西義輝の自殺を顧みない長男・内河陽一郎に向けられる「無責任」「非常識」「傲慢」の非難

西義輝の自殺を顧みない長男・内河陽一郎に向けられる「無責任」「非常識」「傲慢」の非難(1)

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平成22年2月初旬、西義輝が自殺したのではないかという連絡をA氏にしてきたのは西の長男、内河陽一郎だった(西が内河家に養子に入り陽一郎が生まれたので姓が内河となっている)。電話を架けて来た陽一郎の声は動揺して上ずっていた。全く要領を得なかったため、A氏が陽一郎に「君の話がよく分からないので、とにかく今から会社に来られないか」と言うと、陽一郎はすぐに向かうと言う。それから1時間も経たないうちに陽一郎が姿を見せた。

A氏が「落ち着いて、もう一度最初から話しなさい」と言って、陽一郎を促した。陽一郎が言うには、西の友人である鯉渕氏から西の妻松子に電話があり、「西さんから手紙が来たが、遺書としか思えないような内容になっている。西さんに何かあったのか」と言う。松子は、西が何日も自宅に戻っておらず、数日前にA氏からも約束の時刻に連絡が無いという問い合わせを受けていただけに不安を募らせていた。陽一郎は鯉渕氏を訪ね届いた手紙を見せてもらった。やはり鯉渕氏が言う通り、手紙は遺書そのものだったという。しかし、手紙を見ても西の所在が分からない。そこで、陽一郎はA氏に連絡をして相談することにした…、陽一郎は経緯をそのように話した。

陽一郎が来社して話を聞いたA氏は、自分の所にも西から手紙が送られているのではないかと思い、社員に確認させたところ、社員が届いていた手紙を持って来た。すると、A氏が手紙を開封する前に陽一郎が「私に見せて下さい」と言ったので、A氏が「これは私に来た手紙だから、ちょっと待ちなさい」と言っても陽一郎が「じゃあ、コピーを取って見せて下さい」と言い出す始末だった。A氏は止むを得ず社員に指示してコピーを取らせ、自分が見る前に陽一郎にも読ませることにしたが、陽一郎がA氏に送られてきた手紙をA氏よりも前に読みたいと急いだ態度が、あまりにも無神経すぎると近くにいた社員には感じられた。

A氏は、陽一郎に「奥さんや陽一郎君宛にも来ているに違いないから、それを見せて欲しい」と言い、陽一郎も「はい、分かりました」と言ったが、その後、陽一郎も妻松子もA氏に手紙を見せることは無かった。よほど見せられない内容だったのではないか、と思われるが、陽一郎のA氏への対応は誰が見ても無礼にしか映らない。しかし、陽一郎はそういうことをやっても平然としているのだ。

3年ほど前の平成18年10月初旬に、西が香港で何者かに薬物を飲まされ死にかけるという事件が起きた。香港警察に保護されて病院に担ぎ込まれた西はその後も数日間意識がない状態だったが、その時にも陽一郎はA氏に連絡を入れながら、A氏が事態を飲み込めるような説明もできず、ただうろたえているだけだった。香港に同行していたのは陽一郎一人だったから、西の身に何が起きたのか、なぜ起きたのかを明確に説明できるのは陽一郎しかいなかったにもかかわらず、全く要領を得なかった。幸いにも西は命を取り留め、その後回復に向かったということだったが、西は香港に向かう前にはA氏に声をかけていたため、A氏はパスポートを用意していたが、西が直前になって陽一郎と一緒に行くと言い出したため、結局A氏が同行することは無かったが、西の説明には鈴木のことは一言もなかったのに、陽一郎の説明では鈴木の名前や株取引の利益分配という言葉が出て、A氏は混乱した。陽一郎では要領を得なかったが、A氏に西の妻松子より電話があり事情を確かめたが、西が事件に巻き込まれた事情を理解することができなかったし、腑に落ちないことが多すぎた。

(写真:確約書 西義輝がA氏に負っている債務総額が323億円であることを承認し、妻松子が連帯保証をしている)

陽一郎は、西が鈴木に裏切られ追い詰められた状況にあることを数年前から承知していたようだが、よもや父が自殺するとは考えてもいなかったようだ。それだけに突然、父親の自殺という事態に何も対応できず冷静さを失ったままA氏に電話をしたのが実情だった。
陽一郎が非常に図々しく横着な性格をしていることは多くの関係者への取材で理解していた。自分では何もできないくせに、何か不測の事態が起きると、すぐに父親の陰に隠れて成り行きを窺うのがせいぜいだった。陽一郎の母親は自殺しているが、この母親は西の会社の社員からは評判が悪く、西のしでかした不始末を社員のせいにしてヒステリックに怒鳴りまくることが度々あったという。

陽一郎は父親の身に何か不測の事態が起きた時にはA氏が何とかしてくれる、という安直な認識しかなく、だからと言って陽一郎自身が自分から積極的に対応することは微塵もなかった。
鯉渕氏に送られた手紙が示す通り、西は妻松子の故郷の秋田県内に建てた別邸の浴槽内で自殺していた。ただ、その死を巡っては秋田県警が関係者に聞き取りをしたこともあって憶測も流れたが、事件として扱われることは無く、葬儀も別邸で執り行われた。関係者の中で葬儀に参列したのはA氏とN氏のみで、陽一郎は何故か他の人間には「来ないで欲しい」と言って断ったという。西が、ある時期から社員の水野に司法書士の資格を取らせるなど目をかけていたことが陽一郎には気に入らなかったのか、水野が新幹線で東京駅より角館に向かうという連絡を電話をすると、陽一郎から「来ないで欲しい」と言われ、水野が涙声でA氏に電話をしたという。陽一郎の無礼さがこれを見ても分かる。

すると、西の死を知った複数の債権者から松子と陽一郎に連絡があり、厳しい取り立てが始まったのだが、この時も、陽一郎は自分で何もすることが出来ず、ひたすらA氏に縋って、何とかして下さいという。債務の金額が多い人は数億円にもなっていたから、簡単に処理できる訳ではなかったが、それでも陽一郎には自分で問題を解決しようという意思が全く見られなかった。A氏は債権者とは面識があった関係から放置しておくわけにもいかず交渉に乗り出し、穏便に済ませた。ところが、事が収まっても、陽一郎はA氏に礼を述べることもなかった。まるで何事もなかったような態度を取ったのだ。
西も、A氏には兄のように甘えて、というより感じはいいが話の内容には嘘が多すぎて、A氏から資金を借り入れるために小狡く立ち回ることが多かったが、陽一郎は小狡いというよりは非常識で、しかも無責任だったというのはほぼ間違いないと関係者全員が言う。A氏が西に頼まれれば大抵のことは聞いてあげていたのを間近で見ていて、陽一郎はA氏が対応してくれるのは当たり前くらいに感じていたのではないかとさえ思われる。
西がA氏から東京オークションハウスでの事業資金やさまざまな投資資金を借り入れ、それが総額で116億円にも膨らみ、さらにA氏と西、鈴木の3人で開始された株取引でA氏が合意書に基づいて出した買い支え資金の総額が207億円に達しながら、鈴木が利益を独り占めにしたことでほぼ全額が補填されておらず、その分を加えると、西がA氏に負っている債務が323億円にものぼっている事実を、もちろん陽一郎は十分に承知していた(鈴木の債務約28億円に対して西が連帯保証している分は含まれていない)。それにもかかわらず、陽一郎はA氏に恩義を感じるような対応をしたことが一度もなかったのである。(以下次号)

西義輝の自殺を顧みない長男・内河陽一郎に向けられる「無責任」「非常識」「傲慢」の非難(2)

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西義輝が生前にどれほどA氏に世話になり、どれほど迷惑をかけたか、息子の内河陽一郎は全てを承知しているだけでなく、西がA氏に宛てた遺書をA氏に強引にコピーをさせて読んでいるから、西のA氏への思いも十分に分かっていた。それにもかかわらず、関係者へのこの対応である。誰が見ても、陽一郎の言動に大きな違和感を持つとともに、陽一郎の非常識さには本当に呆れてしまう。

陽一郎が、西の死後、A氏の関係者に対して非常に不可解な言動を繰り返しているために、関係者の一人が陽一郎に手紙を送り、西が自殺する際に西の妻松子と陽一郎に宛てた手紙(遺書)を見せると約束しながら未だに知らぬ振りをしているのは言語道断だという事に加え、今だA氏に言っていないことが多くあるようだから、いい加減に本当の話をするべきだという注意喚起をしたところ、あろうことか、陽一郎は弁護士を立てて、「この問題は自分とA氏の事なので一切立ち入らないで欲しい」という趣旨の通知を送らせていたという。いったい、陽一郎は何を考えているのか、理解に苦しむが、弁護士を立ててまで関係者からの忠告を拒否する対応は尋常ではない。しかも、陽一郎がA氏に連絡を取り、西が遺した遺書の開示や自分の意思を直接伝えるかと言えば、そうではなく、A氏に対しても依頼した弁護士を窓口にして陽一郎とは直接連絡を取らないで欲しい旨の記述が送られたという。

西の死から約4か月後の平成22年6月15日、西の妻松子と陽一郎がA氏の会社を訪ね、一通の書面が作成された。

「合意書」と題するその書面には、第一に西が生前にA 氏に譲渡した全ての債権及びA氏の債権回収について、A氏が依頼した場合には妻松子と陽一郎は全面的に協力する、という約定が謳ってある。

言うまでもなく、西がA氏に譲渡した債権及びA氏の債権回収とは、もちろんA氏が鈴木義彦に貸し付けた資金約28億円と「合意書」に基づいた株取引の利益分配金を、また譲渡債権とは、鈴木と西がA氏を外して利益の山分けをするとして交わした密約で、西が鈴木から受け取ることになっていた137億円を指している。

鈴木と西は、宝林株800万株の取得に始まる株取引で、A氏、西と3人で合意書を交わしたにもかかわらず、鈴木がそこに明記された約定を一切無視して利益を独り占めにしたが、それは合意書に基づいた株取引が始まって間もなく、最初の銘柄となった宝林株で160億円という西にも鈴木にも想定外の純利益が出たことで鈴木と西は目がくらみ、2人で利益を山分けしようという密約を交わすまでになった。しかし、鈴木はA氏に対する債務の調整だけでなく株取引でも西を利用するだけ利用した揚げ句に密約を反故にして、西に渡すと約束した利益分配金約137億円を払わなかった。西はそれをA氏への債務返済の一部として譲渡していたのである。

ところが、陽一郎はA氏に対して全く反対の態度を取り続けてきた。妻松子宛の分を含め西の遺書を見せると約束しながら今に至るも見せようとせず、鈴木に対する貸金返還請求の訴訟でも、実名の陳述書の提出を拒んだり、別の訴訟提起にも鈴木の報復が怖いとか就業先のコンプライアンス問題等を出して協力できないと言い出すなど、全く理解できない対応を取ったのだ。A氏の関係者達は誰もが陽一郎の無責任さに憤り、「父親の無念さを思えば、鈴木に対してあらゆる手段を講じてでも対抗するのが息子の役目ではないのか」と詰ったが、陽一郎は聞く耳さえ持たなかった。

鈴木と西の株取引は宝林に始まり、次いで鈴木の創業したエフアールほか次々に実行されて行ったが、A氏は西に乞われれば合意書での約束を守り株価の買い支え資金を出し続けた。その際にA氏の所に出向くのは西と運転手の花館聰氏の2人で、金額が数千万円単位の時は水野という社員が一人で取りに来ていた。鈴木はほとんど姿を見せなくなった。A氏が鈴木の様子を西に聞いても、西ははぐらかして「鈴木は都心のマンションの1DKで頑張っているので、長い目で見守って下さい」とか「今は日本ではなく海外にいて、帰ってくる予定が決まっていません」などと言って煙に巻いてしまうことが頻繁にあった。

西は鈴木の指示で仕掛けた銘柄の株価を高値に誘導するために、大量に買いを入れていたが、鈴木はその間隙を縫って取得株を売り抜け、それぞれの銘柄で10億円単位の利益を出したうえに海外に流出させていった。西が負った損失を鈴木が補填することはなく、また利益の分配もしなかったから、当然、損失分はA氏が被ったに等しい。ただし、西は鈴木の唆しに乗って、合意書を破棄する約束をして10億円を報酬として受け取り、また宝林株の利益分配として30億円を鈴木から受け取っていた。

ところが、西はA氏から出してもらった買い支え資金を流用して合意書に基づいた株取引とは別の投資に使ったり、東京オークションハウスの店舗を新規に銀座に2店舗と日本橋にも出店したり、西の妻松子には銀座に「角館」という名前の店を出させたり、あるいはカジノや料亭遊びなどの遊興に散財した事実が後日判明したが、そこには陽一郎の姿があることも多かったのを関係者が目撃している。陽一郎は株取引の現場を見ていながら、西に言葉を一度もかけたようには思えないほど西の浪費に加担していたのだ。

それだけではない。西は愛人の中田早苗と組んでA氏に新たな投資話を持ち込んで、A氏から資金を仰ぐという話もあってA氏は応諾して資金を出したが、その投資に冠したシャピーロという人物は西と韓国系アメリカ人マイケル・パク、そして西の愛人だった中田早苗が作り上げた架空の人物で、西の友人が4~5億円、知り合いの医師も4億円ほか多くの経営者を含めると被害の総額は100億円以上に及び、A氏だけでも70億円に及ぶとみられる。A氏が出した投資資金の一部1億4000万円が中田早苗の個人名義の4つの口座に入金されていることが発覚したことで、その投資話も実態のない詐欺まがいであることを中田自身が認め、事件化はしなかったものの、西と一緒に行動していた陽一郎は、最後まで自身の関与についてA氏には知らぬ振りを決め込んでいたが、先に触れた株取引で西が受け取った分配金と同様に陽一郎もまた懐にしていることは間違いなく、関係者の間では明らかに共犯だという声が圧倒している。

鈴木が株取引の利益を独り占めにして海外のプライベートバンクに隠匿している事実、そして利益総額が約470億円にものぼっている事実が判明したことで、A氏と西、鈴木の3人が和解協議の場を持って合意書の約束履行を鈴木に迫った。しかし、鈴木は頑なに合意書を否定して「西に協力して合意書に署名指印したもので、実際に株取引を実行したことは無いし、A氏と株のことで話したこともない」と言い張り、西が言っていることは全て西の作り話だとまで言った。

しかし、紀井氏が利益が巨額に上がっている事実を明らかにしたため、鈴木は最初の宝林株取引だけは認め、A氏と西にそれぞれ25億円ずつを支払うと約束して和解書が作成され、その後、A氏には別途20億円を支払うことも約束した。ところが、鈴木はそれからわずか1か月ほどの後、その約束を反故にして交渉を継続するという内容の手紙を一方的にA氏に送り付け姿をくらませた。

鈴木の報復を恐れるという陽一郎の言葉の裏には、西が株取引のさ中でA氏を裏切る密約を交わしたり、合意書破棄で10億円と宝林株の利益分配として30億円の報酬を受け取ったり、さらにはA氏から出してもらった買い支え資金を流用していた等の事実を突きつけられ、鈴木から恫喝された現場を陽一郎も目撃した経緯があったのではないかとさえ思われる。そうであれば、陽一郎も西と一緒に散財に耽った事実はA氏には知られたくないという思惑が働いても当然だろう。しかし、A氏の関係者が自分の身の危険を顧みず鈴木を追い詰めようとしている中で、A氏の資金を流用していた事もある陽一郎が自分の身だけを案じてA氏側に協力をしないという事は明らかな裏切り行為であって、誰が聞いても納得するはずがない。

まして、鈴木が西を2度も3度も死に追いやるようなことをしでかし、遂には自殺に追い込んだという事実は西の長男である陽一郎が重く受け止めるのが当然のことであり、さらにA氏に対して金銭問題をもちろん多大な迷惑を蒙らせてきた事実を考えれば、陽一郎の釈明は、まるで他人事のように受け止めているとしか見えず、自分には関係ないという口ぶりにしか聞こえない。陽一郎にとっては鈴木が西の命まで狙ってきた仇敵ともいうべき男であることをどこまで真剣に受け止めているのか。陽一郎にはA氏への感謝の気持ちが微塵も感じられず、誠実さや謙虚さが全くない自分勝手な人間としか言いようがないのだ。これには、双方の多くの関係者全員が同様の考えを示している。

陽一郎が悪質なのは、西の死後、他の債権者から4億円もの債務返済を迫られた際に債権者に泣きついて仲裁を頼み、債権者が動いたことで債務返済を免れることができたのに、その好意に甘えるだけで謝意も示さず何一つ報いていないことに加えて、西の妻松子や身内が西の死後に相続放棄をしたことを知っていながら、A氏に報告も相談もしていなかったことで、これは人として許されないことなのだ。陽一郎は西がA氏に宛てた遺書のコピーを持っているはずだから、もう一度読み返すべきだ。西がどんな思いでそれを書いたか、どれほど言葉を尽くしてA氏に詫びているか、さらに鈴木から裏切られたという強い怨み等を実感して、過去の様々な現場を思い出すべきだ。そして、A氏に見せようとしなかった妻松子と陽一郎宛の遺書を今こそA氏に全て見せるのは当然のことだ。

陽一郎は、西がA氏に内緒で妻松子の生家の近くに建てた別邸の処理に当たって「自分が買ってもいいですよ」とA氏や関係者の前で言ったこともあったようだが、それも一つの意思表示になるはずだ。というより、そのくらいやって当然である。冒頭にも挙げたような、わざわざ弁護士まで立ててA氏の関係者に「A氏と自分の問題に立ち入るな」と通告させたり、さらにA氏にまで弁護士を通せと言って、自分との間を強引に遮断しようとする言動がどういうことであるか、陽一郎は、本当に分かっているのか。(つづく)

西義輝の自殺を顧みない長男・内河陽一郎に「無責任」「非常識」「傲慢」の非難(3)

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西義輝が生前にどれほど債権者に世話になり、どれほど迷惑をかけたか、息子の内河陽一郎はほぼ全てを承知しているだけでなく、西が債権者に宛てた遺書を債権者が見る前に強引にコピーをさせて読んでいるから、西の債権者への思いも十分に分かっていた。その遺書は西が自殺する直前に所在不明となる中で、西から遺書を郵送で受け取った知人が陽一郎に架電して問い合わせた際に、陽一郎が取り乱しつつ債権者に電話をし、債権者が陽一郎を会社に呼んで詳細を確認し、債権者の下にも西から遺書が郵送で届いていたことが分かったという経緯があった。

(写真:内河陽一郎)

陽一郎は債権者に自身の手元にある遺書と妻松子に宛てた遺書をすぐに見せると約束しながら未だに見せておらず、陽一郎の対応は明らかに非常識極まりなかった。誰が見ても、陽一郎の言動に大きな違和感を持つとともに、陽一郎の非常識さには誰もが本当に呆れてしまうに違いない。
陽一郎が、西の死後、債権者の関係者に対して非常に不可解な言動を繰り返しているために、関係者の一人が陽一郎に手紙を送り、西が自殺する際に西の妻松子と陽一郎に宛てた手紙(遺書)をすぐに見せると約束しながら未だに知らぬ振りをしているのは言語道断だという事に加え、今も債権者に言っていないことが多くあるようだから、いい加減に本当の話をするべきだという注意喚起をしたところ、あろうことか、陽一郎は弁護士を立てて、「この問題は自分と債権者の事なので一切立ち入らないで欲しい」という趣旨の通知を送らせていたという。いったい、陽一郎は何を考えているのか、理解に苦しむが、弁護士を立ててまで関係者からの忠告を拒否する対応は尋常ではない。しかも、陽一郎が債権者に連絡を取り、西が遺した遺書の開示や自分の意思を直接伝えるかと言えば、そうではなく、債権者に対しても依頼した弁護士を窓口にして陽一郎とは直接連絡を取らないで欲しい旨の書面が送られたという。

(写真:西義輝の債権者宛遺書)

そして、最近になって債権者の関係者を介して陽一郎に連絡を取ったところ、陽一郎はまたしても「弁護士と話をしてほしい」と言ったことから、代理人の弁護士に連絡したところ、あろうことか「10年以上も前の話で、すでに時効であり、遺書を見せる義務はない」などという書面が届いたのである。時効とは、いったい何を指して言っているのか。この弁護士も支離滅裂だが、そのような依頼をした当の陽一郎自身が一番悪質と言わざるを得ない。まして西の死の直後に複数の債権者から厳しい回収を迫られ、「何とかしてほしい」と懇願したのは誰だったのか。債権者2人はそれぞれ西に5億円前後の債権を有しており、そう簡単に諦めるような者たちでもなかった。そこで、債権者が間に入り、2名の債権者と交渉し、債権を放棄させる説得をして納得させたのだ。ところが、陽一郎からは感謝の言葉一つもなく、恩義に報いるようなことも全くなかった。これほど非常識な話はないし、持参すると約束した陽一郎と松子への西の遺書を今もって見せようともしない陽一郎の態度は許されるものではない。これは債権者だけでなく、関係者全員が口を揃えて言っていることだ。

西の死から約4か月後の平成22年6月15日、西の妻松子と陽一郎が債権者の会社を訪ね、一通の書面が作成された。

(写真:西の自殺後に債権者と陽一郎、西松子が交わした合意書)

「合意書」と題するその書面には、第一に西が生前に債権者に譲渡した全ての債権及び債権者の債権回収について、債権者が依頼した場合には妻松子と陽一郎は全面的に協力する、という約定が謳ってある。
言うまでもなく、西が債権者に譲渡した債権及び債権者の債権回収とは、もちろん債権者が鈴木義彦に貸し付けた資金約28億円と「合意書」に基づいた株取引の利益分配金を、また譲渡債権とは、鈴木と西が債権者を外して利益の山分けをするとして交わした密約で、西が鈴木から受け取ることになっていた137億円を指している。
鈴木と西は、宝林株800万株の取得に始まる株取引で、債権者、西と3人で合意書を交わしたにもかかわらず、鈴木がそこに明記された約定を一切無視して利益を独り占めにしたが、それは合意書に基づいた株取引が始まって間もなく、最初の銘柄となった宝林株で160億円という西にも鈴木にも想定外の純利益が出たことで鈴木と西は目がくらみ、2人で利益を山分けしようという密約を交わすまでになった。しかし、鈴木は債権者に対する債務の調整だけでなく株取引でも西を利用するだけ利用した揚げ句に密約を反故にして、西に渡すと約束した利益分配金約137億円を払わなかった。西はそれを債権者への債務返済の一部として譲渡しようとしていたのである。鈴木が利益を無申告で海外に流出させるに当たっては、杉原正芳弁護士がダミーの外資系投資会社の代理人として違法行為に加担した。
ところが、陽一郎は債権者に対して全く反対の態度を取り続けてきた。妻松子宛の分を含め西の遺書を見せると約束しながら今に至るも見せようとせず、鈴木に対する貸金返還請求の訴訟でも、実名の陳述書の提出を拒んだり、別の訴訟提起にも鈴木の報復が怖いとか就業先のコンプライアンス問題等を出して協力できないと言い出すなど、全く理解できない対応を取ったのだ。債権者の関係者達は誰もが陽一郎の無責任さに憤り、「父親の無念さを思えば、鈴木に対してあらゆる手段を講じてでも対抗するのが息子の役目ではないのか」と詰ったが、陽一郎は聞く耳さえ持たなかった。なお、本裁判では鈴木の代理人の長谷川幸雄弁護士が主導する中で特に株取引に関わる部分で全て虚偽の主張を繰り返し、また債権者に対する誹謗中傷を重ねた。

(合意書 宝林株800万㈱取得を契機に西と鈴木が仕手戦を企図し、A氏に株価維持の資金支援を要請。鈴木が熱弁を振るってA氏を説得した)

鈴木と西の株取引は宝林に始まり、次いで鈴木の創業したエフアールほか次々に実行されて行ったが、債権者は西に乞われれば合意書での約束を守り株価の買い支え資金を出し続けた。その際に債権者の所に出向くのは西と運転手の花館聰氏の2人で、金額が数千万円単位の時は水野という社員が一人で取りに来ていた。鈴木はほとんど姿を見せなくなった。債権者が鈴木の様子を西に聞いても、西ははぐらかして「鈴木は都心のマンションの1DKで頑張っているので、長い目で見守って下さい」とか「今は日本ではなく海外にいて、帰ってくる予定が決まっていません」などと言って煙に巻いてしまうことが頻繁にあった。
西は鈴木の指示で仕掛けた銘柄の株価を高値に誘導するために、大量に買いを入れていたが、鈴木はその間隙を縫って取得株を売り抜け、それぞれの銘柄で10億円単位の利益を出したうえに海外に流出させていった。西が負った損失を鈴木が補填することはなく、また利益の分配もしなかったから、当然、損失分は債権者が被ったに等しい。ただし、西は鈴木の唆しに乗って、合意書を破棄する約束をして10億円を報酬として受け取り、また西が香港に渡航するに際して松子宛に残した置き手紙に書かれていたように宝林株の利益分配として30億円を鈴木から受け取っていた。もちろん債権者は西が鈴木から合計40億円を受けとっていた事実を知らなかった。また、西は債権者から出してもらった買い支え資金を流用して東京オークションハウスの店舗を新規に銀座に2店舗と日本橋にも出店したり、最後には西の妻松子には銀座に妻の出身地と同じ「角館」という名前の店(クラブ)を出させたり、あるいはカジノや料亭遊びなどの遊興に散財した事実が後日判明したが、そこには陽一郎の姿があることも多かったのを関係者が目撃している。陽一郎は株取引の現場を見ていながら、西に言葉を一度もかけたようには思えないほど西の浪費に加担していたのだ。ちなみに、陽一郎は西の会社に入る前はラーメン屋の出前持ち程度の仕事しかしていなかったようだが、仕事の現場で西の姿を見るようになってからは西を「カッコよく輝いて見えた」と言っていた。西が債権者から受けた資金を自己都合に流用し、そのおこぼれに与ってアブク銭を手にしていたのだから、当然だろう。西の死後、陽一郎は生命保険会社の外交員に就いたと言い、同社のコンプライアンス条項から「(債権者の)訴訟には参加協力するなと言われている」などと言って拒んだが、その真の理由は別にあったと思われる。また、6年ほど前の平成30年には約1億円と目される土地建物を購入し、国産の高級車を乗り回しているが、保険外交員の身で所有することができるのか、甚だ疑問だ。

(写真:マイケル・パク)

それだけではない。西は韓国系アメリカ人のマイケル・パクと組んで債権者に新たな投資話を持ち込んで、債権者から資金を仰ぐという話もあって債権者は応諾して資金を出したが、その投資に冠したシャピーロという人物は西とマイケル・パク、そして西の愛人だった中田早苗が作り上げた架空の人物で、西の友人が4~5億円、知り合いの医師も4億円ほか多くの経営者を含めると被害の総額は100億円以上に及び、債権者だけでも70億円に及ぶとみられる。債権者が出した投資資金の一部1億4000万円が中田早苗の個人名義の4つの口座に入金されていることが発覚したことで、その投資話も実態のない詐欺まがいであることを中田自身が認め、事件化はしなかったものの、首謀者のマイケルはアメリカに在住していることで資金の返還には応じたふりをしながら、時間の引き延ばしばかりを続けてきた。また西と一緒に行動していた陽一郎も、最後まで自身の関与について債権者には知らぬ振りを決め込んでいた。しかし、先に触れた株取引で西が受け取った分配金と同様に陽一郎もまた債権者から騙し取った資金を懐にしている可能性は高く、関係者の間では明らかに共犯だという声が圧倒している。

鈴木が株取引の利益を独り占めにして海外のプライベートバンクに隠匿している事実、そして利益総額が約470億円にものぼっている事実が判明したことで、債権者と西、鈴木の3人が和解協議の場を持って合意書の約束履行を鈴木に迫った。しかし、鈴木は頑なに合意書を否定して「西に協力して合意書に署名指印したもので、実際に株取引を実行したことは無いし、債権者と株のことで話したこともない」と言い張り、西が言っていることは全て西の作り話だとまで言った。それが事実ならば、そもそも株取引の最初の銘柄である宝林株の買取り資金3億円を債権者が出すことはなかったし、10日で1割という高利で金融業者から借入することもなかったはずだ。こうした例を挙げればキリがない。

(紀井氏が株取引の利益明細を記した「確認書」。A氏が出した買い支え資金で高値売りに成功し利益を確保しながら、鈴木が密かに海外に流出させ隠匿した)

しかし紀井氏が、利益が巨額に上がっている事実を明らかにしたため、鈴木は最初の宝林株取引だけは認め、債権者と西にそれぞれ25億円ずつを支払うと約束して和解書が作成され、その後、債権者には別途20億円を支払うことも約束した。ところが、鈴木はそれからわずか1か月ほどの後、その約束を反故にして交渉を継続するという内容の手紙を一方的に債権者に送り付け姿をくらませた。そして、鈴木側の代理人に就いた弁護士の平林英昭は、債権者と初めて会った交渉の場で「社長さん、50億円で手を打ってくれませんか。それであれば、鈴木はすぐにも払う」と言っているんで…」と打診してきたが、鈴木が和解協議で約束した金額は債権者と西にそれぞれ25億円のほか債権者に別途2年以内に20億円の総額70億円であったから、20億円も値切った金額であった。鈴木と西が株取引で得た利益の総額が470億円であることを踏まえ、西は和解協議の終了後には「この支払が完了した後にも、鈴木には継続して利益分配をさせます」と債権者に耳打ちしていた。それだけに債権者が平林の打診を受け入れることなど有り得なかったから即座に断った。こうした鈴木による利益を独り占めした行為はあまりにも悪質で、また実体のない外資系投資会社名義で海外に流出させプライベートバンクでの運用により利益総額が約2000億円にも膨らんでいるとみられるが、裁判で平林はこうした事実経緯を無視し、一切答えなかった。そして裁判長に就いた品田幸男裁判官もこれらのやり取りを排除して「和解書」を無効にするという乱暴な判決を下し鈴木の隠匿資金の隠ぺいに加担したも同然だったのである。ちなみに平林は債権者から申し立てられた懲戒請求で弁護士会に答弁書を提出したが、債権者側の交渉の代理人を襲撃した実行犯の暴力団トップと面談した事実について裁判の場では一切認めなかったにもかかわらず、答弁書ではあっさりと認めつつ、「責任を負うべき期限を過ぎている」と、明らかに後出しじゃんけんに等しい主張を述べた。裁判で平林が暴力団トップとの面談を認めれば、判決に多大に影響したが、懲戒請求の場では認めても一定期間の経過で「除斥」(時効と同様の意味)が認められると踏んだ、極めて悪質な対応だった。

(和解書 鈴木と西は「合意書」に違反した事実を認めた。鈴木は強迫されて署名したと無効を主張した)

過去に豊田商事が全国の6000人にも及び被害者から2000億円以上を騙し取り、同社トップの永野一男が右翼の暴漢に襲われ死亡するという事態まで招いた事件が思い起こされるが、永野は騙した金を独り占めしたわけではなかったが、鈴木は470億円以上の巨額の利益を独り占めにしプライベートバンクでの運用で隠匿資金を2000億円以上に膨らませたとみられる鈴木の悪質さ、あくどさは永野とはケタ違いと思われるほど度が過ぎている。西の紹介で債権者が初めて会った時の鈴木は、10日で1割以上の金利を貪る金融業者に苦しめられ、それこそ債権者と会わなければ破滅同然だった。また新和銀行事件で逮捕される直前という状況で、土下座までして涙する鈴木に8000万円の融資をする人間など債権者以外にはいなかった。鈴木はそのときに「このご恩は一生忘れません」と言ったが、それが全くの口から出まかせであったことは明らかだ。ちなみに訴訟の代理人に就いた弁護士の長谷川幸雄は鈴木の嘘を正当化させるため に債権者を徹底的に誹謗中傷したことで鈴木から億単位の報酬を受け取っているようだが、実際に一部しか申告していない可能性が高い。

鈴木の報復を恐れるという陽一郎の言葉の裏には、西が株取引のさ中で債権者を裏切る密約を交わしたり、合意書破棄で10億円と宝林株の利益分配として30億円の報酬を受け取ったり、さらには債権者から出してもらった買い支え資金を流用していた等の事実を突きつけられ、陽一郎も西と一緒に散財に耽った事実は債権者には知られたくないという思惑が働いても当然だろう。しかし、債権者の関係者が自分の身の危険を顧みず鈴木を追い詰めようとしている中で、債権者の資金を流用していた事もある陽一郎が自分の身だけを案じて債権者側に協力をしないという事は明らかな裏切り行為であって、誰が聞いても納得するはずがない。
まして、鈴木が西を2度も3度も死に追いやるようなことをしでかし、遂には自殺に追い込んだという事実は西の長男である陽一郎が重く受け止めるのが当然のことであり、さらに債権者に対して金銭問題をもちろん多大な迷惑を蒙らせてきた事実を考えれば、陽一郎の釈明は、まるで他人事のように受け止めているとしか見えず、自分には関係ないという口ぶりにしか聞こえない。陽一郎にとっては鈴木が西の命まで狙ってきた仇敵ともいうべき男であることをどこまで真剣に受け止めているのか。陽一郎には債権者への感謝の気持ちが微塵も感じられず、誠実さや謙虚さが全くない自分勝手な人間としか言いようがないのだ。これには、双方の多くの関係者全員が同様の考えを示している。
陽一郎が悪質なのは、西の死後、他の2人の債権者からそれぞれ4∼5億円もの債務返済を迫られた際に債権者に泣きついて仲裁を頼み、債権者が動いたことで債務返済を免れることができたのに、その好意に甘えるだけで謝意も示さず何一つ報いていないことに加えて、西の妻松子や身内が西の死後に相続放棄をしたことを知っていながら、債権者に報告も相談もしていなかったことで、これは人として許されないことなのだ。陽一郎は西が債権者に宛てた遺書のコピーを持っているはずだから、もう一度読み返すべきだ。西がどんな思いでそれを書いたか、どれほど言葉を尽くして債権者に詫びているか、さらに鈴木から裏切られたという強い怨み等を実感して、過去の様々な現場を思い出すべきだ。そして、債権者に見せようとしなかった妻松子と陽一郎宛の遺書を今こそ債権者に全て見せるのは当然のことだ。
陽一郎は、西が債権者に内緒で妻松子の生家の近くに建てた別邸の処理に当たって「自分が買ってもいいですよ」と債権者や関係者の前で言ったこともあったようだが、それも一つの意思表示になるはずだ。というより、父親とともにどれほどの迷惑を債権者にかけたかを考えれば、そのくらいやって当然である。冒頭にも挙げたような、わざわざ弁護士まで立てて債権者の関係者に「債権者と自分の問題に立ち入るな」と通告させたり、さらに債権者にまで弁護士を通せと言って、関係を強引に遮断する言動がどれほど非常識なことであるかを、陽一郎が本当に分かる時が来るのは間違いないだろう。(つづく)

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