西義輝は平成22年2月初旬に自殺したが、その原因は鈴木が裏切って株取引の利益分配の約束を反故にしたことにあった。
しかし、元はと言えば株取引の最初の銘柄となった宝林株800万株を買い取る資金3億円、さらに株価の買い支え資金をA氏から出してもらうためにA氏と西、鈴木の3者で合意書を交わしながら、直後から鈴木と2人で利益を折半する密約を交わしてA氏を裏切ったことが、大きな躓きになった。

西は宝石商の紹介で35年ほど前にA氏に会ったが、関係者によればA氏は「西の笑顔が他の人には見られないほどいい印象だった」と西との初対面での印象を語っているという。西が初対面の翌日からA氏に見せたアプローチは相当なものだった。毎日夕刻になると、A氏に電話を入れ「お食事でもいかがでしょうか」とA氏の都合を尋ね、A氏に用事があれば「(A氏の会社が入る新宿センタービルの)地下の駐車場でお待ちします」と言う。A氏が「それは申し訳ないから、日を改めましょう」と言っても、西は平然と「いえ、私は大丈夫ですから、お待ちしています」と言うと、A氏の返事を待たずに電話を切ってしまう。そして、A氏が用事を済ませて会社に戻り、気になって駐車場に行ってみると、西が車の中で待っていた。西は時間を厭わず何時間でも待っていたのだ。そういう場面が何度も続く中で西はA氏との親交を深め、いつの頃からか、A氏は西の依頼に応えて株の投資資金(20億円以上)を出したり、西の経営する会社へ事業資金を支援をするようになった。バブル景気が崩壊した後の平成5,6年頃には西がスタートさせたオークション事業で、A氏は東京オークションハウスの筆頭株主にもなり、新宿センタービルの43階にある会社の一角をオークション会場に提供してあげるほど親密な関係が続いていた。西のオークション事業はA氏の潤沢な資金支援を受けて盛況を極め、一時は上場する話が証券会社から持ち込まれることもあった。

西の幼少期の話になるが、西は中学時代からアメリカで過ごした経験から、アメリカ国内に多くの人脈があり、その関係でブッシュ大統領とも面識があったようだが、伊藤忠アメリカの社長から伊藤忠商事社長に就いた室伏稔氏(故人)とも西は面識があったようで、ある時、A氏に室伏氏に紹介して、その後、A氏をアメリカに招待して室伏氏がA氏をもてなすということがあった。西が室伏氏をA氏に紹介したのには西成の目的があって、それは、室伏氏が伊藤忠商事の社長に就任するための支援だった。A氏は西に棚まれた約束を果たして資金支援を惜しまなかった。室伏氏は社長就任パーティにA氏と西を招待しただけではなく、パーティ終了後にA氏と西をヒルトンホテルでの夕食に招待した。室伏氏のA氏に対する感謝の一端であったが、A氏は室伏氏には一切見返りを求めなかった。それに引き換え西は要領よく室伏氏との面識を利用して不動産取引をいくつも持ち込んでいたようである。

そうしたA氏と西の関係が続く中で、西が鈴木をA氏に紹介する場面となったが、西はA氏から多額の資金支援を受けていても、A氏が督促をしないことをいいことにして、真面目に返済を重ねるという対応をしなかった。というよりも西にはA氏の金を使って事業や遊興に充てても、儲かったら返せばよいというような横着さがあった。しかも、「A氏に自分が頼んだら、何でも聞いてくれる」という甘えが生じ、大きな勘違いがあった。その甘えと勘違いが鈴木を紹介して以降、鈴木の本性を見抜けないままにA氏に金銭的に深刻な負担をかけさせることにつながった。

西がA氏の会社を訪ねる時には、決まって運転手を兼ねた秘書のような仕事を手伝っていた関係者を伴って来たが、ある時、西がその関係者に言ったことがある。「俺は世界一の仕事師になる」と。それを聞いた関係者が「A社長のことはどうするんですか?」と西に尋ねると、西は真顔になって「社長は俺が何をお願いしても聞いてくれる。しかも何の見返りも求めずにだ。これだけ良くしてもらって、裏切ることなんてできる訳がない。だから社長だけは例外だよ」と言っていたという。その言葉が果たして真実であったかどうか、今となっては不明だが、実際に西はA氏に金銭的な面で迷惑をかけるだけかけて、とうとう後始末をしないまま自殺してしまった。中でも最悪のものが、合意書を交わしながら利益を独り占めした鈴木であった。株取引の買い支え資金をA氏に依頼するという話は鈴木と西相談して決めたことだから、西には重大な責任があった。しかし西は、鈴木が合意書に基づいた株取引の資金支援を一人熱弁を振るってA氏に懇願して、A氏が承諾し、実際にも資金支援を行った事実をどれだけ真剣に受け止めていたのか。その後に西と鈴木の裏切りの実態が次第に明確になって行っても、西が自らの言葉で全容をA氏に語らなかったことを考えると、西はA氏に甘えていただけでなくあまりにも軽率だった。ちなみに、西は自分の周囲の人間がA社長と電話で話したり会うことを敢て禁止にしていたので、このような話がA氏の耳に入るようになったのは最近のことだった。

株取引の最初の銘柄だった宝林株で予想外の利益が出ると、西は鈴木の口車に乗せられ、簡単にA氏を裏切った。合意書に基づいた個別銘柄ごとの収支、利益分配等をA氏には報告することもなく、鈴木の指示があったにしろ2人は合意書の約束を無視して一方的に買い支え資金を名目にA氏から資金を引き出していたが、実際にはA氏からの資金の全てが買い支え資金に投じられたわけではなかった。平成18年10月16日の和解協議の後、鈴木はA氏に買い支え損失について尋ねたので、A氏が西と紀井氏に確認すると58億数千万円(鈴木からの依頼分の損失)という数字が返ってきた。A氏が西の要請で出した株価の買い支え資金は総額207億円に達していたから、差し引き約140億円は西の個人的な消費で消えていたことになる。西は鈴木とは別に株投資(デリバティブ取引ほか)をやり、陽一郎もそれに参加していたことを周囲に漏らしていた。関係者によると、西が個人的に消費した金は大半が女がらみで、妻の生家の近くに豪華な別荘をしつらえる建築資金や妻の出身地秋田県にちなんだ角館を店名にした店を銀座に出す資金、赤坂のクラブ歌手(愛人)にはソウルに8000万円の家を購入、銀座のホステスにはベンツのSLの新車を購入、あるいは向島の芸者遊びにふけるなどのほか、息子陽一郎とカジノでギャンブルにはまるなど好き放題に金を使っていたようだが、全てA氏には内緒でやっていたことだった。また、西がA氏に6億円の株購入資金の申し出をしたことがあったが、実際には赤坂の愛人に赤坂で一番の店をやらせる金であったことがA氏にバレてしまい、西も諦めたようだった。このように西が相当にいい加減な使い方をしていた事実が後日判明している。

西が志村化工株の相場操縦容疑で東京地検特捜部に逮捕された直後の平成14年6月20日、西と西の妻はA氏に債務の確認書を作成した。西の債務額は116億円だったが、西は特捜部に逮捕される直前に鈴木との間で英文の契約書を作成して株取引の利益分配を鈴木に約束させていたので、A氏に対してこれだけ巨額の債務承認書を作成しても目算が立つと踏んでいたのかもしれない。しかし、鈴木との約束は実現するどころか、分配金を受け取りに行ったはずの香港で殺されかける問う事件に巻き込まれた。さらに鈴木が和解協議で約束したA氏と西にそれぞれ25億円を支払い、A氏には別途20億円を支払うという和解書の履行を反故にして所在をくらませ、その後の交渉で代理人に就いた青田光市と平林英昭弁護士と向き合う中で、西は合意書を交わして以来の鈴木の行状を明らかにするレポートを作成して交渉に臨んでいた。しかし、その交渉もA氏側の代理人に就いた利岡正章が暴漢2名に襲撃されるなど不測の事態が起きて難航する中で、西は鈴木との密約で受け取る手はずとなっていた株取引の利益分配金(137億円)を債務返済のためにA氏に債権譲渡する書面を作成した。平成21年11月2日付で作成された際の債務の総額は323億円(116億円に株の買い支え資金207億円を加算)になり、利益分配金をA氏に譲渡する債権譲渡契約書も作成された。しかし、そうした場面を経過しても、西はA氏には株取引を巡る真相の一端しか語っていなかったのである。西の妻も本音の部分では強かで、西の債務の保証人になっているのに未だに秋田の別荘の名義変更をしていない。西の妻は「生活保護を受けている」と言っていたが、先に触れた秋田に別荘を所有している身分で生活保護を受けられないと思う。西の自殺後に息子の陽一郎はいろいろなことをA氏に頼んだりした。その中には、西が負っていた債務の処理ができずにA氏に泣きつき、A氏が強力な債権者との間で交渉し10億円以上を解決させた事案もあったが、それにもかかわらず、陽一郎はA氏にはお礼の言葉さえ言っていない。西は愛人の中田早苗と組んでA氏に新たな投資話を持ち込んで、A氏から資金を仰ぐという話もあってA氏は応諾して資金を出したが、その投資話も実態のない詐欺まがいのものだった。西と一緒に行動していた陽一郎は西が負ったA氏に対する債務が総額323億円とあまりにも巨額であることはあるにしても、A氏には知らぬ振りを決め込んでいた。西の妻は陽一郎を信用しているようだが、多くの関係者への取材によると肝心の陽一郎の対応には誠実さがまったく見られなかったのである。

西が自殺したことが判明した直後、陽一郎は、A氏に届いた西の遺書をA氏が見る前に見せてほしいと言うので、A氏は一旦は断った。しかし「コピーを取って見せてほしい」と言うのでその場でコピーを渡したが、陽一郎と西の妻にも西から遺書が届いたと言うので、コピーをくれるようにA氏が言うと、陽一郎は返事だけで一切見せようとはしなかった。これは関係者全員の意見だが、陽一郎は真面目に見えるがウソが多く、人間として父親よりも性格が悪いという。西の妻が知っていてA氏に話していないことが多すぎると最近は感じているようだ。「角館」という店を銀座に出していた件もその一つだし、妻自身が誤解している部分が陽一郎のせいであるようだが、秋田の別荘物件書類に関しても未だに約束が果たされていない理由を明らかにしていない。
陽一郎の母親(西の前妻)については、西の側近たちは全員が西のことで苦情ばかりぶつけられ、「あんな人は見たことが無い」と言っていたが、悪いことは全て西に原因があったようで、20年以上も前に自殺している。陽一郎の教育にも問題があったのか本当に自分勝手な人間だということで関係者は相手にしていない。それでも西自身には良い所があったが、陽一郎にはそれが全く感じられないというのが多くの関係者たちの共通した意見である。
陽一郎は今は内河姓を名乗っているが、東京オークションハウス時代の西に憧れた節があるようで関係者の前でもその当時を自慢していたが、今後、西が負ってきた債務の処理を含め、一半の責任をどのように自覚しているのか、これからが陽一郎にとっての正念場である。

平成14年2月に志村化工株の相場操縦容疑で東京地検に逮捕されるタイミングで、西は鈴木から利益の1/3の分配を受ける言質を鈴木から取って一人で罪を被ったが、結局は鈴木から切り捨てられる憂き目に遭うことになったことになった。西はデリバティブ取引のほかにもギャンブルに走り、息子の陽一郎と共にカジノに入り浸っていたこともあったようだが、逆にA氏に株取引の真相を話すタイミングをどんどん失っていき、平成18年10月16日の和解協議でも真相の一部しか明らかにできず、鈴木を徹底的に追及する機会を失った。
とはいえ、鈴木のA氏と西に対する裏切りと悪辣さは西の比ではなく、鈴木が和解書で認めた支払い約束を実行する潔さがあれば、西には自殺をする以外に選択肢が残されていたかもしれない。 (つづく)