債権者が菅沢利治と知り合ったのは今から25年以上も前になるが、当時、菅沢は愛知県の豊橋市内で宝飾品や美術工芸品等を扱う会社を経営していた。しかし、会社の経営が思うようにいかず、次から次に在庫の商品を持ち込んでは債権者から融資を受けるようになった。その借り方も非常に荒っぽく、約1年間で4億3500万円もの借り入れを行っていた。しかし、菅沢からの返済が滞るなかで「預けた担保を売って返済金に充てる」と言い、また連帯保証をした松田も「菅沢に同行して責任を持つ」とまで言ったので、債権者がそれに応じ預かっていた担保を菅沢に返す一方で菅沢と松田が美術品の屏風と高級時計の2点を別に担保として持参していた。また貸し付けに当たって債権者は最初の貸付では月3%の金利を設定したが、2回目以降は金利はつけなかった。
実は菅沢の経歴について、債権者は詳しくは承知していなかったのだが、知り合ってから約2年後の平成10年2月に覚せい剤取締法違反で逮捕されるという事件が起き、この時初めて菅沢が会社を経営する以前は暴力団の組長だった事が判明した。その経歴から菅沢は10年以上の懲役という重い刑が科され、出所後は実弟の所に転がり込み、農業の手伝いをしていると菅沢本人は語っていたが、実際の所は不明だった。
債権者は菅沢が刑事事件を起こしたことに驚くとともに債権の保全を図るため、菅沢の連帯保証人であった松田洋始(故人)の相続人らに対し訴訟を提起した。その結果、相続人らが債権額の半分に当たる2億1750万円を支払い、残る2億1750万円については、当然菅沢に責任があるものだったから、菅沢が返済をするということで和解した。なお、菅沢は借入の担保として高級時計と古美術品の屏風を債権者に差し入れていたが、連帯保証人である松田の相続人が「菅沢の返済分について、出所後の菅沢を協議の場に参加させ、必ず支払を実行させる」としつつ担保を2点とも返還して欲しいと主張し、2点のうちどちらかと主張する債権者側と対立したが、和解を促す裁判官の説得を受けて債権者側が応じるという経緯があった。裁判で菅沢は債権者の貸し方が暴利を目的としたものである(公序良俗違反)とか、脅かされて借用書ほかの書類に署名させられたなど、ありもしない虚偽ばかりを並べ立てて支払を無効とする主張を繰り返したが、そんな虚偽の言い訳が通る訳もなく、平成28年9月13日に言い渡された判決では「平成15年12月28日から支払い済みまで年15%の割合による金員を支払え」という支払命令が下されたのである。ところが、菅沢は出所後に姿をくらませて所在が不明となってしまった。本人の住民登録は千葉県内になっているが、実際にそこに居住してはおらず、また菅沢本人から債権者や関係者への連絡も一切なかった。
それ故、債権者や関係者は菅沢の家族や身内に対しても菅沢の所在確認や連絡を取るよう説得を求めてきたようだが一向に埒が明かず、また同時に連帯保証人の松田に対しても、「必ず菅沢に返済を実行させる」とした和解協議での約束を早急に履行するよう強く要請したが、松田からは回答が一切なく無視を決め込んできた。松田の対応は判決で裁定された菅沢の返済義務を忠実に履行させる義務に違背している。連帯保証人としての義務を怠っているのであれば、債権者が一旦は返還に応じた2点の担保のうち少なくとも1点は再度担保として債権者に引き渡すのが当然であろう。松田が和解を含む判決の前提となる約束を果たしていない限り、「和解が成立している」という主張は社会的、道義的に通らないはずだ。ちなみに松田は名古屋でも指折りのパチンコ店(名宝チェーン)を経営しているが、あまりにも無責任な対応は経営者にはあるまじき姿勢として指弾されて当然だろう。
菅沢がこのまま債務の返済をせずに所在を不明にし続けても、事態は悪化するばかりであることは松田も分かっているはずではないか。同様に、いずれは菅沢の家族や身内も深刻なダメージを受けることになる。今のところ債権者は様子を見ているようだが、改めて松田に対する訴訟の提起あるいは菅沢に対する債権の第三者への譲渡という選択も浮上するに違いない、と関係者は言う。菅沢自身はかなり高齢というが、死ぬまで家族や身内を苦しめることだけは止めにすることだ。それは松田も同様である。(つづく)