種子田益夫がT氏と債権者に負った債務は平成15年当時で約368億円に上っていた。平成6年頃から種子田への融資が始まって以降、種子田は最初の融資(アイチへの債務1億5000万円の肩代わり)こそきちんと約束通りに返済をしたが、2度目以降は借りる一方で返済を滞らせ続けてきた。その結果がとんでもない金額になっている。T氏は種子田の債務処理に協力すると約束したから、その約束を守り、返済がなくとも種子田の依頼に応じたし、返済の督促もしなかった。しかし種子田はT氏のそうした性格に乗じてとことん融資を引き出そうと企て、揚げ句に返済を滞らせたまま令和2年10月13日に死亡した。種子田が負った債務の返済は当然、吉郎以下弟妹が責任を持って処理すべきだが、子供たち全員が相続放棄という無責任な手続きを踏んだ。種子田の買収した病院の権益で吉郎と弟妹は日々を豊かに暮している。返済能力が無いのではない。有り余るとは言わないが、十分に返済計画を立てて実行することができるはずなのに、それを拒んだのである。
T氏と債権者は平成6年に融資を実行してから現在に至るまで、種子田に強制力を行使してでも回収を図ったことは無い。それよりも、巨額となっている債権を回収した際に社会的に有為な使い方が無いものかという話を何度も繰り返してきたという。折からのコロナ禍で生活が立ち行かなくなっている人が急増して、日本全体の経済も悪化する危険性が高い中で、政府にセイフティネットの構築は大きな期待ができず、民間版でもできることがあるはずだというのがT氏と債権者たちの考えにあるようだ。コロナ禍に限らず、数年前から起きている自然災害、世界に目を向けた時の飢餓難民問題など各国の対策が追い付いていない状況を救済する一助になるのではないかという発想は大いに歓迎するところではないか。
それに引き換え、種子田益夫はもちろん子供たちは自分たちさえよければ、後は関係ないという態度に終始しているのが腹立たしい限りだ。父親が亡くなったから、これで終わりということは決して許されることではない。特に吉郎は理事長として東京本部を統括する立場にあって、長い間、父親の病院買収や運転資金の調達でT氏と債権者の協力支援に負ってきた事実を目の当たりにしてきた。
平成6年にT氏から1億5000万円の融資を受けて以降、種子田益夫が約束通りにT氏に借金を返済したのは、最初の1億5000万円の時と平成10年12月の1億円(種子田の約束では20億円)だけで、後は借りる一方だった。
しかも、その借り方は尋常ではなく、T氏が2度目に12億円を融資した翌日から毎日のようにT氏の会社を訪ねては借金を申し入れ、T氏が難色を示しても「手形を落とさなくては会社が潰れてしまいます」と言って、床に額をこすりつけながら「お願いします」という言葉を連発する始末だった。正月の元旦にA氏の自宅に社員を押しかけさせ借金を依頼することもあり、さすがのT氏も辟易としたが、それでも種子田は怯まず何度もT氏の会社に顔を出した。予定の有無など種子田には関係なかったのである。それゆえ、T氏もついに「これ以上は無理です」と断りを入れたが、そんな時でも種子田はT氏の友人の何名かの名前を出して、T氏の信用ならば借りられるはずなので頼んで欲しいなどととんでもない依頼をした。
こうした借金の申し込みをする種子田に、T氏は何度「これ以上は無理」という断りを言ったのか分からないほどだったが、そうした中で、種子田が「融資をして頂けるのであれば、どんな担保提供も致します」と言って、経営するゴルフ場や病院の名前を挙げた。種子田の経営するゴルフ場は宮崎、広島、兵庫などに複数か所、また病院も茨城県牛久市の愛和総合病院を中核に全国規模で病院を買収している最中にあったようで、それならば知人友人に声をかけることができるとT氏は考えた。
T氏は種子田に融資をするに際しては、金融が本業ではなかったから、殆ど担保も取らず借用書1枚で融資を実行したが、返済もしない種子田は手形を持参しても、いつも書き換えることばかりが続いていた。それ故に種子田も担保提供を口にすれば、T氏も新たな融資に応じてくれるのではないかと考えたかもしれない。
T氏が知人友人に話を持ちかけると、何人かの関係者から「病院を担保にできるなら」という返事があったことから、T氏が改めて種子田に確認すると、種子田は「大丈夫です。息子(吉郎)に理事長をさせていますが、実際の経営者は私なので担保に入れることは全く問題はありません」といい、それはT氏の関係者も聞いていた。そこでT氏は関係者にも諮り10億円、次いで25億円を種子田に貸し付けることにした。
だが、種子田が病院を担保に供すると言った手続きはなかなか進まなかった。というのもT氏が種子田に手続きの話をすると、「私の病院は東邦医大や東京女子医大、京都大医学部などの応援や支持を受けて成り立っており、茨城県や厚生省、社会保険庁などの監視下にもあるため、少し時間をください」と言って先延ばしをするようになった。そして、T氏が手続きの様子を聞くたびに種子田の口調はどんどん後退していき、公共性を前面に出して担保提供が難しいことを強調するようになったのである。種子田はその間にゴルフ場の会員権を大量に持ち込んできたが、実際にはT氏側で販売に協力して、その販売益を債務返済の一部にして欲しいというもので、とても担保に値するものではなかった。しかもT氏が調べてみると、種子田は各ゴルフ場の会員権を定員を遥かに超えて印刷し乱売していることが分かったのだ。この乱売は明らかに違法であった。
種子田からの融資を回収するためには病院を売るしかない。それがT氏の判断だったが、平成9年頃から約10年近くにもわたって種子田は武蔵野信金、国民銀行、東京商銀信用組合などの金融機関をめぐる不正融資が発覚し事件化したため、警視庁や東京地検特捜部に逮捕起訴される事態が起きた。種子田自身は一時的に保釈されるタイミングがあり、T氏の会社を訪ねることもあったが、実際には種子田の側近がT氏に状況を知らせるという状態が続き、その際に経理担当の職員が毎月債務残高の計算書を作成して持参していた。平成15年5月15日付の債務残高確認書によると、すでに債務総額が約368億円という途方もない金額になり、この書面には種子田の承認印が押されているが、もはや病院を売却しなければ清算するのは困難な状況にあった。
しかし種子田はそれでも「牛久愛和総合病院は病床数が500前後もあって大病院ですから500億円以上の価値がありますので、決して問題はありません。息子の吉郎も『父からの預かり物なので、いつでも必要に応じてお返しします』と言っている通りでから、大丈夫です」とT氏や関係者の前ではっきりと言明した。しかし病院を担保に提供する気配はなかった。
種子田は狡猾だった。T氏ほか債権者となった知人友人の前では病院をいつでも売却して生産するということを何度も繰り返していながら、一方では種子田の顧問弁護士である関根栄郷に依頼して、種子田の責任が病院には及ばないよう法的な手続きを進めていたのである。仮に口約束であっても契約は成立するとはいえ、確かな裏づけが無ければトラブルの原因にもなる可能性は高い。種子田はそれを最初から企んでT氏への担保提供を先延ばしにしていた。
種子田はT氏が面談をしたいと連絡をしても居留守を決め込むようになり、電話にも出なくなった。T氏から逃げ回るようになる一方で、刑事事件化した不正融資事件で有罪判決が出て懲役刑を受けるということも重なったため、T氏がようやく種子田と面会できたのは平成22年12月のことだった。しかし、種子田はもはや病院が第三者に強制的にでも売却される恐れはないと確信していたのか、T氏には「病院は私とは関係ないので、働いて返します」と開き直るように言って、債務返済についても具体的な話をしなかった。それどころか、その場で「社長、2500万円をお借り出来ませんか?」と、とんでもないことを言い出した。当然、T氏は応じなかったが、種子田はT氏の複数の友人に電話をして融資をしてもらえるよう口添えをして欲しいと頼んでいたことが後日判明した。T氏は年内にもう一度面談しようとしたが、種子田は「年が明けたら必ずご連絡しますので、1月にお願いします」と言って帰って行ったが、それ以降、T氏や関係者がいくら連絡を取ろうとしても種子田は所在をくらませ、一切の連絡を絶ってしまった。
種子田が買収した病院は現在、牛久愛和総合病院を中核に常仁会グループを形成しており、高知と宮崎の病院を束ねる晴緑会、北九州の病院を持つ明愛会、新潟の病院を持つ愛美会の4団体7施設がある。その4団体を束ねているのが常仁会東京本部で、トップに君臨しているのが種子田の長男である吉郎だ。吉郎はもちろん7つの病院の理事長も兼務する立場にあるが、そもそも、医師の資格もない吉郎がなぜ理事長になれたのか、さらに医療法人をまたがって理事長を兼務するのは違法ではないかという疑念が、吉郎が理事長に就いて以降ずっとつきまとってきたのである。
しかも、種子田がT氏ほか債権者たちに「息子はいつでも病院をお返しします」と何度も繰り返して言っていながら、一度もT氏や債権者に会うこともせず、ある時、種子田の側近であった田中延和氏が吉郎を説得してT氏に電話を架けてきたことがあったが、吉郎は「社長さんやお友達はお金持ちだから、そちらで処理してください」と行ったきり一方的に電話を切ってしまった。極めて無責任な、社会的責任を一つも感じていないような言い回しにT氏は呆れ、T氏から電話をかけたが、吉郎は電話に出なかった。それ以後も、吉郎は一切対応していない。
愛和総合病院を始め病院グループが健在である限り、そこには一定の収益があるはずだから、種子田はもちろん吉郎もT氏や債権者への返済はできたはずである。先にも触れたように債務が巨額に膨らんだのはひとえに種子田が返済を怠ったからである。
病院の収益を吉郎以下安郎と益代の弟妹も存分に享受してきたにもかかわらず、父親が作った債務には目を背けて知らぬ振りをしていることは許されないことだ。それが現実にまかり通ってきたこと自体が不可解でならないが、それもこのあたりで終止符を打たせなければならない。(以下次号)