鈴木義彦の嘘と言い訳参照)など、いずれもきな臭い事件がらみの場面だった。

〔海外業務に精通した元山一證券マン 茂庭進〕
そしてもう一人、茂庭進という人物に宛てた書面もあった。
「貴殿が鈴木氏の海外の口座の管理や資産管理、その手続を一手にやっておられた事は昔、私の事務所の一部屋を使って仕事をしていた時から分かっておりました。私は、鈴木氏が、大変仕事ができる人をスタッフに持ったと内心びっくりしておりました」
と述べているように、鈴木が決して表に顔も名前も出さないようにするために用意した人物である。茂庭は海外業務に精通した元山一證券マンで、そのノウハウは鈴木が仕掛けた仕手戦で用意したオフショアカンパニーの取得を始め、転換社債や第三者割当増資をこれらのペーパーカンパニーが引き受ける際に如何なく発揮されたことが窺える。
西は茂庭が鈴木の実態や仕手戦の真相をどこまで承知して関わっていたのか、について切り込むように「本当の真実を詳しく書いた手紙を一緒に送らせていただきます。(略)社長、私、鈴木氏と交わした合意書に関して、今だ何一つ実行していない鈴木氏を、私は許すことは絶対にできません」と綴り、さらに「茂庭さんもしっかりと事実の確認をしていただき、鈴木氏と一緒に仕事をするのであれば、自分の立場をよくわきまえて、行動することが大事」と忠告している。

〔鈴木の実父徳太郎は西の会社で優遇〕
西は鈴木の実父にも書面を残していたが、裏切り行為への悔恨、そして鈴木が一日も早く合意書に基づいて約束を実行するよう、実父も一生懸命に働きかけて欲しいという文言が書き連ねられていた。利岡もまた平成19年当時、所在を不明にした鈴木と接触を図るために約2年近くも実父の自宅に日参していたが、鈴木は頑として応じなかった。
西が茂庭宛に綴った書面の末尾は「最後に残す言葉があるとすれば、鈴木義彦は人間の顔をした犬畜生だ。こんな人間を周りが許すわけがない」で終わっている。(以下次号)

誤審だらけの判決はなぜ是正されない!?(1)

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〔株取引が実行されていた事実を無視した裁判官〕
貸金返還請求訴訟で、「合意書」や「和解書」は無効だから原告(A氏)の請求を棄却する、という信じられない判決を出した東京地裁の裁判官の姿勢について、改めて考える。

裁判官は「合意書」に基づいた鈴木と西が株取引を実行した痕跡がみられず、何よりも平成18年に「和解書」が作成されるまでの7年間に株取引に係る三者の協議が行われたという具体的な証拠も提出されていない、と言って「合意書」の有効性や実行性を否定した。法廷に提出された多くの証拠書類を精査すれば、鈴木が故意に会おうとしないで逃げ回っていたことが分からないはずが無い。

(紀井義弘が株取引の利益明細を記した「確認書」。A氏が出した買い支え資金で高値売りに成功し利益を確保しながら、鈴木が密かに海外に流出させ隠匿した)

しかも、西のレポート「鈴木義彦がユーロ債(CB)で得た利益について」や「鈴木義彦との出会いから現在」を次号より掲載するが、これを読めば明らかな通り、「合意書」に基づいた株取引は実行されていた。それを裏付ける証拠が他にもいくつも法廷に提出されていて、例えば、
(1) 鈴木が取得した株の売り抜けをほぼすべて任されていた紀井が、各銘柄の株取引で得た利益とその総額を「確認書」という書面にまとめ、さらに鈴木が利益のほとんどを海外に流出させ密かに隠匿している事実を法廷で証言したこと。
(2)「合意書」が交わされた直後の平成11年7月30日に西が「株取引の利益」と言って、A氏の会社に15億円を持参したこと。
(3)A氏はその15億円を「合意書」に基づいて5億円ずつ分配すると考えたが、西と鈴木の取り分をA氏への借金の返済の一部に充てると言ったことから全額を受け取り、そのうち1億円を心遣いで「鈴木さんと分けなさい」と言って西に渡したこと。
(4)翌7月31日、西と鈴木がA氏の会社を訪ね、15億円の処理を確認したこと。その際、西と鈴木が5000万円ずつを受け取ったことに礼を述べたこと。
(5)平成18年10月16日の三者協議で、鈴木が西に「合意書」の破棄を執拗に迫り、その報酬として10億円を複数回に分けて渡したことを認めたこと。
(6)その場で「和解書」が作成されたが、その後の約1週間の間に鈴木が何度もA氏に連絡を取り、「和解書」で約束した金員の支払を追認するとともに、西が株取引で蒙った損失を「合意書」に基づいて補填しなければいけないと発言していたこと。
など、挙げればいくつも出てくるのだが、裁判官はそうした事実関係の検証を完全に怠り判決に反映させなかった。

宝林株で約160億円という巨額の利益を獲得したために、鈴木が西を巻き込んで「合意書」を反故にすることを企んだのは間違いなく、「利益を二人で折半しよう」と西に持ち掛けた。すると、西はその誘いに目がくらんでかA氏に対して、はぐらかしの対応ばかりをするようになり、A氏は株取引の実態が掴めなかったのが真相であった。

鈴木については、エフアールの代表者時代から殺人事件への関与の疑いや親和銀行不正融資事件ほか多くの事件で報道されてきた過去を持つ。特に親和銀行事件では総会屋、暴力団との密接な関係が明らかになり、それ以降は反社会勢力の「一員」というレッテルが貼られ、すでに触れたように「金融機関や証券会社等での口座開設ができない」と鈴木自身が自白した。
そして、その後、平成25年1月下旬、前年の12月から行方が分からなくなっていた霜見誠夫妻が遺体で発見されるという事件が起きたが、霜見が主宰していたファンドJOF(ジャパンオポチュニティファンド)の金主が鈴木ではないか? という情報がマスコミに一気に報道されたのである。もちろん、鈴木が金主である可能性は極めて高く、その資金が西や西田とともに繰り広げた株取引で得た巨額の利益の一部であったことは言うまでもない。霜見夫妻の殺人事件に鈴木が関与したという真偽は不明だが、事件の2年前にクロニクルの代表者天野裕が京王プラザホテルの客室で謎の自殺を遂げていることとの関連を考えると、鈴木が何らかの真実を知っているに違いないと思わざるを得ない。

裁判には前述の報道記事が証拠書類として提出されたが、それらの記事に描かれた鈴木の人間性を抜きには「合意書」と「和解書」の真実は明らかにならないというのが趣旨だった。しかし、東京地裁で3人、同高裁で3人の、合わせて6人もの裁判官たちは「合意書」と「和解書」に記された文言を無視して、それぞれの書面に込められたA氏、西、そして鈴木の真実には一切目を向けなかったことに誰もが大きな疑問を感じた。
当事者たるそれぞれの人間を無視した上に書面の文言も無視したと言わざるを得ない。(以下次号)

誤審だらけの判決はなぜ是正されない!?(2)

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[鈴木は偽証罪に問えないのか]
民事訴訟においては原告、被告がどれだけ嘘をついても法廷偽証にはならない。偽証罪は「証人」が虚偽を述べたときに成立するが、証人とは「裁判の当事者以外の人で、証言をする人」を指し、裁判の当事者はそもそも「証人」ではないからだ。
鈴木の主張が嘘だらけであった事実は、これまでに何度も触れてきた。そして、法廷での証言が二転三転すれば、裁判官は不信を抱き証拠として採用しない、というのが通例であるので、よもや裁判官が鈴木の主張、証言を採用することなどあり得ないと考えるのは当然のことだったが、判決を見ると真逆の結果となった。それは、いったい何故なのか? 裁判官が正当な判断能力を行使せずに、何らかの思惑で判決を導くことはあるのか? 貸金返還請求訴訟で最大、深刻な疑問は、まさにそこにあった。鈴木の証言が嘘だらけで、しかも二転三転させても平然としている、その典型的な例が宝林株取得の資金3億円を提供したのが誰だったのか? という点である。

ロレンツィ社が保有していた宝林株800万株の買取りについて、鈴木は「買取りではなく、海外の投資会社がイスラエルの大株主ロレンツィ社から、800万株を1株(20.925円)でバルサン(ママ。バオサンが正確な表記?)300万株、トップファン250万株、シルバートップ250万株と3社に譲渡された」と主張した。併せて、その購入代金をA氏が出したという事実を否認。しかし、西が株式買取りの作業を全面的に行ったことから主張が二転三転した。また、株式の購入資金についても「株式の買取り企業が直接出した」という主張が途中から「自分の金を出した」とすり替わり、さらにその調達先も「ワシントングループの河野博昌」からと言い換えられ、全く辻褄が合わなくなっていた。前記の外資3社は鈴木がフュージョン社を介して用意(取得)した、実体のないペーパーカンパニーであり、紀井がその事実を明確に証言している。

また、前記の外資3社が大量保有報告書を金融庁に提出するに当たって、「紀井義弘」からの借入という虚偽の記載を行って、代理人の杉原正芳弁護士は当の紀井から抗議を受けたが、杉原からの回答は一切無かった。鈴木が志村化工株価操縦事件で西とともに逮捕されていたら、杉原も必然的に取調べを受ける状況にあった。(以下次号)

誤審だらけの判決はなぜ是正されない!?(3)

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[裁判所に対し溢れ返る批判 疑問だらけの裁判官]
裁判官の実態を明らかにする書籍が少なからず出版されているが、「疑問だらけの裁判官」というキーワードでネット検索すると、問題判決を実例として取り上げて裁判官の姿勢を問い、原因を探る内容が描かれているので、いくつかの例を引用する。

『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』ほか『民事訴訟の本質と諸相』『民事保全法』など多数の著書を上梓している瀬木比呂志氏は1979年以降裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務して来た経験から「日本の裁判所には、戦前と何ら変わりのない上命下服、上意下達のピラミッド型ヒエラルキーが存在して」いて、その結果、「何らかの意味で上層部の気に入らない判決」あるいは「論文を書いたから」という理由で突然左遷されるという。異動の辞令を受けた裁判官は何故左遷されたのかという基準が分からず、また、どの判決文によって反感を買ったのかを推測するしかないから、いつ報復されるかも分からない不安に駆られるために、多くの裁判官は上層部の顔色ばかり窺っている、というのだ。

「判決の内容は間違っていなくても、上層部の気に入らない判決を書いたという理由で人事に影響する。裁判所には“自分の意見を自由に言えない”といった空気がまん延しているので、組織が硬直してしまっている」
と瀬木氏は裁判所の状況を憂慮している。
「裁判所の服務規定は明治20年(1888年)に作られたもので、休職はもちろん、正式な有給休暇の制度すらない」「かつての裁判所は、平均的構成員に一定の能力と識見はあったので「優良企業」だった」が、今の状況では「ブラック企業」と呼ばれても仕方がないという。(以上ITmediaオンラインでのインタビューより)
「いい裁判官とは? 普通に考えれば、質の高い判決文を書ける裁判官のことだが、実際の評価基準がそうだと思ったら大間違い」と言い、その理由として「裁判官の人事評価の基準は、『どんな判決文を書いたか』ではなく『何件終了させたか』です」と中堅弁護士がコメントしている。
「裁判所では、毎月月初に前月末の「未済件数」が配られる。裁判官の個人名は記されず、「第○部○係、○件」とあるが、どの裁判官がどの事件を抱えているかは周知の事実。前月の件数との差し引きで、誰がどれだけ手掛けたかがすべてわかる」
と言うのだ。また中堅弁護士もPRESIDENT誌( 2012年12月3日号)に次のような一文を寄せている。
「事実上、これが彼らの勤務評定。判決文を何百ページ書こうが、単に和解で終わらせようが、1件は1件。和解調書は書記官がつくるから、同じ1件でも仕事はすべて書記官に押し付けることができる」

本来、裁判官は「準備書面を読んで、事実関係を整理し、理由と結論を書く」べきとしながら、「きちんとした判決を書けない裁判官が、準備書面をコピー&ペーストして判決文にしてしまうのが横行している」(前出瀬木氏)というが、本稿で問題にしている裁判官も「合意書」の有効性や実行性については鈴木側の主張を丸呑みした格好で西や紀井の陳述を軽んじたり無視をして否定した。さらに東京高裁の裁判官に至っては、第二審として独自の検証をせず、見解も示さないまま、ただ地裁判決文の誤字・脱字などの誤りの訂正をしただけという、余りにお粗末な判決を平然と出した。貸金返還請求訴訟の判決が誤審を重ねた揚げ句の誤判であるとする所以だ。(以下次号)

鈴木義彦の処世訓は「詐欺」と「裏切り」(1)

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[新規融資で親和銀行に故田中森一弁護士を顧問に]

西義輝が残した「鈴木義彦との出会いから現在」というレポートがある。このレポートそのものは法廷に提出されなかった。何故、原告側代理人が提出しなかったのか不可解でならないが、本誌では明らかに代理人弁護士の手抜かりではなかったか? と思わざるを得ない。

ともあれレポートのボリュームがA4用紙30枚にもなるので、主要な部分を取り上げることにするが、冒頭に「鈴木義彦とは平成7年(1995年)10月6日に恵比寿ウェスティンホテル2Fにある中華料理店『龍天門』の個室で初めて会った」とあるように、西が平成7年10月から平成18年10月までの11年間の出来事を綴ったものだ。

龍天門で鈴木に会うことになったきっかけは、「天野氏を含む数名のエフアール社の社員が、東京プリンスホテルで開催されていた骨董市の、TAH(東京オークションハウス)社のPRコーナーを訪問し、TAH社の事業に対して非常に興味を示したことから始まった」という。

「鈴木からは、私宛に毎日のように愛人でもある秘書の青木女史を通じて連絡があり、食事、お酒の招待をいただいた。彼からすれば、私は伊藤忠商事を通じて、経済界の名のある方々を知っていたので利用できる人間だと感じたのだろう」

当時、エフアールの本社は渋谷の南平台にあったが、「当初はオークション事業の提携で、FR社はTAH社が入居していた三井信託銀行が保有する麻布にあるビルの6階に、私の紹介で本社移転を行うことになった」といい、その後、お互いに会社の経営状態を語り合うようになったが、1996年(平成8年)4月頃、長崎にある親和銀行に絡む大きな問題解決、及びFR社の資金繰り悪化を打開するため新たな資金を親和銀行より調達したいという相談が鈴木より持ち掛けられた。オークション事業は常務の天野に任せ、「鈴木は真剣にこのことだけの相談で必死だった」(注:このレポートでは「エフアール社」と「FR社」が混在しているが、あえて表記は統一していない)(以下次号)

鈴木義彦の処世訓は「詐欺」と「裏切り」(2)

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〔無価値の担保で100億円の不正融資〕

鈴木は平成10年5月31日に親和銀行不正融資事件で警視庁に逮捕されたが、事件に至る経緯が触れられている。

「鈴木は親和銀行の総会屋的な役割を担っていた副島氏と出会い、その紹介により暴力団S組の組長とも知り合う」ことになったが、副島と組長が「親和銀行のスキャンダル(美人局、不正融資、背任、横領等)の情報を基に親和銀行を脅していた」という中で、鈴木は同行に対して頭取の味方と称して副島と組長を抑える役割を買って出ることになり、その見返りに地方銀行の融資額としては異例の借入金を手にした。つまり融資金の一部を貸付金やコンサルタント料名目で副島や組長に還流させることで、鈴木自身が同行経営陣に深く食い込んでいったという。

「FR社に対する融資の担保として、甲府にある古屋貴石社(注:エフアールの株主)に作らせた偽造宝石、ノモスコーポレーション・佐藤新一氏より購入した価値のない岩手の土地(山林)約40万坪、その他を差し入れた。それにより、エフアール社は総額100億円以上の資金を手に入れた」

西が鈴木と出会った頃、エフアールはひどく資金繰りに窮しており、頼みの綱は親和銀行からの融資だった。そのため、西は面識のあった“ヤメ検”弁護士の田中森一(故人)を紹介し、親和銀行の法律顧問に迎えさせた。それによって、鈴木は価値の無い油絵ほかを担保にして新たな融資20億円を引き出すことに成功したほか、西がA氏より借り出した数多くのリトグラフも担保にして15億円の融資を受けた。また、「新たに副島、組長を裏で操り、親和銀行に脅しをかけさせ、その解決金としてFR社は12億円の新規融資を手にした」というが、その手法はまさにマッチポンプで「鈴木及びエフアール社は、親和銀行側の味方である振りをして、信用されていることを逆手に取り融資を引き出していた」という。

「親和銀行を安心させるためには、鈴木が(同行の)会長、頭取、東京支店長を守る約束が必要であり、田中の肩書きが大きな役割を果たすことになって、新たに32億円の融資を受けたが、そのうちの1億7000万円を副島に、また1億円を組長に“手切れ金”として渡した。残る約29億円を鈴木個人とエフアール社の資金繰りに充てた」というが、その時鈴木は、副島や組長には受けた融資が32億円だったことは明かさなかった。鈴木は自分の資金繰りのために副島や組長を巧みに利用したことが窺えるのだ。

ところで、「エフアール社には上場をめぐる特殊な事情」があったと西は言う。それは、「会社が上場すれば、公募増資等により資金調達が出来、上場益が経営者に入るため、創業者である鈴木及びエフアールの資金繰りも楽になるのが通常であるが、鈴木のケースは違った」からだった。

「上場後の彼の構想の中に、エフアール社の株価を高く維持することにより、多額の資金調達をするというものがあったが、それが実現できなかったため、鈴木はとても苦しんでいた。FR社の株価を維持するため、知人にFR社の株を買わせたりしていたが、そのための資金を鈴木個人の借入れ等で賄っていたこと、また上場前の借金の清算を行わなければいけなかったこと、また、商売の面では、高額宝石の買取補償や、その商品のファイナンスに多額の資金が必要であったこと等で、FR社も鈴木個人も資金繰りが大変困難な状況にあった」

鈴木はエフアールを上場させるために決算を粉飾していた疑いがあり、さらに上場後も、経営が芳しくない実情を隠すために株価を維持させるのに必死となり、「知人に株を買わせる」など違法すれすれの経営を続けていた、と言っているのだ。そうした状況の中で「鈴木とA氏の出会いが1997年(平成9年)9月にあった」(以下次号)

鈴木義彦の処世訓は「詐欺」と「裏切り」(3)

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[預かった時計の一部を担保に6億円を借り、さらに質入れ]
「私は鈴木から新しい金主の紹介を依頼され、A社長を紹介することに」なったが、「A社長が貸し付けた金額の詳細だが、手形担保貸付金(手形13枚)16億9100万円、それとは別に平成9年10月15日に借用書にて3億円、それ以外に後に判ったことだが、私が知らない中で、鈴木が逮捕される直前に8000万円の借金も存在し、ピンクダイヤモンド(1億3000万円)、及びボナールの油絵併せて2点を言い値の3億円で買ってもらい、それを3億4000万円以上で売る約束の下に鈴木が持ち出し(注:油絵はそもそもA氏に買わせておいて、一度も持参しなかっただけでなく、他の債権者に担保で入れていた)、これらの品物もA社長に返されていない状態である。金利を除いた合計貸付金額は、元金が24億1600万円となる」(注:これに加えて上代が45億円の時計の代金4億円がある)
「証券会社出身で資産家の中村氏との間で、A社長より預かった時計(バセロンコンスタンチン1セット上代は10億円)を、中村氏に持ちこみ3セットで6億円の借入れをし、途中で担保を入れ替える約束で時計を取り上げ、質店・玉や商事に質入し、別途5000万円の資金調達を行った。このときの鈴木の目的は資金繰りにあり、売り先があるという建前の下3ヶ月間を期限としてA社長より時計を委託で借りるということを依頼した」
A社長から逮捕情報を聞いた鈴木が、その場に土下座して涙を流しながら8000万円を借り受けたことは、これまでにも別の稿で触れたとおりだが、「売らせてください」と言って持ち出した時計とピンクダイヤ、それに一度も持参しなかった絵画についても、鈴木の行為はまさに詐欺・横領の類だ。「中村」という人物もA氏と同様の被害実感を持ったに違いなく、さらに質入したということは、鈴木にはA氏に現品を返還する意思は全く無かったのではないか。

[鈴木は詐欺の常習者]
西のレポートから読み取れるのは、鈴木が詐欺の常習行為を繰り返してきたという疑いで、その例がいくつも記されている。
「輸入時計の購入資金として偽の輸入インボイスを作成させ、日本橋の金融業者(宮崎氏)より総額20億円の借入れを行い焦げ付かせた」「古屋貴石社長(古屋氏)を利用し、他社より3~4億円を借入れさせ、エフアール社に貸し付けさせる。古屋氏に対する一部担保としては、エフアール社の第三者割当増資で発行した株券(一定期間売却不可能な株券)及び手形割引等があった」「ノモスの佐藤新一との間では、ブルー、ピンク、レッドダイヤモンドを担保として3億円、かつ手形割引(融手含む)を担保として1億円、第三者割当増資で発行した株券により2億円前後の借入れを行った」「その他、他の業者からの借入れとしては、町金融のアイチより6000万円、その他、他社より手形割引を含め3億円の借入れを行っている」
西もまた、知人の在日パチンコ店経営者から通算20億円、1回につき1~3億円を10日で1割の金利を払って借り入れていたというが、こうした借財の清算をA氏がしてやったことになる。これだけ複数の債権者がいれば、いずれ破産の申立を受け、あるいは詐欺で告訴されていたのは簡単に予測できる。また、そうなれば、鈴木が資金繰りのために簿外で手形を乱発していた事実が表面化して、エフアール自体も倒産していた。
「(鈴木が)多方面で多用している手形割引は、鈴木が直接行わず、仲介として金融ブローカーや悪友の青田光市を使い、商業手形に見せかけて資金の調達をして」いたからだった。
こうした状況の中で親和銀行事件が表面化した。
事件に関連して西も東京地検から呼び出しを受け、「その時、5、6本のビデオの録画テープを見せられ愕然とした気持ちを、私は今でも忘れることはできない」と記している。

西のレポートには随所にA氏に対する詫びとともに「自分の一命を持ってしても許されることではない」という文言が出てくるが、平成18年10月16日の三者協議での約束を鈴木が平然と反故にした揚げ句、その後の代理人となった弁護士の平林英昭と青田光市がさらに事態を混乱させる中で、鈴木から利益分配金を回収する可能性がどんどん無くなっていくことや、青田光市と反社会勢力の人間による尾行、あるいは利岡襲撃事件も重なって、西は「一命を賭す」思いをより深めていったのではないかと思われる。(以下次号)

鈴木義彦の処世訓は「詐欺」と「裏切り」(4)

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[西の会社で鈴木の実父と愛人に給与]
宝林株での巨額の利益獲得で勢いづいた鈴木と西は「今後のM&Aの専門的な会社を作る必要がある」と考え、「ファーイーストアセットマネージメント」(FEAM社)を資本金5000万円で設立した。
「ユーロ債発行会社との交渉やコンサルタントが会社設立の目的」となったが、鈴木は実に横着な要求をいくつも西に申し出た。そのひとつが専用の車と給料の提供だったそうで「『FEAM社より専用の車と専属の運転手を用意して欲しい』と言い、さらに『収入があることを見せたいので給料を出して欲しい』とも言った」
鈴木は「関西のグループとの付き合いで、私に見栄も必要となって来るので、黒のベンツにしてください」とか「給料は社会保険付きで」などとも言ったというが、ベンツの購入代金が1400万円、専属の運転手の雇用では1999年9月から2000年12月までおよそ1200万円、他にもガソリン代や維持費等で250万円がかかり、給料に至っては2250万円を支払ったという。西は、なぜ鈴木の要求を呑んだのか?

だが、鈴木の要求はそれだけではなく、鈴木の愛人と鈴木の実父にそれぞれ50万円と60万円の給料を支払う約束をさせられ、それに伴う費用が約2000万円を要した。また、鈴木と同じく警視庁に逮捕されたエフアールの専務だった大石の妻に5000万円の貸付が発生した。「鈴木と大石は公判中でもあったため、鈴木から『大石の口を封じたい』という要請があった」

これらの支出は、鈴木が責任を持って利益を積み上げるという約束の下に西は実行したというが、鈴木からFEAM社への返還はなかった。結局、鈴木から宝林株での利益分配で西に30億円が支払われていたが、これまでに触れたように、宝林株のユーロ債発行手数料に1億2000万円とか鈴木及び鈴木の身内への給料等の支払に1億3000万円、さらに宝林株の市場買付分として4億4000万円などが支出されていて7億円前後が鈴木の関係で費消された計算になる。西は株価の買い支え資金をA氏から出してもらっていただけではなく、FEAM社の前記のような運転資金も全てA氏から出してもらっていた。
鈴木がどのような名目を使ったのかは詳しく書かれていないが、独り占めをするために海外に流出させ隠匿した利益を、鈴木は一切吐き出さなかった。

西が志村化工株に絡んだのは平成12年のことだったが、鈴木が、DTMパートナーズというファンドを兼ねた投資顧問会社を経営する武内一美を西に紹介したのがきっかけになったという。
「武内の経歴は、中央大学を卒業後、公認会計士の資格を取得してプライベートバンクのクレディリヨネ東京支店に勤務し、支店長を務めたこともある信頼できる人物だ、ということで紹介を受けた。その際、鈴木は『今後一緒に仕事をしてゆく仲間であるから、安心して付き合ってください。私が全て指示を出すので、武内と歩調を合わせてください』ということだった」
鈴木は志村化工株のユーロ債の発行を近々に発表すると言い、それに伴って株価が上昇するからと、一部個人での購入を勧められ、西は同年の2月から3月にかけて株価が230~250円台のときに5000万円から6000万円分を購入したという。

ところが、鈴木は志村化工のユーロ債の発行(約56億円 1株190円)を決定しており、その事実を西には言わずに「宝林には増資した資金が残っていると思うが、20億円をクレディリヨネに預けないか? 責任を持って運用させますから」と、宝林の経営陣を説得する役割を西に頼んだのだ。
「私は秘書の水野恵介に指示を出し、商品券約500万円分を安藤氏に渡し、宮崎氏には彼個人が株式投資で出した損失分の約700万円を肩代わりすることで、約1か月近くかけて説得した」といい、同年12月にシンガポールのクレディリヨネの支店に20億円を振り込んだ。運用期間は1~3年で、6ヶ月が経過すればキャンセルも可能となっていた。

「この20億円は、2000年2月に行われた志村化工のユーロ債(56億円/1株190円)の払い込み代金の一部として使われ、クレディリヨネのファンド運用という鈴木の話は全くの作り話だった。志村化工の株価は、わずか3ヶ月弱で1300円まで上昇し、大きな利益を出したことは事実だった」(以下次号)

鈴木義彦の処世訓は「詐欺」と「裏切り」(5)

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〔志村化工株大量買い付けで追加証拠金〕

さらに同年9月以降、鈴木が志村化工株を大量に買って欲しいと言って来た。「鈴木に『大丈夫ですか?』と尋ねると、『武内から志村のユーロ債で得た株券を大量にもらうから、一切心配は要らない』と頼んできた」

こうした鈴木のアプローチについては、西も後々になって分かったことだが、必ず何らかの事情が隠されていて、今回はユーロ債割当株の売却をするためであることは西にも想像がついたようだ。案の定、同年11月になると株価が暴落を始め、西は信用取引を活用していたことから、口座に多額の追加証拠金が発生したという。しかし、西には「鈴木から頼まれて購入した」という事情があったとして、「昭和ゴム100万株を鈴木より受け取り、追い証用の担保として差し入れ、解消させた」。

12月に再び鈴木から依頼が入り、「志村化工株の大量購入が可能な会社か人物を紹介して欲しい」という。そしてもしそれが不可能であれば、西の証券口座で志村化工株を取得できないか? という。そこで西は「野村證券出身の阪中氏を介してソフトバンクグループの北尾氏を紹介され、イートレード証券で志村化工株1000万株を信用取引にて購入する旨の了解を取った」という。西は、鈴木と武内から6ヶ月以内に買戻しをする旨の約定書を作成するという話を聞き、実際にも2001年の5月から7月にかけて約定書を預かることが出来たため、安心して株式の大量買付けを行っていたという。(以下次号)

鈴木義彦の処世訓は「詐欺」と「裏切り」(6)

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[西が鈴木と交わした密約(英文契約書)]

「私はこのような鈴木からの要請が何度も続いたことに対して疑いを持ち、2001年11月に鈴木が借りたホテルオークラのエグゼクティブフロアーの部屋にて鈴木との間で一つの英文による契約を結んだ。それは【この契約日から5年以内に、総利益の内の経費を引いた3分の1を、契約に基づいて西義輝に支払う。但し、年に一度は利益の推移を必ず確認を行いあうこと。契約期間は2006年11月末日までとする】という旨の内容だった」 この書面はA氏と西、鈴木が交わした「合意書」とは違いA氏の名前が無い。その理由として鈴木は「以前にA社長には14億円の利益の分配をしているので、これ以上を支払う必要性は無い。但し、借り入れている18億円(注:実際は元金28億円超)に関しては、解決の方法を考えているから」と西に言ったという。「常々、鈴木は私に対して『周りの人間たちには鈴木は国内にはいないと言って欲しい。名前を表に出さないで欲しい。エフアール社を絡めた部分で300億円の個人保証をしているので、表に出るわけにはいかない。また、ユーロ債の新株発行に関しては私が表に出て行えば利益を稼ぐことが難しくなるので』と、さまざまな機会で何度も言っていた。私は、その時鈴木が周囲の人たちから逃げようとしているということを察知した」
英文の契約書を作成ことになったのは、鈴木の身勝手な言動、さらにそれまでの2年間で受けた鈴木の行動に対する不審感からだったというが、それ以上に「志村化工株の大量買付けにより、東京地検特捜部から私(西)に捜査の手が伸び、証券取引法違反による逮捕が固まりつつあったことが大きな要因となった」
「鈴木も志村化工株売買によるインサイダー容疑での逮捕が確実で、もし逮捕されることがあれば、今までのあらゆることが表に出てしまい、お金の流れも暴かれてしまうことになり、努力が無になってしまう」と西は考えた。また鈴木には親和銀行不正融資事件により5年間の執行猶予がついていたため、「次の逮捕により全ての刑が鈴木に覆いかぶさってくる。この英文契約を結ぶ条件として、私は鈴木を逮捕から守ることがあり、私は鈴木にそのことを約束した」という。
平成14年2月27日、西は証券取引法違反の容疑で東京地検特捜部に逮捕された。「拘置所にいるときの検事の取調べは本当に過酷なものだった。私と検事の間でさまざまな駆け引きが行われていく中、私はその後保釈に至るまで、鈴木のことは一言も話さず、最後まで鈴木を守った。結局、鈴木のこの件での逮捕はなかった。その後の同年3月末、すべての取調べを終えて私は保釈された」 西は、逮捕されたことはあくまで自分の責任で判断し実行した結果での失敗としながらも、「鈴木のその後の行動や態度に関しては、今思えば余りにも非人間的な考え方であったと思う」と記した。

〔「面倒を見るのは終わりにしたい」と鈴木が西に捨てゼリフ〕
「志村化工株の株価操作事件の逮捕劇からおよそ1か月、私の保釈後、鈴木は今までと変わらぬ対応で私に接し、保釈金の立替、毎月の生活費用(100~150万円)、弁護士費用を払い、裁判の結審が行われるまで、非常に密に意見交換を繰り返していた」
仮に公判中ではあっても、西の言動によっては鈴木の逮捕が有り得たからで、鈴木の秘密を知っている西に対して、鈴木は大事に扱っていたに違いない。
2003年(平成15年)の夏、西の刑が確定し、懲役2年、執行猶予3年の判決が下った。すると、同年の9月、鈴木から西に電話が入り「一度ゆっくり話がしたい」というので、西と鈴木は西麻布の喫茶店で会ったが、「その時、彼は私のことを『西さん』と呼ぶようになっていた。今まで私のことを『西会長』としか呼ばなかった鈴木が、裁判が終わった直後に態度を変えたことに対して私は非常に驚いたが、それ以上に驚いたことは、『西さんへの毎月の生活費の支払いをそろそろ止めたい』と言われたことだった。私は、その時鈴木にたった一つの事だけを言った。『執行猶予が切れた暁には、二人で交わした契約を実行していただきたい』。私はその時約300億円以上の利益が積み上がっていることを伝えられており、『自分には多額の借入金があり、それの清算をしなければいけない。もちろん、A社長にも返済しなければいけない金額が沢山ある』というと、驚くことに鈴木が私に言った言葉は『Aは俺には関係ないだろう。西さんが取り分をどうしようと勝手だけど、俺は14億円の分配と10億円の借入金を返済しているので、もう全てが済んでいる。俺と一緒にはもうしないでくれ』ということだった」
西はその場を終えたが、その直後から鈴木の携帯電話がつながらなくなり、紀井経由でなければ連絡が取れなくなったという。ただし、西が必要に応じて紀井に電話をすると鈴木からは必ず連絡があったので、少しは安心をしていたという。(以下次号)

鈴木義彦の処世訓は「詐欺」と「裏切り」(7)

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〔飲んだワインで意識昏倒〕
西のレポートの最後には「香港を舞台にした金銭授受、そして……」の見出しが記されているが、レポートを忠実に再現する。
「私は鈴木と2005年(平成17年)10月に東陽町にあるホテルイースト21のスカイラウンジにて、1時間半かけて色々な打ち合わせを行った」
便宜的に二人の会話の主要な部分が描かれているので、それを挙げると、
西(談)  来年(2006年)の8月にて執行猶予が切れて、パスポートを手に入れることができるので、徐々にお金の準備をしていただきたい。
鈴木(談) 今は200億円程度の利益しかない……。
西(談)  さまざまな理由を述べずに、400億円以上の利益に対しての3分の1の分配として決定しよう。
鈴木(談) 株券の在庫が多く、西さんが言っている金額は全ての株券を売却しなければ難しい。
西(談)  本来、当初の取り決めは社長、私、鈴木さんで均等にて分配(注:西とは別にTAH社に手数料10%)するという約束であったはずですよ。
鈴木(談) 社長と結んだ合意書及び借用書は、2002年末に破棄したと言ったじゃないですか。
西(談)  この話は、貴方と私の間で結んだ契約書に基づいてのことですよ。
「これらのやり取りを私なりに総合して考えると、おそらく鈴木は自分の思っていた以上の多額の利益を得たために、配分を減らすことを考え、また、私を丸め込むことが出来ると考えたと思う。また、私に対しては小額の現金を与えればよいということを考えていたとも思う。何故ならば、『西さん、お金に困っているのであれば、1億くらいのお金を融通することは出来ますよ。どうしようもないときは言ってください』ということも会話の中にあったからだ。また社長の名前が会話に出てきたときには、『社長は関係ないだろ。貴方が取りまとめてくれるっていつか、言っていたじゃないですか? 帳尻合わせは全て済んでいるはずだから』という言い方さえしていた」

「私はその時、過去を振り返った。一銭の金もないころの鈴木は、社長から金銭面で全面協力をいただいた。(合意書を交わしての株取引では)企画、発案、取りまとめに関しては私の役割で、鈴木は株式の売却の役割を担っていたが、実際の売却に関しては紀井が9割以上を担当しており、また、お金の管理に関しては茂庭の力を借りた。また、色々なユーロ債と口座の開設等に関しては、元フュージョン社の町田、川端を使い、いつも役割ごとにうまく人を活用していた」
西は、鈴木との金のやり取りの方法に関する連絡を密に取っていたが、最終的には平成18年10月の初めに、香港で約46億円の受け渡しを行うという話があり、鈴木は「マネーロンダリング法が脅威となっているため、香港での取引は全て現金で行わず、日本から海外に持ち出されている銀行振出の保証小切手にて行いましょう。そして残りに関しては、海外のオフショア口座を2社ほど開設し、その後3ヶ月以内に約90億円のお金の振替を必ず実行します」と言った。そして、9月30日の鈴木との会話で西は10月2日に香港へ向かうと述べ、インターコンチネンタルホテル香港に宿泊するとも伝えた。すると、鈴木が『西さんが以前の打ち合わせの際に、私の紹介で面会したことのあるTamという人間と香港で会い、打ち合わせを行ってください。私も時間があれば、香港に行きますから』ということを西に伝えた。

西が香港に着くと、鈴木から連絡が入り、「10月3日の14時にTamが香港での専用携帯電話を渡します。私はどうしてもやらなければいけない仕事が入り香港には行けません。西さんもTamとは会ったことがあるので、今回はTamとの取引でお願いします」ということだった。その後、Tamから携帯電話を受け取り、同日の16時に香港島のリッポセンターの2Fロビーで待ち合わせをし、一部保証小切手の確認をすることになった。
しかし、Tamが用意していた小切手は約17億円分(23枚)で、『残りの29億円分は市場で今集めており、10月4日の午後には全額が揃うので、責任を持って渡す』と言うので西も了解した。
そして、翌4日の午後8時にリパレスベイのレストランで待ち合わせをすることになったが、実際にはTamの方が遅れ気味となり、西が近くの公園を散歩しながら待っていると、午後8時半過ぎにようやくTamが現れ、車の中で46億7000万円分の小切手を確認し、オフショア会社設立のための書類へのサインをしたほか英文契約書の金額の一部変更へのサインも行った。
西はビジネスファイルバッグに書類と保証小切手を入れ、最初に待ち合わせをしたレストランに向かおうとすると、Tamからワインを勧められ、それを飲んだ直後に意識を失った。
それから約16時間後、西はリパレスベイの浜辺で発見されたが、所持品は無く、契約書類、小切手、携帯電話もなくなっていた。
「着用していたスーツは破れ、靴は砂まみれの状態、とても再使用できる状態ではなかった」
体調の回復を待ち、3日間の入院の後、西は病院を退院した。日本領事館での説明、そして領事館から紹介された弁護士へ対応を依頼して西は帰国の途についたが、ここでもまた、西は香港警察や領事館からの聞き取りに鈴木の名前を出すことは一度も無かった。(以下次号)

青田光市は「反社」を使い乗っ取り、詐欺の常習者(1)

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[赤坂マリアクリニック院長の悲痛な叫び]
【青田光市との出会いは昭和60年代に交通事故の傷害保険で治療する患者を連れてきたのが始まりです。その後、年に2人~3人の患者を連れてきました。それが縁で、年に2回~3回ほど食事をする仲になりました】
「赤坂マリアクリニック」という病院が鈴木義彦の悪友、青田光市に乗っ取られたのは2006年から2007年にかけてのことだったが、当時の理事長(院長)だった根岸重浩がその手口を具体的に明かした。
【平成17年の初め(記憶では2月から3月頃)、青田が「脱毛の患者を連れて来るから、紹介料として50%のリベートをくれ」と持ちかけてきました。リベートの率は脱毛50%のほか、隆鼻、ホクロ手術は30%などの条件がつきました。私は、たとえ青田にリベートを払っても病院の収入が増えればいいと判断し、青田と患者紹介の契約を結びました。
その後、私は平成17年の夏に、脳梗塞で日大病院に入院。手足が麻痺して、言葉もうまく発音できず、当初は全く話が出来ない状態でした。そして、入退院を繰り返し、リハビリ治療を受け、自宅療養の生活を送っていました。そんな状況のなかで、娘二人が「青田の性格がどうしても気に入らないし、50%もリベートを払うのは納得できない」と反発してきました。当時、長女は東京女子医大に勤務していて、週に1日「赤坂マリアクリニック」で診察をし、次女は経理を担当して私を助けてくれていました。しかし、青田との契約がもとで娘二人との親子関係が悪化しました。その結果、長女と次女は平成18年の3月いっぱいで病院を去って行くことになりました。

娘二人がいなくなるため、東京女子医大の若松信吾先生に協力していただき、4月から新体制を組み、「赤坂マリアクリニック」の運営に当たることになりました。
新体制は、月曜・火曜を塚越芳久先生(千葉大学医学部卒)が診察、水曜は休診、木曜・土曜は長尾公美子先生、(琉球大学医学部卒)が診察、金曜は若松先生が診察することになりました。
私の留守を預かる若松先生は、私に毎月30万円の生活費とマンションの賃料27万円を支払うことを約束してくれました。そして、青田との患者紹介の契約も解除しました。ところが、7月頃になって、青田が「『赤坂マリアクリニック』に200万円の赤字が出たので補填した。早く返せ」と言ってきました。娘二人がいた3月までは黒字だったことは確かです。どうも赤字は平成17年度分の税金が未納になっていた分の支払いのようです。それでも、青田に言わせると、200万円の赤字を私に返せという理屈になるようです。患者を紹介する仕事を頼んだだけなのに、なぜ、青田が病院の経理まで口を出すのか、納得できませんでした】(以下次号)

青田光市は「反社」を使い乗っ取り、詐欺の常習者(2)

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[青田が院長を「バカヤロー!殺すぞ」と強迫]

【そうこうするうちに、私の知り合いの患者さんから、「『赤坂マリアクリニック』に行ったら、経営者が代わったと言われた」という話が、次々と舞い込むようになりました。そこで、勤務している先生など、病院の関係者に話を聞くと青田は、受付の女の子を増やしたり、事務長を入れたりするほか、私が病院に入れないように鍵を替え、ロビーにある絵を売却するなど勝手な行動をしていることが伝わってきました。

青田は私が自宅療養リハビリ中で身動き取れない状況につけこんで、早い時期から悪巧みを実行していたようで、すでに 18年5月1日には虚偽の社員総会の議事録を作成し、私を退職させ、6月2日には理事長を川口えいすけに代えていました。社員総会には、私は出席していません。印鑑も青田が勝手に持ち出したものです。さらに11月には医療法人緋地梨会の登記簿を変更し、港区赤坂から台東区千束に移転してしまいました。この移転に伴い「赤坂マリアクリニック」の名前を「赤坂マリアビューティクリニック」に変更して看板を出しています。完全に医療法人緋地梨会赤坂マリアクリニックを私物化して、乗っ取っています。そのうえ青田は、18年の9月中旬に私の携帯電話に電話を架けてきて「バカヤロー!殺すぞ」と強迫して来ました。10月には、手下二人を連れ私のマンションに押しかけてきて、「出て来い根岸! ふざけんな」と脅しをかけました。電話での強迫は11月の中旬にもありました。身体の自由がきかない私は青田の違法行為を罰し、医療法人緋地梨会赤坂マリアクリニックを元の状態に戻すことを願ってやみません】

以上が、平成19年2月25日付で根岸重浩が経緯を書き留めていた書面である。青田光市という男は、本当にヤクザな生き方しか出来ないのではないか、と思われるほど、やっている悪事が粗暴で常習的である。

西義輝が鈴木義彦から聞いた、親和銀行不正融資事件の発端となった辻田徹頭取に対する美人局事件の真相によると、青田は辻田と女性のホテルでの密会場面をビデオに収めた“張本人”であったというし、鈴木の“黒子役”としてA氏との交渉役(代理人)を務めた際には、A氏の側の代理人が暴漢2人に襲撃された事件の教唆犯であることが強く疑われるなど、青田の名前が取沙汰されるときには、必ず刑事事件が付きまとうのだ。代理人を襲った暴漢の所属している暴力団の何人もが「襲撃事件の後に青田自身が口止めに動き、今までの20年以上の付き合いを対外的には無かったことにするよう頼まれた」と証言しているのだから、青田には全く人徳が無い。

冒頭に挙げた「赤坂マリアクリニック」の乗っ取りでも、青田にかけられた嫌疑は威力業務妨害、窃盗、有印私文書偽造・行使、詐欺、横領、強迫、公正証書原本不実記録など数知れない。クリニックを乗っ取られた側の根岸に非があったとすれば、それはリベート欲しさで言い寄ってきた青田の口車に乗って、付き合いを継続してしまったことではなかったか。

ちなみに、青田は根岸が理事長を務めていた緋地梨会という医療法人を私物化して、役員変更や移転など好き勝手なことをしたのと併行して「義光会」という医療法人を立ち上げ、鈴木が青田とともに役員に名を連ねて「赤坂マリアビューティクリニック」の運営母体となった。義光会の「義」は鈴木義彦の義を、また「光」は青田光市の光をそれぞれ取って付けた名称であるという。クリニックは現在も塚越が院長として運営されているが、医療法人義光会について、提供いただける情報があれば、ご一報いただきたい。

青田光市が弁護士の平林英昭とともに鈴木の代理人としてA氏側との交渉に当たっていたのは前にも触れたとおりだが、その言動は全てが虚偽であるだけでなくA氏に対する誹謗中傷は度を過ぎていた。それが鈴木とA氏の交渉を混乱させ最悪の状況を作ったともいえる。それらの言動は本人が法廷で証人の宣誓をしていないから免れたが、明らかに法廷偽証に相当するものだった。

青田は、長年の付き合いがある暴力団との関係を維持するために鈴木の資金力を利用してきたが、「鈴木がF1チームのオーナーになる」という話まで吹聴して鈴木の資金力を誇示していたようである。F1チームのオーナーともなれば、年間で100億円からの資金が無ければ務まらないと言われるだけに、金にものを言わせ手足として使うには十分すぎる印象を暴力団員に与えていたに違いない。

「鈴木がF1チームのオーナーになるという話が出るのは、鈴木が『合意書』に基づいた利益分配を独り占めしたからに他ならない。『合意書』には違反をした者は取り分がないと明記しており、隠匿資金の全額が没収の対象になるのだから、青田が軽はずみに吹聴することではない」(関係者)

そうした一方で鈴木の所在が掴めず、行方を確認しようとした関係者が青田の住むマンションを訪ねた際、青田は何を慌てたのか、その関係者を指して「Aが俺を殺そうとしてヒットマンを差し向けた」とか「Aはヤクザ者でシャブ中だ」などとわめいて、ひどい興奮状態にあったため、周囲に集まってきた10人近くの近隣住民が驚き110番に架電して警官を呼んだ。そして、駆けつけてきた警官は放置できず関係者から事情を聞かざるを得なかったという。青田の対応は暴力装置と警察を自己都合で使い分けるような卑怯な発想から生じていた。青田は暴力団N一家のNO.2とは20年来の付き合いがあったことから、利岡襲撃事件で教唆犯を強く疑われ、さらに香港から帰国した西義輝に尾行をつけるなど常に“闇の中”でうごめいているような日常を過ごしてきた青田だからこそ、同様の報復を受けるという恐怖感を持っていたのではないか。しかし、そうした発想を持たざるを得ないほど青田はA氏を始め関係者に誹謗中傷を繰り返し、時には暴力装置さえ動かした疑いを強く持たれており、それ故に告訴、告発が準備されているという。

鈴木のウソを正当化するために、杉原正芳弁護士は金融庁へ提出した大量保有報告書で全く実体のないペーパーカンパニーの代理人と称して虚偽の事実を平然と書き、長谷川幸雄弁護士は、それが戦術だったとはいえ、法廷で原告Aの人格攻撃をいとわず法廷での傍若無人さが際立ち、A氏の代理人に対して審理中にもかかわらず「うるさい、黙れ」などの暴言を吐いて裁判官からたしなめられるという場面があった。また、長谷川が事前に判決の内容を知っていたのではないかと疑うような発言を判決の当日にしていた。書記官が判決文を法廷に持ってくるまでの待機時間に、長谷川は同席していた被告側弁護士たちに「大丈夫、この裁判は負けない」と居丈高に言い放っていたのである。実際に判決もA氏の敗訴となったが、「負けない」と豪語した長谷川には何らかの裏づけとなる根拠があったかのように思われた。特に全国の地裁レベルでは現在でも裏取引があるという噂は拭い切れずに残っているという。判決が不可解で異状であったことは誰の目から見ても明らかだったが、真偽は今も不明だ。

同じく代理人を務めた平林英昭弁護士も暴力団トップとの面談行為を繰り返すなどして、いずれも弁護士にあるまじき懲戒相当に当たる作り話を大々的に拡散させた。鈴木の傍にいて事件を誘発させた青田には赤坂マリアクリニックの乗っ取りで威力業務妨害、窃盗、有印私文書偽造・行使、詐欺ほかいくつもの嫌疑がかけられているが、いずれ法廷偽証、名誉毀損、信用毀損等でも法的措置が突きつけられ、大きなダメージを受けることになる。(以下次号)

強欲 鈴木義彦に残された選択肢(1)

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[海外ファンドで使途不明金9億円]

エフアールで鈴木の側近として動いてきた天野裕は、鈴木が親和銀行をめぐる不正融資事件で逮捕された後、エフアールがなが多、クロニクルと社名を変えても一貫して“独裁”を維持してきたことが大きな要因となったのか、平成23年8月3日、都心の京王プラザホテルの客室で、首を吊った状態で遺体が発見された(当時は会長)一部には「何者かが天野氏を吊るした後に足を引っ張った」という恐ろしげな指摘もあるが、天野の死には余りに謎が多いのも事実だった。
会社の公式の発表は「8月3日午前5時、急性心不全により自宅で死亡」としたが、事実は明らかに違っていた。なぜ、このような違いが起きたのか。クロニクルは曲がりなりにもジャスダックに上場する企業だったから、企業としての信用を憚ったのは良く分かるが、余りのギャップの大きさに却って不信感が募ることになった。しかし、クロニクルが具体的なコメントを出すことは無かった。
天野は、会社では投資事業を専権事項にして具体的な情報を社内外に開示することは無かったという。鈴木が、親和銀行不正融資事件で逮捕されたことでエフアールの代表権を失うとともに株主名簿からも名を消し、さらに平成12年に取締役を退いたことで鈴木とエフアールの関係は無くなったと業界には受け取られたが、それはあくまでも表向きのことに過ぎず、天野には鈴木の存在を無視することなど出来なかった。
それ故、なが多やクロニクルで発表されるユーロ債(CB)の発行や第三者割当増資が、実は全て鈴木の指示(意向)の下に実行されていた事実を一部の人間に明かすことにしたことがトラブルの一つといわれている。
しかし、天野が死亡すると、続々と使途不明金が発覚し、平成24年1月、過去の会計処理と有価証券報告書虚偽記載の疑義に関する事実関係の調査をするとして、第三者委員会が立ち上げられた。
すると、SECが、天野がシンガポールにファンドを3個組成して合計9億円もの資金を流し、ファンドから自身に対して資金を還流して個人的な流用を計画していたとして金融庁に課徴金を課すよう勧告していたという情報も表面化した。
問題は「個人的な流用」で、これまでの情報ではファンドの組成から資金の還流が天野単独による犯罪行為とみなされた模様だが、天野の背後には常に鈴木の存在があったことを考えると、還流資金が一人天野の私的流用と断定していいのかどうか強く疑われる。鈴木が天野の背後でエフアールに関わってきた事実を、社内の人間は少なからず承知していた。

そもそも3個のファンドをシンガポールに組成して行う投資事業とは何だったのか? その情報すらクロニクルは公表していなかったが、それこそ鈴木の本領と考えるのが自然で、天野は「エフアール 代表取締役」という名義(肩書き)を使われた可能性が高いのだ。天野だけではない。今回の事件では10人以上が事件に巻き込まれ自殺や不審死さらに数人が行方知れずになっているだけに、鈴木の悪事を許せないと関係者は揃って口にする。
第三者委員会が調査して判明した使途不明金は平成20年からとなっていたが、それは、鈴木が平成18年頃から旧アポロインベストメントを軸にしてステラ・グループを組織し、同興紡績ほかいくつもの企業買収を繰り返し、あるいは業務提携を活発化させた時期と重なっていた。
ステラ・グループへの変貌と企業活動に要した資金を鈴木が調達するに当たって、クロニクル(天野)が利用された、と考えると、天野の自殺はこれまでに伝えられてきたものとは全く違っていた。(以下次号)

強欲 鈴木義彦に残された選択肢(2)

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〔相次ぐ自殺や不審死〕
鈴木の側近だった大石高裕は、親和銀行事件で鈴木と共に逮捕され、平成12年9月20日、懲役1年6月(執行猶予3年)の有罪判決を受けた後、交通事故で死亡した。余りに突然のことだったが、事件発覚から逮捕・起訴後の公判が続く中で、鈴木と大石の関係に亀裂が入ったようで、西義輝が大石の妻に5000万円を渡した事実が西のレポートに綴られているそれによると、鈴木から「大石の口を封じたい」という依頼があり、1999年11月に貸付を実行したという。こうした経緯を耳にすると、大石が命を落とした交通事故に故意は無かったのか、天野、大石の2人が側近中の側近だけに大きな疑問が残る。
天野、大石の例だけではない。鈴木をめぐっては、周辺関係者とトラブルが起きると、相手がいつの間にか自殺や不審な死を遂げるなど物騒な出来事が余りに多いのだ。原因は決まって鈴木の身勝手な約束違反に端を発した金銭トラブルで、西と仕掛けた株取引の初期の段階で利益金の海外流出に一役買った吉川某は、平成12年から同13年にかけてSECからマークされたことからフランス(パリ)に逃げたが、その後、鈴木との関係がこじれて険悪になったという話を聞いていた関係者が鈴木に吉川のことを尋ねると、鈴木が「あいつは死んだよ」と素っ気なく返事をしたことに大変驚いたという。吉川の消息は今も不明だ。
また、同じく株取引で鈴木とタッグマッチを組んだ西田晴男は、平成19年に南野建設の相場操縦容疑で大阪地検に逮捕された後に、持病の糖尿病が悪化して4年後の平成23年3月に死亡したが、自らの証券口座を持たず、株の取引は全て側近らの口座を使い、銀行口座すら自らのものを持たなかった。側近の口座等にたまった”N勘定”と呼ばれる潤沢な資金については、誰もその所在も行方も分かっていないが、西の前出のレポートによると、「(西田の側近だった)白鳥女史は、このユーロ債(アイビーダイワ)にて15億円以上の利益を上げることができた。ただ、白鳥女史にSEC(証券取引等監視委員会)および国税庁(東京国税局?)から内偵調査が入り、彼女は2002年(平成14年)にヨーロッパへ逃亡し、未だ帰国出来ない状況にある」と記しているが、鈴木が西田の“溜まり資金”を放置することなど有り得ないので、白鳥女史と謀って運用に動いた可能性は大きいと多くの関係者が口を揃える。

[細木数子と鈴木義彦の密接関係]
鈴木義彦という男は、いったい何か? と聞かれて、即座に帰ってくる言葉の多くが“人非人”という衝撃的なものだった。
人にあらざる人……。こんな言葉を特定の個人を指して言えば、名誉毀損に当たる可能性が高いと思ってはいても、鈴木を知る多くの関係者たちにそう言わせるのは、何よりも鈴木の周辺で数多くの人たちが不審な死を遂げ、あるいは自殺しているからに違いない。
セレブ夫妻殺人事件としてマスコミでも話題になった霜見誠(JOF)の事件も、“実行犯”が逮捕、起訴され、有罪判決を受けたことで決着がついたように見えるが、背後に潜んだ真相は依然として謎だらけのままだ。
鈴木が海外に隠匿し続けた資金は、今や1000億円を超えるといわれ、恐らくはプライベートバンクの口座名義人の口座に振り込まれた利回り(これだけでも年間100億円前後になる)で優雅な暮らしを満喫していると思われるが、「それは西を始め多くの人たちの協力がなければ成し得なかったことなのに、恩恵を受けているのは鈴木一人で、他は全員が犠牲になっているのは許されないことだ」という話を一人や二人だけでなく関係者全員が指摘していることを鈴木は重く受け止めるべきだ。
「過去に、鈴木と細木数子の関係が取りざたされたことがあったが、鈴木が株主から依頼されて金を預かり調達した宝石(1億数千万円のネックレスという)を、株主に渡さずに細木にプレゼントしたという事件があって、二人はどういう関係なんだ? と話題になった。真相は分からないが、海外資産に絡んだものではないかという話も多くあり、ここにきて鈴木との関わりで足元をすくわれる結果になりかねない」(関係者)
国税当局にしても司法当局にしても、こうした鈴木の行状や悪事がこのまま見過ごされていいはずは無く、やがては未曾有の脱税事件として国内外で大きな話題となる可能性は高いと考えられる。もっとも、そうした状況に置かれても、鈴木に対する民事上の責任を追及する動きが止まるはずはない。
「そもそも鈴木にとって、西の紹介で始まったA氏との関係がなければ、鈴木の命運は尽きていた。10日で1割以上の金利を伴う借金をA氏は担保も取らずに快く肩代わりした上に、株取引に係る株価の買い支え資金まで出させておいて『それは西の関係で、俺には関係ない』と嘯いた鈴木は絶対に許されない」と多くの関係者が言う。(以下次号)

強欲 鈴木義彦に残された選択肢(3)

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[鈴木にはさらに注目が集まる]
鈴木をめぐる裁判については、マスコミ(特に司法記者クラブ)が「有り得ない判決」と違和感を持って関心を寄せており、裁判記録を精査している記者が多くいる中で、東京アウトローズ誌の記事の削除という事態が起きても、本誌(東京ダークサイト)を始めマスコミによる鈴木に対する取材が滞ったり中断することなど無いのは見てきたとおりである。
特に「合意書」の存在、そして「合意書」に基づいて宝林株の取引が行われたことを鈴木が認めていながら、裁判官はそれさえも受け入れず判決にも反映させなかった。それが判決をめぐる最大の違和感を生んでいる。裁判官は、自分の思い込みをただただ判決文にした。それ故、西がA氏の会社に持参した利益の分配金15億円を、事もあろうに鈴木による返済金として扱ったのだ。しかもこの15億円について裁判官は、西が持参した7月30日と手形の原本とともに「確認書」をA氏から預かった9月30日のいずれであるか、15億円の授受の期日も特定せず、さらに加えれば鈴木自身が利益金の分配を認めているにもかかわらず何故返済金扱いにしたのか。それが判決ではまったく明らかにされていなかった。誰もが疑問や違和感を持つのは当然だった。

また、本誌に寄せられている情報によれば、鈴木は多くの刑事事件への関与が疑われてきたために、今後刑事責任を問われるような事態がいくつも生じる可能性に言及する記者も複数いる中で、A氏による訴訟で裁判官が重大な誤認に基づいた判決を下しているのではないかという疑念を深め、さらにその後の再審請求の可能性にまで思いを巡らせている記者が何人もいる模様だ。それは、仮にそのような状況になれば、鈴木の主張が再び認められる可能性が極めて少なく、ゼロに近いということである。(以下次号)

強欲鈴木義彦に残された選択肢(4)

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〔鈴木の報復を怖れる西義輝の息子〕

これまでに触れてきた事実(真実)は、全て多くの裏付けに基づいたものである。鈴木には海外に巨額の資金を隠匿しているという疑惑が以前からあり、それがここにきて急に浮上することになった理由は、ほかでもなく関係者全員が、鈴木が裁判に敗訴すると思っていたが、逆の結果になったために、それぞれが精査し始めた点にある。

鈴木においては、裁判におけるいくつもの虚偽証言が明確になっているだけでなく、裁判に未提出の証拠類(10本以上の録音テープ、預り証や借用者ほか多くの書類等)もある中で、それらが次第にマスコミにおいても共有されつつある。ちなみに鈴木の関係者の中には、鈴木の報復を恐れて口を噤んでいる者も何人もいるが、西が香港に渡航する際に唯一同行した子息、内河陽一郎もその一人である。

陽一郎は父親の無念を考え、先頭に立って関係者にお願いする立場のはずだが、A氏が提起した訴訟において「自分の名前は公表しないで欲しい」との要請をしており、西の関係者もそれに沿った対応をしたが、陽一郎は、勤務する某保険会社のコンプライアンスと鈴木の報復が怖いと言って、関係者の多くが「鈴木は絶対に許せない」という意思で一致して協力しているのを横目に一切の協力を拒んでいる。そしてもう一人、西の部下だった水野恵介も司法書士の資格を西の会社で取らせてもらいながら、西への恩義を忘れたかのように思われる。

「西が香港で殺されかけたのを身近で実感したのは陽一郎だった。何より陽一郎は、西の部下の水野とともに西の指示でいくつもの書面を代筆し、鈴木との株取引や日常の関係をよく承知していたはずだから、陽一郎や水野が、西が鈴木の犠牲になって東京地検に逮捕され有罪判決を受けたことや、鈴木や青田の関係者に尾行されて神経を尖らせた揚げ句に自殺をしてしまった無念さ、鈴木への恨みを共有しないということが不可解でならない。何と言っても実父の無念さを考え、多くの関係者に礼の言葉があってしかるべきだ」と口を揃える。

もう一つの理由に陽一郎が挙げるコンプライアンスだが、陽一郎が保険会社に就職するに当たって、当然身上調査が行われたと推測されるが、実父西義輝が相場操縦の容疑で逮捕され有罪となり前科がついたこと、さらに鈴木に追い詰められて自殺した事実を知れば、会社としてのコンプライアンスを気にして鈴木への対応で「関係するな」と言う上司はいないはずだ。まして、仮に陽一郎が会社の意向に沿わず鈴木に対峙したからと言って、それで陽一郎を責めることはできるはずがない。

「西が自殺した後、A氏は西の家族のために複数の債権者を説得し、億円単位の債務を解決させた。A氏は西に総額で323億円もの資金を出し、その全額と言っていい金が焦げ付いたままだが、A氏は何も言わずに来た。そうした実情を知れば、会社を辞めさせられることにはならないはずだ」と、多くの関係者が陽一郎の人間性に大きな疑問を感じている。裁判で判決は出ていても、鈴木をめぐるトラブルは依然として収束しておらず、却って周囲の関心が高まったといえる。(以下次号)

強欲 鈴木義彦に残された選択肢(5)

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〔鈴木は悪事の巣窟〕

改めて、A氏と西、そして鈴木をめぐる主要な出来事を整理してみると、以下のような時系列になる。

(1)平成9年9月から平成10年5月28日までに手形(13枚 約17億円)、借用書(3億8000万円)、ピンクダイヤと絵画、高級時計(7億4000万円)の合計約28億円の貸付が発生。ピンクダイヤと絵画は鈴木が買って欲しいと懇願して、言い値でA氏に買ってもらいながら、「売らせてくれ」と言ってピンクダイヤを持ち出したもので、絵画は一度も持参しなかった。理由は他に担保に入れていたからだった。

(2)親和銀行不正融資事件で鈴木が警視庁に逮捕された。不正融資は100億円以上に及んだ。

(3)平成11年5月30日、宝林株(800万株)取得資金3億円については鈴木の言い分が三転も四転もしたが、最後にはA氏が出したと認めた。

(4)平成11年7月8日、A氏と西、鈴木の間で宝林株を始めとする株取引を開始する旨の「合意書」が交わされた。「今後の株取引の全てについて責任を負う」と明記。

(5)平成11年7月30日、西義輝が「宝林株取引の利益分配」と言って15億円をA氏の会社に持参。

(6)平成11年9月30日、A氏が預かっていた手形につきエフアールの決算対策を名目に西経由でエフアールに渡すとともに「債権債務は無い」とする「確認書」を西経由で手交した。鈴木に頼まれ便宜上作成したものであったことはいくつもの書類で明らかであり、天野裕常務も認めていた。

(7)平成14年2月27日、西が志村化工株の相場操縦容疑で東京地検に逮捕された。

(8)平成14年6月20日、西が債務323億円を認める「確約書」をA氏に手交した。

(9)平成14年6月27日、鈴木と西がそれぞれ15億円と10億円の「借用書」を作成しA氏に手交した。西の借用書作成は、鈴木が「直近で西に10億円を渡してある」と言ったため。(年利15%ならば40億円超、年30%の遅延損害金では60億円超になるが、それを25億円にしたにも拘らず、鈴木は裁判で「10億円を西に渡したとは言っていない」「覚えていない」「この日に会っていない」と証言したが、鈴木と西が平成14年6月27日付で作成した借用書には確定日付を取っていた)

(10)平成18年10月16日、A氏と西、鈴木の三者協議が行われ、鈴木がA氏と西にそれぞれ25億円を、またA氏には2年以内に別に20億円を支払う旨を約した「和解書」が作成された。その後、鈴木は20億円について贈与と言ったり、「そんな話はしていない」(西による録音記録)と言ったが、このほかにも証拠が沢山見つかっている。

(11)その後、電話での複数回の会話を経て、平成18年10月23日、鈴木がA氏の会社を訪ね、改めて「和解書」に基づく支払等の確認がなされた。その間に鈴木が株取引での西の損失額を確認し、「その分を利益から引いて3等分しないといけない」旨の発言をして「合意書」「和解書」を追認した。

以上がA氏と西、鈴木をめぐる時系列の経過だが、それぞれについて補足すると、鈴木はA氏と知り合った直後から、A氏から金を引き出す画策をしており、逮捕直前に借りた8000万円、ピンクダイヤを持ち出すために予め用意した「念書」などがまさにそれだった。また「合意書」を交わした直後から鈴木の裏切りが始まり、西を篭絡して同調させ「合意書」の破棄を執拗に要請するとともに、鈴木自身はA氏との関係を希薄にしていった。宝林株の取引が予想外の利益を生み、鈴木が金に対する執着から利益の独り占めを謀った結果だった。

巨額の利益を獲得した結果、鈴木は親和銀行との間で示談を成立させ約17億円を支払ったために実刑を免れたが、示談金は利益金の一部だったから、A氏や西からすると事実上の横領であったが、流用は鈴木が厳に秘匿した。

西が保釈された後の平成14年6月、改めて借用書を作成するに当たり、鈴木は西に今後の利益分配を前提に債務を圧縮させた上、「合意書」破棄のために西に渡した10億円をA氏への返済金と偽り、さらに減額させた(約束通りの遅延損害金年30%で計算すると60億円を超えていた)。三者協議の場で鈴木は「合意書」の有効性を頑なに否定したが、紀井が銘柄ごとの利益明細を証言している事実を知り、最後には宝林株の取得資金3億円をA氏が出し、宝林株取引が「合意書」に基づいて行われた事実だけは仕方なく認めた。

「和解書」の作成により、一旦は「合意書」に基づいた株取引が行われた事実を認めた鈴木だったが、その後の翻意はA氏と西には意外に思えた。しかし、その後、鈴木が所在を不明にする中で交渉の代理人となった青田光市と弁護士の平林英昭の対応を見る限り、鈴木からの報酬目当てとしか思えないほど事態を混乱させたのは他ならぬこの二人だった。

青田は「鈴木はA氏と西氏に脅かされて怖くなり、和解書に署名しなければ、その場を切り抜けることができなかった」と言い出した。しかし、青田は三者の話し合いには一度も立ち会っておらず、その場の雰囲気すら分かっていなかった。平林も鈴木の債務額を4回も言い換えるなど支離滅裂で、おそらくは鈴木が背後でA氏への支払額を限りなくゼロにする指示を出していたに違いない。また平林は利岡襲撃事件に関連してN一家のトップと少なくとも2回以上会うなどして事件の隠蔽工作を謀り、弁護士の倫理観のかけらもない対応を繰り返した。暴力団のトップとの面談が公然化したら、平林は懲戒では済まされないということを分かっているのか。鈴木が用意したダミー会社の代理人に就いていた杉原正芳弁護士も同じである。今後、鈴木と青田は猛省するタイミングが近づいていることに早く気づくべきだ、と指摘する声が増している。(以下次号)

強欲 鈴木義彦に残された選択肢(6)

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〔鈴木が「私一人が作った金」と暴言〕

さらに裁判官にも目を向けると、裁判長がまとめ上げた判決はA氏の主張を退けるものとなったが、極めて不可解なことは二転三転した鈴木の主張についての記述が判決ではほとんど言及されなかったという点である。

特に、平成14年6月27日に鈴木と西がA氏に宛てて作成した「借用書」について、鈴木は「西に返済金として10億円渡したのか?」と聞かれて「(そのような事実は)ありません」と答えただけでなく、「当日はA氏と西には会っていない」とまで答えた。しかし、「借用書」の原本には鈴木の直筆による署名と指印があり、当日の確定日付も取ってあった。また平成18年10月16日の「和解書」作成の際に、鈴木がA氏に「2年以内に20億円を支払う」と言った事実も否定して「言っていない」と答え、20億円についても以前は贈与と言っていた。これも西が録取した音源に残っていた。主張を疑うべきは原告のA氏よりも被告の鈴木であったはずだが、裁判官はそうした事実に目を向けようともしなかった。

裁判官による審理への取り組みには大きな疑問がある。先に触れたピンクダイヤと絵画、高級時計の詐欺横領行為について、「ピンクダイヤや絵画の販売受託はエフアールで、鈴木個人ではない」としたり、「上代価格が45億円の時計を4億円で販売委託するのは経済的合理性にそぐわない」として、鈴木が約束した総額7億4000万円の支払債務を認めなかった。しかし、ピンクダイヤ持ち出しの際の念書や、バセロンの高級時計3セット(6本)で6億円を借り受けた事実をどうやって説明できると言うのか。

株取引で獲得した利益についても、鈴木はA氏に送った手紙の中で「私一人で作った金」と書いているが、株取引での巨額の利益獲得はすべて鈴木の株式相場における経験や知識、情報、そして人脈が総動員された結果であると言わんとしていると思われる。だが、鈴木の大きな過ちは株価の買い支え資金を西に請われるままに提供した金主のA氏、そして市場で実際に株の売り買いを繰り返して高値誘導を実行した西がいたからこその協力体制、つまりは「合意書」による株取引がすべての始まりであり、A氏と西、鈴木の強力な信頼関係が前提であったことを全く無視していることだった。

それを裏付けたのがエフアールの決算対策のためにA氏が交付した「確認書」を鈴木が悪用して「15億円を支払い『確認書』の交付を受けたので、(A氏への)債務は完済した」と主張したことや、西が志村化工(現エスサイエンス)の相場操縦容疑で東京地検に逮捕された際に、鈴木が西に土下座しながら「私の関与は絶対に秘匿してください」と言って命乞いをした結果、西が取り調べで黙秘を貫いたので鈴木は首の皮一枚で逮捕を免れた。しかし、西が保釈されて1年も満たないうちに鈴木が西に縁切りを宣言したことだった。

平成9年から同10年当時、鈴木(エフアール)が資金繰りに窮し10日で1割以上の金利でも借金できずに経営破たんして上場廃止となる可能性は高く、鈴木自身も親和銀行事件で逮捕、起訴されるという事態が起きたために自己破産あるいは自殺の選択肢しか残されていなかった。それを救ったのが西でありA氏であったが、鈴木がそのことに何の恩義も感じていなかったとすれば、もはや“人非人”の類でしかない。

人が窮地に陥っているのを見過ごしにはできないというA氏の性格、情愛を鈴木は見抜いて、それを逆手に取った典型的な例がいくつも見られるが、鈴木には利用できる者を徹底的に利用し、用済みとなれば平然と切り捨てる性格が際立っていたのである。

鈴木がいかに悪業に長けているか、読者も存分に実感したのではないか。金銭的な利害に絡むトラブルは、ほとんど全て鈴木に原因があり、トラブルに巻き込まれた当事者たちの多くが自殺に追い込まれたり不審な死を遂げ、あるいは行方不明になる者もいれば霜見誠夫妻のように殺人事件に巻き込まれる事件さえ起きたことから、鈴木という男を絶対に許すことはできないと考えている関係者は想像以上に多く、また読者からも圧倒的な反響が寄せられているのだ。特に、鈴木は「和解書」作成後に送った2通の手紙で少しは感謝の気持ちを表現していたが、その後の対応が掌を返したようになったのは青田の影響が大きいのではないか、という声が高まっている。

人に危害を加えてでも目的を達成しようとする人間がいることに気づく。しかし、鈴木のように人との日常的な関係を可能な限り遮断しておいて、自分が必要と思った時に近づいてくる人間には防御のしようもなく、いつの間にか受け入れてしまうのではないか。そして、事が終わってみると、鈴木から多大な実害を被らされ、それを取り戻そうとして躍起になると、鈴木は獲得した利得を独占するために相手が命の危険さえ実感するほど逆襲する。

鈴木は、そのような生き方を繰り返して来た男なのだ。その根底には大きな利得を得ることしかなく、考え得るリスクは予め分散するとか誰かに集中させるかして、自分は火の粉を浴びないところに身を置いている。違法であることを承知で人を巻き込み、いざとなればその人間に罪をかぶせて逃げ延びればいい。鈴木は西や西田との株取引を通じて、まさにそれを実践した。今は、1000億円を超える利益を独り占めにしてのうのうと生きているが、そんな男を、決して許してはいけない。すべての神経を集中して知恵を絞り、あらゆる手段を講じてでも追い詰め、鈴木が自身でやったことの責任を取らせることでこそ最良の結末を迎えることができるに違いない。

本誌でも鈴木にかかる連載を始めて以来、反響は大きく、多くが「鈴木を許せない」とか「検察や国税は何故動かないのか」というコメントを寄せて来ている。中には「鈴木は地獄に堕ちろ!!」といった過激なものもあるが、誤解を怖れずに言えば、鈴木義彦という男が史上稀に見る悪性の持ち主であることを伝えんとする記事の趣旨に共鳴しているからに違いないと考える。

鈴木の金銭に対する強欲さは、鈴木に関わった関係者たちに犠牲を強いることで満たされるという構図になっている。「鈴木と関わっても付き合いは長く続かず、せいぜい1年か2年で限界が来る」とは関わった誰にも共通した認識になっているが、その大半の原因が鈴木による利益の独り占めにあった。

貸金返還請求訴訟はA氏の主張が退けられるという余りに不可解としか言いようがない結果となったが、だからといって鈴木の主張が認められたと考えるのは大間違いで、鈴木による違法な行為で1000億円を超える巨額資金が海外で隠匿されているという疑惑は、これまで見てきたようにさらに深まって確証にまでなっている。再審請求のハードルが極めて高いのは分かるが、せめて地裁の裁判長を務めた品田幸男裁判官には万人が納得する説明義務があるはずだ、という声が報道記者からも寄せられており、また本誌にアクセスしている読者は国内に留まらず、海外諸国でも特に香港、中国、シンガポールほかフランス、ドイツ、スイス、アメリカなどから頻繁に閲覧があると同時にさまざまなコメントや情報も寄せてきているため、それらの情報を隈なく精査しつつ深く掘り下げた上で今後も記事化を進めていく。(以下次号)

強欲 鈴木義彦に残された選択肢(7)

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〔鈴木の犯罪は今も続いている〕

裁判官は法廷で判決を下すが、その認定に誤りがあったとしても責任を取ることはない。それは何故なのか? 刑事事件の訴訟で有罪判決を受けた被告がその後無罪となったときに、有罪の判決を下した裁判官が罰せられることも無ければ、当事者に謝罪することも無い。

人は間違ったことをして他人に害を及ぼせば謝罪し、何らかの賠償責任を負うのは社会のルール、基本原則であるはずだ。今回の事件についてみると、度が過ぎる認定の誤りが多すぎる。それが故意ではないかと疑いの目を向ける指摘が多くなっている。裁判官も人間だから一定の範囲のミスは仕方がないにしても、地裁、高裁の裁判官6人全員が同じミスを犯すことは有り得ない。それ故に故意や裏取引の可能性について、多くの人が疑いの目を向けている。

本誌では鈴木義彦の悪事、それも結果として裁判所を騙したことになる悪事をさまざまな形で取り上げてきているが、不可解なことに鈴木本人は沈黙を貫いたままでいる。ならば、鈴木が実害を被らせたA氏をはじめ関係者に一言でも謝罪しているかと言えば、それもなく、何一つ抗議も釈明も無いことが人として不可解だと言っているのだ。

「そもそも西との出会いが無ければ、鈴木はエフアールもろとも破たんするしかなかった。その西を裏切って自殺に追い込んだり、さらにA氏に対しても恩義を忘れたかのような対応を繰り返して来たのだから、鈴木には謝罪という発想はない」と関係者は言うが、そうだとしても度が過ぎる。問題となった「和解書」作成後に鈴木から送られた手紙の文面からも十分理解できるように、「(社長には)大変世話になった」とか「男として一目も二目も置く」等と書くはずが無かった。

鈴木は裁判に勝訴したのではない。担当した裁判官が鈴木に騙され、あるいは故意に騙された振りをして、原告側の主張を退けただけである。その結果、何が起きているか、といえば、鈴木の犯罪が今も見過ごしにされているということである。裁判官は自ら認定を誤ったことで、1000億円を超える課税対象について日本国が被害を被るという深刻な事態を招いている責任を重く受け止めなければならない。また単純に金額での比較をしても、5000万円の政治資金や選挙資金で公職を追われた元知事2人の例もある。鈴木の場合は弁護士に対して金の力で思い通りにさせているほかに10人前後の人間が自殺や不審死、行方不明という事態が起きているのだから、よほど深刻ではないのか。

鈴木が西義輝や西田晴男とともに実行した株取引で犯した犯罪は、西義輝が相場操縦の容疑で東京地検に逮捕、起訴され有罪判決を受け、鈴木は巧妙に逃げおおせたことで区切りがついたと思われるかもしれないが、株取引で得た利益が海外で隠匿されている限り、鈴木の犯罪は今も継続している。裁判官の最大の過ちは、鈴木の犯罪を解明する機会を見逃した点にある。

鈴木が株取引で用意したダミー会社は100社にも及んでいた模様で、それらは用済みになり次第清算していったと思われるが、鈴木にとってダミー会社が自身の隠匿資金を隠す唯一の“武器”であるはずだから、今もダミー会社が存在しているに違いない。また、隠匿資金を金や貴金属、高額品等に換え、さらにもう一度現金に換えるというロンダリングを繰り返しているかもしれないが、その工作もいずれは綻びが生じて水泡に帰す可能性が高い。

貸金返還請求訴訟の法廷で、鈴木の主張はことごとく破綻していた。エフアールと鈴木個人の使い分けで責任逃れをしたこと、「合意書」に基づいた株取引を頑なに否定しながらも最後には宝林株の取引で「合意書」の有効性を認めたこと、したがって「和解書」でA氏と西にそれぞれ25億円を支払い、さらにA氏には別に2年以内に20億円を支払うと約束しながら、法廷では強迫や心理留保などというありもしない理由を並べ立てて否定したこと、鈴木は外資系投資会社のコンサルタントをして生計を立てていると法廷で豪語したが、その外資系投資会社こそ鈴木が用意したダミー会社であり、実体などなかったこと等、それらの主張の破綻を裁判官はなぜか全て見逃して、A氏側の主張を退けたのである。裁判官が鈴木の主張の破綻の一つにでも注目して検証作業を進めていれば、鈴木の嘘は芋づる式に解明されていたから、すくなくともA氏の主張がほぼ全面的に退けられるような判決にはならなかった。

これまでにも触れてきたように、今後、鈴木が隠匿資金がらみで刑事責任を問われる可能性が高く、実際にも現実のこととなったとき、裁判官(裁判所)はおそらく冒頭に挙げたように何一つ意思表示をすることは無い。しかし、それで済むはずはないのではないか。

裁判所という世間一般の日常とは隔絶したような環境下で真っ当な裁決を下せる裁判官がどれほどの割合を占めているのか、裁判所のトップに位する最高裁において裁判官の資質を問う制度が何故起動しないのか。制度としては国会議員で構成される弾劾裁判所があり、裁判官を裁判する場が唯一だが存在しているから、そこで説明責任、説明義務を問われる事態を招くことになる。貸金返還請求訴訟で判決を下した東京地裁の品田幸男という裁判官、そして地裁判決を丸呑みして、自ら検証した痕跡など一つもない判決を下した東京高裁の野山宏という裁判官は、この弾劾裁判所で資質、資格を問われて然るべき裁判官ではないかとさえ思われる。品田、野山の両裁判官が、弾劾裁判で裁判官を罷免する事由となる「職務上の義務に著しく違反し、または職務を甚だしく怠った」ことは明白で、だからこそ判決に至る裁判官による認定に多くの疑義が生じている。それ故、訴追委員会の委員となり裁判員となる国会議員(20人)がこの貸金返還請求訴訟を検証すれば、すぐにも判決に誤りがあるとの認識を持つに違いないし、それが再審にもつながる大きな意味を持っているはずなのだ。テレビ局を始め取材のオファーや海外からの問い合わせも日増しに多くなっているのは、これが社会問題であることの証であると思われる。(以下次号)

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