悪のレジェンド「種子田益夫」に新たな訴訟

悪のレジェンド「種子田益夫」に新たな訴訟(1)

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〔7億円何とかなりませんか〕
これから触れる内容は、何年もかけて数多くの関係者から聞き取りを続け、それらの情報を精査したものである。

種子田益夫。今でこそ一般にはその名が知られていないかも知れないが、昭和から平成の時代にかけて、武蔵野信用金庫、国民銀行、そして東京商銀信用組合などの金融機関から不正に融資を受けて、そのいずれでも特別背任等の容疑で逮捕起訴され有罪判決を受けた名うての事件師だ。国民銀行の事件では、演歌歌手の大御所、石川さゆりの“パトロン”としてマスコミでも取り上げられ一躍有名になったが、その種子田が今年の7月に貸金5億円の返還を求められる訴訟を東京地裁に起こされていたことが、このほど分かった。

訴訟を起こした債権者(原告)の関係者によると、「この5億円は貸金のほんの一部に過ぎず、種子田氏への最初の融資が発生した平成6年以降、貸金が返済されたのは2回程度、それも債権者に信用を植え付けることを目的としたもので、その後の融資では元金はおろか金利の支払もされずに累積していった結果として、債権の総額が平成15年5月15日の時点で368億円に達していた」と言うから、想像を絶するような金額である。それ故、関係者も「今年(令和元年)現在で債権総額の全額を請求することは可能だが、元金の一部のみを請求することにした」という。種子田を巡る事件もまた詐欺同然の手口が満ちている。

種子田益夫という人物の経歴を見ると、これまでに種子田が行ってきた事業は多種多様で、出身地の宮崎県では21歳の時に丸益商事を起こして金融業を始めたが、わずか2、3年で経営が破たん。その後、兵庫県や愛知県、岐阜県周辺で10数年を過ごした後に丸益産業を興して宮崎県に戻り養豚業を開始するが、これも3か月ほどで経営に失敗し丸益産業も手形不渡りを出し、会社としての機能が完全に失われた。その後、種子田は宮崎を離れたが、昭和50年頃に再び宮崎に戻り金融ブローカーやドライブインを経営するうちにキャバレーやサウナ、パチンコ店等を経営するようになった。しかし、2年後の昭和52年頃に地元の金融機関に貸しを作って、いつでも融資を引き出せることを目的に不良債権を肩代わりしたことが原因で丸益観光グループ各社は軒並み倒産した。ちなみに種子田はいつの頃からか山口組のフロント(企業舎弟)という裏の顔を持つようになり、地元の宮崎県出身の国会議員との関係を深めていた模様だ。
こうした経歴を見れば分かるように、種子田は事業意欲は旺盛でも経営手腕には大きな疑問があった。

(写真下:債務承認書)

 

訴訟を起こした前述債権者が種子田に初めて会ったのは平成6年頃のことで、種子田が負っていた債務の一部約1億5000万円の弁済のための資金を貸し付けたのが始まりだったという。当時、種子田は「愛和グループ」を率いて複数のゴルフ場ほか多種多様な事業経営を手掛ける“実業家”として振る舞っていたが、実際に利益を出している事業はほとんどなく、経営は事実上“火の車”状態だったことが後日判明した。債権者はそうした種子田の実像を知らないまま、紹介者から「月に1割以上の高利に苦しんでいる」という話を聞かされて協力することにしたという。

この債務約1億5000万円(月3%の金利)について種子田は約束の3か月という期限内に完済させたために債権者は信用した模様だ。

種子田の債権者への弁済をした翌日から、種子田による債権者への猛烈なアプローチが始まった。
「種子田から債権者の会社に電話がかかり、『ぜひ、お食事をご一緒したい』と、東京・赤坂の『口悦』という料亭に招かれた。債権者は別の債権者との調整をしたことに種子田が感謝して食事に招かれたと思い、誘いを受けたが、その夜は種子田氏から特段の話も無かったため、『すっかりご馳走になりました』と御礼を言って種子田氏と別れたそうだ。
ところが翌日から、種子田氏が連日電話を架けてきて、その度に『口悦』で食事を伴にすることが4日も続いた。そうなると、さすがに種子田氏には何か思惑があるのではないかと債権者は考えたが、種子田氏からは一向に具体的な話も無かったため債権者も敢えて聞かなかった」(関係者)

しかし、その翌日もまた種子田から電話が入り、債権者は「口悦」に出向いたが、連日の誘いを理由も無く受けるわけにはいかず、「何か私にお話したいことがあるのではないか?」と尋ねることになった。すると、種子田がようやく「7億円、何とかなりませんか?」と本音を切り出したのだ。
債権者が詳しい話を聞くと、種子田には別に強硬な債権者がいて、その調整で協力をお願いしたい、と胸の内を語った。そして「月に1割の金利は問題ないが、食事のたびに2000万円を持参するのが重荷だった。暴力団とは、これを機に縁を切りたい」とも言った。債権者が「これで全て解決できるか?」と尋ねると、種子田は「はい、これで解決します」と答えた。
種子田は、返済は10カ月後になるが、その間の金利はまとめて天引きして欲しいとも言った。また金利は月に5分と種子田は提案したが、それでは金利が高過ぎて返済に窮することを心配した債権者は考え、「もっと安くても良いので、月3分でも十分ですよ」と言うと、種子田は「では4分でお願いします」と言う。債権者が計算すると、貸付金の額面が12億円ならば、月4分の金利を差し引いても手取りで7億円余りが可能になったと種子田に言ったが、種子田は「これで是非お願いします」と頼んだ。

前出の関係者によると、債権者は種子田とのやり取りから「これですべてが解決するなら」と考えて種子田の要望を承諾したが、これが後から考えれば大きな間違いだった。先にも触れた通り、種子田は実業家を装っていただけだったからである。
種子田から食事に誘われた中で、種子田は「宮崎で車のミュージアムをやりたい」と言い出したが、種子田が10台以上の車を東京都内の環八通り沿いと愛知県一宮市のインターオートに預けていたことを債権者は承知していたので、この話だけは本当だろうと思った。その時、債権者が世界に5台しかない車を所有していることを知っていたようで、「(それらの車を)ミュージアムの目玉にしたい」という話を口にしたので、購入した当時の定価は3億5000万円(現在の価値は10億円以上)だったが、3億円で売ることにも同意したという(ただし、車の引渡しは債権債務の処理終了後とした)。しかし、その後の種子田の対応を考えると、こうした話を種子田が口にしたのも債権者への懐柔策の一環だったのではなかったか。(以下次号)

悪のレジェンド「種子田益夫」に新たな訴訟(2)

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「あなたの信用で知人から借りて」
「種子田の人柄や考え方、過去の事業歴が一部でも分かっていれば、融資はもちろん付き合い方も変わっていた」と関係者が言うように、種子田の実態は、事業家としての顔などあくまで表面的なものに過ぎず、ゴルフ場の経営は赤字続きで火の車状態にあり、会員権は裏で5000人前後も募集と販売をしていたのが実情だった。しかし、種子田はその事実を世間には隠し、唯一利益が出始めていた病院経営をさらに拡大するために周辺から借り受けた資金を集中的に投下していたのである。

(写真は手形小切手の一部)

しかし、実際の種子田の日常は株式市場で仕手戦を仕掛ける相場師への資金融資でハイリスクハイリターンによる利益獲得を目指し、それを業とするほどにのめり込んでいたから、法的にも問題のある行動を繰り返していた。その一つの例が平成14年2月に東京地検特捜部が着手した、志村化工(現エス・サイエンス)の株価操縦事件だった。あるいはベンチャー企業の、株式市場での上場による資金調達に関わり、企業の決算対策で不良債権を引き受けて粉飾に加担するようなことも平気で引き受ける人物であることが次々に判明していったのだ。

種子田による債権者への猛烈なアプローチがさらに強まる中、種子田より依頼され12億円の融資を実行した直後からも連日のように債権者の会社に電話をかけてくるかと思えば、予約も無く唐突に訪ねてきて債権者に面会を求める様になった。そして、次から次へと「手形が回ってきた」と言う理由で金策を頼むようになった。

「債権者は、自身の性格や生き様から、一旦口に出して約束したことは必ずやるということを信条としてきたから、種子田氏の融資の要望にも可能な限り応じていた。
とはいえ種子田氏の金策の要求が五月雨式に繰り返され、正月の元日にも部下の大森という社員を債権者の自宅に使いに出すことさえあった。こうして、返済が一切ないところでエスカレートしていく種子田氏の要求に対して、さらなる融資に応じることが難しくなり、『これ以上の融資は無理だ』と伝えたことが何回もあったほどだ」

ところが、種子田はひるむことなく「社長の信用ならば可能だから、他から引っ張って欲しい」と言って、債権者の友人たち数人の名前を出して依頼することさえあったという。友人たちの名前をどこで調べたものか、債権者は呆れて、とんでもないことを言う人だと思いながらも、その度に種子田が土下座して、涙を流しながら「何とか助けて下さい。お願いします」と頭を床に押し付けながら繰り返し懇願したため、債権者も折れて協力する方法を考えざるを得なかったという。(以下次号)

悪のレジェンド「種子田益夫」に新たな訴訟(3)

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〔牛久愛和総合病院のオーナーは種子田益夫〕
種子田のまるで際限がないような金策に債権者は手を焼きつつも、遂には根負けして「自分の周辺関係者に相談するしかない」という考えを種子田に伝えたという。
すると、種子田は「融資を戴けるなら、どのような担保提供にも応じます」と言い、「愛和グループ」系列のゴルフ場(イタリア所在のゴルフ場も含まれていた)や病院を担保に供すると持ち掛けてきた。何人もの債権者の友人たちも種子田の話を聞いている。
その当時、種子田が経営するゴルフ場は宮崎、広島、兵庫などに複数か所あり、また病院も茨木県牛久市の「牛久愛和総合病院」を核に全国の病院を相次いで買収している最中にあったようで、それならば債権者は周辺関係者に相談できるかも知れないと思った。種子田が旺盛に病院を買収している事実、そして債権者から借り受けた資金を病院買収や設備の拡充に投下して入る事実を証言する者も種子田周辺や病院関係者など多数に及んでいる。

種子田による担保提供の話を踏まえ、債権者が知人に相談を持ち掛けると、何人かの関係者から「病院を担保に提供できるなら協力できるかも知れない」という返事があった。
債権者が種子田に「本当に病院を担保に出来るのか?」と念を押して尋ねた。すると種子田は即座に「大丈夫です。息子(吉郎)に理事長をさせていますが、実際の経営者は私なので、担保に入れることは全く問題ありません」と確約したのである。ちなみに、種子田は「灰皿からコップの一つまで全て自分のものだ」と豪語していた。

しかし、その後も日増しに種子田への融資額が増える中で、債権者が担保提供の話を具体的に進めようとしたところ、種子田が「私の病院は、東邦医大、東京女子医大、京都大学医学部の応援や支持を受けて成り立っており、その担保価値は牛久の愛和総合病院だけでも500億円以上は十分にあります。しかし、茨城県を始め厚生省や社会保険庁の監視下にあるため、今すぐには担保にすることはできませんので時間を下さい」と言を翻したのである。

また一方で、種子田は「病院は私、種子田益夫のものであり、私が自由にできるのです。借り入れの担保はゴルフ場会社やアイワコーポレーションにしますが、私が借入をすることは病院が借入をし、病院が保証するのと同じと思って下さい。必ず、借りた金は病院で返します」とか「私の息子も『病院は父から預かっているものなので、いつでもお返しします』と言っているので、大丈夫です」などと疑う余地もないような言動を繰り返したことから、結果として債権者が窓口となり、債権者の複数の知人を巻き込んだ格好で種子田への融資が継続されたという。

関係者によると、今回の訴訟で基本になっている債権額は、正にこうした状況下で発生したものであったという。種子田が「手形が回ってきて、これを処理しないと病院経営までおかしくなる」と言って債権者に過分の協力を頼み続けたひとつの証である。(以下次号)

悪のレジェンド「種子田益夫」に新たな訴訟(4)

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〔領収書は偽名の「石原」で〕
ところが、債権者による種子田への可能な限りの協力がなされたにもかかわらず、債権者の周囲からは耳を疑うような話が数多く聞こえてきたという。関係者によると、
「債権者が種子田へ融資をした際、金利分を先取りしたのは額面12億円の時の1回だけで、その後は大半が月2%だったのに、種子田氏は周囲に『金利をいつもまとめて引かれて手取りが殆どない』と語ったそうだが、そもそも金利先取りの話は種子田氏が言ったことで、しかも一度だけだった。債権者から言ったことではなかった。そして金利先取りの話は、すべて種子田氏が返済を先送りするために頼んできたことだった」

また、融資が実行されてから3年4年という時間がたつ中で、返済が殆ど実行されなかったことに業を煮やした債権者が困惑しながら確認を求めたところ、種子田が「(平成10年の)年末までに最低20億円を返済する」と約束しながら、実際には1億円しか持参しないことがあった。債権者が多少は語気を荒げて「何だ、1億円ですか!?」と言った場面があったという。ところが、これについても、種子田は20億円の返済約束を隠して「1億円を持って行ったのに、『何だ、たった1億円か』と言われた」と周囲に愚痴をこぼしたという。
債権者にしてみれば、何年も返済を待たされ、ようやくうち20億円の支払を約束できたというところに、持参したのが1億円だったら、誰だって文句を言うのは当たり前のことである。

さらに領収書についても、債権者は種子田から「石原という名前でお願いします」という依頼があったため、全て「石原」名で領収書を発行していたというが、種子田は「返金しても受領書を出してくれない」などと、とんでもない話を周囲にしていたらしい。これでは、話を聞いた人たちが誤解をするに違いない。債権者の耳に入った話は以上のような次第だが、種子田が他にいくつも作り話をしていた。

ちなみに、長い間逃げ回っていた種子田が平成22年12月9日、ようやく債権者の前に姿を現した時に債権者が最初からのいきさつの全てを話し、「違っているところがあれば、些細なことでも全て言って下さい」と問い質した。すると、種子田は「社長のおっしゃる通りです。済みませんでした」と、ひたすら謝っていた。
しかし、そうした状況下でも種子田はその時「ところで社長、2500万円をお借りできませんか?」と真顔で尋ねたという。
「債権者もこれには本当に呆れ果てたが、種子田氏は債権者の知人にも声をかけ『手数料を払うから社長を説得して』と依頼していたという話が聞こえて来た時には、さすがに債権者も怒りを露わにしていた」(関係者)
種子田の約束や謝罪の言動がいかに言葉だけに過ぎないかがよく分かる。(以下次号)

悪のレジェンド「種子田益夫」に新たな訴訟(5)

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〔医師の資格が無いのに息子(吉郎)が理事長に〕
しかし、債権者にとって最も許し難かったのは、「愛和グループ」の病院を事実上の担保にして債権者や債権者の知人から巨額の融資を受けながら、種子田が取った行動は、息子の吉郎を病院の理事長に据えたまま、種子田と病院の関係を本格的に疎遠にして、原告である債権者や債権者の多くの友人や知人から病院を守る態勢を構築したことだった。
種子田が融資を依頼した際に「病院を担保に供することはできる」と言明したことから、いざその実行を種子田に促すと、病院の公共性を盾に「担保提供はすぐには難しい」と言い出し、さらに時間が経過すると、「病院は自分のものではないので、これから働いて返します」と開き直った返答に終始していったのである。

だが、種子田がオーナーとして病院を支配し続けてきた事実は牛久愛和総合病院の初代院長だった故村井良助を始め、日本医師会の参与だった檜田仁、東邦大学医学部教授だった永田勝太郎などが種子田の依頼に基づいて病院の拡充や医師の派遣等で尽力した事実を「陳述書」にもまとめていることでも明かである。また愛和総合病院が開設した当時、医師の資格が無ければ理事長には就けなかったにもかかわらず、何の資格もない吉郎(日本大学芸術学部卒)が愛和総合病院ほか傘下に収めた全国の病院でも理事長職に就いた背景には「地元茨城県出身で自民党の厚労族の重鎮たる丹羽雄哉衆院議員が種子田氏から数千万円の献金を受けて厚生省に強く働きかけた賜物だった、という指摘があった」(関係者)という。「種子田が病院のオーナーである事実は病院職員の隅々まで知れ渡っていた事実で、決して揺らぐことはない」(関係者)

「私が病院のオーナーであることに間違いはないので、いざとなったら病院を売ってでも必ず返します」と種子田は言い続けたが、卑劣にも掌を返すような豹変ぶりでその言葉を翻したことから返済は滞るばかりだった。(以下次号)

悪のレジェンド「種子田益夫」に新たな訴訟(6)

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〔息子(吉郎)もコンプライアンスに抵触か〕
ところで、冒頭にも挙げたように種子田は平成9年に武蔵野信用金庫から受けた融資を巡る背任事件が表面化して警視庁に逮捕される事態が起きた。東京地裁は平成11年6月28日に無罪判決を言い渡したが、控訴審ではそれを破棄して有罪(懲役1年6月)の逆転判決となった。種子田は上告したが、その最中の平成13年10月5日に東京商銀信用組合を巡る不正融資事件が表面化して東京地検に逮捕される事態が起きた。さらに加えて国民銀行が平成12年に経営破たんしたが、その最大の要因が種子田に対する90億円を上回る不正融資だった事実も明らかになった。

この融資には石川さゆりの個人事務所が立ち上げたカラオケボックス運営会社「カミパレス(ドレミファクラブ)」に対する巨額の融資が発覚し、石川さゆりの事業を応援していたのが種子田だったことから、一躍マスコミでも取り上げられることになった。国民銀行の融資で種子田が逮捕されることはなかったが、同行の不良債権を引き継いだ整理回収機構が種子田と石川に対し損害賠償請求訴訟を起こし、最終的に種子田には52億円、石川については10億円の支払い命令が下された。ちなみに東京商銀信用組合事件で種子田は平成16年2月、懲役3年6月の判決が下され刑に服した。その後、石川さゆりは返済を続けてきた模様だが、それに反して種子田は返済を滞らせているという。そのことだけでも人間性が分かる。石川さゆりの債務は、元はと言えば種子田が作ったものだ。息子(吉郎)や病院の繁栄を考える前に周囲の関係者にやるべきことをやるという言動が種子田には一切見られない。常に拝金的な考えしか持たないから、そういう発想になるのだろうが、実に浅ましい家族としか言いようが無い。

こうした種子田を巡る刑事事件が頻発したことで、債権者による貸金の回収がままならない状態が数年間続いた。

 

種子田が保釈された後の平成15年5月15日、債権者は種子田の来訪を受け、その場で債務の確認を行ったところ、種子田は否も応も無く認めたという。


「種子田が拘留されたり保釈されても、債権者の前に姿を現すことはほとんどなかったが、それに代わって種子田の部下たちや経理の社員が毎月債権者の下を訪ねて、手形の書き換えや債務確認が行われたが、彼らが返済原資に挙げるのはゴルフ場の売却や会員権であって、病院には一切触れなかった。病院の売却については『社長、一度息子(吉郎 =写真)と会って下さい』という話が種子田の側近の一人で、病院事業の立役者だった田中延和氏から出たが、種子田氏の当時の代理人だった関根栄郷弁護士に止められて実現しなかった。ただし、息子(吉郎)は田中氏から言われ、その後、債権者の代表に電話を架けてきたが、卑しくも病院の理事長とは思えないぞんざいな言葉遣いで『社長さんの関係者は金持ちが多いので、そちらで処理して下さい』と言って、一方的に電話を切ってしまった。もちろん謝罪の言葉はなく、その後も一切電話が架かってくることはなかった」(関係者)

種子田は以前より反社会的勢力との親密関係が指摘され、社会的にはコンプライアンス上で問題ある人物とされてきたのはもちろんだが、息子もまた実父益夫に代わって暴力団関係の債権者に金利を支払っていた事実があるだけに、今後、さまざまな事実が明確になれば実父益夫と同様にコンプライアンス上の問題が浮上すると思われる。

〔銀座で8億円を使った〕
弁護士の関根栄郷は、それまで種子田の委任を受けた弁護団が15人ほどいた中で、種子田の言動や暴力団との深い関係、付き合い方に嫌気して相次いで辞任していったのに唯一親密な関係を続けていた。関根も種子田と二人で銀座のクラブを飲み歩いていたが、時に債権者と鉢合わせをすると、関根と種子田が飛んできて、『できるだけ早めに返済します』と挨拶する場面があったという。債権者がクラブの社長たちから聞いた話では、銀座で一番金を落とす客は誰か? という話があり、種子田が突出してNO.1であり、多いときでは1ヶ月で8億円にもなったという。確かに種子田の銀座での使いっぷりは有名だったかもしれないが、好みの女性を口説くためだけに店に姿を見せていたそうで、決して褒められる飲み方ではなかったという。「息子(吉郎)も父親同様に行儀が良いとはいえない」とは息子を知る店長やマネジャー、多くのホステスたちの証言である。

だが、種子田が銀座で落とす多額の金の出所が、ゴルフ場の会員権の乱売で得た事実上の裏金であり、また息子(吉郎)が管理している複数の病院からの“上納金”でもあったと言われており、これはゴルフ場や病院にとっては明らかな背任行為で刑事事件である。

また平成22年12月9日の面談の際にも、債権者が年末までに具体的な返済計画の提出を求めたが、種子田は「年明けの1月にして下さい」と言って態度を明らかにしないまま帰って行ったが、それ以後は一切連絡が取れなくなり、種子田からの音信も途絶えてしまったという。(以下次号)

悪のレジェンド「種子田益夫」に新たな訴訟(7)

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〔段ボール箱10数箱が運ばれて〕
種子田が病院を担保にすると言って融資を引き出したにもかかわらず、いざとなると、公共性を盾に担保設定を拒んだり、息子が理事長であって種子田自身は関与していないという主張は、果たして罷り通るものなのだろうか。
関係者によると、「債権者は以前、腓骨神経麻痺症の症状が出て、種子田氏に請われるまま牛久愛和総合病院に1か月以上入院したことがあった。その時の経験から言えば、『オーナー室』という表札のかかった特別室のような広さと設備を整えた部屋があったが一度も使用された様子が無く、また院長以下全職員が種子田益夫氏をオーナーと呼び、種子田氏の客として債権者を最上級でもてなした、ということだった。
種子田氏が病院経営に乗り出してから、債権者から借りた金でいくつもの病院を買収し、力のある医師会や国会議員に頼んで施設の拡充を図り、医師の資格もない息子の理事長就任を図ってきた事実は病院関係者の誰もが知っていて証言している」

種子田が逮捕された平成13年から同14年にかけて、他の暴力団関係の債権者がゴルフ場や種子田の東京と宮崎にある自宅を売却したり競売にかける事態が起きた。そのうち宮崎市内の和風邸宅の競売(平成14年1月)では、種子田のダミーと見られる「汗牛社」が平成15年8月に一旦は自己競落した後の平成17年3月に息子(吉郎)が個人名義により売買で取得し、さらに同年12月に医療法人晴緑会(高知総合リハビリテーション病院と宮崎医療センター病院を経営)に転売したという事実は、まさに病院グループのトップたる息子が種子田の支配下にあることを明確に示しているのではないか。なお、汗牛社が種子田のダミー会社であることは、東京商銀信用組合が事件直後に当該土地に競売の申立をし、種子田(汗牛社)が慌てて資金を調達して自己競落した事実からも明確だった。そのようにみると、種子田が主張して止まない「病院に関与していない」という言葉は絵空事に過ぎず、「病院」という財産を密かに親族名義で蓄え、債権者が手を出せないような構図を構築してきたことに他ならない。そして、法律を悪用して財産を隠匿し、原告関係の多くの債権者を泣かせ続けている行為を決して許容してはならない。私的財産の“本丸”である病院を息子(吉郎)が任せられているのであれば、息子は当然実父益夫の負の部分も引き継がなければ不当と言わざるを得ない。

「種子田の側近だった田中(延和)や梶岡が辞めるときに、債権者に挨拶に来たが、種子田には本当に悪すぎてついていけない、債権者の前でも何度も涙を流して借金を懇願していたが、それも全てジェスチャーで帰りはいつも『してやったり』のにが笑いであったと言っていた」
田中も梶岡も種子田の借金の返済で債権者たちに言い訳ばかりを言わされていたが、側近ですら庇う気にもなれないほど種子田は悪すぎるという。種子田は灰皿や食器一つを割っても「これは、全部、自分のものだ」と言って怒鳴りつけたが、500億円以上の債務を負っていながら責任を果たさず、息子(吉郎)の支配下に置くようなやり方は決して許されることではなかった。まるで人を騙すことが生き甲斐になっているのではないかと思われるほど、種子田は牛久愛和総合病院をエサにして債権者たちを騙し、病院という事実上の私的な蓄財を息子(吉郎)に託してきた。田中は種子田益夫からもらった高級時計を息子(吉郎)が理事長についた後に返したという。また、どれだけ貢献したか分からないほど頑張った田中への退職金は、たったの100万円だったという。

息子(吉郎)が中核となる牛久愛和総合病院の理事長に就いたのは日本大学(芸術学部)を卒業して間もなくのことで、もちろん当時は医師の資格が無ければおいそれと理事長には就任できなかったし、またその後、父益夫が全国7施設の病院を買収していくたびに息子(吉郎)が理事長に就いていったが、息子(吉郎)に病院を相次いで買収する財源があった訳でもなかった。そのような父益夫の“ダミー”に過ぎない息子(吉郎)が理事長としての社会的責任をどこまで自覚して果たしてきたのかは大きな疑問である。

息子(吉郎)にとって最大の疑惑は前述したとおり、昭和50年代後半から同60年代初めにかけて医師の資格が無ければ理事長には就任できなかった課題をどうやってクリアーできたのか、という点である。つまり息子(吉郎)が理事長に就いたのは“ウラ口”であり、そのウラ口は多分に違法性の高い特殊なものだったということになる。

種子田の側近だった田中延和が「(吉郎)が大学を卒業したのを機に一ヶ月間アメリカの医療状況を見るためにツアーに参加した」と記しているように、それが息子(吉郎)にとっては病院経営の始まりだった。医師の資格はないから、当然知識や情報も積み上がらず、経験とノウハウも無いまま「大阪、高知、九州、牛久の4ヶ所の病院をコントロールすべく東京本部を創り」、田中が専務、吉郎が常務に就いて、全て種子田益夫の指示に基づいて具体的な方針を実行し運営に当たっていたという。種子田が全国の病院を買収し、グループを形成していく中で東京本部は次第に拡充していくが、吉郎はそこにアグラをかいていたに過ぎず、全ては父益夫の指示によって側近の田中が吉郎のためにお膳立てをしたのが実態だった。そして、種子田が刑事事件で有罪となり刑務所に服役すると、これも種子田の指示に基づいて病院グループは積極的に種子田のアイワグループとは一線を画していったという。

しかし、病院の買収や施設の拡充が種子田の巨額債務によって進められ、今日を迎えていることは明白だから、その事実を無視して病院の経営だけを切り離した状況を維持しようとすること自体に問題がある。なお、田中は一歩も二歩も下がったような口ぶりで語っているが、実際には田中がいなければ、アイワグループも病院も現在の形にはならなかった。(以下次号)

悪のレジェンド「種子田益夫」に新たな訴訟(8)

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〔息子吉郎は真摯に債権者と向き合え〕

種子田益夫の息子(吉郎)は各病院の理事長として、例えば「患者様の意思を尊重し生命の尊厳とプライバシーを守り……」(宮崎医療センター病院)とスローガンを謳って、一人ひとりの患者に寄り添った医療を目指していると強調するが、当の吉郎自身が債権者に対してはまるで逆の対応をしているのだ。そのように明らかな二面性を持った生き方を大学卒業から今日まで約30年以上も続けてきた吉郎並びに表向き吉郎が率いてきた病院グループを、仮に一人の患者としてどこまで信用、信頼して命を預けることができるものだろうか? 極めて大きな疑問である。

「父親が作った巨額の負債は、病院を買収するための財源に充てられたもので、債権者からすると貸金が病院に化けたと言わざるを得ない。吉郎が父益夫の巨額の債務を『私には関係ない』と言い続けること自体あまりに身勝手すぎ、父益夫の債権者を始めとする関係者と真摯に向き合う責任を負うのは当然のことではないか」と関係者が言うように、いつまでも吉郎の姿勢が通るはずは無く、また周囲もそれを許して見過ごすことなどあってはならない。

債権者にとって、種子田に対する債権が発生してから訴訟を起こすまでにかなり時間が空いているが、それは前に触れたとおり、ただでさえ返済の話になると部下を債権者に差し向けて自分は逃げ回っていたのに加えて、種子田は分かっているだけでも3つの金融機関を破綻に追い込むような不正融資を受けて刑事事件となり、数年間は事実上本人と接触が出来ない状況にあったからだった。また、種子田の背後に控える反社会的勢力の存在が大きく影響したと言っても過言ではない。それについては関係者が次のように語る。

「種子田のボディガード兼運転手だった男に種子田が収監される前に『預かっておいてくれ』と言って頼んだ段ボール箱10数箱を、密かに債権者の会社に運んできた。男にしてみると、種子田の債権者に対する対応が余りに悪過ぎて、平気で人を騙し、種子田本人が実業と嘯いたゴルフ場経営は破綻寸前で担保価値など無いのに、価値があるかのごとく振る舞い金主を騙す行為を繰り返してきた。しかも、それでいて金主から集めた金を病院の買収や設備の拡充で積極的に集中的に使いながら、これは私的財産として誰にも渡さないよう工作する、などといったやり方が腹に据えかねたということだった。

段ボール箱が債権者の手に渡ったということで、種子田の後ろ盾になっていた日本有数の暴力団山口組芳菱会のNO.2がそれを返せと言って債権者に対し『タマを取るぞ!』という脅しの電話を何回もかけてきた。債権者にそんな脅しが直接入ったことが数回はあった模様だが、その後は芳菱会の会長(故瀧澤孝)自身が直接面会してくるようになり、債権者は外出で会社を不在にすることが多かったことから部長が対応したのだが、部長によると瀧澤は『ワシは持病があって命は長くないので、命があるうちは種子田から頼まれればどうしても関わらざるを得ない』と言ったという。瀧澤は言葉は丁寧だが、やはりトップとしての迫力があったようだ。次いで瀧澤は『種子田だって少しは返しているのだろう?』と尋ねたそうだが、部長が『最初の一部だけで、その後は一切ありません』と答えると、しばらく黙った後に『種子田のやっていることは、正直ワシも許せんと思ったことが何回もある。息子の吉郎は父親が病院を利用して債権者を騙していることを良く知っていて知らん振りを通している。種子田自身がゴルフ場を担保にしながら、病院も事実上の担保になっていて、いつでも必要であればお返しすると息子の吉郎が明言しているなどと言って時間を引き延ばしてきた。吉郎もそれに同調していたので、父親以上に悪質だ』と言ったので、部長は意外に思ったそうだ。そして、瀧澤は『ワシの用件を社長に伝えてくれ。ワシの死後は種子田に全額請求していいから』と言って帰って行った。その後も瀧澤は事前に連絡もなく会社に現れ、そのたびに部長が対応していた。社長の意を受けた部長もまた余計な話はせず、黙って瀧澤の話を聞いた後に『社長に伝えます』という返事をして終わるという面談が何回もあった。そして『様子を見ます』という社長の言葉を部長が伝えると、それが面談の最後となった。瀧澤は部長に草津の別荘の権利証(当時約300万円の評価)を渡した。部長が『これは受け取れません』と返したが、瀧澤は『受け取ってくれ。これは気持ちだから』と言って権利証を置いたまま帰った。以後、瀧澤が来ることはなかったそうだ」

債権者に対して、病院の一部でも売却して返済原資を作るという話をすれば、問題は支障も無く解決するという簡単なことが種子田の発想には全く無いから、反社会的勢力を使ってまで、債権者を屈服させようとしたに違いない。

種子田益夫、そして息子の吉郎もまた社会的道義的責任を取るという、人としての基本的な資質が明らかに欠落している。複数の医療関係者によると、「茨城県内でも有数の病院である牛久愛和総合病院は公共的に重要な責務を負っている。現在の理事長にかかる不祥事は明らかに理事長として不適格であるので、理事長本人で解決できないと言うならば、公正な第三者委員会を設置して検証する。その上で理事長の責任を問い、新たに選任した理事長の下で債権債務の問題を解決するのが最良の方法ではないか」という。極めて筋の通った話で、そうであれば、債権者も納得するのではないか。

すでに本誌にも息子(吉郎)の理事長としての資質に疑問を投げかける読者よりのコメントが相次いでいるが、種子田にかかる記事が読者の注目を集めている証左であるのは間違いない。多くの関係者が言う。

「債権者は知人を金銭的に巻き込んだことで、過去約25年という長い間、重大かつ深刻な事態が続いて来たが、今回の訴訟で何としてでも全面的な解決を導き出したい、と債権者やその関係者全員が考えている」

今後も種子田関連の情報を継続して発信するが、少なくとも種子田に関してこれだけ関心が高まっている中で、マスコミ各社の司法クラブの記者は裁判を傍聴し、種子田本人はもちろん、息子(吉郎)や病院にも直接取材の動きが起きるものと思われる。現にテレビ局を始め取材のオファーが目立つようになっているのは、その動きが始まっているということであろう。読者そして世間一般の常識が種子田益夫、吉郎父子には通じず、また世間の声を聞こうともしない両人にはコンプライアンスの対応はもちろんのことだが、全て公の情報として追及の手を緩めない姿勢で今後も読者の声を反映させながら記事化を進めていきたいと考える。(以下次号)

「種子田吉郎」を理事長不適格で告発する(1)

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すでに記事をお読みの読者にはご承知の通り、愛和総合病院を中核とした7つの施設からなる病院グループの“総帥”種子田吉郎は、父益夫のダミーとして愛和総合病院の理事長に就任して以降、父益夫が全国各地の病院を相次いで買収するたびに理事長に就いて現在に至っている。しかし、医師の資格がなければ理事長にはなれなかった当時、何故、資格のない吉郎がその高いハードルを越えることができたのか、という謎を抱えたまま吉郎は病院グループを束ねる「東京本部」のトップに君臨した。

これは、吉郎にとって理事長としての不適格性が明確に問われる疑惑だ。さらに父益夫が病院を担保に供すると約束して多くの債権者から融資を受けながら、いざとなると公共性を盾に病院に担保設定をさせなかったばかりか、債務弁済を一切行わない中で「病院は私には関係ない」という主張を繰り返すようになった。吉郎は理事長として種子田益夫のこうした言動を全て承知していたにもかかわらず、この重大かつ深刻な問題を一切解決しようとしなかった。それは、病院という公共性の高い資産を私的財産として私物化しているに等しく、明らかにコンプライアンスに抵触する。それ故、吉郎は理事長としての不適格性を問われている。

愛和グループが昭和58年頃から病院事業を始動した、その当初から種子田益夫がオーナーであり、その後、理事長に就いた吉郎が父益夫のダミーに過ぎないまま現在に至っているのは紛れもない事実である。

種子田益夫に請われて、当初から病院事業に参画した田中延和は弁護士に宛てた書面の中で、全て種子田益夫の指示の下に、買収した病院を指揮するための東京本部を開設し、自らは専務取締役本部長に就き、吉郎を常務に据えた事実を明らかにした上で、病院の収支バランスを取っていくための資金はもちろん、愛和病院グループの傘下に入る病院の買収資金が全て種子田益夫からの資金で賄ったことを明らかにした。また、同じく愛和総合病院の初期の院長だった故村山良介、東邦大学医学部の医師を愛和病院グループに数多く派遣していた事実を知る永田勝太郎など何人もの人たちが、種子田益夫が愛和病院グループのオーナーであることを証言してきた。

それ故、種子田益夫が債権者から負った債務の弁済に、吉郎は親族の一人として、また愛和病院グループのトップとして責任を全うする義務がある。それにもかかわらず、吉郎が一切関知しない姿勢を取り続けてきた行為は道義的社会的問題として問われなければならない。

なお、種子田益夫は、出身である宮崎で昭和50年代に観光事業を手がける中で、すでに広域指定暴力団の「企業舎弟」という肩書きを有しており、反社会的勢力の世界では主に金融業界で跋扈してきたが、平成10年代には東京商銀信用組合を巡る事件で逮捕起訴され、有罪判決を受けた経歴の持ち主。反社会的勢力の企業舎弟として人脈を有する中、吉郎もまた同様の人脈を少なからず有していたと指摘する人もおり、父益夫に指示されるまま“裏金”というべき資金を愛和病院グループにて調達して父益夫に供与しているとの疑いが永らく指摘されてきた。吉郎は幹部数人に「父(益夫)にはウラで毎月6000万円渡すから何もしないで欲しい、と言ってある」という話を何回もしている。しかし、吉郎がそのような話を平気で言えるというのは、何をやっても問題にならないと世の中を甘く見ているからに違いないが、それは大学を卒業後間もなくして、医師の資格がなくても理事長になれた時からのことと思われても仕方ないことだ。それ故にそれが事実であれば、もはや吉郎に理事長の資格がないのは明白である。

こうした事実関係を前提に、病院を所管する厚生労働省、愛和病院グループの各病院を所管する茨城県ほか各自治体や医師会に対して、吉郎及び各病院の監査を求める市民団体が陳情、告発に動く模様だ。特に種子田益夫が反社会的勢力の密接共生者であり、吉郎もまた反社会的勢力に関わりを持ったと疑われている事実は深刻な問題であり、さらに病院グループにおいて毎月6千万円といわれる裏金を種子田益夫に渡していたと吉郎が幹部数人に話していた問題も、もはや放置することは許されない。(以下次号)

種子田益夫の死で親族全員が相続放棄の愚挙(1)

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種子田益夫が死亡していた。昨年10月13日のことだったという。死因は病死ということだが、2~3年ほど前には80歳を超えて臓器移植のために渡米まで予定していたようだから、種子田本人にはまだ死ぬ覚悟などなかったのだろう。
「種子田は2年前の夏に臓器移植の手術を受けると言ってアメリカに渡航する準備をしていた。ところが、突然それが中止になって、本人はえらく気落ちしていたが、予定されていたドナーに問題が起きたのではないかという話だった」と関係者は言う。その後も日本国内に留まり、恐らくは愛和病院グループのいずれかに入院し治療を受けていたものとみられる。本誌が入手した情報によると、種子田の死亡地は四国地方とのことだが、高知にはグループ内の高知総合リハビリテーション病院がある。

(写真:種子田吉郎)

直近で種子田の名前が取り沙汰されたのは、5年ほど前の平成27年5月に種子田が警視庁に被害届を出した山口組元最高顧問による恐喝事件だった。元最高顧問の故瀧沢孝(芳菱会元総長)は、本誌でも取り上げたように永らく種子田の“後見役”を名乗り、種子田がトラブルを起こすたびにその処理をしてきた人物で、そもそも種子田にとって被害届を出せる関係にはなかったはずだ。瀧沢は警視庁の調べに対して「ガセネタだ」と容疑を否認したというが、種子田が身勝手にも瀧沢を排除するために捜査の現場と何らかの取引をしたのではないかという憶測すら飛び交った。しかし、それよりも種子田自身がどれほど好き放題の振る舞いをしても瀧沢の協力で身の安全を保証されてきた、というお互いの関係を一切無視して取った行動こそ、種子田の独りよがりの本性が現れていると言っても過言ではない。そして、吉郎も父益夫の血を色濃く引き継いでいる。

種子田の訃報についてネット情報を追ってみたが、情報はなかった。ずる賢い吉郎のことだから密葬で済ませ、周囲には一切知らせていないのではないか。しかも調べてみると、長男の吉郎以下親族全員が相続放棄の手続きをしているという。種子田の病状を睨みながら、長男の吉郎は父益夫の死亡後を見据えて周到な準備を進めていたのではないか。
しかし、そうであれば、吉郎の考えは根本から間違っている。本誌がこれまで掲載してきた特集で何度も触れてきたように、吉郎が愛和病院グループの理事長に就いてきたのは飽くまで父益夫の指示によるもので吉郎は完全なダミーであって、吉郎自身が自分の力で資金を調達して買収し、経営を維持してきた病院は一つもない。債権者たちから種子田益夫が融資を受ける際に「いつでも病院を担保にする」と言い、受けた融資金で病院を買収していった。その経緯からすると、当然、愛和病院グループはいずれも種子田益夫に係属している財産であるということだ。種子田はその実態を隠蔽するために関根栄郷という悪徳弁護士を使って巧妙に工作してきたのである。そうした経緯を吉郎は百も承知で、債権者たちから身をかわすために相続放棄という手続きを父益夫の死と同時に取ったに過ぎない。吉郎の妻の幸の実家は新潟にある病院で、愛和病院グループに帰属している。吉郎の弟の安郎、妹の佐居益代も病院グループから高額の報酬を得ていながら、病院グループは父益夫とは何の関係もないなどという弁明が果たして通用するのか。極めて卑劣な話で、相続放棄は親族全員による詐欺行為であると言えるし、以前から愛和総合病院の初代院長を務めた故村山良介氏を始め多くの病院関係者が種子田益夫がオーナーであると証言してきた。

病院の買収資金の調達で、種子田益夫は債権者たちに「病院を売却してでも返済を実行します」と約束してきた。「息子の吉郎は理事長に就いているが、本人も『いつでも病院をお返しします』と言っていますので、間違いありません」とまで言っていたが、債権者がそれを実行させようとする段になると、種子田は「公共性があるのでタイミングを図りたい」と言って担保提供を引き延ばし続け、揚げ句には所在を不明にし続けた。その後、債権者が種子田に会った平成22年12月には「今後は働いて返します」とまで言い出したのだ。そのような経緯がありながら、吉郎は父親の債権債務には一切関係はないし関知もしないという横着な対応を取り続けてきたが、吉郎ほか親族全員が種子田益夫と同じ詐欺行為を働き続けてきたに等しい。。
種子田の側近だった田中延和が、吉郎を説得して債権者に電話を架けさせたことがあったが、その際に吉郎は「社長も周囲の方もお金持ちばかりだから、そちらで何とかしてください」と言ってすぐに電話を切ったのである。父益夫が多額の債務を返さず長い年月が過ぎている事実、債権者たちから融資を受けるに際して病院を担保にすると言ったうえで売却で返済原資を作るとまで言っていた事実を知りながら、その債権者に対して発する言葉ではない。しかも一方的に電話を切っておいて、債権者がかけ直しても吉郎は電話に出なかった。それだけでも吉郎に社会性が全くないことがよく分かる。
医師の資格もない吉郎が、どうして理事長に就き、現在に至っているのか。自力で病院を買収することもできない吉郎が、何故、続々と病院をグループの傘下に収め経営を維持することができたのか。そうしたいくつもの疑問に、吉郎を始め親族一同には答える義務があるはずで、父益夫の債務は一切関係ないという言い草は筋の通らないものだ。

種子田が死亡した今、それで種子田がしでかした不始末が終結する、と吉郎は胸を撫で下ろしているかもしれないが、何の責任も果たしていないところで逃げ得が許されるはずはない。
吉郎自身が病院の収入から毎月6000万円という大金を父益夫に提供してきた事実、父益夫の債務に係る金利等の返済で吉郎自身が反社会的勢力と接触した事実、そして何より、大学を卒業して間もなくの時期から、父益夫が買収した病院グループを束ねる「東京本部」の中枢に収まり理事長職に就いていった事実等、上げて行けばキリがないほどに吉郎が父益夫のダミーであるという実態が浮かび上がってくる。吉郎は、前科前歴が多数あって社会的には制約を受けざるを得ない父益夫の代わりに永らく理事長に就いてきた故に、重大な責任があるということなのだ。本誌の特集記事に掲載している情報を共有している複数の市民団体(オンブズマン)も種子田益夫の不当な財産形成、しかも極めて公共性の高い病院という財産を相続の対象外に置くという詐欺行為に憤りを持ち、吉郎を始めとする親族全員を追及する態勢を整えつつある。吉郎は法的に守られていると言うかもしれないが、これまで述べている通り病院グループは父益夫による吉郎以下親族への生前贈与であることは事実なのだ。

今後、父益夫がいなくても吉郎が理事長職を継続していくことは可能なのか。冒頭にも記したように、吉郎は周到に準備を進めているのかもしれないが、自らの責任と義務を真っ当に果たさぬ限り、吉郎自身の社会的信用が回復することはない。(以下次号)

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