特集8 「古川賢司」

書類や印鑑の偽造・変造を厭わぬ「古川賢司」の悪行(1)

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今から40年ほど前の昭和60年代初めに、古川賢司が宝石業界関係者の紹介で新宿センタービル43階にあった債権者の会社に顔を出すようになった。以降、債権者は自社の販売用ダイヤの仕入れの大半を古川に任せることにした。また、古川は宝石の卸の傍らで、クラブの経営にも手を出していたようだが、日常的に資金繰りが大変だったようで、債権者に様々な名目で借入をするようになった。

(写真:古川賢司)

古川は借入の際に「月3%でお願いします」と言っていたが、それでは金利の支払だけでも苦労するだろうからと、債権者は途中から年15%にしたが、やはりそれでも返済が滞ったことで、元利合計が7000万円になった時点で、連帯保証人をつけますと言って連れて来たのが西義輝だった。西は会話では相手の気をそらさせず、立ち居振る舞いにも卒がないので、債権者は好感を持ったこともあって承諾したが、今から考えてみれば、それが古川と西の正体を見誤る間違いの第一歩だったようだ。
古川は、その後も借入の返済を滞らせ続ける一方で新たな借入を債権者に懇願するようになった。債権者が古川の資金繰りの事情を深く詮索をせずに、頼まれれば応じていたことに古川が付け込んだのか、頼み事の事情の説明に嘘が混じり、それが、借入の頻度が増すたびに深刻になっていった。
古川が債権者に持ちかけた「ボートピア」(競艇の場外舟券売場の呼称)の事業では、事業計画の重要な部分で書類や印鑑を偽造し、債権者に開設事業が着々と進んでいるかのようにパンフレット等を持参して誤信させ、資金を出させたのだ。周知のように競艇は国交省の監督下に置かれる日本財団(旧日本船舶振興会)が運営する公営のギャンブルであり、舟券の販売についてはモータボート競走法に基づき総務大臣が指定する全国の自治体が法律に基づいて販売していることから、誰もが簡単にボートピアを開設できるものではなかった。審査では二重三重にチェックが入り非常に厳しいものとなっているのが現実だけに、逆に事情に疎い資産家に詐欺を働いて資金を出させる事件がかなりの件数で横行していたという。

古川がなぜ開設の事業にのめり込んだのか、そして開設の計画が現実味のないものであることを承知で事業資金あるいは会社の運転資金名目で債権者に金を出させたのかは不明だが、実際にはボートピアの開設に向けて手続きが順調に進んでいるかのように錯覚させていたのは事実だった。そのために古川が工作したのが書類や印鑑の偽造・変造だった。それも、事情を知る人間の指摘がなければ債権者には気づかれないような巧妙な偽造だった。そして、古川の書類と印鑑の偽造を見抜いて指摘したのが西だった。だが、開設事業の偽装を指摘された古川は、西が指摘していると聞いて観念したのか、ようやく書類の偽造を認めたが、謝罪もなく「西も私と同類だから分かるんですね」などと開き直ったような言い方をした。
古川は自身の能力を過信している所があり、また弁も立つようで、周囲に対してはかなり威圧的な態度を取ることが多く、それだけに債権者の会社のスタッフには横柄な対応をしていたためか、古川からかかった電話にスタッフの誰もが一瞬緊張して構え、それを古川は当たり前のようにしていたようだ。
このボートピア開設の事業が、正確にはいつとん挫していたのかは債権者にも不明だったが、そもそもが実現の可能性が極端に薄いものだけに、古川にしてみれば、債権者に計画破綻を切り出すタイミングを図って、ズルズルと先延ばしにして来たのが実情だったのではないか。しかし、その一方で債権者から借り入れた債務の返済は滞らせ続け、さらに新たな借入で債務総額がどんどん膨らんでいく中で、古川が「担保にするものが何もないので、その代わりに生命保険に加入します」と言い、複数の保険会社に9000万円と、その後に借入のために4億円の保険契約を新たに結んだのだが、呆れたことに毎月の掛け金を債権者に4年以上も立替払いをしてもらっていたのである。債権者にすると、債権の回収が覚束ないままで手をこまねいている訳にもいかず、古川が更生するための時間も必要と考えるほかに選択肢がなかなか見つからなかったのか、止むを得ず古川の依頼を受け、毎月の掛け金(72万円)の支払を承諾した。しかし、古川はそれから4年以上も債権者に立替払いを続けさせた揚げ句、債権者には無断で失効させてしまったのである。
そうした中で発覚したのが、またもや古川による書類や払込伝票の偽造・変造だった。あろうことか古川は掛け金の支払に係る払込伝票の押印を細工して、受領者側の保険会社や金融機関の出納印を偽造・変造していたのだ。すでに失効している保険が継続維持されているかのように装うことを目的とした古川の小細工が犯罪であるのは明らかだが、古川にはその自覚が無いのか、それとも債権者を誤魔化すために犯罪にまで手を染めることを厭わず常習化しているのか、いずれにしてもやってはいけないことをやっても、古川は平然としていた。

古川は何度か雄一を伴い債権者と面談をしてきたが、面談の中で加入した保険の受取人を長女の志乃から長男の雄一に替えることを名目に志乃を連帯保証から外してもらおうという思惑があったようだ。そして、昨令和4年6月に、古川と長男の雄一が改めて債権者の会社を訪ね、改めて古川の債務の処理について協議が持たれた。その際に、平成10年に公正証書が作成された時に連帯保証をした志乃と雄一も債務承認の手続きをすることにした。債務承認書に署名捺印した雄一が一旦書面を持ち帰り、志乃が署名捺印をした書面を持参することになった。同時に連帯保証をしている雄一もまた提供する担保がないとして父親同様に保険に加入するという意思が示された。

(写真:古川雄一)

それから数週間を経て、雄一が債権者に電話をしてきて、「折り入って社長と2人で相談したいことがあります」と言うので債権者が会うと、「今、姉に債務承認の話をして署名捺印の話をすると、姉が混乱するだけでなく家庭崩壊につながる危険性もあります。それで、私が全面的に責任を持ち、5億円の保険加入は自分がしますので姉の署名捺印は保留とさせて下さい」と雄一が言う。それを聞いた債権者が雄一の希望通りにすることに承諾した。そのうえで雄一が保険契約を進めるに当たって、適時状況を知らせることになったのだが、その後、債権者には雄一から連絡が入らず、いつの間にか年を越してしまったのである。そして1月中旬に古川と雄一が一緒に債権者の会社を訪ねてきたが、そこでも進捗した話がある訳ではなかった。それから数か月した4月に入り、雄一に連絡を取ったが、雄一からの折り返しの電話は長時間なく、それも言い訳がましい話ばかりだったので、電話でのやり取りで一旦は面談する日程を約束しようとしたが、債権者が日時を打診しても一切応答しなくなった。債権者も腑に落ちず、古川にも連絡を取ったが、古川は「しばらく雄一と連絡を取っていないので事情が分かりません」と言い、その後、体調に異変はあるものの雄一と必ず連絡を取って債権者に状況を知らせるという内容のメッセージがメールで入ったが、結局は古川もまたなしのつぶてだった。

(写真:古川賢司と雄一親子)

ここにきて、債権者は、雄一の対応が、古川と連絡を取り合っての結果に違いないと思ったが、2人の言っていることが違うので、債権者としても決断をするしかないのは当然だった。それは古川を刑事告訴するという決断だった。考えてみれば、債権者が古川にどれだけ嘘や誤魔化しで翻弄されながら、それでも古川の意思を尊重して我慢をして来たことか。それにもかかわらず、ここまで債権者をバカにするような態度を取る古川も雄一も信義を守る人間ではないことが分かった。古川の債務が7000万円の時点で保証人として連れてきた西には、その後、大変な損害を被ったが、古川のこのやり方は人間として絶対に許せない。詳細については今後明らかにしていくが、もちろん過去40年間で働いた悪事が全て公になるだろう。親子や一族が結託した詐欺は珍しいからだ。(つづく)

書類や印鑑の偽造・変造を厭わぬ「古川賢司」の悪行(2)

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(写真:古川賢司)

古川賢司が債権者に持ち込んだ債務の返済計画は数多くあったが、そのどれもが返済を先延ばしにするための嘘だった。特に競艇の場外舟券売場(ボートピア)の開設事業では、すでに運営者の日本財団から認可が下りずとん挫していたにもかかわらず数年にわたってその事実を隠し、債権者の目を欺いていたのである。そのために古川は重要な書類と印鑑の偽造までしたのだ。書類や印鑑の偽造が明らかな犯罪であることを知りながら、古川には何の躊躇いもなかったようだから、この男の神経はどうかしている。それを証拠に、その後、古川の債務が返済の滞りで膨れ上がったことから、古川が「担保がないので、その代わりに」と言って差し入れて来た保険でも、掛け金の払込の領収書や伝票類を同様に偽造していたのだ。それに債権者が気付かなければ、古川は反省もせずバレるまで債権者を騙し続けていたのは間違いない。
古川を知る関係者によれば、古川は、過去40年以上にわたる債権者との付き合いの中で、自分の友人知人を債権者に紹介したことが一度もないという。これが古川の、事件師や詐欺師と周囲からみなされている証でもある。普通の人間ならば、取引上の付き合いが年月に応じてより親密なものになるなかで、自身の交友関係を明かしつつ時には紹介をしようとする機会が、少なくとも一度や二度は必ずあるはずだ。それが、40年以上もの付き合いで一度もないという方が異常に映る。それに債権者との飲食でも一度も自腹を切ったこともないというから、それも呆れた話だ。古川は、債権者の古川に対する信用を損ねないように、そして債権者からの借入でも嘘がバレないようにするためには、友人知人を紹介するのは危険すぎると考えていたに違いない。

債権者が自社の販売用ダイヤの仕入れの大半を古川に任せ、しかも仕入れに必要な代金を前払いで預けるほど信用を深めても、古川はそれに応えるどころか、仕入代金を自分の資金繰りに使い込んでしまい、それを誤魔化すために嘘ばかりついていた。しかし、それでも債権者は古川の資金繰りが厳しいと思いつつ、古川が「買ってくれませんか」と持ち込んで来たダイヤを古川の言い値で購入することも何度もあった。古川が持ち込んだダイヤが、言い値通りの価値があったかは疑わしいが、債権者は何も言わずに買って上げた。それを古川は考え違いをして、債権者には何でも頼み事を聞いてもらえると錯覚したのかも知れない。そして、口先だけの言い訳だけでは通らないとなれば、書類や印鑑の偽造までして、手がけている事業が順調であるように見せかける。

古川が債権者に返すべき債務は巨額に上っているが、それも、元はと言えば債権者から前払いで預かったダイヤの仕入代金3000万円のほか、何度も繰り返した数百万円単位の寸借を、真面に返済もせず放置してきたことに原因があった。古川は借入れの際に「月3%の金利でお願いします」と言っていたが、金利の支払だけでも苦労するだろうからと、債権者は途中から年15%にしたが、それでも元金はおろか金利分の返済さえも滞らせた。別の金融業者からの高利の借入の返済に充てていながら、その借入を完済していなければ新たな金利を生む。そうした事情の一切について、古川は債権者に何一つ説明をしないまま、ズルズルと返済を引き延ばしてきただけなのである。それにもかかわらず、古川は横柄な態度を崩さなかった。競艇の場外舟券売場(ボートピア)の開設で重要書類や印鑑の偽造が発覚した問題でも、平成5年から同10年までの期間に古川が他社と提携する中で開設事業が順調に進んでいるかのように見せかけるために、債権者に重要な書類やパンフレット等を提示した。債権者はそれらを見て、すっかり古川の言葉を信用してしまい、結果的には古川の寸借の依頼に応じてしまったのである。弁舌の巧みさも事件師や詐欺師には不可欠な要素だ。
しかも、反省をしていないから、言葉で誤魔化そうともするし、真面に謝罪もしようとしなかった。ある時には、債権者から事実関係を追及され「それなら、どうにでもして下さいよ」などととんでもなく開き直った言い方をしたことさえあったが、債権者が「私を犯罪者にする積りか」と言うと、古川は黙ってしまい、何も言えなくなってしまったという。その時でさえ古川は謝罪の言葉を最後まで口にしようとしなかったというから、横柄な態度は身に着いたもので、誰に対しても変わらないのだろう。

(写真:古川雄一)

そして、古川の債務について「全責任を持って対応します」と約束したはずの長男雄一が、約束を反故にしただけでなく債権者への連絡も一切して来ない、という非礼で無責任な対応についても、債権者が怒りを増幅させる大きな要因になった。これまでに触れたように古川は債務の返済を怠り続けていたため、その総額は莫大な金額になっているが、それは昨年6月11日に古川と雄一が債権者の会社を訪ねて債務承認書を作成した際にも、古川自身が「これまで返済をしていないので70億以上になっています」と認めている。ただし、前述したように雄一が全責任を持って対応すると約束したこともあり、債権者は雄一が平成27年1月に連帯保証した際の債務承認書に書かれた額面5億円について連帯保証責任を果たせば、その他は猶予する旨を古川と雄一に伝えていた。しかし、雄一が自らの責任を逃れようとしている中で、債権者が古川の債権回収で何らかの譲歩をすることは全くなかった。そして、平成10年12月に3億5000万円の公正証書を作成した際に、連帯保証をした長女の志乃についても、債権者は猶予をすることにしていたが、それも雄一が自ら放棄したのだから、志乃も雄一と同様に父親の債務を返済する責任を果たすのは当然だった。今年の4月以降に、債権者が雄一に連絡を取ったが、雄一からの折り返しの電話がなかなかなく、しかも言い訳がましい話ばかりだった。電話でのやり取りで一旦は面談する日程を決めることになったが、債権者が日時を打診しても雄一は一切応答しなくなった。債権者も腑に落ちず、古川にも連絡を取ったが、古川は「しばらく雄一と連絡を取っていないので事情が分かりません」と言い、その後、体調に異変はあるものの雄一と必ず連絡を取って債権者に状況を知らせるという内容のメッセージがメールで入ったが、結局は古川もまた連絡をしないまま今に至っている。
雄一の対応が、古川と連絡を取り合っての結果に違いないと実感した債権者は、古川を刑事告訴する決断をせざるを得なくなった。ここまで親子が揃って約束を一方的に反故にすれば、債権者ならずとも最終的な結論を出すのは当然だろう。連絡が途切れがちだった古川親子の対応が、今となっては小細工にしか映らず、刑事告訴は正に古川の自業自得と言わざるを得ない。(つづく)

書類や印鑑の偽造・変造を厭わぬ「古川賢司」の悪行(3)

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(写真:古川賢司)

古川賢司の悪性は、それこそ挙げれば際限がない、と言っていいくらいだ。横柄で常に人を見下すような態度を取る。自分に過ちがあっても、決してそれを認めない。相手と口論になっても、言い負かしてしまうという自信があるのかもしれないが、古川の話そのものが嘘で実現性のないものだから、必ず相手に迷惑をかける。しかし古川は謝ることを知らず、都合が悪くなれば開き直るだけだった。
古川が債権者に持ち込んだ債務の返済計画は数多くあったが、そのどれもが返済を先延ばしにするための嘘だった。特に競艇の場外舟券売場(ボートピア)の開設事業では、すでに運営者の日本財団から認可が下りずとん挫していたにもかかわらず、数年にわたってその事実を隠し、債権者の目を欺いていたのである。そのために古川は重要な書類と印鑑の偽造までしたのだ。書類や印鑑の偽造が明らかな犯罪であることを知りながら、古川には何の躊躇いもなかったようだから、この男の神経はどうかしている。それが証拠に、その後、古川の債務が返済の滞りで膨れ上がったことから、古川が「担保がないので、その代わりに」と言って差し入れた保険でも、掛け金の払込の領収書や伝票類を同様に偽造していたのだ。債権者が偽造に気づかなければ、古川は反省もせずバレるまで債権者を騙し続けていたのは間違いない。
こうした古川のずる賢さは、債権者に古川を紹介した金融業者の竹林利治にも共通してあった。竹林は、自身が抱え込んだ債権債務の焦げ付きを解消するために債務者を債権者に紹介して借入をさせ、その金をそっくり回収に充てるという卑劣な手段を2度3度と繰り返した。その結果、債権者の下で回収が困難になった債権が億円単位で膨らんだのだ。竹林は、債務者を紹介する際には決まって「自分も責任を持つ」と言っていたが、その約束を守ったことなど一度もなかった。古川もまた、連帯保証人で連れてきた西義輝が債権者を裏切り、騙し続けたことで数百億円もの損害を被った事実を前にして、「紹介した責任を感じています」と殊勝な言葉を口にしたが、実際に責任を果たすような行動を取ったことは一度もなかった。西がなぜ古川の債務の連帯保証を引き受けたのかは不明だが、同じ詐欺師仲間でもタイプの違う西がうまく債権者を丸め込んでくれさえすれば、自分への当たりが弱まるとでも考えたからではなかったか。
西は古川の債務について返済を履行するどころか、株投資を持ちかけて20億円以上もの損害を債権者に与えたほか、手掛けたオークション事業でも債権者をスポンサーにして出資金やオークション会場の設営で協力を仰ぎながら、結局は破綻させるなど、債権者が負った損失の総額は100億円以上に達した。さらに西が債権者に紹介した鈴木義彦に金銭的な支援を頼んだことで、鈴木への貸金は短期間で約28億円に上ったほか、西と鈴木が実行した株取引でも総額で200億円を超える株価を買い支える資金の支援で莫大な損害を負った。
こうした西の行状について、古川は言葉では「とんだ人間を連れてきてしまって」と債権者に詫びていたが、自身の負っている債務を返済することさえ一切しなかったのである。西が債権者に負った債務は自身の資金繰りに加えて鈴木の債務の連帯保証分を合わせ、総額300億円を超えるという途方もない金額に上っていた。その責任を全て紹介者の古川が負うという話ではもちろんないが、古川が知らぬふりを決め込めば、債権者が許せないと思うのは当然だろう。
古川を知る関係者によれば、古川は、過去40年以上にわたる債権者との付き合いの中で、自分の友人知人を債権者に紹介したことが一切ないという。これが、周囲から古川が詐欺師や事件師に見做される証でもある。普通の人間ならば、取引上の付き合いが年月に応じてより親密となものになる中で、自身の交友関係を明かしつつ時には紹介しようとする機会が、少なくとも一度や二度は必ずあるはずだ。それが、40年以上もの付き合いで一度もない方が異常に映る。それに、債権者との飲食でも一度も自腹を切ったことがないというから、それも呆れた話だ。古川は、債権者の古川に対する信用を損ねないように、そして債権者からの借入でも嘘がバレないようにするためには、友人知人を紹介するのは危険すぎると考えていたに違いない。
もっとも古川には知人は何人かいたと思うが、友人は一人としていなかったようだ。債権者が自社の販売用ダイヤの仕入れの大半を古川に任せ、しかも仕入れに必要な代金を前払いで預けるほど信用を深めても、古川はそれに応えるどころか、仕入代金を自分の資金繰りに使い込んでしまい、それを胡麻化すために嘘ばかりを重ねていた。しかし、それでも債権者は古川の資金繰りが厳しいと思いつつ、古川が「買ってくれませんか」と言って持ち込んできたダイヤほか宝石類を古川の言い値で購入することも何度もあった。古川が持ち込んだダイヤほか宝石類が言い値通りの価値があったかどうかは疑わしいが、債権者は何も言わずに買ってあげた。それを古川は考え違いをして、債権者には何でも頼みごとを聞いてもらえると錯覚したのかもしれない。そして口先だけの言い訳で通らないとなれば、書類や印鑑の偽造までして、手がけている事業が順調であるかのように見せかけたのだ。
古川が債権者に返すべき債務は巨額に上っているが、それも、元はと言えば債権者から前払いで預かったダイヤの仕入代金3000万円のほか、何度も繰り返した数百万円単位の寸借を、返済もせず放置してきたことに原因があった。古川は借り入れの際に「月3%の金利でお願いします」と言っていたが、金利の支払いだけでも苦労するだろうからと、債権者は年利15%にしたが、それでも元金はおろか金利分の返済さえも滞らせた。別の金融業者からの高利の借入の返済に充てていながら、その借入を完済していなければ、新たな金利を生む。そうした事情の一切について古川は債権者に何一つ説明しないまま、ズルズルと返済を引き延ばしてきただけなのである。それにもかかわらず、古川は横柄な態度を崩さなかった。競艇の場外舟券売場(ボートピア)の開設で、重要書類や印鑑の偽造が発覚した問題でも、平成5年から同10年までの期間に古川が他社と提携する中で、開設事業が順調に進んでいるかのように見せかけるために、債権者に重要な書類やパンフレット等を提示した。債権者はそれらを見て、すっかり古川の言葉を信用してしまい、結果的には古川の寸借の依頼に応じてしまったのである。弁舌の巧みさも、事件師や詐欺師には不可欠な要素だ。

(写真:古川雄一)

しかも、古川は反省もしてないから、言葉で胡麻化そうとするし、まともに謝罪もしようとしなかった。ある時には債権者から事実関係を追及され「それなら、どうにでもして下さいよ」などととんでもなく開き直った言い方をしたことさえあったが、債権者が「私を犯罪者にするつもりか」と言うと、古川は黙ってしまい、何も言えなくなってしまったという。その時でさえ古川は謝罪の言葉を最後まで口にしなかったというから、横柄な態度は身についたもので、誰に対しても変わらないのだろう。
10年ほど前になるが、古川が債権者に「弟が癌にかかって、その時は奥さんと離婚していたし、息子もどこにいるかわからない状況にある」と言いつつ「放っておこうと思います」と言うので、債権者が「君しか面倒を見る人がいないのなら、後悔しないようにやれることはやってあげなさい」と言って、少しばかりの援助をしたことがあった。すると、その直後に今度は「妹が離婚して誰も頼るものがいない」と言う。債権者はその時も援助をした。しかし、今、考えてみれば、古川の話が本当であったかどうか、疑いたくなるほどだ。家族の不幸を材料にして同情を誘うのは悪党の猿知恵とも言われるが、古川の嘘には悪質さが溢れ返っている。
そして、古川の債務について「全責任を持って対応します」と約束したはずの長男雄一が、約束を反故にしただけでなく、債権者への連絡も一切してこない、という非礼で無責任な対応をしていることについても、債権者が怒りを増幅させる大きな要因になっている。雄一が「全責任を持つ」と断言したことで、債権者は、雄一には父親の債務の一部5億円について約束を履行してくれれば、残りの債務については改めて考えようという温情を見せたが、しかしそれもあっという間に裏切られてしまった。雄一は債権者が実感している怒りをどこまで自覚しているのだろうか。
これまで触れてきたように、古川は債務の返済を怠り続けてきたために、その総額は莫大な金額になっているが、それは、昨年6月11日に古川と雄一が債権者の会社を訪ねて債務承認書を作成した際にも、古川自身が「これまで返済をしていないので70億以上になっています」と認めている。ただし、前述したように雄一が全責任を持って対応すると約束したこともあり、債権者は雄一が平成28年8月に連帯保証をした際の債務承認書に書かれた額面5億円について連帯保証責任を果たせば、その他は猶予する旨を古川と雄一に伝えていた。しかし、雄一が自らの責任を逃れようとしている中で、債権者が古川の債権回収で何らかの譲歩をするすることは全くなかった。また、平成10年12月に3億5000万円の公正証書を作成した際に連帯保証をした長女の志乃についても、債権者は猶予をすることにしていたが、それも雄一が自ら放棄したのだから、志乃も雄一と同様に父親の債務を返済する責任を果たすのは当然だった。さらに言えば、古川が債権者から借入をし始めた当時、志乃も雄一もまだ未成年で、古川の庇護の下にあったから、古川が債権者から騙し取った金が2人の生活費や学費に充てられたのは間違いなく、古川は他にも沖縄に住む愛人にも数十年仕送りをしていたようだ。志乃と雄一が古川の債務の返済に責任を自覚するのは当然ではないか。
令和5年の4月以降に、債権者が雄一に連絡を取ったが、雄一からの折り返しの電話がなかなかなく、しかも電話があっても言い訳がましい話ばかりだった。その電話のやり取りで、雄一は一旦は債権者と面談する日程を決めることになったが、債権者が日時を打診しても雄一は一切応答しなくなった。債権者は腑に落ちず、古川にも連絡を取ったが、古川は「しばらく雄一と連絡を取っていないので事情が分かりません」と言い、その後、体調に異変はあるものの雄一と必ず連絡を取って債権者に状況を知らせるという内容のメッセージがメールで入ったが、結局は古川からは何も連絡がないまま今に至っている。古川は都合が悪くなれば「体調が悪く入院した」と言うことが多かったが、これも古川のやり方だったようだ。西が古川の債務の連帯保証をした時と同様に、雄一もまた父親と結託して、果たす気もない連帯保証をすることで時間の先延ばしに協力し、債権者を騙していた可能性が極めて高い。
ただし連絡を絶ったとしても、雄一が父親の債務を連帯保証しているという事実から逃れようはない。古川は娘と息子を巻き込んでいることを、どこまで真剣に捉えているのだろうか。それは、単なる開き直りで済まされるようなものではなく、娘と息子の今後の人生がかかっていることをよく考えるべきだ。
雄一の対応が、古川と連絡を取り合っての結果に違いないと実感した債権者は、古川に対して刑事と民事双方での訴訟を提起する決断をせざるを得なかった。ここまで古川が親子揃って約束を一方的に反故にすれば、債権者ならずとも最終的な結論を出すのは当然だろう。連絡が途切れがちとなった古川親子の対応が、今となっては小細工にしか映らず、刑事と民事での告訴はまさに古川の自業自得と言わざるを得ない。ちなみに、関係者のほぼ全員が飲食等で同席した古川をよく知っているが、ここまで金銭面だけでなくあらゆるところで迷惑をかけ、古川本人が負っている債務が総額で100億円以上になるほど放置し続けても、平然と威張り通してきた、それが古川の本性であることを見抜いている。まさに詐欺の常習者であると。
債権者が古川と知り合ってからの40年間を振り返ってみれば、改めて古川の悪質さばかりが浮かび上がってくる。古川には反省というものが一切ないから、本人はもちろん、債務を連帯して保証している娘の志乃と息子の雄一ほかの親族に対しても厳しく責任を問うのは当然、と多くの関係者が口を揃え、また「古川は40年以上もの間、何から何まで世話になりながら全く常識を知らない。こんな人間は初めてだ」とも言う。債権者もそうした意見を十分に承知している。特に雄一は父親と同様かそれ以上に悪質で、関係者たちは「男として人間として最低の親子だ」と言う。債権者は多くの友人知人を援助してきたが、債権者の恩情に付け込む輩も少なからずいる中で、古川はその代表格ではないかと思うようになっているほどなのだ。改めて債権者は、この卑怯極まりないやり方を通してきた古川に怒りを覚え、一族全員に対しとことん追及する決断をしている。(つづく)

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