不動産ブローカーの仲吉良二が債権者から約1億円を借り受けたのは昭和60年9月の事で、これが最初であったが、原田裕功は仲吉の債務を連帯保証をしていたが、福島で町議をしていた佐川栄蔵(故人)や本誌の別稿でも取り上げている松尾憲之ほか、仲吉の周囲の人脈は当事者を装って取引を仲介するような話を債権者に持ち込んでは、手数料の前取りや着手金名目で債権者から金銭を騙し取って来た詐欺グループであった。実はその代表が原田裕功だった。原田は仲吉が債権者から借り受けた債務の連帯保証をしていながら、返済責任を一切果たさないまま病死してしまった。
債権者は止むを得ず、平成16年11月25日に貸金の返済を求める訴訟を起こした。しかし、仲吉も原田も弁護士を選任もしなければ出廷もしなかったために、翌平成17年3月15日に債権者の請求を全面的に認める判決が出された。
その後、債権者と面識のあった塩谷という弁護士が連絡をしてきて「元金だけで勘弁してあげてくれませんか」という打診をして来たこともあったが、原田から債権者に連絡は無かった。

(写真:原田裕功の長女早苗の自宅)

関係者が原田の自宅を訪ね、あるいは原田の娘2人にも会って債務処理の問題を早く解決するよう伝えたが、原田はその頃入院しており奥さんが付き添いで看護していたが、しばらくして原田本人は家に帰ったものの寝たきりの状態だったので、奥さんが「容体が良くなるまで時間を戴けませんか」と頼んできた。債権者は了解し、奥さんからの連絡を待つことにしたが、結局は一度も連絡が無いまま原田は死亡した。

最近になって関係者が原田の2人の娘のマンションを訪ねるなどしたが、娘の子供(原田の孫)と思われるが、インターフォン越しに「私は知りません」と言ったきりインターフォンを切ってしまい何も応答しなくなったという。具体的な話もせずに一方的に会話を打ち切るような横着で横柄な態度には呆れ果てるが、それは親譲りなのか。しかし、そうした横着の態度も、今後は取れないのではないか。実際に、原田は債権者への債務返済を放りっぱなしにしたまま病死してしまったが、その責任を娘たち2人は直接受け止めなければいけなくなっているからだある。

(写真:原田裕功の次女光恵の自宅)

実際に今、娘たちが父親の責任をどれほど果たせるかはともかくとして、何らかの対応をする常識くらいは持ってしかるべきだろう。
そうでなければ、仮に債権が専門の回収業者に分割譲渡されでもしたら、彼らは娘たちだけでなく家族や身内全員に連絡を取り、回収を進めていくことにもなろうから、今まで通りの日常生活を送れず、またインターネット上でも仲吉と共に原田の情報も公開される中で娘たちや子供の名前までも公開されることになるから、世間の好奇の目にさらされ非難を浴びることにもなる。これでは死んでもなお父親の災厄が娘たちを追い詰めることになり、日常の生活に大きな混乱が生じてしまうことになりかねない。(つづく)