「淀屋民則」の負の遺産を引き継ぐ妻美津子の重い責任

「淀屋民則」の負の遺産を引き継ぐ妻の重い責任

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会社役員が創業した図書販売の会社に淀屋民則が出入りするようになったのは時代が昭和から平成に変わる前後のことだった。淀屋は当時会社役員と同じ図書販売の日本図書という会社の部長で、会社役員の会社に出入りしている頃、淀屋が「値打ちがあるものです」と言って鎧や絵画を会社役員に持ち込み、紹介手数料を取っていた(購入価格が1億8000万円の2割3600万円が手数料だった)。ところが、ある時、会社役員がそれらを専門家に鑑定してもらうと、全てが偽物であった。淀屋は会社役員に「偽物とは知らなかった。申し訳ありません」と詫びたが、それが最初から本物ではないことは分かっていたことがしばらくして判明する。

会社役員の会社では、毎月5000万円から6000万円の売り上げを誇る営業チームが3チームあり、社内でも常にトップを競う有望な営業マンが揃い約25人ほどでチームを結成していたが、あろうことか淀屋はそのチームの責任者で、日本図書に在籍中の同僚であった角田某に近づいた。淀屋が角田に目をつけ近づいて行ったことは、会社役員はもちろん、誰も気に留めることが無かったため、淀屋の密かな企みが事前に発覚することは無かった。そして、淀屋は出入りするようになってからしばらくして本性を露にして角田を完全にたぶらかし、チームの営業マン全員を一気に退職させて自分の勤めている会社に引き抜いてしまったのである。しかも、引き抜かれた営業マンたちは、あろうことか、素知らぬ顔をして会社で朝礼を済ませてすぐに淀屋の会社に行くようなことをやり、固定給だけを会社役員の会社からもらっていたことが間もなくしてバレた。

会社役員は営業を統括する幹部や他のチームの営業マンにも実情を確認すると、間もなく淀屋による引き抜きであることが判明した。営業マン25人が退職することになり、淀屋の行為に激怒した会社役員は法的な措置を含めあらゆる手段を講じて淀屋を追及し、営業マンたちを引き抜いた会社を破綻するまで追い込んだのだ。会社役員にすれば、当然のことであるが、有力な売り上げを誇る営業マンたちをそっくり引き抜かれたために、会社の売り上げが急落したうえ、社内に走った動揺を鎮静化させることも容易ではなかったから、淀屋への怒りは想像以上だった。その後、引き抜かれた営業マン全員が「戻りたい」と言って謝罪に来たが、会社役員はすべて断ったという。

一方の淀屋は、営業マンたちを引き抜いた会社が破綻寸前まで追い込まれたことに責任を取らねば収拾がつかない状況となり、会社役員に最大限の謝罪をすることになった。会社役員は、謝罪に現れた淀屋を許しはしたが、それまでに会社役員に偽物を売りつけて騙し取った手数料の返還を求め、淀屋がすぐに返済できないため債務弁済公正証書を作成した。
淀屋はこの公正証書を、その後一度書き替え、さらに債務承認書を2度書いている。最初の公正証書の作成は平成7年4月10日で、次の書替が平成12年12月18日、さらに債務承認書は平成22年11月4日と平成26年11月21日だが、この日時を見ても分かるように、淀屋はその間に一切返済していない。そのため、淀屋の債務総額は令和元年12月31日現在で約2億6000万円(年30%の遅延損害金を含む)になった。

淀屋は会社役員への返済を怠ったまま死亡したが、その無責任さが妻の美津子に及ぶことを、淀屋は考えなかったのだろうか。淀屋が作成した公正証書には妻美津子が連帯保証しており、淀屋と妻は会社役員に約束した月に1回の面談を繰り返す中で返済する機会はいくらでも作れたはずだが、夫婦ともに履行することは無かっただけでなく、月に1回の面談をいつの間にか反故にしたうえ、数年間は所在を不明にするという無責任な対応を取り続けてきた。しかし、それで問題が解決することなど決して有り得ないのは当然のことである。淀屋が死亡しても妻美津子が連帯保証をしている責任は重く、しかも妻の美津子が保険会社に勤めていたこともあり、担保がないからと3000万円の保険に加入していたが、いつの間にか勝手に失効させてしまった無責任さは咎められるべきもので、返済が一度もないところで後から困るのは当然のことだ。その責任は子息(長男の賢二、次男の良治、三男の満雄のほか淀屋の先妻との間に生まれた長男秀樹)にも影響が出るのは止むを得まい。長年にわたって債務の返済を怠った責任を、妻の美津子はしっかりと認識すべきであり、4人の息子たちもしっかりと協議すべきだ。(つづく)

「淀屋民則」の負の遺産を引き継ぐ妻の重い責任(2)

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淀屋民則は会社役員への返済を怠ったまま死亡した。その無責任さが妻の美津子に及ぶことを淀屋がどこまで考えていたのか。妻の美津子は債権者の関係者が淀屋の自宅を訪ねた際、どうしていいのか分からず、逆に関係者に今後の対応を尋ねるような始末だった。淀屋が存命中に作成した公正証書には妻美津子が連帯保証しており、淀屋と妻は会社役員に約束した月に1回の面談を繰り返す中で返済する機会はいくらでも作れたはずだが、夫婦ともに履行することは無かっただけでなく、月に1回の面談をいつの間にか反故にしたうえ、数年間は所在を不明にするという無責任な対応を取り続けてきた。しかし、それで問題が解決することなど決して有り得ないのは当然のことである。

(写真:淀屋民則の次男賢二の自宅)

淀屋が死亡しても妻美津子が連帯保証をしている責任は重く、それは子息(長男の忠則、次男の良治、三男の満雄のほか淀屋の先妻との間に生まれた長男秀樹と賢二)にも影響が出るのは止むを得まい。長年にわたって債務の返済を怠った責任の重さを、妻の美津子は今、ようやく認識したようだが、関係者には4人の息子たちに相談すると言っていながら、なかなか言い出せずにいるようだ。しかし、このままずるずると時間を引き延ばしても、返済するべき債務額が膨らみ続け、負担が大きくなるだけだ。しっかりと息子たちに本当の話をして、返済をどうするかについて協議をするしかないと自覚すべきではないか。一人ひとりが自分の置かれている立場を弁えて対応しなければ、いつまでも問題は解決せず父親の債務に苛まれるだけだ。

それにしても、淀屋は何と無責任な人間だろうか。債権者にかけた迷惑は尋常ではなかった。淀屋が仕掛けた営業マンの大量引き抜きのために、債権者の会社は深刻なダメージを受けた。淀屋は引き抜きが発覚しないために、営業マンたちをそれまで通り出社させて朝礼を受けさせ、その後に引き抜いた会社で営業をさせるという極めて姑息な策を弄した。さらに、引き抜きが発覚した後に債権者が引き抜き先の会社を破綻させるまでに追い込むと、平身低頭で謝罪をしたものの、債権者を騙して買わせた古美術品の対価に対する責任で作成した公正証書に基づく債務の返済を怠り続け逃げ回っていたのである。

そうした父親による詐欺まがいの言動や引き抜きにより債権者に多大な迷惑をかけた真相を、妻の美津子は今こそ本当のこととして隠さずに息子たちに話し、そのうえで責任をどういう方法で果たすのか、を話す時なのだ。最近になって、三男満雄の義父が責任(淀屋には4人の子供がいるので1/4)を果たすということを関係者に伝えたようだが、約束の日までに連絡はなかったという。しかしこの機会を失えば、債権が譲渡された時にさらに苛烈な事態が息子たちに及ぶことも、当然息子たちは承知しなければならないが、父親の無責任さが生んだことだから重く受け止めるしかない。(つづく)

「淀屋民則」の負の遺産を引き継ぐ妻美津子の重い責任(3)

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債権者に偽物の鎧兜や絵画を1億8000万円で売りつけて3500万円の手数料を騙し取り、揚げ句に月間の売上約5000万円以上を誇る債権者の会社のセールスマンを大量に引き抜くという事件を起こしたのが淀屋民則だった。
淀屋は債権者の会社に出入りするようになった平成の初め当時、債権者と同じ図書販売を手がける日本図書という会社の部長だったが、ある時、淀屋が「値打ちがあるものです」と言って、時価1億8000万円という鎧兜や絵画を持ち込み、債権者に購入させることで購入価格の約2割に当たる3500万円の紹介手数料を受け取っていた。ところが、その後、債権者がそれらを専門家に鑑定してもらうと、全てが偽物であった。淀屋は債権者に「偽物とは知らなかった。申し訳ありません」と詫びたことで債権者は一旦は容認したが、淀屋が最初から鎧兜が贋作であると承知のうえだったことが、その後、しばらくして判明した。
しかし、淀屋はそれ以上にやってはいけない悪事を働いた。当時、債権者の会社では、毎月5000万円以上の売上を誇る営業チームが3チームあり、社内でも常にトップを競う有望な営業マンが約20人でチームを結成していたが、あろうことか淀屋はそのチームの責任者で、日本図書に在籍中に部下であった幹部社員に近づいた。それを債権者はもちろん、誰も気に留めることが無かったため、淀屋の密かな企みが事前に発覚することは無かった。そして、淀屋は幹部社員を完全にたぶらかして、チームの営業マン全員を一気に退職させて自分の勤めている会社に引き抜いてしまったのである。しかも、引き抜かれた営業マンたちは、あろうことか、素知らぬ顔をして債権者の会社に出社して朝礼を済ませた後に淀屋の会社に行くようなことをやり、固定給だけを債権者の会社からもらっていたことが間もなくして発覚したのだ。

(写真:淀屋美津子)

債権者は営業マンを大量に引き抜いた会社を徹底的に追い詰め、その結果、会社は破綻寸前まで追い込まれた。それで淀屋は責任を取らねば収拾がつかない状況となり、債権者に最大限の謝罪をすることになった。債権者は、謝罪に現れた淀屋を許しはしたが、偽物を売りつけて騙し取った手数料のみの返還を求めた。淀屋はすぐに返済できなかったため債務弁済公正証書を作成した。その際に淀屋が妻の美津子が連帯保証をすると言い、併せて担保として美津子が勤める生命保険会社の保険に加入すると言って、実際にも手続きをしたが、保険料を払ったのはわずかの期間で、その後、夫婦ともども夜逃げ同然で姿をくらませ、債権者から逃げ回るようになった。
淀屋はこの公正証書を、その後一度書き替え、さらに債務承認書も2度書いた。最初の公正証書の作成は平成7年4月10日で、書替が平成12年12月18日、また債務承認書は平成22年11月4日と平成26年11月21日だが、この経緯を見ても分かるように、淀屋はその間に一切返済していなかった。そのため、淀屋の債務総額は令和3年12月31日現在で約2億8100万円(年21.9%の遅延損害金を含む)にも膨れ上がっていた。

淀屋は前妻との間に2人(秀樹と賢二)、美津子との間に3人(忠則、良治、満雄)の子供がいるが、これらの子供たちには散々迷惑をかけ続けていた。スーパーの店長をしている長男の忠則には「迷惑はかけないから」と言ってマンションの購入を強く勧めて、購入の名義人になってもらったにもかかわらず、ローンの返済を淀屋自身がするという約束を果たさず、結果的に忠則は自己破産を申し立てるしかなかった。また三男の満雄はプロパンガスの配達員をしているが、淀屋は満雄の中学時代の担任教師から2000万円の借金をしながら返済もせず、淀屋本人が死亡するまで家族の誰もその事実を知らなかったことから、美津子が担任教師から返済を迫られることになった。美津子は生活保護を受けていることを打ち明け、保険に加入して、自分の死亡後に下りた保険金を返済に充てるという念書を書いて差し出したことで何とか許してもらったという話まである。しかも美津子がかけている保険の毎月の保険料は次男の良治が支払っている事実を美津子自身が明らかにしていた。

債権者の関係者が夫婦で逃げ回っていた淀屋の居場所をようやく突き止め、会いに行ったとき、淀屋はすでに死亡しており、美津子が応対はしたものの、連帯保証をした責任はおろか、長い間、債務返済を滞らせてきたことに対する認識がまるでなかった。関係者が、先ずは債権者に会って謝罪することが先決ではないかと、何度も説得を試みたが、美津子は態度を曖昧にして拒み続けた。また、淀屋の死亡により生じた相続に伴う返済義務に対して、関係者が子供たちに正直な話をして、しっかりと責任を取らせるべきだと言うと、美津子は子供たちに話すという約束をしつつも、子供たちには迷惑をかけてばかりで、これ以上の負担を負わせることは出来ないと、自分たちの都合ばかりを優先した話しかしなかった。それでも、関係者が根気よく美津子に会い、また子供たち一人ひとりに会って、両親の負っている債務の実情について家族全員が話し合いの場を持ち、問題を前向きに解決するよう勧めつつ、そのためにも債権者と面談して返済についての具体的な話し合いをすべきだと説得を重ねた。
そうした中で、三男満男が妻の両親に相談をしたところ、妻の父親が美津子に電話をして、淀屋と美津子の長年にわたるあまりの無責任さと非常識な振る舞いを咎めた。美津子は債権者に対する責任放棄に等しい対応を繰り返していたので、義父が叱責したのは当然のことだった。そして義父からは相続に伴う分担金の支払いについて具体的に弁護士とも相談しながら対応する旨が伝えられた。
ところが、その後、家族全員でどのような話し合いが行われたのか、前妻の子供を除いた3人がそれぞれに相続放棄という手続きを取った。むろん、その手続きは法的に無効であるが、さらに美津子までもが自己破産の申立をしたのだ。
両親が負うべき責任を、仮に一部であろうと子供たちに課すということが、どれほど無責任で非常識であるか、美津子は満雄の義父からこっぴどく叱られ、身に染みたはずではなかったのか。その責任に対する気持ちさえ美津子は債権者に会って示そうともせず、弁護士に依頼して自己破産の申立をしたのである。ただし、美津子の破産理由が虚偽である限り、破産手続は法的にも無効であるが、淀屋自身の詐欺行為から生じた債務を連帯保証するとした美津子は、自己破産を選択するべきではないという判断をするのが人間として持つべき自覚ではないか。

淀屋美津子は、夫の民則が債権者を騙して偽物の鎧兜や絵画を売りつけて手数料を稼いだことや、債権者の会社のトップクラスの営業マンを大量に引き抜いて大きな損失と迷惑をかけた事実を全て承知していた。それにもかかわらず、美津子は淀屋とともに夜逃げ同然で行方をくらませ、返済はおろか謝罪すら一度もしなかったのである。その無責任さと非常識な振る舞いは断じて許されることではなく、また、破産手続きの依頼を受けた弁護士が、その事実経緯をどこまで美津子から聞いているかが疑われる中で、債権者の顧問弁護士より詳細が伝えられても一切応答しないまま自己破産の申立をしてしまった。弁護士の立場からすれば、少なくとも一度は事実確認のための連絡を取り、そのうえで対応を決めるべきではなかったか。それが法の番人として公正、公平を遵守する弁護士の務めではないか。
淀屋民則に対する評判は最低だが、美津子は自身の責任を自覚せず、逆に死亡した淀屋に全ての責任を押し付けるようなやり方はあまりにも悪質だ。

美津子が淀屋の債務の連帯保証責任から逃れるために、弁護士に破産手続きを依頼し、弁護士が手続きに必要な書類をまとめる中で、破産理由をもっともらしく創作したのは明白だ。淀屋が債権者に負った債務が生じた原因をすべて承知の上で連帯保証をした事実を始めとして、一旦は担保代わりにかけた生命保険をわずかの期間で失効させた揚げ句、淀屋と共に所在を不明にしてしまった無責任さ、非常識さは許されることではないし、淀屋の死亡を債権者に知らせず謝罪もしていない事などを、弁護士は債権者の顧問弁護士から通知されても一切無視したからである。弁護士が、債務の発生理由を都合よくまとめたことは明らかで、報酬目当てとしか言いようがない。そして、申立を受け付けた裁判所もまた、債務の返済経緯について美津子が共同責任を負うべき立場にあることを軽視して、免責を許可した(不許可にする理由はないとした)判断はあまりにも不公正ではないか。

裁判所が破産手続の申立件数の多さに対応できず、申立人の代理人弁護士の創作した書類を精査することも無く、ほぼところてん式に手続きを進行させてしまい、本来ならば破産はもちろん免責を許可してはならないはずの申立も許可してしまうケースが少なからずあるのは周知の事実だ。
裁判所の司法統計によれば、破産の申立件数は平成16年をピークに減少しているというが、それは裁判所が申立人に対する面談での審査を厳しくしたからではなく、個人再生法や特定調停法等の施行により、破産に係る窓口を分散したことが大きな理由になっている。それでも、全国レベルでの申立件数は令和3年で7万件を超え、担当裁判官一人ひとりが綿密に審査する許容量を超えていることは確かだろう。しかし、だからと言って手続きを機械的に進めていいはずがない。美津子のように自らの責任を放棄して破産手続きに逃げ場を求めるような人間まで破産と免責を認めてしまうのは、明らかに裁判官の職務怠慢であり職務放棄に違いない。そうであれば、申立の受理基準や審査基準を厳しくすることで適切なコンプライアンスを維持するという流れに改めるべきではないか。そして、美津子の代理人弁護士のように破産理由をもっともらしく創作するような弁護士に対しては罰則を設けることも重要と思われる。それが周知徹底されない限り、弁護士はもちろん裁判所に対する不信感を払しょくすることはできないはずだ。(つづく)

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