[新規融資で親和銀行に故田中森一弁護士を顧問に]
西義輝が残した「鈴木義彦との出会いから現在」というレポートがある。このレポートそのものは法廷に提出されなかった。何故、原告側代理人が提出しなかったのか不可解でならないが、本誌では明らかに代理人弁護士の手抜かりではなかったか? と思わざるを得ない。
ともあれレポートのボリュームがA4用紙30枚にもなるので、主要な部分を取り上げることにするが、冒頭に「鈴木義彦とは平成7年(1995年)10月6日に恵比寿ウェスティンホテル2Fにある中華料理店『龍天門』の個室で初めて会った」とあるように、西が平成7年10月から平成18年10月までの11年間の出来事を綴ったものだ。
龍天門で鈴木に会うことになったきっかけは、「天野氏を含む数名のエフアール社の社員が、東京プリンスホテルで開催されていた骨董市の、TAH(東京オークションハウス)社のPRコーナーを訪問し、TAH社の事業に対して非常に興味を示したことから始まった」という。
「鈴木からは、私宛に毎日のように愛人でもある秘書の青木女史を通じて連絡があり、食事、お酒の招待をいただいた。彼からすれば、私は伊藤忠商事を通じて、経済界の名のある方々を知っていたので利用できる人間だと感じたのだろう」
当時、エフアールの本社は渋谷の南平台にあったが、「当初はオークション事業の提携で、FR社はTAH社が入居していた三井信託銀行が保有する麻布にあるビルの6階に、私の紹介で本社移転を行うことになった」といい、その後、お互いに会社の経営状態を語り合うようになったが、1996年(平成8年)4月頃、長崎にある親和銀行に絡む大きな問題解決、及びFR社の資金繰り悪化を打開するため新たな資金を親和銀行より調達したいという相談が鈴木より持ち掛けられた。オークション事業は常務の天野に任せ、「鈴木は真剣にこのことだけの相談で必死だった」(注:このレポートでは「エフアール社」と「FR社」が混在しているが、あえて表記は統一していない)(以下次号)