2019年 12月 の投稿一覧

財務省警告の「基幹産業育成資金」に「松尾憲之」「早川充美」が関与か(2)

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〔早川は松尾の債務立替を確約した〕

平成31年2月中旬、松尾が突然、債権者の前から姿をくらませ、松尾の長男が所轄の警察署に捜索願を出す事態が起きた。捜査員が松尾の寄宿先を捜索したところ、100億円単位の報酬を松尾に支払う契約書や額面が100億円単位の小切手等が多く見つかった。そのため、所轄の警察署だけではなく、本部の捜査員が大量に動員される一方で寄宿先の住人(K氏)に対して6時間以上にも及ぶ事情聴取が行われたという。警視庁本部が松尾の捜索で動員した捜査員は約300人という大掛かりなもので、それも約1ヶ月に亘って続けられたというから尋常ではない。

(早川充美と松尾憲之、山本満が交わした契約書。これも巨額資金が山本の口座に入金されるとの触れ込みだった)

ところが、松尾の失踪の理由が次第に明らかになるにしたがって、背後で「早川充美」という男が松尾の失踪劇を企てた事実が判明したのである。松尾が失踪した直後、松尾の子息と早川が初めて面談した際に松尾の債権者である会社社長が同席したのだが、早川がいきなり「松尾さんは社長に返さなければいけないお金が二百数十億円あるようですね」と切り出したという。そして、その借財を早川自身がまとめるかのような話をしたのだった。

早川の話を受けても、会社社長は初対面の人に話すことでもないと思っていたようだが、その後、早川と3回目に会った時に「私が責任を持って3月末までに200億円を払います」とまで言い切ったことから、会社社長が「間違いない話ですか?」と確認すると早川が「100%間違いない」と言い切った、と松尾の子息慎介は言う。

また、会社社長と松尾の子息が早川との面談を続ける中で、松尾の失踪の理由が早川から語られた。早川の説明を以下に挙げる。

「私が紹介した土田氏と午後5時の待ち合わせで(松尾さんが)赤坂にいるときに3人の男たちに突然囲まれて、『あなたのやっていることは全部把握しているので、すぐに中止しなさい。さもないと、あなたの身の安全は保証できない』と言って立ち去った。それを聞いて松尾さんは恐ろしくなり逃げ出した。男たちから携帯も使うなと言われたので電話もできなかった、ということで私の所へ助けを求めてきたので組織で匿うことになったが、3月の末までは会わせることはできない」

その話を聞いて、会社社長が「そんなに松尾が危険な状態にあるのなら、なおさら警察に話さなければならない」と言うと、早川は慌てた様子で「いや、ちょっと待ってください。トップに相談しますから」と言って戸惑っていたという。そこで会社社長が「トップに会わせて欲しい」と言ったが、早川から返事は無かった。

早川の説明からも松尾の安否が正確には分からず、また大量の捜査員を動員している警視庁本部に対しても松尾自身が失踪の理由や経緯を説明しなければ収拾がつかなかったから、会社社長は早川を説得し、ようやく松尾を3月中旬に引き合わせることに同意させた。

そして、約束通り松尾が会社社長を訪ね、早川が社長に説明したと同様の話を警視庁の捜査員にも説明したのだが、捜査員から何を聞かれても松尾の返事はしどろもどろであった。

結果として警視庁は松尾の失踪には事件性が無いと判断した模様だが、松尾自身に対しては大いに不信感を抱いた模様で、松尾を匿ったはずの早川も警視庁の事情聴取には3時間以上も応じながらまともに対応せず、話をはぐらかしてばかりいたことから、松尾と同様に不審の目で見られた。

早川が会社社長に胸を張って松尾に対する債権200億円を支払うと約束していた3月末が来たが、早川から会社社長への連絡は一向になかった。そして、それから間もなくして、早川が具体的に説明してきた松尾の失踪の理由についても、実はすべてが嘘で、早川が作り上げた架空のストーリーだった事実が判明したのである。(以下次号)

財務省警告の「基幹産業育成資金」に「松尾憲之」「早川充美」が関与か(1)

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最初にこの事件を報じたのは4ヶ月ほど前のことで、松尾憲之という男が突然失踪したのが端緒になったが、家族が警視庁池袋署に捜索願を出すと、本部捜査員が延べ300人体制で捜索するという意外な展開が起きた。その背景には、早川充美という人物が松尾失踪の理由について、恰も何らかの組織が松尾の封じ込めに動いたために恐ろしくなって逃げたという情報を、警察を含め周囲に流したという事実があり、その結果、大騒ぎになってしまったのだ。ところが、その後、早川の情報は全くの作り話であったばかりか、早川が周囲に語っていたFATF(金融活動作業部会 OECDの下部組織)の日本での幹部という身分(肩書き)さえ偽りだった事実が判明した。

ところで、松尾には過去40年以上も世話になり、時には命を救われたことが何度もあった会社経営者に巨額の債務があったが、松尾の失踪以後に早川がこの会社経営者と面談する中で、早川が松尾が負っている債務を「責任を持って処理するために200億円を支払う」と明言したことから、さらに松尾の失踪事件は複雑な展開を見せると同時に、早川が会社経営者にした支払約束を説明もないまま次々に反故にするという事態が起きた。

早川が支払いを約束した根拠は何だったのか。警視庁が松尾の行方を捜索するに当たって、寄宿先から額面100億円単位の小切手や約定書を発見したために、冒頭に挙げたような体制を組む一因にもなった模様だが、実はその資金の解明は、本誌でも不明になっていて、実態が良く分からなかったのだが、今回、改めて松尾憲之関連の記事を掲載するに当たって、早川が支払いの根拠として強調してきた「産業育成資金」の具体的内容について、触れていこうと考える。

〔巨額資金調達はマユツバだった〕

今はまだ被害を蒙った企業が現れてはいない(公表していない?)模様だが、10年ほど前の平成21年8月頃に「基幹産業育成資金」(以下「育成資金」)に基づいた融資話を持ち歩いていた男がいた。それが「松尾憲之」だったのだが、松尾がある債権者に提示した書面(平成21年8月19日付)によると、大陽日酸株式会社という産業用ガスの供給やプラントエンジニアリングを手がける会社に「2兆5000億円を融資することが内諾され」ていて、融資が実行された後に総額で125億円の仲介手数料が入り、それを松尾ほか5人の関係者で分配することになっていたという。

松尾が語るには、育成資金とは「政府系の財団法人理事長を窓口とした日本政府が準備した資金」を指しており、大陽日酸への取扱窓口は「財団法人 日本産業開発青年協会」であったという。

債権者によると「松尾は2週間程度で完結すると言っていたが、一向に成果が出なかった。その話は眉唾だと思っていた」と言うが、まさに浮かんでは消える「M資金」と同様に企業を相手にした詐欺行為にしか見えない。基幹産業育成資金については、財務省がかなり以前から同省のホームページで警告を発してきたが、注意喚起をしているだけで育成資金の概要や被害事実等の具体的な情報を提供していないため不透明な状況にあるために、被害を被った企業が公表しなければ実態は不明のままだ。また、松尾憲之という男は、その後10年経っても懲りずに育成資金を持ち歩いていた人脈と関わりを続け、周囲の債権者たちを相変わらず混乱させているようだ。(以下次号)

中古車ブローカー「倉持茂」が会社役員を襲わせた動機(5)

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〔Rは報酬を独り占め〕

Rがいかに金に汚いかという実例を挙げる。金澤が会社役員にRを紹介した席では出なかった模様だが、Rはその後、会社役員から顧問料として毎月50万円を受け取っていたという。Rは「他の仕事はせずに専従します」と言っていたが、実際には週に1回くらいしか出社せず、しかも他の仕事の関係で何回も逮捕される事態を起こしていた。それでも会社役員は顧問料を払い続けていた。事情を知る関係者によると「会社役員は、Rの実力や実績が金澤の言う通りであれば、毎月100万円を半年間払っても良いと考えたが、部下から反対の声があって半額にしたようだ。だから日常の経費や2~3件の仕事の成功報酬についてもRの言うままに渡し、領収書も取らなかった」とのことで、Rはそれらの金を直接手渡しで受け取っていたという。しかし、その事実は坂本と金澤には一切知らせることなく独り占めにしていた。それ故にある時、坂本と金澤の2人が「会いたい」という連絡をしてきて、会社役員は「Rも同席しないと良くない」と言って断ったが、繰り返し「会うだけでも」という頼みに根負けして会ってみると、坂本と金澤だけでなく会社役員も知らなかったことが多くあったことに関係者全員が大変に驚き、坂本が陳述書に「会社役員はRから『(問題処理で動く協力者として坂本、金澤、関崎の)3人分の経費で月200万円かかる』と聞いていたらしいが、金澤が代表する形で『経費どころかガソリン代ももらっていない』と答えていた」と記述したほどだった。

また、金澤はRにはまともな実績などないことを知り尽くしていたから、会社役員と次のようなやり取りもしていた。「Rに仕事を頼んでいくらくらい損したかを尋ねると、会社役員ははっきり言わなかったが、家2軒分くらいはあった様子であった。その損害とは、半年くらいで解決できると言っていたのが4年以上も全く解決できず延びたことで予定していた返済ができず、無駄な金利が必要になったってことだそうだ」ということで、坂本はそれも陳述書に書き連ねたのである。Rが「1500万円を貸して欲しい」と言って会社役員から借りる時には「入金待ちの案件があるので」と言っていたが、そのような案件などはなく、Rの作り話だったことが金澤等の話で判明したという。寸借詐欺そのものだった。

金澤と坂本はRが顧問料や経費を独り占めしていた真相を知り、当然のように怒りを隠さず「顧問料の件はビックリしましたよね。貰っていたんですから。我々には一銭も貰っていないなんて言っておきながら、しっかり経費まで貰っているんですからね。呆れますよ」「結局、会社役員の仕事を餌にして『成功報酬で5億円以上入るから』等と言って、軽井沢の井上夫妻を始め周りのみんなから金を借りまくっているんでしょう」などと語ったという。

しかし、倉持も陳述書で述べているように、金澤は周囲にはRの悪事を並べ立てて喋りまくっているのに、いざとなるとRの悪事に加担したり、自分が企てた悪事でRに協力をさせたりしてきた。その点でRと金澤を知る関係者の誰もが「2人は“同じ穴の狢”だ」と言う。Rは毎週金曜日には決まって麻雀賭博に興じていたそうだが、それも昨年8月以降はさっぱり声がかからなくなったという。Rを紹介した金澤自身が逆に責められる場面も多くあったに違いないが、金澤はそれでもRとの関係を断ち切らずにいる。

(写真下:福島(金澤)明彦の陳述書)

金澤の会社(ブルックランズ)で部長を歴任したF氏が同じく陳述書を提出しているが、それによると、「会社役員は金澤(福島)よりRの悪い所業は嫌というほど聞いたし、正直、聞きたくなかったことも沢山あったと言っていた。福島はRのことを百も承知なのに、今後自分の尻拭きをしてもらうために何でもRの言うことを聞いているのだろう。皆さんに迷惑をかけるのを止めて、少しは人間らしくしたらどうかと思う。そのためにも、これだけ陳述内容を変える福島は真実を明かす義務があると思う」と述べたが、金澤の身近にいた人間だからこその的確な指摘であるに違いない。ちなみに、ブルックランズの社員は全額歩合制を取っていたそうだが、金澤は社員が成果を上げても真っ当に報酬を払わなかったため、すぐに辞めることが多く、良いことを言う人は一人もいなかった。金澤の妻万利子の評判も悪すぎた。

金澤やSが会社役員の襲撃事件を事前に知っていたという情報も何件か入っている中でどこまで知らされていたのかは不明だが、会社役員を襲った実行犯のうち一人については、すでに懲役7年という有罪判決が出た。強盗傷害という犯罪行為から見て、この判決は予想外に重く、しかもこの犯人は実は凶器を持たずに会社役員を襲っていたというから、残る主犯に対する判決もおおよそ推測できるだろう。そしてこれら実行犯を教唆したと見られている倉持等には、一番重い刑が待ち受けているのではないかと思われる。なお、会社役員は付き合いの長いある車の業者から「社長、この車(マクラーレン)はブレーキに大問題があり、修理しないで乗ったら非常に危険です」と言われて驚き、よくよく調べてみると、それも倉持がブレーキを操作していた可能性が高いという。このマクラーレンは倉持か倉持の先が修理をしていたからだ。つまり、倉持が会社役員の命を狙っていたのは、この襲撃事件だけではないとの疑念も生じたようだ。

今は、金澤と倉持の関係、そして金澤とRの関係は表向きには親密に推移しているように見えるが、状況が変わってくると金澤がRを罵り、あるいは倉持が金澤を罵るという修羅場が現れるに違いない、と多くの関係者が共通して考えている。

金澤がRとつるんで行ってきた悪事が、詐欺や恐喝に始まり、家賃滞納に伴う立ち退きや寸借などに至るまで、いくら挙げてもキリがないほどネット上に溢れている。そうであれば、倉持が起こした事件がきっかけとなり金澤やR、そして周辺の反社会的勢力にまつわる多くの事件が改めて浮上する可能性は極めて高いのではないか。改めて倉持が何故、金澤を頼ったのか、敵の敵は味方とでも思ったとしても余りに不可解ではあるが、その答は倉持自身の責任の取り方に委ねるとして、次号では倉持や金澤(福島)が群馬でどれほどの悪事を重ねているかについて、さらに具体的に触れる。(以下次号)

中古車ブローカー「倉持茂」が会社役員を襲わせた動機(4)

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〔会社役員襲撃の従犯に懲役7年の実刑〕
倉持茂-金澤(福島)明彦-Rという三者の関係は常に自己の利害が優先して、くっついたり離れたりを繰り返しているので、傍から見ると不可解としか言いようがない。会社役員と金澤をめぐる訴訟、そして金澤が紹介した後にトラブルが深刻化した会社役員とRをめぐる訴訟にそれが端的に現れていた。

会社役員が金澤に対して起こした訴訟で、倉持が提出した「陳述書」を先ずは以下に列記する。
「最初に言いたいことは、私は金澤(福島)に会社役員を紹介して欲しいと何回も頼まれたが断り続けた。その理由は無責任で約束を守らない事と、金澤の事で警察が何回も私の会社に来ていたので、紹介する気は一切なかったが、あるタイミングでつい紹介してしまい今でも本当に後悔している。(略)今現在も私同様何人もが刑事告訴をする予定でいる。今までの裁判でも『書面を自分で書くか、弁護士に書いてもらいなさい』と裁判長より注意されているにもかかわらず、今回も、あれだけ最悪な人間と言っていたRを使っていることに関係者全員が呆れている。金澤はRという人間がどんな人間か一番良く知っている筈だ。Rは住吉会のNo.2とかNo.3とか言って、その一番下に金澤がいたようだが、金澤はRの悪事を100項目くらい色々な人に話していて、現に前橋警察のマル暴担当捜査員より金澤の経営する喫茶店にRを出入りさせるなと言われている、と大勢の人たちに言っていたではないか」
これを見れば分かるように、「陳述書」の冒頭からして倉持は金澤を会社役員に紹介したことを後悔して、刑事告訴まで考えていると述べていたにもかかわらず、その倉持自身が今や会社役員との関係が悪化すると、会社役員に何から何まで世話になったことも忘れて掌を返したように金澤に近づいた。地元では「金澤の背後にいる暴力団を頼りにしつつ実行犯3人に会社役員を襲わせた」との声が根強く、本誌にも多く寄せられている。

(写真下:倉持茂の陳述書)

 

そして、金澤自身もまたRがどういう男かについてよく知っていて、Rが会社役員を相手に起こした訴訟では、会社役員が頼みもしないのに「陳述書を裁判所に提出して下さい」と言って持ち込んできた。その書面には以下のような記述がある。ちなみにRにはそもそも会社役員から提訴されることはあっても提訴することなどはなく、自分の立場を有利にしようとするための苦肉の策でしかなかったから、会社役員やその関係者が毎日のように金澤に嫌がらせの手紙を送っているのを見かねた、というこじつけが欲しかっただけだった。

「Rは頭が良いというのではなく、ただ悪賢いだけで情も何もない男のようだ。身近な人間が自殺した際に『全ては問題を早期に解決できなかった自分の責任だ』と言いながら涙を流して遺族に謝罪していたのに、時間が経つと『あれはジェスチャーだった』と平気で言ってのけた」と自殺した関係者の遺族は「Rの顔など二度と見たくない」

「Rは、『私(金澤)が会社役員の関係者から1日数十回も電話され脅されている。それでこの訴訟を起こさなければ会社役員の行動を止められないので本訴に及んだ』と主張しているが、会社役員が電話するのは1日に2回以上はなく、まして会社役員の関係者から電話することは有り得ず、それは誰もが承知していた」

金澤は会社役員に何回も謝罪してこの陳述書(平成24年7月25日付)を作成して持参したが(この時、金澤は「Rが私に嘘の陳述書を書いてくれと言って来るのは間違いないので、その前に出しておきます」と言ったので、会社役員は必要無いと言ったが、金澤は「裁判に是非出して下さい」と言って置いて行った)、それから2ヶ月後の9月24日付で金澤は会社役員と対立するR側に立った陳述書を作成して、「Rさんは平成23年1月末に顧問を退任するまでの間、私の知っているだけでも多くの問題を会社役員のために解決してあげて、その間何回も会社役員から『本当に良い人を紹介してくれて有難う』と感謝された」と、全く逆の内容を書き連ねたのだ。Rの指示があったという話ではあったが、一人の人間が僅か2ヶ月ほどでこれほどまでに豹変した書面を作成するのは異常と言わざるを得ないが、Rとは長い付き合いで、まさにそれが金澤という男なのだ。

ちなみに、この訴訟が起きた時期に前後して金澤はRに対して大きな不満を抱いていたようで、周囲にもその不満を振り撒いていたが、その際に金澤が語っていた内容が以下の通りで、それを見聞きしていた金澤の兄貴分である坂本寿人が陳述書の中で具体的に明らかにした。坂本は、金澤がRに縁を切りたいと言うと、Rに手切れ金35万円を払えと言われたという話も金澤本人から聞いていた。

「金澤に『Rは伊東のマンションから引っ越したみたいだけど、群馬に行ってないかい?』と尋ねると、金澤は『冗談でしょう。群馬に来ても僕は絶対に相手にしませんよ。回りの人たちにも絶対協力するなと言っておきますから』と答えた」

Rは伊東を離れざるを得ないような事情があった模様で、群馬にいる金澤以外に頼る者がいなかったというのが実情だった。そして前述のように金澤は坂本には強気の発言をしていたが、実際にRが現れると、あっさりと迎え入れてしまったようだ。坂本の陳述書にも明らかなように、本音では最悪の評価しかなかったRを、金澤はよくもぬけぬけと会社役員に売り込んだものだ。坂本の陳述書を続ける。

「私(金澤)の母親が知人にお金を貸したが返してくれないのでRに回収を頼んだ。Rは貸金を回収したにも拘らず、母親には『回収に相当な時間がかかる』と報告したが、当の借主から母親に電話がありRの嘘がばれた」

金澤は兄貴分の坂本に「伊東はどういう状況ですか?」と尋ねた後、「こっち(群馬)では、もう誰もRを相手にしない。私が全部本当のことをばらしたから」「Rさんは嘘やハッタリばかりで、自慢話ばかりするから女房もウンザリしている」「会社役員から貰ったロレックスの時計を見せびらかして、『3000万円で買った』なんて言っていたが、奥さんの分までプレゼントしてもらっていた」

「Rは本当に住吉会の人間なのか? 名刺は見たことがあるが、1枚しか持っていない。住吉の大幹部と言って脅すのが得意だが、何回も捕まっている。詐欺みたいな事件で、大幹部がそんな微罪で捕まるのか。最近では行政書士の名刺を使っているらしいが、頭がおかしくなったんじゃないか」

「家内の店に来る客でRを知っている人間は、もうRを信じていない。(略)みんな詐欺師とかゴミだとか言って笑い者にしている」

「私や高橋さんに仕事を見つけさせて、成功報酬は折半と言っておきながら理由をつけて全部持っていく。群馬のアイデアビルの件も、900万円の報酬で『お前には貸しがあったから』と言って私の取り分はゼロだった。貸付の利息は群馬では月2割だが、集金してきても一銭もくれない。全くケチにも程がある」(注:高橋重雄は伊東でのRや金澤たちの知り合い)

「Rを群馬の人に紹介して信用を無くした。今になって後悔しているし、早く縁を切りたい。前橋のマル暴からも目をつけられた」

「Rは、他人に会社役員からの電話は取るなと言っておいて、その人間と連絡がつかないで会社役員が困っていると、自分の力で連絡が取れたようにするのが得意だ」

「Rには色々勉強させられたが、嘘、ハッタリばかりでこんなに金に汚い人は見たことがない。結果的に伊東や群馬ではRの本性の大半がバレたので、付き合っている人は本当に少ないだろう」

「Rは韓国クラブで歌いたいだけで、そんな場所では相手方と大事な打ち合わせが出来る訳はなく、Rは完全にダンベ扱いされているだけだから、そんな経費を会社役員は2~3回で200万円以上も出す必要はなかった」

以上が、会社役員、坂本そして関崎の3人が金澤から聞いた話の一部だった。金澤は平成19年に「弁護士に頼んでも解決できない難しい問題がある。誰か解決してくれる人がいたら紹介して欲しい」という会社役員からの依頼に応えてRを紹介したと陳述書で述べたが、倉持の陳述書を見ると、「金澤は言葉巧みに会社役員に取り入ったと思う。Rを紹介するに当たっては、今まで頼まれた案件は全て片をつけた、裁判は全て勝っている、前橋の何人かの裁判長からRが着いたら絶対に勝ちますよと言われた、などと熱心に売り込んだので、会社役員はRを半年の予定であったが、平成19年1月から約4年間「顧問」として使った。しかし金澤の目的は会社役員に取り入ることで、色々な形で金を得ることができると思ったのではないか」と綴っている。(以下次号)

宝石業界で「竹林利治」が今も府中3億円事件の犯人と囁かれる謎(1)

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〔竹林利治は宝石貴金属で担保金融〕
昨年8月に「府中3億円事件を計画、実行したのは私です」と題した小説がネット上の小説投稿サイトに掲載され、騒然となる事態が起きた。日本犯罪史上で有名な事件の一つに数えられるこの事件は、その後、昭和61年11月に三菱銀行有楽町支店で起きた現金強奪事件、平成2年6月に東京練馬区内の工務店社長宅で起きた強盗事件と区別するために「府中」という冠がつけられているが、3億円事件と言えば、やはり昭和43年に起きた東芝府中工場の社員へのボーナス支給で運送中だった日本信託銀行の現金輸送車が襲われた、この事件を誰もが思い出すほどである。
実は、竹林利治という男は特に宝石業界では「間違いなく事件に関係しているに違いない」と言われるほどあまりにも有名だったという話は誰もが時効から50年経った今も覚えているという。警視庁が公表した犯人のモンタージュ写真に余りに酷似していたことに加え、竹林が宝石貴金属を扱う業界で仕事をする前にはオートバイの修理を業としていたことや、警視庁のローラー作戦に引っかかり事情聴取を受けたという話がいつの間にか広がり、高額の宝石貴金属を扱えるような資金も人脈もない中で突然のように業界に入り込んできた経歴に誰もが違和感を持ったからだったという。事件はすでに時効になってから40年以上も経過しているのに、前述したとおりネット上で大騒ぎとなるほどだから、竹林が何か真相の一端を知っているのではないかとさえ思われる。

ところで、ある資産家が竹林と面識を持ったのは意外に古く、知人の紹介で竹林が「時計を買って欲しい」と言ってきたのがきっかけという。時計は極端に高額のものではなかったようだが、数十万円から数百万円のレベルであったという。そうした付き合いが続く中で、竹林は盛んに投資を勧誘するようになった。特にゴルフ場の会員権については非常に熱心で、会員権業者まで連れてきて「確実に利益を出せます。最低でも元金は保証しますから」と資産家は説得され、資産家は筑波カントリークラブの会員権10口(約3500万円)を始め東相模(現上野原)2口(約2400万円)伊豆ゴルフクラブ1口(2000万円)富士河口湖カントリークラブ1口(約1500万円)などを購入した。しかし、会員権の購入はあくまで投資だから転売益が出なければ意味はなかったが、会員権業者は口約束ばかりで転売は一向に成果が出ず、それどころか元金の保証さえ怪しくなるという事態が起きてきた。

〔偽りの「元本保証」で客を釣る〕

しかし、竹林はこの会員権業者を紹介すると同時に、別の投資案件として株式運用を勧めてきたという。資産家は、株式相場には関心が無かったが、竹林が余りに熱心で「投資した元金は必ず保証するから」という約束をしたので、それならばリスクはないと考え株の購入に踏みきった。竹林は当初、投資資金は3億円と言っていたが、資産家が株式購入を決めると3億5000万円と言い直したが、約束したことだからと考え、資金を竹林に渡して運用を任せることにしたという。竹林は三洋電機ほか複数の銘柄を提示したが、実際に運用した資金の多くが三洋電機に振り向けられたようだったが、資産家がいくら竹林に現物(株券)を渡して欲しいと言っても、色々理由をつけて結局は現物を見せることもなかったし、また、電話で竹林に状況を確認したときには「今は2億5000万円ほど儲かっていますよ」と答えたので、「そろそろ売り時でしょうから、売ってください」と言うと、竹林は「自分も同じ株を買っているので勝手なことは困る。任せた以上は全て任せてくれ」と言って売却しようとはしなかった。株の取引については詳しく承知していなかった資産家は竹林がそこまで言うのならばと待つことにしたというが、竹林が資産家に利益を配当することはなかった。ちなみに竹林は自分も三洋電機株を買っていると言っていたが、株券を渡すこともなければ株券の現物を見せたことも一度もなかったから詐欺同然のやり方であり、竹林が高値で売り抜けるために資産家を騙した疑いは濃厚だった。

約半年ほど続いた株投資で竹林が利益を出していないことに業を煮やした資産家は一旦精算するよう竹林に要請した。そして「元金保証は最初からの約束だから3億5000万円は返しなさい」と念を押すと、竹林は「分かりました」と言ったものの、後日資産家に渡した返済金は1割の3500万円を引いた3億1500万円だった。竹林はその3500万円については明確な説明をせず「手間もかかったので、これしかお返しできない」と頑なだった。資産家とは何年も付き合いがあった中で飲食代等を一度も払ったことがなかった竹林の横着さを知ってはいたが、納得のいかない資産家は「今まで利益を貰っているのならばともかく、売り時を失して約2億5000万円という利益を得られなかったのは竹林さんの問題だろう?元金保証を約束したのだから、利益はともかく元金を全額を返してもらいたい」と言った。

埒が明かないまま竹林が席を外した合間、事務所に同行した資産家の友人(Y氏)が資産家と竹林のやり取りを聞いていたが「社長、ここは取り合えず受け取っておいた方がいいですよ。取りっぱぐれてしまう危険性があります」とアドバイスをしたことから、資産家は友人のアドバイスに従うことにしたという。資産家は「今日のところは受け取っておくが、残る3500万円の処理をどうするか、近日中に説明して欲しい」と言って、その場を終えた。

プロの投資家につながり、仕手筋まがいの株式売買を勧める人間の大半は、自分の儲けだけを考えて誘い込んだ相手には損をさせることもいとわない、という発想を持っている。竹林はまさにその部類の男で、仮に勧誘した資産家に億円単位の損失を与えても平然としているような男だった。そうした竹林の汚いやり方に、竹林の紹介で資産家が知り合ったF氏も忠告を発したことが数年前にあったが、このとき資産家はF氏から「知人2人が竹林をどうしても許せないと言っている」という話を聞き、不測の事態が起きてはいけないと考えて、F氏になだめてもらったという。そうした経緯を竹林は知ってか知らずか、人の恨みを買うような利己的な言動を繰り返していた。

宝石貴金属の買い取りで永らく付き合いが続いた竹林に対して、資産家はゴルフ会員権業者とのトラブルを、全責任を持つと言っていたのに解決しようともしない対応にも怒りを覚える中で株式の運用投資そのものも嘘でノミ行為を仕掛けたのではないかとさえ疑いを持った。竹林はその後、資産家と会うのを避けているが、他にも竹林に被害を蒙った人たちが多くいる模様で、資産家の耳にも聞こえていた。金融の取立ては冷酷さが際立ち、葬儀の香典も全て集金するようなことを平気でやったという話は有名だ。中には「お小遣いを毎月20万円上げる」と言って騙された女子学生もいる模様で、この女子学生は金に困って仕方なしに約束したようだが、何回も騙されたショックで学校を辞め東北の実家へ帰ったというから、竹林の悪事は底が知れない。それ故にそうした被害者たちも、「竹林から謝罪がないときには奥さんを始め親族から回収する方法を色々と考えている」という。(以下次号)

失踪12年でも消えない「佐藤元夫」の犯罪(3)

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〔傷害で逮捕されても佐藤に反省はなかった〕
佐藤からの連絡が入らなくなってから3週間後の9月12日に会社経営者の下に保険代理店から連絡があり、佐藤が加入していた保険会社に架電して、保険を解約するので大至急で返戻金を払って欲しい、と猛烈な勢いで要求したという。佐藤が姿をくらませようとしていると直感した会社経営者の予想通りだった。代理店からの情報では数日中に申請書が佐藤の手元に届くと思われたことから、会社経営者は佐藤の顔を知る知人に、郵便物が届く住所に行き佐藤と話をして欲しいと依頼した。

知人が佐藤と接触できたのは2日後の9月14日で、佐藤は車の助手席に乗って来たものの知人の問いかけには「人違いだ」と言って応じなかったばかりか、助手席の窓に手をかけていた知人を振り切るように車を急発進させたため、知人は怪我を負ってしまった。

(写真:佐藤元夫)

知人が東金警察署へ被害届を出した結果、佐藤は逮捕された。しかし、それでも佐藤は反省することなく、その後、保釈されると再び姿をくらませてしまったのである。逮捕された直後、会社経営者が警察署で佐藤と面会したとき、佐藤は「保釈されたら必ず謝罪に伺います」と言っていたにもかかわらず、それはその場しのぎの言い訳に過ぎなかった。

佐藤が本格的に姿をくらませたことで、会社経営者は佐藤の知人や取引先等に消息を尋ねたが、そこで判明したのは佐藤がそれらの関係者たちにも悪事を重ねていた事実だった。被害額が数千万円から数億円単位のものまで被害者が10人以上もいた。被害者の一人である宮本真知さん(故人 元教師)は総額で5億円以上の実害が出ていて、教え子たちが今後は「佐藤を必ず捕まえて、墓前で謝罪をさせる。必ず責任を取らせる」と意気込んでいる。本誌では事件師たちの顔写真を掲載するに際して、被害者が多かったり金額が大きい時には、公開捜索としての考えの下に掲載した。
会社経営者の関係でも、先に触れた2件で400万円の供託金は、どちらも全くの作り話であったこと、佐藤が会社経営者に持ち込んで資金を出してもらい落札した不動産物件は、すでに売却されていたことが判明して、会社経営者は大きな被害を受けた。佐藤は、折り込み広告を見て電話してきた会社経営者を最初から騙しにかける思惑を持って関わっていたということを強く実感させられたに違いない。

姿をくらませた佐藤元夫は今、どこで何をしているのか、見てきたとおり周囲の知人、友人を騙してでも悪事を続けてきたような男は、自ら被害者たちの前に姿を現して責任を明らかにしなければけじめはつかない。多くの被害者に対しては、関係者から「プロに債権譲渡してでも回収するべきだ」との声も上がっているようだ。(以下次号)

失踪12年でも消えない「佐藤元夫」の犯罪(2)

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〔占有者立ち退きの供託金はウソだった〕

数ある競売不動産の中からどの物件に入札するかという目利きは、一般の不動産業者の仕入れとは違うノウハウが必要という。業界関係者によると、「競売にかかる土地には建物が建っているケースが多いが、内覧ができないために外観で建物の状態を判断しなければいけない。入札するに当たっては裁判所が公表する『現況調査報告書』が唯一と言っていい情報になるが、内容が間違っていても裁判所は責任を負わないことになっている」という。これはほんの一例だが、こうした専門的なノウハウを佐藤は会社経営者に披瀝して信用させたようだ。

東京八王子の物件を落札した際に、不法占有者を立ち退かせるための強制執行の申立を起こす必要が生じた。佐藤が学生時代の友人という弁護士を紹介してきて手続を進める中で、実費の他に供託金200万円が必要であると佐藤が言い、会社経営者は現金を用意して渡した。その後、強制執行が無事に済んでも供託金が戻らないために佐藤に尋ねると、佐藤は裁判所や弁護士の都合を言い訳にしていたが、最後には供託金を横領した事実を認めたという。会社経営者は、このときも佐藤の懇願を受け入れて警察沙汰にしなかったが、それで味を占めたのか、佐藤はある地方都市の物件を落札したときにも、前所有者の占有を解くために同じく供託金名目で200万円を受け取り、その後、横領した。佐藤の悪事は際限が無かった。しかも、占有者が前所有者だったことから、裁判を起こす前に佐藤が直接交渉をすることになったが、あろうことか佐藤は前所有者から120万円を“借金”していたのである。それ故、訴訟で立ち退きが決まった後に立ち退き期限までの賃料相当分から120万円が差し引かれてしまった。

(写真下:債務弁済契約公正証書)

佐藤が悪事を働いて横領着服を繰り返し、それが露見すると必死になって謝罪するが、しばらくすると、佐藤はまた悪事を繰り返す。冒頭にも挙げたように、平成14年8月22日、会社経営者は佐藤が働いた悪事で横領着服した金額を全て合算して、8億5000万円を額面とする「債務弁済契約公正証書」を作成することにした。平成19年3月頃、「知り合いの設計事務所オーナーの関係する物件です」と言って5件の不動産リストを提示し、「売値で10億円以上の物件の運用を任されているので、今年の9月から大々的に販売をかけて一旦社長に返済するので、今年いっぱいの保険料を立て替えてもらえませんか」と懇願したので、今度こそはしっかり成果を出してもらいたいと会社経営者は考え、佐藤の要請を呑んだ。

ちなみに、佐藤が担保に供した生命保険の加入については、保険金の受取人を当時は学生だった娘にしており、佐藤に不測の事態が起きて保険金の支払いが起きた場合には、それを返済に充てるということを佐藤は公正証書に明記した。会社経営者はその時、娘を巻き込むことへの佐藤なりの責任や覚悟を感じて、佐藤を信じることにした模様だが、事実はそうではなく便宜的に実の娘を利用したに過ぎなかったことが、その後の佐藤の言動からも明らかだった。なお、その後、会社経営者が佐藤に対する訴訟を起こした中で、代理人に就いた上原光太弁護士は、前妻と娘の代理人に就いた弁護士より受けた「娘に対する請求は消滅時効」という主張に抵抗もせず、また会社経営者にも詳しい説明もしないまま被告から外してしまう手続を取ってしまったが、これには大きな疑問が残った。

公正証書が作成されてから数カ月後、佐藤が交通違反で逮捕されたというメールが会社経営者の部下の電話に入った。会社経営者は佐藤が無免許で車を運転しているのを知り、何回も注意していたにもかかわらず聞こうとしなかったから、とうとう捕まったと思ったというが、佐藤がメールで知らせてきた釈放の4日を過ぎ1週間が経っても連絡がなかった。それをいぶかしく思った会社経営者が部下に指示をして検察庁や佐藤の知人らに照会すると、佐藤は逮捕された3日後に釈放されていたことが判明したのだった。佐藤の友人の女性が罰金を代納したという。この女性も騙されて数千万円の被害があっていたが、会社経営者はそれを聞いて、直感的に佐藤が姿をくらませたのではないかと思った。(以下次号)

失踪12年でも消えない「佐藤元夫」の犯罪(1)

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〔金主を騙して仕入れた不動産を無断で売却〕

佐藤元夫という不動産業者が会社経営者の前から姿を消してから12年以上が過ぎた。もちろん、姿を消すにはそれだけの理由があって、佐藤の場合には不動産の仕入れで会社経営者から多額の資金を借り受けながら、不動産を取得後に内緒で販売をして販売代金を着服横領した総額が平成14年までの6年間で約8億5000万円という巨額に膨らんでいたこと。そのために「債務弁済契約公正証書」を作成するに当たって会社経営者が佐藤に「金額が大きくなっているので」と言うと、佐藤は法人契約の生命保険を担保にすると言って、立て続けに6社と契約しながら当初は佐藤が真面目に保険料を支払ったが、間もなくして滞りだし、会社経営者が佐藤に頼まれ立替払いをするようになった揚げ句、平成19年9月、会社経営者には無断で保険会社に解約を強硬に申し入れて返戻金を受け取ったこと等ほかにもある。

佐藤元夫は不動産業者といっても、競売で落札した物件を販売する業者で、その市場は不動産業界では特殊ではあったが、平成の時代に入ってバブル景気が崩壊すると、金融機関が一斉に事業用地、個人の住宅を問わず債権回収のために競売にかけるという事態が起きた。“貸し剥がし”という言葉がニュースで流れるほどの社会問題にもなったが、競売不動産の市場が大きく膨らんだ結果、佐藤のような専従業者も増えた。

とはいえ、佐藤が業界でどれほどの実積を有していたかは分からないが、平成8年頃に新聞の折り込み広告で宣伝したのがきっかけで会社経営者との接点ができたという。

最初に連絡を取ったのは、競売不動産の取得に興味を持っていた会社経営者だったが、会社経営者のオフィスに現れるたびに佐藤の方が積極的になり、何度か面談を重ねたときに「一緒にやりませんか」と持ちかけるようになったという。いくつかの入札物件を佐藤が提案して、会社経営者が実際に資金を出した。そして落札した不動産を佐藤が販売して上がった利益を分配するという約束になっていた。

この当時、佐藤は毎週火曜日の午後4時に会社経営者を訪ねて定期的に打ち合わせを行っていたので、会社経営者も安心して任せ未販売の不動産については佐藤が代表を務める会社の所有としていたという。ところが、そのうちの一つであった東京赤羽のビルについて、佐藤の悪事が発覚した。事情を知る関係者によると「この物件は入札価格が1億数千万円で、落札した後の所有名義は佐藤の会社にしていた。毎月、数件の店子から佐藤が賃料を集金して会社経営者に持参していたが、数ヵ月後に会社経営者の友人がビルを買うことになったので佐藤に売買準備の指示をした。しかし、売買契約の当日になって、佐藤が『実はあのビルはすでに売却して、売上代金を横領しました』と白状した」(関係者)という。佐藤は必死になって謝罪し、それこそ額を床にこすり付けるようにしながら、「これからしっかり仕事をして、必ず返済しますので許してください」と懇願したことから、会社経営者は警察に告訴することだけは踏み止まったという。

しかし、この事件発覚から4年、佐藤は会社経営者に対して悪事を働き続けることになる。佐藤は時には競売に係る「供託金」が必要という名目で横領を重ねたのである。(以下次号)

金の亡者 名家滅亡への道(2)

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〔G社長の蛮行が止まらない〕

G社長が率いるグループ企業は、親会社を軸に20社を超えるが、そこに働く社員たちは、誰もが就職情報誌に載った「年間休日100日以上で残業は月に30時間も無い」といった雇用条件を鵜呑みにして就職したばっかりに、悲惨な社会人生活を送ることになった、と失望と後悔の念に溢れている。

本誌の取材で得られた情報によると、「基本給が限界ギリギリまで低く抑えられ、あらゆる手当が基本給を基準に設定されているから、馬車馬のように働いても毎月の給料は変わらない」という。

グループ企業には金融会社があるが、その会社が存在する目的がG社長らしい。親会社の本業はビルメンテナンスや設備工事で、下請け業者は数えきれないほどいるが、下請になると「下請け会」への入会が強制され、入会費や年会費を徴収される。下請けになったからと言って、常時受注するためには親会社の意向を汲んで徹底的な値切り、長期の支払いサイトに堪えなければいけない。そうでなければ、下請同士の競争に負けてしまうからだ。

しかし、それでは下請会社の経営が維持できず、毎月の運転資金が切迫するから、ここで金融会社が登場して融資を実行する。つまり、親会社が支払う代金を担保に子会社が融資をして金利という利益を貪る。取りっぱぐれは全くない。こうした下請け業者への扱いは、誰が見ても不条理としか言いようがないが、G社長は“温情ある計らい”と考えているから始末に負えない。今のところ現場を知る本社と金融会社の社員、下請け業者から非難や怨嗟の声は上がっていない模様だが、いつそれがマグマのように噴火するか、知れたものでは無い。

というのも、G社長は会社のM&Aやリストラに余念がなく、一旦は買収した会社でも不要になったと思えば、バナナの叩き売りのごとくに切り捨てる。最近の例で言えば、動物保険を業としている会社を高値で売却して巨万の利益を得たが、その会社に働いている社員の処遇などには一切目を向けなかった。前号でも触れたように、好みの女性にプレゼント攻勢をかけながら、時が経って飽きるとポイ捨てしてしまうG社長は、会社経営でも下請け業者への対応でも同じことをやっているのである。

G社長は、いざ自分のことになると、カネにものを言わせて傍若無人な振る舞いが際立つ。実兄が代表を務める巨大ホールディングカンパニーとの癒着を始めとして、私的な資産を増やしたり機密の交際費を捻出することを目的とした会社を用意する。G社長の欲望を満たす一つの例として東京銀座に開業している割烹料理店があるが、同店はG社長自らがオーナーである。

こうしたG社長の身勝手な振る舞いを行政当局が放置するはずも無く、着実に情報を手許に集めている中で、それが公然化する日もそう遠くはない。(以下次号)

F1・絵画・競走馬ほか「鶴巻智徳」が夢に賭けた1200億円(7)

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〔森重毅が嘯く「財産は現金100億円」〕

鶴巻智徳のシリーズ(3)で触れたように、債権者に鶴巻を紹介したのが森重毅だったが、この男は自分の債権が焦げ付きそうになると、新たな債権者に「万一返金がないときには責任を持つので」と声をかけ、債務者に貸付をさせた上で森の回収に充てさせるという極めてずる賢く卑劣なやり方を得意とする男である。しかも、森本人の貸金の金利は最低でも月1割取っていたが、新しい債権者は最初から月3%以下の金利を設定し、その後は銀行金利に近かった。しかし森は「競馬では1レースが約2分30秒で結果が出て、売り上げの25%がJRAの利益になる。それを考えると、月に1割は安いもんだ」と比較にもならない理屈を口にしていた。

森重毅は過去10年以上無免許で車を乗り回してきた男で、よく警察の検問や職務質問に引っかからずにきたものだと呆れ返る。恐らくは免許の再発行が適わないような事情があったに違いない。警察と言えば、森は永らく競馬や競輪、さらには野球賭博の「ノミ屋」(勧誘を行った時点で、各々の法律違反になるのみならず、詐欺罪又は賭博罪に問われる)を密かに、しかも多くの大口の客を抱えて行ってきた。過去には警察が取り締まりの対象として場外の投票券売り場にたむろして客を勧誘するノミ屋を摘発していたが、電話を使って客との連絡を密に取っていた胴元に行き着くことは少なかった。そして、インターネットが普及している今は状況が明らかに変わっているという。しかし、10年以上も無免許運転を繰り返し、ノミ行為とウラ金融を業としてやっていれば、いずれは綻びが出るのは間違いない。「森は過去に監禁されたことが2回あって、その度に10億円を支払って開放された。警察には届けることができない裏の事情もあった模様で、詐欺の常習者だし、ノミ行為で荒稼ぎをしていた上に八百長を行っていた」と関係者は言う。

ある関係者によると「森も他の例に漏れず反社会的勢力に関わる人間が背後に控えている。一部にはその人間からさえも年間で10億円に近い利益を吸い上げていると身近の関係者に吹聴しつつ誘い込んで、自分の思い通りにさせようと計画していたと思われる。それだけに森はノミ屋といっても相当にあくどいやり方をしているという噂になっていた」という。

鶴巻に5億5000万円を貸し付けた債権者に対しても、そもそも「二人でそれぞれ1億5000万円を投資しないか」と提案して、債権者と鶴巻が面識を持つ最初のきっかけを作ったのが森であったという。この時、森は鶴巻の会社が1200億円の負債を抱えて破産宣告を受けた事実を債権者には隠していた。森は、恐らくは自己の回収が目的だったに違いない。そして、いざ債権者が資金を鶴巻に渡したとき、森が資金を用意していない事実が判明した。すると、森は「岡田(鶴巻のNo.2)を知人に紹介したら『あいつの話は信用できない』と言われたので投資は止めた」と債権者に言った。債権者は「そうであれば、ちゃんと説明するべきではないか」と質したが、森は言い訳すらできなかったという。その後、債権者にしてみると、なかなか鶴巻から回収できない状況にあったところに、森が債権者に対して「何か忘れていないか?」と尋ねてきたことがあり、債権者が「何ですか?」と聞くと、「(鶴巻への投資の)手数料をもらっていない」と言うが、投資がうまく行けば謝礼もするが、投資話そのものが森による作り話であったとすると、森という人間は詐欺まがいのことを常時やっていたことになる。ちなみに森は債権者に鶴巻智徳の他にも菅沢利治、丹羽志郎など複数の人間を紹介していたが、いずれも債権者から借り入れ(菅沢利治は2億円以上、丹羽志郎は9000万円以上で、他にも井山某等複数いた)をしていながら返済が滞ったままになっており、森は自分の債権を回収するために嘘の話をして彼らを債権者に紹介した責任は取るべきだ。鶴巻の会社が破産していることを知りながら債権者に紹介した森の責任も大きかった。

(写真:森重毅が紹介した菅沢利治の借用証書)

鶴巻への融資で債権者に重い負担を強いておきながら、「鶴巻を紹介した紹介料を貰っていない」と要求した森に対し、さすがに債権者も怒りを覚え、「森さん、あなた、何を言っているんだ。鶴巻に貸しつけてから、10年以上の間で回収できたのはほんの一部でしかない。それをあなたは分かっているのか。鶴巻に対する債権については、最初の数ヶ月は3%で、その後は銀行金利に近かったが、金利を含めて60億円前後に膨らんでいる。あなたはその責任をどう取る積りなんだ」とたしなめると、森は「いや、そんな積りじゃなかった」と言った後に続けて「金があったら、払いたいが……」と言ったが、実は森はノミ行為の電話番の男には「俺は100億の男と言われている。巷で言う100億円を持っているという人間は、大抵が不動産とか有価証券等の全てを合算しているが、ワシは現金で100億円以上を持っている」という話を何回も豪語していた。

また、森は債権者の人となりについて「社長は、今は金を持っているかもしれないが、いつも人に金を払わせず気前が良いので、いつか貧乏になる。そこへ行くと、俺は現金で100億円はあるからなぁ。土地や高額商品じゃないぞ、現金だからな。俺は社長のようにはならんよ」と周囲に嘯いたという。

数年ほど前に森が債権者を訪ねて来て、「鶴巻さんの件は私にも責任があって何とかしたいが、金が無くて……」とぼやき気味に話を切り出した。そこで、債権者は「森さん、あなたは現金で100億円を持っているそうじゃないか。金がないというのはどういうことか」と質すと、森は口ごもって返事もできなかったという。鶴巻の実情を知っていながら、債権者に鶴巻への投資話を持ちこみ、さらに多額の貸付を発生させた責任を森は債権者の前では何度も認めてきたが、未だ責任を果たす気配すらないという。森は妻を病気で無くし娘が一人いるというが、以前より愛人との間に息子がいる。しかし、前にも触れた通り、ノミ行為の胴元を続けてきた森はいつ警察に摘発されるとも知れず、また、それが現実化した時にどのような事態が待ち受けているか、実感を持っているのだろうか。森は既に高齢で、今後、表には出ないように娘(M)と息子への相続が起きるだろうが、それが上手く隠せるはずはなく、債権者たちが黙過することはないから身辺整理はしておいた方が良いのではないか。第一、税務当局だって見逃すはずはないのだ。鶴巻が死亡してから、すでに10年以上が経つ中で、債権者はようやく森に真摯な対応を迫ることになった。(以下次号)

F1・絵画・競走馬ほか「鶴巻智徳」が夢に賭けた1200億円(6)

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〔不可解すぎる岡田の嘘のつき方〕

岡田瑞穂には得体の知れないところがあって、岡田本人にとっての利害に関係なく嘘をつき書類を偽造する。鶴巻が平成19年8月に死亡した直後、岡田は債権者との折衝を従来どおりに続けていたが、債権者には鶴巻の死を一切告げなかった。債権者が「お見舞いがてら鶴巻さんと話がしたいので、アポイントを取って欲しい」と頼むことが何度もあったが、岡田は「主治医に頼んでアポを取って貰いましたが、今ちょっと具合が悪いみたいなのでもう少し待ってやってください」と言って嘘を突き通した。前述したように、鶴巻の妻(道子)とのアポイントも同様であったから、債権者は岡田の対応が長年仕えてきた鶴巻と鶴巻の親族を護るために発したことかとも考えたこともあったようだ。しかし、債務返済に係る2通の「確約書」は道子が確認して署名したという前提で債権者に説明されたが、岡田の自作であることが発覚し、岡田は債権者からも道子からも決定的に信用を失くした。そうであれば、岡田の嘘や書類の偽造は岡田個人の事情によるものでしかないことになる。例えば、鶴巻や親族の目の届かないところで横領や着服行為が未遂、既遂であったのではないかという疑念が生まれるのだ。もっとも岡田は鶴巻の意向を伝えなくなった後は道子と話をして、道子の指示に従っているという報告をしていた。道子はすでに逝去したが、責任は大きい。

(写真:念書 日本トライトラスト、デルマークラブの債務返済計画を書面にしたが、岡田の話はでたらめだった)

平成6年8月、債権者が鶴巻に初めて融資を実行してしばらく後だったが、鶴巻が債務の一部の返済に充てるとして、熊本県内に所有していた土地(債権者に一旦は名義変更していた)を自治体に売却し、その売却金を債権者に支払うという約束であったが、岡田は売却金約8500万円を債権者には「4500万円で売れた」と偽って残る4000万円を着服した。これは後日発覚したが、それでも岡田は「天地神明に誓って着服などしていません」とシラを切り通した。

また、債権者が提起した訴訟の審理の場で、道子の代理人弁護士が絵画(クロード・モネ作「松林」)の売却の事実関係を質した際に、岡田に対して売却の実行に関わりながら売却先の画廊からキックバックを受け取ったのではないか、と疑問を投げたが、このときも岡田は「売却には関わっていない」と強く否定した。代理人弁護士による追及はそこで終わったが、岡田は嘘に嘘を重ねた上に矛盾を突かれ、あるいは調べれば事実がすぐにも判明することでも自分が吐いた嘘をトコトン認めなかった。

債権者が鶴巻に対する債権回収の場で、岡田が持ち込んできた競走馬の売却や種付け権の売却、道子が所有していると言っていた株式の売却、さらには福島県会津に所有していた土地の売却等による売却金等での債務返済計画について、それらのいずれも、すでに売却済みであったり売却交渉すらなかったことが判明しても、その場の言い訳を繰り返すだけだった。岡田は返済計画が現に進行していることを裏付けるかのような書類、伝票類を偽造することも平然とやってのけたのである。債権者が岡田の嘘を強く疑い、あるいは書類や伝票類への疑念を岡田に直接質しても、岡田は決して認めなかった。書類や伝票類の偽造は、岡田が嘘を認めずシラを切り通すための単なる時間稼ぎや引き延ばしでしかなかった、としか思われない。鶴巻智徳については、ここでひとまず終えることにして、債権者に鶴巻を紹介した森重毅について触れることにする。(以下次号)

F1・絵画・競走馬ほか「鶴巻智徳」が夢に賭けた1200億円(5)

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〔モネの「松林」は売却されていた〕
平成25年に債権者は2通の「確約書」を有力な証拠として、日本トライトラストと道子に対し、貸金返還を前提とした絵画引渡等請求の訴訟を起こした。仮に確約書の作成が岡田の債権者への説明通りではないとしても、少なくとも岡田が確約書を作成するに当たって道子の指示や同意があったのは間違いないとして踏み切った訴訟だった(岡田の話にはうそが多かったので、弁護士から2回も確認を求められたが、岡田は間違いないと答えた)。しかし、前号で触れたように2通の「確約書」を作成したとする道子が真っ向から否定し、信憑性が問われることになった。

 

(写真:確約書 岡田が鶴巻道子の署名を偽造したとして、書面の有効性が問われた)

しかも鶴巻の死亡直前にギャラリー早川へ売却した事実を岡田自身が承知していながら、債権者には全く逆の話をして騙し続け、債権者を信用させるために渡してきた書面すら岡田による偽造ではないかという道子側の主張が裁判官の心証を占めるようになった。何よりも訴訟が提起された直後に岡田自身が道子側の弁護士と面談し、2通の確約書の偽造を認めるかのような自白をしたり、あるいは道子が岡田の自宅を訪ねて確約書の作成経緯を岡田と語り合う内容を録取した音源が証拠として提出されるなどしたために、岡田がモネの「松林」が売却された事実を知らなかったと強弁しても、全く信用されなくなってしまったのである。
その結果、平成26年12月、裁判官は日本トライトラストに対しては、債権者に対して負っている債務が合計で約8億6400万円あることを認め、その支払と一部2億8000万円については平成12年4月28日から支払い済みまで年30%の金員を支払えと判決したが、道子に対しては全面的に請求が退けられてしまった。全て岡田の嘘が招いたことだが、道子が外された影響は大きかった。

債権者は、判決に基づいて債権回収の強制執行を申し立て、実際にもそれが認められたので実行したが、1回目の執行では約23万円、2回目の執行では約5500万円で1億円にははるかに満たなかった。その結果、債権者は改めて連帯保証をしていたデルマークラブと道子に対して損害賠償請求訴訟を起こしたが、デルマークラブについては時効が成立、また道子については前述と同じ理由で退けられ、全面棄却となった。岡田は「全て道子との打ち合わせの上でのことと述べていた

また確約書に記された目黒平町の土地に対しても、岡田は抵当権を設定していたメディア21という会社に対して設定を取り下げさせ、さらにメディア21から債権譲渡を受けた金山澄雄に対しても競売申立を取り下げさせると約束し、確約書でもそれを謳いながら一切実行できず、約束が偽りであったことが裏付けられてしまった。

岡田瑞穂は、鶴巻が鉄工所を経営していた昭和43年から鶴巻に仕えてきた男で、鶴巻が死亡した後も日本トライトラストの取締役として会社に残った。通例でいえば、日本オートポリスの破産宣告で鶴巻の率いた会社グループは、その巨額の負債により事実上瓦解していたわけだが、前述したとおり残された資産があったために日本トライトラストを中心に継続され、鶴巻の死後も残務処理を名目に岡田が居残る余地が残ったことになる。何より会社や鶴巻個人の債務処理については、岡田以外に事情を心得ている社員が一人もおらず、鶴巻が病床に伏せて以降はなおさら、一人岡田が対応していたのが実態だったようである。
道子は法廷に提出した陳述書の中で鶴巻が「岡田に会社をめちゃめちゃにされた。あいつとは二度と会いたくない」と語っていたと述べているが、それは、これまでに触れた2通の「確約書」の作成が一方で債権者の意思に沿った内容としており、また証拠としても提出されたが、今度は道子や道子の代理人に対して自ら偽造したことを白状する書面の作成に協力するような態度を岡田が取ったことから、裁判官には全く心証が悪くなってしまった。岡田が鶴巻の元で債権者に関わりながら、どれほど債権者に損害を与え、混乱させてきたかについては別稿で触れる。(以下次号)

F1・絵画・競走馬ほか「鶴巻智徳」が夢に賭けた1200億円(4)

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〔鶴巻の死亡を隠し通した遺族〕
鶴巻が返済原資にすると債権者に約束した絵画(モネの「松林」)の売却、そして目黒平町の土地売却による債務処理は思わぬ展開を見せた。
何よりも取り上げなければいけないことは、平成14年以降体調を崩し入退院を繰り返していた鶴巻が平成19年8月5日に病死した事実が遺族たちの意思でずっと隠し通されてしまったことである。鶴巻の側近として倒産後も鶴巻の下に残っていた岡田瑞穂によると、鶴巻が亡くなった直後、病院に集まっていた家族で相談したところ、「葬儀となったら、これはえらい騒ぎになるのと、鶴巻夫人も非常に傷心状態にあったため内々で過ごそう」ということになり、鶴巻の死は誰にも知らせなかったという。債権者が岡田に何回も「鶴巻の見舞いに行きたい」と言って都合を尋ねても、岡田はその度に「本人の体調がすぐれず、医者も面会は控えるように言っています」などと言い訳して、会わそうとはしなかったという。

(写真:クロードモネ「松林」)

 

しかし、岡田の言い訳が通らなくなる日が訪れた。債権者が鶴巻の死を知ったのは、鶴巻の死亡から約2年後のことで、たまたま鶴巻の顧問弁護士をしていた松本憲男弁護士に債権者の会社の部長が電話をした際に、会話の途中で松本弁護士から知らされたという。松本弁護士は債権者が鶴巻の死を知らなかったことに驚いていたようだが、部長から報告を受けた債権者が改めて電話をすると、松本弁護士はくどいくらいに「自分から聞いたとは言わないで下さい」と伝えてきたという。その日は岡田が債権者の会社を訪ねて主治医の面会の諾否を伝えることになっていた。それ故、岡田が来社した時に、債権者が「もう鶴巻さんとは会えないんじゃないの?」と揶揄した言葉を発すると、岡田はうろたえ、顔が蒼褪めたという。鶴巻の遺族は鶴巻の死を外部に知られぬよう厳しい緘口令を敷いていたのだろう。その理由は恐らく一つしか考えられず、それは、鶴巻が日本オートポリスの破産後も個人、法人で残してきた資産の処理以外にはなかった。そして、その一つが絵画の作品群で、クロード・モネの「松林」もその中にあった。

鶴巻が所有していた絵画は、その大半が金融機関等で処分されたが、モネの「松林」は他の絵画群から切り離される格好で、鶴巻の裁量に任された模様だ。絵画の作品群はヤマトロジスティクス東京美術品公募展センターと大星ビル管理の日比谷トランクルームの2か所に預けられていたが、すでに触れたように、鶴巻は平成9年頃から金融機関に担保の解除交渉を始め、平成14年頃にはようやく解除の目処がつき、鶴巻は債権者にその旨を提示していたのである。
その後の具体的な経過は不明だが、鶴巻が体調不良を理由に債権者の所へ岡田が定期的に出向くことになり債務承認書(念書)を書き換える中で、債権者は絵画、特にモネの「松林」を処分して返済原資に充てる話をその度に聞き、また処分が遅れている話を岡田から聞くばかりだった。ところが、平成19年4月12日、実はモネの「松林」は密かに銀座のギャラリー早川に売却されてしまい、売却価格の3億1000万円はその日のうちに日本トライトラストの口座に振り込まれたのだった。売却の指示は病床にあった鶴巻自身がしたというが、しかし、その事実は債権者には知らされないままで、岡田の債権者への対応はまさに裏切りだった。さらに岡田による言い訳だけの裏切りの日々が数年続いたが、まさに詐欺の常習犯と言える。

とはいっても債権者はただ手を拱いていたわけではなく、岡田を介して何度も鶴巻の妻道子との面談を要請していたが、道子は体調がすぐれないとか、他に用事が出来たといった理由で日延べするだけでなく、面談の約束が出来ても当日になると突然にキャンセルするということが3年以上にわたって50回以上も繰り返された。
債権者と道子の間に入った格好の岡田は、面談がキャンセルになった理由を道子のせいにしていたが、岡田が本当に道子に面談の必要性を説いて説得していたのかどうか、債権者には少なからずの疑念があった(後日、道子と岡田が2人で計画してやってきたことと思わざるを得ない事実が相次いで判明した)。
そうした中で、デルマークラブが所有していた目黒平町の土地に対しては平成9年から競売の申立が何度か起きていたが、その度に中断していたものの、平成20年6月にメディアトェエンティワンが申し立てた差押えが認められたことから、債権者も放置できずに何としてでも道子との面談を実現させるため、態度を曖昧にしていた岡田に強く要請した結果、ようやく平成23年11月1日、目黒の都ホテル(現シェラトン都ホテル東京)での面談が実現した。

道子は待ち合わせのホテルに単独ではなく、長男の智昭と次女の晴美、そして鶴巻の会社の社員だった田中泰樹を同行したが、予定の時刻に15分以上も遅れたことに詫びるでもなく、また、鶴巻が死亡してから3年間、債権者が何十回も面談を要請しながら当日になると断ってきたことへの謝罪もしないまま債権者が待つ席に長男と一緒に座った。そうした態度に債権者は先ず不快感を抱いた。
そして債権者が貸付金と、その返済にかかる絵画について話を切り出すと、「ご存知のように私は鶴巻とは別居していましたから、社長からの借入金とか、絵画のこととか言われても何も分からない」と言う道子の返答がさらに債権者を不快にさせた。謝意のかけらも感じさせない上から目線のような口ぶりだったからだった。
そのため、債権者が岡田に「絵画はどうなっている? あるんだろうな?」と多少は強い口調で2度、3度と質すと、岡田が「はい、あります」と答えたのだが、すると今度は、同席していた長男の智昭が立ち上がり「おい、いい加減にしろ!!」と岡田に向かって怒鳴りつけたため、岡田も向きになって「表に出ろ」と言い返したことから、あわや取っ組み合いになりかけた。そのため、これ以上は面談を続けられる状況に無く、お開きとなってしまい、道子はどうしても岡田を自宅に連れて帰ると言って、気が進まない岡田に対して「来なさい」と強引な態度を取った。

債権者にとってはただ不快でしかなかった道子との面談は、結局何の成果もなく終わったが、それから1ヵ月半ほどした平成23年12月下旬、岡田が債権者に一通の書面を持参した。その書面は「確約書」と題したもので、債務の返済に関わる絵画(モネの「松林」)の処理、競売の申立が成された目黒平町の土地に係る処理等が具体的に書かれ道子の署名まであったが、その後、この確約書の約束が履行されなかったために、岡田が翌平成24年1月20日付けで前の確約書とほぼ同じ内容の「確約書」を今度は手書きのまま原本を債権者に持参したのだが、これは岡田の創作に基づいた債務返済計画である上に書名も偽造したと主張する道子側と真っ向から対立したのである。(以下次号)

F1・絵画・競走馬ほか「鶴巻智徳」が夢に賭けた1200億円(3)

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〔自己破産をした後に資産を密かに売却〕

日本オートポリスの倒産から2年後の平成6年7月、鶴巻はある債権者から5億5000万円の融資を受けた。1年後の平成7年7月31日を返済期限とした公正証書が翌月の8月末に作成されたのだが、鶴巻は融資を受けるに当たって「東京目黒平町の自宅土地を担保にします」と言って権利書ほか一式を持参したが、債権者は「住居を担保に入れたとなれば、金融機関に対して信用を失くすことが目に見えているので、担保に取るのは控えます」と温情を示したので、鶴巻は感動して何度も債権者に礼を述べたという。ただし、鶴巻への貸付金が債権者の自己資金であったならばともかく、実際には債権者が知人より借り受けたものだったというから、なおさら債権者の厚意が鶴巻には身に滲みたに違いない。しかし、鶴巻は期限が来ても返済する目処が立たないまま金利の支払いさえ遅れる一方だったという。

(写真:債務弁済契約公正証書(5.5億円))

鶴巻が保有していた絵画は、先にも触れたように金融機関の担保に入っていたが、平成9年頃に鶴巻は絵画のリストを債権者に提示して「担保を解除してもらい、これを返済原資に充てる」という申し出をした。しかしそれも実際に実行の可能性が出てきたのは平成14年頃のことで、その間に鶴巻が債権者に返済したのは平成11年に3000万円、平成12年に1億4000万円の合計1億7000万円だった。

鶴巻が率いた会社群の中で日本オートポリスは巨額の負債を抱えて破産に追い込まれたが、デルマークラブ(競走馬関係)、リンド産業(シイタケ栽培)などは表向きには倒産を免れ、中核の日本トライトラストもまた倒産はしたが、債務処理ほかの残務整理を名目に業務を継続した。そして、それぞれの会社が保有する資産、例えばデルマークラブはエーピーインディの種付権(1億円超)のほかに目黒平町に土地を保有しており、またリンド産業は福島県内に1万坪を超える土地を所有(借地分を含む)していた。鶴巻も個人的に絵画(美術工芸品)を保有していたが、前述の通り金融機関の担保に入っていた関係から、金融機関がクリスティーズを始めとするオークション会社に販売を委ねるなどしたものの、実際には販売価格が折り合わずにいた。こうした保有資産は総額で約10億円から11億円と見込まれたが、一方で総額1000億円近い負債を抱えて破産宣告を受けた日本オートポリスの後始末をしつつも、10億円前後の資産がギリギリで差し押さえられなかった背景には、やはり鶴巻の“裏の顔”に遠慮する金融機関やゼネコンなどの配慮があったのかも知れない。そうした中で、債権者が鶴巻の自宅土地をあえて担保に取らなかったという厚意を、鶴巻自身が裏切るような事実がその後相次いで発覚していった。

(写真下:債務返済を約束する「念書」)

第一には、絵画を返済原資に充てると申し出た平成9年から翌10年にかけて、鶴巻が東京地裁に自己破産を申し立て、それが受理されて免責を受けたにも拘らず、債権者には事前に相談も無かったばかりか、債権者の下に破産宣告の通知が届かないような工作をしたことであった。しかも、自己破産申立の手続きを受任した松本憲男弁護士が鶴巻から「当初は1億5000万円の債務であったが、これを返済できなかったため、5億5000万円の債務を承認した公正証書を作成せざるを得なかった」と聞いていたとして、免責債務申立では債権者に対する債務を1億5000万円としたのだった。これは、債権者にとっては寝耳に水だった。関係者によると「松本弁護士は鶴巻が振り出した手形をジャンプする際にも『私が責任を持ってやらせる』と言うほどだったから、仮に鶴巻の言う話が本当であるかどうかを調査するのは顧問弁護士として当然の職務だったはずだ」という。しかし、その形跡は無かった。鶴巻及びその側近として昭和43年以来鶴巻に仕えてきた岡田瑞穂、さらには鶴巻の親族らが債権者に働いた裏切り行為を次号より明らかにする。

ちなみに、債権者に鶴巻を紹介したのは東京中野で事実上ノミ行為や闇金融業を営んでいる森重毅という人物だったが、この人物は相当な曲者であるようで、債権者に鶴巻を紹介したときに“紹介料”を要求したり、鶴巻への投資案件と称してそれぞれ1億5000万円ずつを出しあうという提案を債権者にしながら、実際には債権者だけに出資させた(鶴巻への債権を回収しようとした疑いが持たれる)など、ずる賢さは図抜けているようだ。この森重毅についても別稿で取り上げる。(以下次号)

F1・絵画・競走馬ほか「鶴巻智徳」が夢に賭けた1200億円(2)

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〔2年で潰えた実業家への転身〕
昭和61年1月のある日。東京銀座7丁目の一角に建つビルの一室に数人の男たちが集まり、その中に鶴巻の姿があった。
男たちが集まった目的、それは当時京都に本社を置く日本レースという名門企業を巡る仕手戦に係る問題処理だった。強力な資金力を背景にした仕手筋の乗っ取りをも視野に置いた攻撃に、同社が取った対策として、その後、戦後最大の経済事件とも言われたイトマン事件の中核に位置することになった許永中を京都支配人に迎えた。そして、許永中が放った奇手が同社の売り上げに匹敵する約60億円の手形を乱発したことだった。事実上、経営危機に陥るような手形の乱発で、仕手筋の攻撃は中断したが、思わぬ余波が起きた。乱発された手形とほぼ同額の偽造手形が市中に出回ったのである。鶴巻は額面総額7000万円の偽造手形を掴まされ、その解決を直接許永中にさせようとした。

事情を知る関係者によると、協議の場に迎えられた許永中に鶴巻は「取引がらみで損失を出すわけにはいかない。この金はオヤジの金だから」と詰め寄り、何としてでも偽造手形で出すかもしれない損失を許永中の責任で回収しなければ収まりがつかないと要請したという。鶴巻が口にした「オヤジ」とは、当時は構成員数千人を維持していた広域指定暴力団のトップのことだった。もちろん、鶴巻と血がつながっていたわけではない。鶴巻はトップの“私設秘書”あるいは“金庫番”とも呼ばれていた模様で、その立場を許永中に突き付けたことで許永中も譲歩し株価吊り上げの提案をしたのだと関係者は言う。鶴巻のもう一つの顔、それは反社会的勢力の中に身を置く企業舎弟の顔だった。

(写真:アンリマチス「Femme Couchee dans un Interieur」)

「許永中は『日本レースの株価を最高で400円にまで吊り上げていくから、それで利益を出し損失を埋めて欲しい』と提案した」という。その時点で100円台を上下していた株価を2倍以上に吊り上げるという、大がかりな仕手戦に許永中は自信を持っていたようで、その後、同社の株価は一時的に300円近くまで上昇したから、鶴巻は損失を回収したと思われるが、その後の経過は分かっていない。

日本オートポリスの倒産によって、実業家への夢が潰えた鶴巻が個人的に負った負債がどれほどだったのかは判明していないが、オートポリス(サーキットに併設するホテル、美術館等を含む)の開発費だけでも約600億円とされた中でゼネコンのハザマ(現安藤・間)はオートポリスの競売を申し立てたものの落札者が現れず、債権回収名目でサーキットを引き取り、日本オートポリスは東京地裁で破産宣告(負債約900億円)を受けるに至った。(その後、2005年に川崎重工が買収し、2輪のロードレースイベントが開催され活気を取り戻した。

(写真:クロードモネ「Pres de Vetheul」)

アメリカの競馬界で連勝を重ねたエーピーインディ(エーピーはオートポリス=AutoPolisの頭文字)を筆頭に有していた約60頭の競走馬、日田のサーキットに併設しようとした美術館に収納する予定にあったピカソを始めシャガールやモネなど高名な画家たちが描いた絵画の作品群、東京・目黒平町の土地を始めとする不動産などが多くの債権者によって回収の対象となったのは当然の成り行きだった。そしてその、鶴巻に対する債権債務の処理を巡っては前述のようにいくつもの隠れた攻防やドラマがあった。(以下次号)

F1・絵画・競走馬ほか「鶴巻智徳」が夢に賭けた1200億円(1)

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〔サーキットの開場パーティを祝った元首相〕

世界でも有名な画家が描いた絵画を日本人が買い漁るという、かつてない出来事が起きたバブル景気の時代。それは、今から約30年も前のことだったが、東京全日空ホテルとパリの会場を衛星通信でつないでオークションに参加し、ピカソが描いた「ピエレットの婚礼」を5160万ドル(約75億円)で競り落とし、一躍世界に名を馳せた男がいた。鶴巻智徳という。

(写真:ピカソ「ピエレットの婚礼」)

そしてもうひとつ、日本にF1レースを誘致するという夢を叶えるかのような場面を世間に見せたのが鶴巻だった。大分県日田市(当時は上津江村)の広大な土地に作った全長4.674㎞のサーキットは、当初からF1開催を目指して建設された。それ故、サーキットが完成した直後の平成2年11月30日、鶴巻は日本オートポリスの社長として絵画オークションに参加した時と同じ東京全日空ホテルの宴会場を借り、さらには来賓客に竹下登元首相を招くなど華々しいオープニングパーティーを開催したのだった。

大分県でも交通網が整備されていなかった日田のサーキット場を世間に知らしめるために、鶴巻はF1レースで3度のドライバーズチャンピオンとなったネルソン・ピケがドライブするベネトンチームのスポンサーを平成2年から平成3年にかけて務める中で、サーキットのオープニングイベントには、ベネトンのビジネスパートナーとしてコマーシャル・ディレクターだったフラビオ・ブリアトーレと同チームスタッフ、そしてドライバーのピケを招くなどして、積極的にF1の誘致活動を行った。

(写真:鶴巻智徳)

鶴巻にとって、F1レースの誘致はバブル景気を背景にした“成り上がり紳士”の単なる見栄ではなく、F1レースという興業をビジネス化させようとする大きな賭けだったに違いない。F1の運営全体にまで影響を与える力を有していたバーニー・エクレストンに対してもF1レースを誘致するために様々なロビー活動や交渉を行っていたからで、これが実って平成5年にはF1第3戦を「アジアGP」として初開催   するまでに漕ぎつけたからである。

しかし、鶴巻の夢はそこであっけなく頓挫してしまった。東京全日空ホテルで華々しいオープニングパーティを開いてからわずか2年後の平成4年、日本オートポリスは倒産し、同社の親会社である日本トライトラストは総額1200億円の負債を抱えて倒産した。その結果、翌年に初の開催を予定していたF1はキャンセルとなってしまった。倒産時の負債を一人鶴巻個人が背負えるものでは無かったことは明白だったが、一部には「ピエレットの婚礼」の落札金額75億円は鶴巻の自己調達では賄えず、ノンバンク「アイチ」の森下安道が不足分を補ったという指摘もあるだけに、すでにサーキット(写真)の開場を派手に打ち上げた時点で鶴巻の計画は資金面で行き詰まっていたことが窺える。

(写真:サーキット全景)  鶴巻をF1誘致に駆り立てた背景には何があったのか。F1誘致というとてつもない挑戦は野望でしか無かったのではないか? と思われるのがごく普通の印象である。だが、鶴巻にはもう一つ、世間には絶対に晒してはならない一面があった。鶴巻が活躍できると踏んだ表舞台、F1の興業ビジネスは正にその一面からの脱却で、だからこそ巨額の投資に踏み出したのではないかと思えるのだ(以下次号)

詐話師「松本信幸」は気宇壮大な作り話を振り撒く(3)

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〔謝罪文で詐欺を認めるも反省なし〕
松本が持ち込んだ案件は数が多く挙げればキリがないほどで、「国債の還付金」や「フィリピンの金塊」「アメリカのカジノ事業」などがあった模様だが、松本はその度に秋田義行の名前を出し、また報酬を受け取る話もして信用させ、活動資金や事業資金を名目にして会社経営者から借金を重ねていった。リクルート株の大量購入もその一つだったが、それに平行して松本が持ちかけていたのが「公営競技施設株式会社 ウインズ木更津への融資4億5000万円の仲介」や「聖マリアンナ病院650億円の売買 三菱商事とコンタクト中」「浅草タウンホテル30億円の売買商談申込」などの他に数え切れないくらいの案件を持ち込んだ。口からでまかせとはいえ、よくもそれだけの作り話を吹き込んだものだ。

(写真:約26億5000万円の金銭借用証書)

とはいえ、会社経営者に対しては口頭だけではなく、冒頭に記した「株式購入申込書」(購入者の法人名や個人名が記載されたものが6通ほど)や「状況報告」、さらには義行が手書きしたとする「約定書」などを十数通も持ち込んでいたのだから、呆れ果てる。

松本は会社経営者への借金の返済を引き延ばすために新たな作り話を持ちかけ、あるいは時間を稼ぐ中で「自分の代理人で田代という人物に会って欲しい」と言ったことがあり、聞くと数人で来るというので会社経営者が待ち合わせのホテルに予約を入れた席に着くと、「両手の小指がほとんど欠けている手をテーブルの上に置いて、私を威圧する気でもあったようなので、『あなたは組関係の方ですか?』と尋ねると『違う』というので、『ならば、両手をテーブルから下ろしなさい』と言って、『あなたがここにいるのは、松本の借財について責任を持つということですね?』とさらに聞いたが、男は驚いた様子で『それはできない』という。松本は後日、田代が九州出身の暴力団員で、松本自身、田代に約1500万円を騙し取られたことがあったという話をしたが、いざとなると松本は、そんな小細工しかできない」という場面もあったという。

まだある。松本は「(償いに)給料はいりませんから仕事をお手伝いさせてください」と殊勝な態度を見せて会社経営者の会社に入り込んだが、わずか数ヶ月という短期間で約250万円以上の金が紛失していることが発覚、松本が横領した事実が判明した。その直後から松本は会社には来なくなり、以来、姿をくらませた。

会社経営者の手許には複数通の謝罪文がある中で、松本が謝罪文を書くに当たっては「常習的な詐欺行為を繰り返したもので、言い訳の言葉もなく、浅はかな考えでご迷惑をおかけしたことを心からお詫びいたします」「2人の子供たちも含め親族全員を同行して保証人に立てます」と反省した態度を見せたが、それがまさに素振りだけだったということが、これまでの経緯を見ればよく分かる。松本という男、一見すると真面目に見えるが詐欺を常習的に働くことをやめられない、まさに根っからの詐欺師というほかない。ちなみに松本が会社経営者に吹き込んだ“儲け話”は、多くのブローカーがたむろする喫茶店があり、そこでさまざまな情報を仕込んでいた、と松本は会社経営者に打ち明けたという。

松本は、現在は所在不明で何をしているのか、会社経営者ほか関係者たちには不明だが、手の込んだ偽造書類を作り、資金を出しそうな人物を今も物色しているに違いない。「2年ほど前に松本が謝罪に来るという知人の話があり待ったが、遂に現れなかった」と会社経営者は言うが、寸借詐欺に留まらず、時には反社会的勢力を使って被害者を威圧しようとしたり、未遂とはいえ殺害計画を実行するなど、こんな人間を世の中に放置して置いたら、被害者が増えるばかりではないか。ちなみに、松本は過去に名簿業者の仕事をしていた際に警視庁に逮捕された経歴もある。

松本が姿をくらませてからすでに3年が経過しているので、関係者によると、いよいよ告訴状を警視庁に提出する準備を進めているという。(以下次号)

詐話師「松本信幸」は気宇壮大な作り話を振り撒く(2)

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〔返済逃れで事業計画を持ちかける〕

松本は会社経営者に謝罪し、それを一文に記した。
「(返済を猶予してもらうための)時間稼ぎの為に平成19年から平成26年にわたり、世田谷区代田在住(日本では有名な資産家)の秋田義雄氏の名前、その息子として秋田義行なる全く存在しない人間の名前で何十通もの偽造書類(支払約定書)を提出し、又、ダンボール1箱に1000万の束で2億円分を入れ、そういう箱を何十個(総額75億円)も作り、表面の1枚だけ1万円札を使い写真を撮って、さも大金が手元にあるというトリックを使ったり、大王製紙との接触により香港での運用を本当のように見せかけました」ちなみに松本の嘘が発覚するまでに、会社経営者に手交した金銭消費貸借借用証に記された債務の額面は370億円とか500億円といった途方も無い数字ばかりだった。

(写真:松本が書いた謝罪文 松本は同趣旨の書面を9枚も書いている)

「松本と知り合ったのは35年以上も前のことで、当時、経営していた会社が倒産の危機にあると言って4500万円を貸したのが始まりだった。松本は『実家の家を売って返済します』とか『二人の弟から借りる』とか『香港での取引で払う』と言ったが、全部が言葉だけで返済の実行は無く事業計画の成果など一つも無かった。案件を持ち込むたびに松本は嘘の報告を繰り返していた」
松本を債務者とする借用証書には、連帯保証人の欄に行政書士をしている松本の妻の名が書かれていたが、その事実を知った妻は驚き、「私が保証人と言われても署名していない」とか「私の字ではない」と言ったという。後に分かったことだが、松本が知人に署名させたものと「これは妻が書いたものに間違いない」というものとが混在した形で借用書の体裁を整えていたというが、それでも真偽は不明だ。
松本が詐欺を常習的に働いてきたことは、前述の会社経営者への「謝罪文」を見ると分かる。松本もその事実を認めているのだが、松本と会社経営者との関係は35年以上にも及んでいたのに、その半分以上の時間を松本は身勝手な作り話を振り回して会社経営者から事業資金名目に借金を重ね、あるいは返済を逃れる為に新たな事業計画を持ちかけてきたのだ。

〔リクルート株大量購入という大嘘〕

松本の作り話には2014年10月16日に東証1部に上場したリクルートホールディングスの株式購入もあった。上場後の翌年の9月から10月にかけて何件もの同社株の「購入申込書」を松本は持ち歩いていたのである。
「購入申込書」は、宛先がリクルート社だったり、売主だったりとまちまちだが、購入株数(金額)が1500万株(520億円)、3000万株(840億円)などと莫大で、これほどの株数を単独で保有する大株主は筆頭株主の社員持ち株会(人数非公表 約6400万株)のほかに上場直後の株主構成を見ても大日本印刷や凸版印刷、電通、三井物産ほか数社に過ぎなかった。

(写真:状況報告。松本が手がけるものは実態がなかった)

松本が2015年9月下旬、会社経営者に提示した「状況報告」を見ると、「他者の商談申込件数2件の結果(資金の出所が問題)としてリクルート社の峰岸社長が直に2000万株まで決済することで、JVRD(私の顧客)の調整に入る。300万株(最大3000万円)→ 昨日、仮契約当事者同士で面談が行われ100万株~1000万株の予約を取り、(水)に内金1億円の送金と本契約が行われる。期限は最終期日の10月15日まで」とあって、さらに「(1) 峰岸社長捌き分 上限1000万株で月内交渉中 条件的に1株@3000円で配当が@200円 リクルート社内で実行」「(2)社員持ち株分間接捌き分 上限2000万株で10月15日まで 条件的に1株@2800円で手数料が@300円 社外での実行(買い手に不安あり)」という経緯が述べられているが、実はこの「状況報告」に書かれた内容は全てがこの男の作り話で、実態は一切なかった。一面識もないリクルートホールディングスの峰岸社長が陣頭指揮を執っているかのような作り話を、松本信幸は何の目的で、偽造、捏造の書類まで作成して振り回したのか。それは、会社経営者を始めとした関係者たちから出資金名目に詐欺を働く“小道具”に使った、ということである。「今、数人で進めている事業計画の、自分がペイマスター(胴元)の立場で20~30億円入るので、他には払わずに全額持参します。横領で訴えられる可能性もありますが、覚悟しているので大丈夫です」と会社経営者には言っていたが、松本は金を持参しなかった。会社経営者に限らず被害届が出れば有印私文書偽造、同行使、詐欺等の常習犯として松本がいくつもの罪状で逮捕されるのは目に見えている。

こうした手の込んだ詐欺とは別に、松本は神奈川県小田原の根府川にあるレストランの女性経営者から借用した5000万円の返済を名目に、会社経営者の妻から500万円を借り受けたが、女性経営者への返済というのは嘘で、まさに寸借詐欺だった。また、ある時、松本が会社経営者から借りた資金を又貸しした星野某という男を連れて来た。星野は「お借りした資金は私が責任を持ってお返しします」ということだったが、その後、会社経営者が松本に星野の状況を尋ねると、松本は「星野は海外で殺されたそうです」と言い、会社経営者を驚かせた。しかし松本は都合が悪くなると、相手を死んだことにするのが口癖のようになっていたので、言葉通りに信用できるものではなかった。別に投資事業を一緒にやっていると言って紹介してきた江川某の場合も「江川が何者かに監禁されて、神奈川県警の相模湖警察署が捜索で動いているそうです」とか「監禁から上手く逃げたようですが、今は行方が知れません」などと言って、会社経営者を煙に巻くような言動を繰り返した。いずれも白黒をつければはっきりすることだが、松本が借入金の返済を先送りにする言い訳にしていた嘘が後日判明したというケースは100件以上に及んでいた。(以下次号)

詐話師「松本信幸」は気宇壮大な作り話を振り撒く(1)

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〔資産家の「息子」をでっち上げて約定書を乱発〕

9000億円の資産を有しているとも言われる「秋田義雄」という人物は、その莫大な資産を形成した歴史や義雄自身の人となりが一般にはほとんど知られておらず謎の部分が多い。そこで、それを悪用して「秋田義雄の長男 義行」という架空の人間を作り上げ、約30年以上もの間、ある会社経営者を騙し続けた揚げ句、その嘘が発覚しそうになった時に会社経営者を殺そうとした、とんでもない男が松本信幸である。

(写真下:松本信幸)

「平成25年9月5日付の秋田義行からの約定書に基づき、同年9月21日付で金220億円に、同年8月から平成30年12月までの分割金の内、金9000億円より、2回分の150億円を加算した370億円を現金ネットにてお支払いたします」

と書かれた「約定書」が会社経営者の手元にある。そのただし書きには「尚、秋田義行からの約定書の内容について責任を持って実行すると共に私に何かあった時には全て貴殿に譲渡いたします」(平成25年9月13日付)という文言が続いていた。

秋田義行への事業協力で、松本には200億円からの報酬が約束されている、というのが、松本が会社経営者に説明する「秋田義行との約定」ということだった。さらに松本は秋田義行の直筆になる“指示書”を会社経営者に渡し、いつでもその資金を会社経営者への返済金に充当できると嘯いたのである。松本が会社経営者に提示したその“指示書”は以下の通りだった。

(写真下:秋田義行(架空の人物)が書いたとする指示書)

【〇〇〇 殿  現在、自宅にある金員370億円は全て松本信幸の所有物であり、現在、私が行っている作業の担保として預かっているものなので、松本信幸の指示に従い、すみやかなる移動に協力する事。会長には私から連絡するので、宜しくお願い致します。                       2013.10.31 秋田義行 ㊞ 】(本誌注:会長とは秋田義雄のこと)

会社経営者が松本に貸し付けた資金の総額は、平成15年現在で約26億円余りになっていたが、これは借金を重ねるばかりで返済が全く無いために現在に至る30数年分の金利が元本に加算された数字はさらに膨らむ。松本への貸付はまさに“泥棒に追い銭”の類に違いないが、秋田義雄という日本でも有数の資産家がバックについていると豪語しつつ、義雄の名前のみならず子息義行の直筆の支払約定書を提示されれば、会社経営者ならずとも信用してしまうのではないか。秋田義雄やその関係者が、この記事を読んで松本に対して法的措置を取ったとしても、何ら不思議は無い。

松本は「秋田氏の自宅に住み込んでいて、長男である義行氏と極秘裏にさまざまな事業計画を進めており、その報酬として200億円を受け取ることになっている」と吹き込んでいたのである。松本が自宅に戻るのは年に一度、正月の数日くらいしかないというほど義行との事業に入れ込んでいるかのような口ぶりだったという。時には「義雄氏の別荘がある箱根の強羅まで出向き、義男氏の指示で接客にも対応している」と言って、義雄からいかに信頼されているかを吹聴していた。そして、その事業計画を会社経営者に話すに当たっては、「情報が他に漏れると絶対にまずいので、毎日夕方の5時に社長の自宅に電話をします。電話に出るときには周囲には誰もいない状態にしてください」と言って唆し、さらに「盗聴されてはいけないから」とも言って、いつも公衆電話から一方的に電話を架けてきたために、会社経営者は詳細を確認することもできないままだったという。それでいて、会社経営者が「秋田氏を紹介して欲しい」と言うたびに、「今は香港に行っている」とか「面識のない人には会いたがらない」と言って、会わそうとはしなかった。

(写真下:秋田義行(架空)の約定書)

 

こうした言動を、松本は平成19年から同26年まで7年にもわたって繰り返し、会社経営者はその間、慶弔事にも出られなかったほどだったというが、さすがに嘘が発覚する状況が起きた。

「松本が『秋田義行の家に取り敢えず20億円を取りに行く』と言うので、松本の運転するワンボックスカーに乗ると、途中で一人ピックアップすると言って京王プラザホテルに立ち寄った。ホテル西口の玄関先で待ち受けていた男(後に松本は元田と言っていた)を乗せると、男は一番奥の座席に座ったが口は利かなかった。しばらく走って世田谷代田の商店街に入ったとき、奥に座っていた元田が『顔を見られるといけないので、背をかがめてください』と言うので体を横に倒した直後、元田が私の腕に注射器を刺そうとしたので、咄嗟に払いのけた。松本に車を停めさせ一旦車を降りて、『どういうことだ!?』と問い詰めると、『テストしたんです』と訳の分からないことを言う。どうやら注射器の中身は劇薬だったようで、元田が『打たれたら30秒以内で意識を失う』と言っていた。そして、『横須賀に20億円以上の金が置いてあるので行きましょう』と元田は言ったが、そんな話を信用することはできず、松本に京王プラザホテルに戻るように言った。ホテルに着くと、元田がさっさと降りてしまったため、松本に自宅マンションまで行くよう指示した。しばらくして元田が車に乗り込むときに大量のビニール袋を持っていたことを思い出し、自分を殺してバラバラにする積もりだったかも知れないと考えるようになり、本当は、代田の商店街で車を停めさせたとき、あるいはホテルに着くまでの間で警察を呼べば良かったと痛感した」

松本はとんでもない殺害未遂事件まで起こしたのだ。会社経営者は後日、松本を呼び、その際に元田について尋ねると、「あの男は死んだそうです」と素っ気無く答えたという。会社経営者が松本に迫った結果、松本は遂に真実を話さなければいけないという事態になり、秋田義雄と一面識もなければ、義雄には「義行」なる子息はおらず、松本が作り上げた全く架空の人物だったことまで白状したのである。松本は秋田義雄以外にも江川雅太(6億円を融資するという書面を作成)、星野勇(リクルート株を大量購入すると約束)など4~5人の名前を出していたが、それらの話も全て作り話だった。手の込んだ偽造書類をいくつも作ったり、儲け話を創作するなど尋常ではなく、嘘が通用しなくなると見るや会社経営者の殺害計画まで実行したのだから、実に恐ろしい男だ。(以下次号)

ロシア利権と「山本丈夫」の詐欺商法(2)

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〔右翼活動は片手間で本領は詐欺師〕

「インドの仏像を借金の担保にするということで、東京・品川の倉庫に見に行ったことがあったが、仏像関係100体くらいの他に工芸品等もあって、山本は『18億円で購入した』と言う。しかし、こちらで鑑定をしてもらうと、3000万円~5000万円程度の評価でしかなかった。しかも、その後、山本に仏像がどうなっているかを尋ねると、『倉庫代の未払いのため取られた』と言い訳をしてうやむやにしてしまった」

(写真下:山本が担保にしようとしたインド仏像、工芸品)

山本が吹聴した「プロジェクト」では、アフリカのチュニジアでカジノを開設する計画を持ち出していたが、これについては「千年の杜」株で実害を蒙らせた直後から長期間姿をくらませて、関係者と連絡を取らなかった際の“言い訳”にした可能性が高く、実体があるかどうかも不明だったという。

不動産を担保に金融機関から融資を受ける際、不動産の価値に応じて融資の上限が決められるが、山本は債権者に「鎌倉カントリークラブのオーナーの長男である手塚氏より13億円が入金になるので、この金額を上限に貸していただきたい」と言って、借用書1枚で億円単位の金を何回かに分けて借り入れた。ところが、後日、債権者が山本の言う13億円について山本が紹介した弁護士に確認をすると、山本の話とは全く違って嘘だということが判明したため、それまでに貸し付けた金銭について公正証書を作成することになったものの、貸付金の総額は元金のみで7億5000万円余りになっていたという。ただし、これには先に挙げた株式の損失は含まれてはいない。

この債権者は2年ほど前に山本に対して1億円の返還を求める訴訟を提起したが、これは債権総額の1/10にも満たない一部請求でしかなかったにもかかわらず、山本は「そのような金は一切借りたことはない」などととんでもない否認を繰り返した。さらに東邦グローバル(千年の杜)の株式を買い取る「確約書」を作成していながら「ソチオリンピックに向けたホテル建設の情報を聞きつけた本人が株の購入を決めたもので、(山本は)一切関与していない」とまで開き直り、揚げ句に「(株式を)売るタイミングを教えろと繰り返し言われたが、その度に『私は分からない』と答えたにもかかわらず、株価が急落すると、『損した分をお前(山本)が補填しろ』と強迫され、結果、債務承認書に署名押印させられた」という陳述を法廷に提出して、債権者を誹謗中傷する陳述を並べ立てつつ貸金不存在の理由とした。山本は強迫されたと言うが、関係者によれば「債権者は山本と付き合っている中で呼び捨てにしたことは一度もない。まして年上の人に対してオマエ呼ばわりをする人間ではないことは周囲の誰もが承知している」と言う。山本にすれば、すぐにも警察に被害相談ができたはずである。警察に相談しなかったのは矛盾しているし、よくここまで嘘が言えると関係者が全員口を揃える。

(写真下:債務承認書)

 

しかし、山本と債権者の関係が20年以上も続く中で、資金面だけでなく飲食代や目先の経費さえ一度も払ったことなど無い山本の頼み事に、債権者が全面的に応えてきた事実を周囲の10人以上の知人、友人たちが承知していたから、裁判での山本の嘘だらけの主張を見て「ここまでの悪党はいない」と大変驚いていた。ある大物の誕生会に山本がどうしても出席したいということで、何とか了解を取ったことがあったが、山本は裁判で「無理やりに連れて行かれた」とまで証言したのを聞いて、「ここまで嘘をつく人間とは思わなかった。頼み事を全て聞いてもらいながら謝罪も無い。このような人間は初めて」と怒りを露わにする関係者が全員だった。もちろん、裁判官は山本の主張を認めず、請求金額の支払を命じた。訴訟の過程では、山本の代理人が300万円での和解を申し出たことがあったが、債権者側の代理人に就いた上原光太弁護士が何を考えたのか、その和解の申し出を積極的に債権者に受けるよう勧めたという場面が何回もあったという。訴訟は一部請求ではあったものの、債権者が山本に対して7億円を超える債権を有している事実を全面的に認めるという判決からも明らかな通り、余りに低額の和解金を呑めるはずなどないことは、上原弁護士も承知していたはずで、それ故に債権者には不信感が残った。

「山本は過去に北海道で右翼活動をしていたが、詐欺師で有名だった」とか「山本のような男は絶対に許してはいけない」と知人、友人たちは口を揃えるが、山本は未だ所在を不明にしたままで、関係者に謝罪する気配さえない。なお、山本が所在を不明にした後、不可解な事態が起きた。関係者によると、「債権者の命を狙っているという情報を持った男が、突然、債権者の会社を訪ねてきた。債権者は事情が分からず、その男が知っている限りの情報を教えて下さいと言って聞き質したが、どうやら山本が頼りにしている『朝堂院』とかいう人物に債権者に対する脅しを依頼した模様で、結果としては何も無かったが、山本はやることが卑劣すぎる」

山本が言う「朝堂院」とは朝堂院大覚(本名は松浦良右)といい、過去に空調大手の高砂熱学工業に対して業務提携などを強要したという容疑で平成4年に有罪判決を受けた経歴がある。その後、法曹政治連盟を組織するなどして政界や反社会的勢力にも幅広い人脈を有しているとされるが、山本が朝堂院の名前を頻繁に出すことから、債権者が「その朝堂院氏が、山本さんの債務について責任を持つということですか?」と質す場面があったという。すると、山本は慌てて「いや、そういうことでは無い……、朝堂院にはそんな器量はないし、大したことはない」と否定した。山本は朝堂院の名前を出すときには「この人には警察もヤクザ者も関係ない。ヤクザ者のトップ連中が相談で訪ねることも多い」という話をよくしていたという。山本は債権者の前では付き合いがあるという人物の名前を出すが、友人や知人を含め誰一人債権者に引き合わせることはなかった。「それが詐欺師に共通する特徴で、山本は穏やかで優しそうな雰囲気を漂わせて人を騙す根っからの詐欺師だ」と周囲の人間が口を揃える。

(写真下:山本が債権者に宛てた手紙)

ちなみに、以前、関係者の友人が山本の行方を探したところ「公文書偽造の容疑で愛宕署に逮捕されていた」という情報を数年前に聞かされたという。また金融機関においても山本はブラックリストに名前が乗っている。見かけの優しさで平気で人を騙すと関係者全員が口を揃える中で「山本が逃げ隠れしても見つけるまで公開で捜索をかけてでも探し出す。山本の身内に協力してもらうこともする」と関係者たちの意思は固い。さらにいくつもの刑事事件についても、海外に行っている期間は除かれるため告訴する考えのようだ。(以下次号)

ロシア利権と「山本丈夫」の詐欺商法(1)

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ソチ五輪で山本丈夫が仕掛けた詐欺事件

「千年の杜」(現クレアホールディングス)がロシアの「ホマル」社との間でソチ市に人工島を建設するという合意書が締結されたのは平成20年2月14日のことだったが、この情報が実は同社の株価を吊り上げるための“材料”だったのではないか、という疑いは当初より流れていた。それから4年後の平成24年年5月15日、同社は成果も無く事業からの撤退を表明したからである。

ソチ市で第22回冬季オリンピックが開催されることが前年の平成19年7月に決定したことに呼応して、東京都内のホテルで露日投資フォーラムが開催された際に、前述の「千年の杜」と「ホマル」社による人口島の建設が発表され、埋立費用として必要とされた数百億円のうち100億円以上の資金が、香港系投資ファンドに発行した新株予約権が同年の5月から6月にかけて行使されたとの発表があった。その結果、人工島開発構想の発表前の平成20年1月には19円に過ぎなかった株価が、翌月の2月21日には一時期570円まで急騰した。

こうした株価急騰の裏で暗躍していた一人が山本丈夫(写真)だった。山本は自ら「平成3年頃から、ロシアの航空宇宙雑誌『アエロスペース』をモスクワと日本で発行する会社を経営していた」といい、「モスクワ郊外にある惑星探査機の製作を請け負う宇宙関連公団の副社長と懇意になり、同公団から実物大の惑星探査機の模型をアジア圏で販売する許可を得た」ことから「惑星探査機模型を販売する展示会を兼ねて『ロシア宇宙博』を企画し、大々的に惑星探査機模型の展示を開始しようと考えた」と周辺に語っていたが、どこまでが本当の話なのかは不明だった。

そして、「アエロスペースのつてで、ロシアのソチ市の関係者から『ソチオリンピックのためにホテル建設の発注で耐震建築技術に強い日本の会社を紹介して欲しい』と頼まれ、日本の有力者を紹介したところ、その有力者は東邦グローバルアソシエイツをソチ市に紹介し、同社がホテルの建設プロジェクトを行うことになった」と熱心に同社の株を買うよう勧めたのだった。山本が周囲に語っていたホテル(コンドミニアム)建設が、実際の発表では規模が巨大な人工島の建設になったわけだが、山本から株の購入を勧められた債権者によると、株価が500円前後まで値上がりしても山本が売らせようとしなかったために同社株を買った関係者全員が、株価が急落する中で多額の損失を被ったという。他にも山本は債権者にリゾートマンションの最上階をプレゼントするとも言っていたが、実行されることはなかった。

(写真下:確約書)

「山本は周囲の人たちを“提灯”にして、自分は売り逃げる算段だったに違いない。山本は自分が負っていた債務を『株で得た利益で相殺していただけませんか』と依頼して大量の株を買わせただけでなく、株価が500円前後になっても売らせなかった」(関係者)

その結果、この債権者はさらに2億円の損失を抱えることになった。「山本は『今、売られると非常にまずい』と言って、当初は1株500円で買い戻すと約束していた話が『1株300円ならば問題なく責任を持ち年末までに必ず実行します』と書類まで作成したが、その直後に姿をくらませ連絡も取れなくなった」という。

山本丈夫。この男も他の例に漏れず“大ボラ吹き”の謗りを免れないような話を債権者や関係者たちに振り撒いては、そのための活動資金名目で借り入れを起こすという手口を常習としていた。山本が持ち歩いた投資話はほぼ全て嘘と言っても過言ではない。本人が持ち歩いたほとんどのプロジェクトは「途中で頓挫した」というより、空想のような話を実名を多用して信用させていた。

例えば、先の「ロシア宇宙博」についてみると、山本は「この模型一式は世界に一つしか無いものとしてプレゼントするので、息子さんにでも将来常設展示場を経営させたら、それだけでも大きなビジネスになります」と言って債権者に約束して融資を受けながら、模型販売の売上金が振り込まれる予定の銀行の通帳と印鑑を債権者に渡して「この口座に金がどんどん振り込まれますので、お好きな時に下してください」と言った。また「宇宙に墓地を造る」といったありえない話をもっともらしく自信を持って笑顔で話したが、模型を持って来ることも口座への入金も一切無く、全てが嘘だった。山本からある有力者を紹介して欲しいと何度も頼み込まれ、債権者が紹介すると、宇宙博やインドの美術展の会場用地を探していると言って有力者に物件を探させたにもかかわらず、事業計画が頓挫しても詫びることもなかった。

(写真下:「ブローカー要注意人物」リストに山本の名がある)

過去には「デマントイドジャパン」という会社で代表取締役を務めた平成19年ごろに「日本ウラル鉱山」を吸収合併して以後、ロシア資源開発と宝飾品の販売を同社の事業目的にしたが、同社は投資詐欺で警視庁生活経済課に元社長が逮捕されたバルチックシステムとの関係が取りざたされた経緯がある。

デマントイドとは石の名前だが、そもそもデマントイド石がレアメタルではない上に、同社が会社案内に「金融商品取引法につきましては、株式会社JSKパートナーズを通じて、金融庁関東財務局へ第二種金融商品取引法の届け出を提出済み」と記した文章について、「届出を提出しただけでは投資勧誘はできない。受理されれば登録番号が発行され、それを掲示しなければならない。ちなみに金融庁の登録業者リスト(PDF)には、デマントイドジャパンという業者は登録されていない。なお、『第二種金融商品取引法』という法律はない。おそらく『第二種金融商品取引業者』の間違いだろう」(「ホンネの資産運用セミナー」より)という指摘があった。

「同社の株券を担保にします。最低でも10億円以上の評価があります」と言って、山本は債権者に持ち込んだが、実際には前述の通り二束三文の価値しかなかった。先の関係者が言う。

(写真下:金銭借用証書(10億3000万円))

「こうした類のウソはいくつもあって、土地や別荘等の不動産、リゾート施設の会員権など多くを担保に持ってくると言いながら、実行されたためしがなく、また実兄(山本克彦)がブリヂストンに勤めていて、『いずれ社長になることが内定している』と言っていたが、それも嘘だった。山本との関係は、20年以上も前にゴルフ場の工事代金名目で3億円を山本に貸したのが始まりだった。この時は約束通り3ヶ月程度で返済されたため、その後も友好的な関係が続き、多い時には週に3回以上、少なくても週に1回くらいの割合で銀座や赤坂の高級クラブ等で飲食を共にした」という。そうした付き合いの中で、山本はいくつもの事業計画を持ち込んでは債権者から借り入れを行っていた。

「千葉県内の山林を担保に融資の依頼があって、実際に融資したそうだが、その山林には道路がないという情報が山本を債権者に紹介した男から聞こえてきたので、債権者がその話をすると、山本は慌てて『誰から聞いたのですか?』と尋ね返したので紹介者と答えた。すると、後日、山本が紹介者にひどく噛み付いたという話が聞こえてきたそうだ。おそらく山本はその山林で債権者からさらに借入をしようと狙っていたのだろう」という話もあったようだが、それでも「債権者は山本の話を聞いてやり、頼み事は全て聞いてやっていた」と多くの関係者が口を揃えて言う。(以下次号)

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